第17話 風待つ帰路
ベル歴995年、火の月39日。
バーディア王城「ウイング城」。 その奥深くに位置する王の私室にて、レオ・クロースはトランクケースを足元に置き、ソファに腰掛けていた。
公式な謁見ではない。親族としての、穏やかな別れの挨拶だ。
「短い間でしたが、お世話になりました」
レオが座ったまま軽く頭を下げる。その口調は、公式の場での堅苦しいものではなく、親しい親族に対する敬意を込めたものだ。
「礼を言うのはこちらの方だ、レオ君」
向かいのソファで、バーディア国王アーヴィンが穏やかに微笑む。試練の回廊で見せた戦士の顔はなりを潜め、今は一人の男として、そして王としての自信に満ちた表情を浮かべていた。
「君のおかげで、実に得難い経験をさせてもらった。前線で剣を振るい、仲間と背中を預け合う……。玉座に座っているだけでは決して得られない、王として、一人の男としての芯が太くなった気がするよ」
アーヴィンは自身の掌を握りしめ、確かな手応えを噛み締めるように頷く。
「それは何よりです。……ですが、陛下が前線に出るのは、これっきりにしてくださいね。こちらの心臓に悪いですから」
「ははは。善処するよ」
レオが苦笑交じりに返すと、アーヴィンも悪戯っぽく肩をすくめた。そこへ、同席していた王妃リンジーが身を乗り出した。
「もう行ってしまうのね。……もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「そうもいきませんよ、叔母様。父さんたちの動きも活発化していますし、俺だけが歩みを止めるわけにはいきませんから」
レオは優しく答える。今回の滞在で、レオは叔母に対し、クロース家の現状と今後の展望を全て伝えていた。互いの無事を確認し合えた今、これは今生の別れではない。
「それに、いつでも会えますから。……なんなら今度、リンジー叔母様も『箱庭』にご招待しますよ。あそこなら、誰の目も気にせずお茶ができます」
レオが何気なく提案した、その言葉。 瞬間、場の空気が凍りついた。
「…………え?〝も〟ですって?」
リンジーの動きが止まる。彼女はゆっくりと、機械仕掛けの人形のように首を回し、隣に座る夫――アーヴィンを見た。
「……なんですか?あなた?まさか、あなた『箱庭』に行ったんじゃないでしょうね?」
その声は鈴のように美しかったが、絶対零度の圧力が込められていた。アーヴィンの額から、冷や汗がツーと流れる。
「あ、いや、リンジー。それはだね……試練が終わった後の、帰還ルートとして少し立ち寄ったというか……」
「私が……夫の無事を祈って、眠れない夜を過ごしていた、まさにその時。……貴方はレオの秘密基地で、優雅にお茶をしていた、と?……そうおっしゃるのですか?」
「ご、誤解だ!あくまで移動の経由地であって、決して遊んでいたわけでは――!」
「……ずるいです」
リンジーが頬を膨らませ、夫を睨みつける。
「私だって行きたかったのに!レオの『お家』でお茶をしたかったです!なんで私だけ仲間外れなんですか!」
「す、すまない!次は必ず!次は必ず君もエスコートするから!」
アーヴィンが慌てて妻のご機嫌取りに回る。その微笑ましい――アーヴィンにとっては命がけの――光景に、レオとノイアーは顔を見合わせ、声を殺して笑った。
「……まあ、平和そうで何より」
「左様でございますね」
ひとしきり夫を問い詰めた後、リンジーは改めてレオに向き直り、今度は慈愛に満ちた瞳で微笑んだ。
「お姉様……エリーザお姉様によろしく伝えてね。『今度は必ず、オスヴァルト様といらしてね』って」
「ええ、必ず伝えます」
「それと、シルビアちゃんのことだけど」
リンジーが思い出したように付け加える。
「あの子は今朝早く、トゥインクディーヌ市国へ戻ったわ。聖女としての務め――『水門巡礼』の準備があるからって」
「存じています。ここへ来る前に、連絡を受け取りました」
レオは懐の端末を軽く叩いた。共に死線を潜り抜けた戦友であるシルビアは、今頃、聖女としての顔に戻り、次の国へ向かうための儀式に臨んでいるはずだ。
「彼女の準備が整い次第、私が迎えに行く手筈になっています。『箱庭』を使えば一瞬ですからね」
「まあ。それなら安心ね」
「ええ。彼女は『水門巡礼』で各国の聖域を回る必要がある。私も『試練』で同じ場所を目指すことになりますから。……旅は道連れ、というやつです」
レオが言うと、アーヴィンが満足げに頷いた。
「うむ。シルビア君にとっても、君たちと共に旅をすることは得難い経験になるだろう。……くれぐれも、頼んだよ」
「はい。任されました」
レオは力強く頷いた。
「では、行きます」
レオは立ち上がり、一礼した。 見送りはここまでだ。王族が駅まで出向けば大騒ぎになる。
「達者でな、レオ君。……次は『風』だね。苦労すると思うが、君ならやれるさ」
「ええ。なんとか頑張ります」
レオは背後に控えていた従者ノイアーと共に、私室を後にした。
背後からは、まだ少しむくれているリンジーのご機嫌をとる、賢王アーヴィンの必死な声が聞こえていた。
王都フェザーレの中央駅。
一等客室専用ホームには、発車を待つ列車の重厚な駆動音が響いていた。
見送りは、光の聖猫クラルテこと、クララ一人だ。
「達者でな、相棒。……ったく、帰りもわざわざ列車で帰るなんて、物好きな奴だ」
クララが呆れたように、目の前に停まる寝台列車『オーレバード』を見上げる。 行きに乗ってきたものと同じ、バーディアとアイゼンを結ぶ最高級車両だ。
「【箱庭】を使えば一瞬だろ?なんでまた、一日かけて戻るんだよ」
「手続き上の問題だよ、クララ」
レオは駅員にパスポート代わりのエナドカードを提示しながら答える。
「俺は正規の手続きで入国したんだ。帰りも正規のルートで『出国』の履歴を残さないと、後々面倒なことになる。クロース家次男が『入国したまま行方不明』なんてことになったら、外交問題になりかねないからな」
「ケッ。人間社会ってのは面倒くさいねぇ」
クララも見送り用の切符を提示しながら、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「それに、次の準備もある。……次は『風』だからな」
レオの言葉に、クララの表情が少しだけ真面目なものに変わる。
「ああ。あそこの連中は頑固だからな。精々気をつけるんだな。次の場所には〝リゼ〟がいるが……リゼがいるからって安心すんなよ?相棒」
「ご忠告どうも。……お前も、正体がバレないようにうまくやれよ、大司教様」
「余計なお世話だ」
クララは照れ隠しのようにそっぽを向いた。
発車を告げるベルが鳴り響く。レオはトランクを持ち直し、魔導階段を上がった。
重厚な扉が閉まり、気密ロックが掛かる音。窓越しに、ニカッと笑って手を振るクララの姿が見えた。
微かな振動と共に、列車が滑り出す。マナ斥力による浮上走行。景色が後方へと流れ去り、白亜の王都が瞬く間に小さくなっていく。
レオは個室に入り、ソファに深く身を沈め、小さく息を吐いた。
向かいの席で、ノイアーが手際よく紅茶の準備を始める。その所作は、王宮でのそれと変わらず洗練されていた。
「光の聖宝球は手に入れた。次は北……エルフの国「セルバン」か」
レオは窓の外、遥か北の空を見上げる。
セルバン森林都市国。 風の大聖霊ウィンリーフを守護するその国は、深い森と強固な結界に守られた、エルフたちのある種の聖域だ。
「クラルテさんも言っていましたが、骨が折れそうですね」
ノイアーがカップを差し出しながら、静かに指摘する。
「ああ。あそこは機械文明を拒絶している。この快適なマナトレインも、国境の手前までしか行けない。それに、この前も云ったが、俺は『英雄ショウ』の記憶を持っているが、同時に『ノーマン・クロース』の血も引いている」
レオは自嘲気味に笑った。
「エルフの王ヴァルグ様にとって、俺は『かつての友』であり、『天敵の子孫』でもある。……どんな顔で会えばいいのやら」
「レオ様ならば、その誠実さできっと道を切り拓けるでしょう。それに……」
ノイアーは、レオの胸ポケットから這い出してきた黒い毛玉――聖獣の分身体キュートに視線を向けた。
「頼もしい相棒もおりますし」
「そうだッチュ!森ならボクの領域ッチュ!」
キュートが元気よく前足を上げる。
「はは、頼りにしてるよ」
レオはキュートの頭を撫で、再び窓の外へと視線を戻した。
列車は速度を上げ、北西のアイゼン王国へとひた走る。 光の試練を越え、次なる舞台は風吹き荒れる深き森。
レオの瞳には、不安よりも、新たな未知への知的好奇心が静かに宿っていた。
第1章 光輝ヲ往ク ―完―




