第16話 光の猿と帰還
全身の毛並みはプラチナのように輝き、背中から伸びる長い体毛は後光のように揺らめいている。その双眸は、悪戯っぽく、しかし底知れぬ知性を宿してレオたちを見下ろしていた。
バーディア聖王国を守護する光の大聖獣、ラエタス。
「ヘイヘイ!まさかオレ様の〝そっくりさん〟を物理で粉砕するとはねぇ。脳筋ここに極まれりって感じ?痺れるねぇ!」
聖域の荘厳な空気をぶち壊すような、軽薄でファンキーな声が響く。
ラエタスはパンパンと派手な手拍子を打ちながら、水面の上を滑るように近づいてきた。その動きには、聖獣としての威厳よりも、どこか道化めいた親しみやすさが漂っている。
レオは剣を納め、姿勢を正すと、恭しく一礼した。
「……初めまして、ラエタス様」
脳裏には、かつて英雄ショウとして彼と軽口を叩き合った記憶が蘇り、懐かしさがこみ上げてくる。だが、今の自分はあくまで「レオ・クロース」だ。レオは記憶の中の親友に対する砕けた態度を封印し、現代の礼節をもって接した。
「おー、堅い堅い!内側には〝アイツ〟がいるくせに、お前らヒト属は相変わらず面倒くさいねぇ。もっと肩の力を抜きなよ。人生、楽しんだもん勝ちだろ?」
ラエタスはニカッと牙を光らせて笑うと、レオの手元に視線を落とした。そこには、先ほど回収したばかりの【光の聖宝球】が収まっている。
「ま、合格だ。この〝ルクス・コリドー〟の『理』を理解し、力だけでなく知恵と連携で突破した。文句なしだよ」
ラエタスは満足げに頷き、レオを指差した。
「それは、お前のモンだぜ、ショ……じゃなかった、レオ!」
わざとらしい言い直し。だが、レオは苦笑を浮かべ、肩をすくめるだけに留める。
「……ありがたく、頂戴いたします」
「だから、堅いっての!」
ラエタスが大げさに嘆いてみせると、ニヤリと笑って顔を近づけた。
「やめろや。お前の中の〝アイツ〟はオレ様の友だぜ?なら、お前もオレ様の友だってこった。ラエタスって呼べ。もしくは〝ラエちゃん〟でもいいぜ?」
「ええええ……」
「スゲェ嫌そうだな!?」
レオの心底嫌そうなリアクションに、ラエタスが目を丸くして突っ込む。
「いや、さすがに大聖獣様を『ちゃん付け』は……。それに、その呼び方はちょっと……」
「なんだよ、昔のアイツは呼んでくれたぜ?」
「呼んでねえから!勝手に記憶を改竄しないでいただけます!?」
レオが食い気味に否定する。記憶にあるショウは、いかに親しくとも聖獣への最低限の礼節は弁えていた。少なくとも「ラエちゃん」などとは一度たりとも呼んでいない。
「ちっ、バレたか」
ラエタスが悪びれもせず舌を出す。
「ま、いいさ。そこまで言うなら『ラエタス』で許してやるよ」
ラエタスはケラケラと笑うと、長い腕を差し出した。レオは呆れつつも、その巨大な拳に自身の拳を軽く突き合わせた。
「よろしく頼むぜ、レオ。……あの堅物のクラルテが選んだ『今の相棒』、悪くねえ。気難しい奴かもしれねえが、クラルテをヨロシクな」
「ああ。……肝に銘じておくよ」
レオが答えると、ラエタスは満足げに鼻を鳴らし、踵を返した。
「じゃあな!長居は無粋だ。さっさと帰って、お前らを待ってる連中に、勝利の報告でもしてきな!」
ラエタスは手をひらひらと振ると、再び光の粒子となって虚空へと溶けていった。
あとに残されたのは、静寂を取り戻した聖域と、宝球を手にしたレオたちだけだった。
「……相変わらず、嵐のようなお方でしたね」
ノイアーが乱れた前髪を整えながら、やれやれといった様子で呟く。
「ああ。だが、悪い気はしないな」
レオは聖宝球を≪クロノ・ボックス≫へ丁寧に収納すると、仲間たちを振り返った。
「それでは、帰りましょう」
「ええ。……ですがレオさん、またあの長い回廊を戻るのですか?」
シルビアがげんなりとした表情で、来た道を振り返る。行きだけで数日を要した道のりだ。戦闘の興奮が冷め、疲労した体で戻るのは骨が折れる。
レオは懐から【ベルコネクト】を取り出し、悪戯っぽく微笑んだ。
「まさか。……帰り道は箱庭を経由させてもらいましょう。少し休憩もしたいですしね」
レオが何もない空間に鍵をかざす。切っ先から虹色のマナが溢れ出し、空間に波紋が広がる。すると、何もない空中に、質素なドアが出現した。
「どうぞ。まずは我が家の『地下倉庫』へ」
レオに促され、アーヴィンとシルビアがドアをくぐる。
一歩足を踏み入れると、肌を刺していた聖域の濃密なマナが嘘のように遮断された。あとに残るのは、静謐な空気と、古いが手入れの行き届いた木の香り。
そこは、次元の狭間に存在する屋敷――「箱庭」の地下倉庫だった。
「ここが、噂に聞く『箱庭』の内側か」
先に入室していたアーヴィン王が、興味深そうに周囲を見渡している。雑多に、しかし分類されて積まれた木箱の山。そのどれもが、千年前の英雄ショウが遺した遺産だ。
「ええ。とりあえず、上へ行きましょう。少しお茶でも入れて一息つきませんか?」
レオの提案に、疲れ切ったシルビアが顔を輝かせた。
「賛成ですわ!喉がカラカラですもの」
勝手知ったるシルビアを先頭に、一行は地下階段を上がり、1階の応接室へと移動した。
重厚な革張りのソファに、アーヴィンとシルビアが腰を下ろす。レオも対面の席に座り、重たいオーバーサイズのコートを脱いで横に置いた。首にかけていたゴーグルも外し、テーブルの上にコトリと置く。
「ノワル、頼めるか?」
「ええ。すぐに」
ノイアーは、いつの間にか着替えていた燕尾服の裾を翻し、流れるような所作でキッチンへと向かう。
数分も経たずに、湯気の立つティーセットと、氷で冷やした果実水がテーブルに並べられた。
「生き返るね……」
アーヴィンが果実水を一口飲み、ほう、と深い息を吐く。王としての威厳を保ちつつも、その背中からは隠しきれない疲労が滲んでいた。
「無理もありません。あれだけの連戦に加え、最後は模倣とはいえ、大聖獣並みの相手との力比べでしたから」
レオは労りの言葉をかけつつ、テーブルの中央に、先ほど入手したばかりの【光の聖宝球】を置いた。
白く輝く宝玉は、部屋の照明を受けて静かに脈動している。
「これが、一つ目か」
アーヴィンが眩しそうに目を細める。
「『ラエタス・ファントム』ってところか……。まさかゲレオール様が、ご自身の眷属を模した人形をけしかけてくるとはね。性格が悪いというか、試練にかこつけて遊んでいるというか」
「同感です。あのふざけた動き、オリジナルの性格を忠実に再現しすぎていました」
レオが苦笑する。脳裏には、最後に現れた本物のラエタスの、人を食ったような態度が蘇っていた。
「ですが、結果として最高の連携が取れました」
シルビアがカップを置き、凛とした表情で二人を見る。
「陛下の防御、レオさんの指揮、そしてノイアーさんの影による拘束。……わたくし、あのような戦い方は初めてでしたけれど、不思議と不安はありませんでした」
「君の拳も凄まじかったよ、シルビア。あれが聖女の鉄槌というやつかな」
「か、からかわないでくださいませ、陛下!」
シルビアが頬を染める。和やかな笑いが室内に満ちた。
「……さて」
レオが空になったグラスを置き、少しだけ真面目な顔つきになる。
「感想戦も尽きませんが、先の話もしておきましょう。まだ一つ目ですから」
レオは懐から手帳を取り出し、ページをめくった。
八大聖霊の試練。暦の順序に従うならば、次は――。
「『風』。……次は、北の森林都市国家、セルバンですね」
その名が出た瞬間、アーヴィンの表情から笑みが消え、僅かに曇った。レオもまた、苦い顔で手帳を閉じた。
「セルバンか……。あそこは、少々骨が折れるぞ」
「ええ、分かっています。我が家の『天敵』ですから」
レオは肩をすくめた。
「父さんが『あそことは商売にならねえ』と匙を投げた唯一の国です。機械文明を拒絶し、マナトレインの開通を拒んだ頑固なエルフたち。……技術屋にとっては、鬼門中の鬼門ですよ」
レオの脳裏に、父オスヴァルトの愚痴が蘇る。『いいかレオ、あいつらはネジ一本締めるのにも文句を言いやがる』『機械の駆動音が森の声を掻き消すだと?ただの風切り音だろうが!』。
「よく知っているようだね。彼らは『雑音』を嫌う。機械の駆動音はもちろん、大声や騒音もマナー違反だ」
アーヴィンがレオのスチームパンク風の装備、特にテーブルに置かれた歯車仕掛けのゴーグルを指差す。
「レオ君のその装備、少し『うるさい』と判断されるかもしれない」
「……なるほど。ただのダイヤルなんですけどね」
レオは手帳に「対策:静音化」と書き込む。
「当然、ここから列車で行くことはできない。国境の手前で降りて、そこからは徒歩か、良くて馬車だ」
「でしょうね。私の好きな『優雅な旅』とは程遠い道のりになりそうです」
レオはため息をつくが、その瞳に悲壮感はない。
「ですが、避けては通れません。風の宝球を手に入れなければ、ベル様への道は開かれないのですから。……郷に入っては郷に従え、です」
「ふふ、頼もしいね。君なら、あの頑固なエルフたちの心もこじ開けられるかもしれない」
アーヴィンが期待を込めて微笑んだ。
「ところでレオ君」
「なんでしょう?」
「君の魂の記憶である、英雄ショウと、エルフの王であるヴァルグ殿との関係性はどうだったんだい?」
アーヴィンの問いはもっともだ。セルバンは排他的だが、英雄ショウとその関係者には敬意を払うという歴史がある。もしショウの記憶を持つレオが、ヴァルグ王と親しい間柄だったのであれば、交渉の余地はある。
レオは記憶の糸を手繰り寄せ、頷いた。
「良好だったと思いますよ。ヴァルグ様は気難しい方ですが、自然を愛する心はショウと通じていましたから」
「そうか、ならば安心だね」
アーヴィンが安堵の息を漏らす。だが、レオは言いづらそうに視線を逸らし、頬を掻いた。
「いや、でも……うちの初代であるノーマンとは、常にいがみ合っていた記憶がありますよ」
「……え?」
「ノーマンは効率主義の塊でしたから。『森を切り開いてマナトレインやパイプラインを通せば便利になる』と提案しては、ヴァルグ様に矢を射かけられていました」
レオの脳裏に、怒り狂うエルフの王と、それを「分からず屋め」と罵る初代当主の喧嘩の光景が蘇る。
「それは……また、難儀だね」
アーヴィンが引きつった笑みを浮かべる。
レオは「英雄ショウの転生体」であると同時に、「ノーマン・クロースの直系子孫」でもある。
エルフの王にとって、レオは「かつての友」でありながら、「天敵の子孫」でもあるという、極めて複雑な立ち位置にいるのだ。
「まあ、行ってから考えますよ。門前払いはされないと信じたいですね」
レオは努めて明るく言い、立ち上がった。それに合わせアーヴィンも立ち上がる。
「さて、そろそろ行こうか。城ではリンジーたちが首を長くして待っている……はずだ」
「そうですね」
レオは立ち上がり、コートを羽織り直すと、地下室の倉庫の隅にある扉の前へと移動した。
レオが目を閉じ、先日いた場所のイメージを強く念じる。
座標は――光の大聖霊の五重輪、第零門前。
マナを流し込むと、扉の向こうの気配が変わった。
レオがノブを回し、扉を開け放つ。
その向こうには、ガルズ湖からの湿った風が吹き込んでくる、五重輪の壁が聳え立っていた。
「……便利なものだね、本当に」
アーヴィンが感心したように首を振り、先頭を切って扉をくぐる。続いてシルビア、ノイアー、そして最後にレオ。
全員が外へ出ると、レオは扉を閉めた。
空間の歪みが修正され、扉はただの何もない空間へと溶けて消えていった。




