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箱庭と猫 第二部 ―聖霊の試練編― 上  作者: 山本陽之介
第1章 光輝ヲ往ク

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第16話 光の猿と帰還

 全身の毛並みはプラチナのように輝き、背中から伸びる長い体毛は後光のように揺らめいている。その双眸は、悪戯っぽく、しかし底知れぬ知性を宿してレオたちを見下ろしていた。


 バーディア聖王国を守護する光の大聖獣、ラエタス。


「ヘイヘイ!まさかオレ様の〝そっくりさん〟を物理で粉砕するとはねぇ。脳筋ここに極まれりって感じ?痺れるねぇ!」


 聖域の荘厳な空気をぶち壊すような、軽薄でファンキーな声が響く。


 ラエタスはパンパンと派手な手拍子を打ちながら、水面の上を滑るように近づいてきた。その動きには、聖獣としての威厳よりも、どこか道化めいた親しみやすさが漂っている。


 レオは剣を納め、姿勢を正すと、恭しく一礼した。


「……初めまして、ラエタス様」


 脳裏には、かつて英雄ショウとして彼と軽口を叩き合った記憶が蘇り、懐かしさがこみ上げてくる。だが、今の自分はあくまで「レオ・クロース」だ。レオは記憶の中の親友に対する砕けた態度を封印し、現代の礼節をもって接した。


「おー、堅い堅い!内側には〝アイツ〟がいるくせに、お前らヒト属は相変わらず面倒くさいねぇ。もっと肩の力を抜きなよ。人生、楽しんだもん勝ちだろ?」


 ラエタスはニカッと牙を光らせて笑うと、レオの手元に視線を落とした。そこには、先ほど回収したばかりの【光の聖宝球セインツ・オーブ・ルクス】が収まっている。


「ま、合格だ。この〝ルクス・コリドー〟の『ことわり』を理解し、力だけでなく知恵と連携で突破した。文句なしだよ」


 ラエタスは満足げに頷き、レオを指差した。


「それは、お前のモンだぜ、ショ……じゃなかった、レオ!」


 わざとらしい言い直し。だが、レオは苦笑を浮かべ、肩をすくめるだけに留める。


「……ありがたく、頂戴いたします」

「だから、堅いっての!」


 ラエタスが大げさに嘆いてみせると、ニヤリと笑って顔を近づけた。


「やめろや。お前の中の〝アイツ〟はオレ様の友だぜ?なら、お前もオレ様の友だってこった。ラエタスって呼べ。もしくは〝ラエちゃん〟でもいいぜ?」

「ええええ……」

「スゲェ嫌そうだな!?」


 レオの心底嫌そうなリアクションに、ラエタスが目を丸くして突っ込む。


「いや、さすがに大聖獣様を『ちゃん付け』は……。それに、その呼び方はちょっと……」

「なんだよ、昔のアイツは呼んでくれたぜ?」

「呼んでねえから!勝手に記憶を改竄しないでいただけます!?」


 レオが食い気味に否定する。記憶にあるショウは、いかに親しくとも聖獣への最低限の礼節は弁えていた。少なくとも「ラエちゃん」などとは一度たりとも呼んでいない。


「ちっ、バレたか」


 ラエタスが悪びれもせず舌を出す。


「ま、いいさ。そこまで言うなら『ラエタス』で許してやるよ」


 ラエタスはケラケラと笑うと、長い腕を差し出した。レオは呆れつつも、その巨大な拳に自身の拳を軽く突き合わせた。


「よろしく頼むぜ、レオ。……あの堅物のクラルテが選んだ『今の相棒』、悪くねえ。気難しい奴かもしれねえが、クラルテをヨロシクな」

「ああ。……肝に銘じておくよ」


 レオが答えると、ラエタスは満足げに鼻を鳴らし、踵を返した。


「じゃあな!長居は無粋だ。さっさと帰って、お前らを待ってる連中に、勝利の報告でもしてきな!」


 ラエタスは手をひらひらと振ると、再び光の粒子となって虚空へと溶けていった。


 あとに残されたのは、静寂を取り戻した聖域と、宝球を手にしたレオたちだけだった。


「……相変わらず、嵐のようなお方でしたね」


 ノイアーが乱れた前髪を整えながら、やれやれといった様子で呟く。


「ああ。だが、悪い気はしないな」


 レオは聖宝球オーブを≪クロノ・ボックス≫へ丁寧に収納すると、仲間たちを振り返った。


「それでは、帰りましょう」

「ええ。……ですがレオさん、またあの長い回廊を戻るのですか?」


 シルビアがげんなりとした表情で、来た道を振り返る。行きだけで数日を要した道のりだ。戦闘の興奮が冷め、疲労した体で戻るのは骨が折れる。


 レオは懐から【ベルコネクト】を取り出し、悪戯っぽく微笑んだ。


「まさか。……帰り道は箱庭を経由させてもらいましょう。少し休憩もしたいですしね」


 レオが何もない空間に鍵をかざす。切っ先から虹色のマナが溢れ出し、空間に波紋が広がる。すると、何もない空中に、質素なドアが出現した。


「どうぞ。まずは我が家の『地下倉庫』へ」


 レオに促され、アーヴィンとシルビアがドアをくぐる。


 一歩足を踏み入れると、肌を刺していた聖域の濃密なマナが嘘のように遮断された。あとに残るのは、静謐な空気と、古いが手入れの行き届いた木の香り。


 そこは、次元の狭間に存在する屋敷――「箱庭」の地下倉庫だった。


「ここが、噂に聞く『箱庭』の内側か」


 先に入室していたアーヴィン王が、興味深そうに周囲を見渡している。雑多に、しかし分類されて積まれた木箱の山。そのどれもが、千年前の英雄ショウが遺した遺産だ。


「ええ。とりあえず、上へ行きましょう。少しお茶でも入れて一息つきませんか?」


 レオの提案に、疲れ切ったシルビアが顔を輝かせた。


「賛成ですわ!喉がカラカラですもの」


 勝手知ったるシルビアを先頭に、一行は地下階段を上がり、1階の応接室へと移動した。


 重厚な革張りのソファに、アーヴィンとシルビアが腰を下ろす。レオも対面の席に座り、重たいオーバーサイズのコートを脱いで横に置いた。首にかけていたゴーグルも外し、テーブルの上にコトリと置く。


「ノワル、頼めるか?」

「ええ。すぐに」


 ノイアーは、いつの間にか着替えていた燕尾服の裾を翻し、流れるような所作でキッチンへと向かう。


 数分も経たずに、湯気の立つティーセットと、氷で冷やした果実水がテーブルに並べられた。


「生き返るね……」


 アーヴィンが果実水を一口飲み、ほう、と深い息を吐く。王としての威厳を保ちつつも、その背中からは隠しきれない疲労が滲んでいた。


「無理もありません。あれだけの連戦に加え、最後は模倣とはいえ、大聖獣並みの相手との力比べでしたから」


 レオはいたわりの言葉をかけつつ、テーブルの中央に、先ほど入手したばかりの【光の聖宝球】を置いた。


 白く輝く宝玉は、部屋の照明を受けて静かに脈動している。


「これが、一つ目か」


 アーヴィンが眩しそうに目を細める。


「『ラエタス・ファントム』ってところか……。まさかゲレオール様が、ご自身の眷属を模した人形をけしかけてくるとはね。性格が悪いというか、試練にかこつけて遊んでいるというか」

「同感です。あのふざけた動き、オリジナルの性格を忠実に再現しすぎていました」


 レオが苦笑する。脳裏には、最後に現れた本物のラエタスの、人を食ったような態度が蘇っていた。


「ですが、結果として最高の連携が取れました」


 シルビアがカップを置き、凛とした表情で二人を見る。


「陛下の防御、レオさんの指揮、そしてノイアーさんの影による拘束。……わたくし、あのような戦い方は初めてでしたけれど、不思議と不安はありませんでした」

「君の拳も凄まじかったよ、シルビア。あれが聖女の鉄槌というやつかな」

「か、からかわないでくださいませ、陛下!」


 シルビアが頬を染める。和やかな笑いが室内に満ちた。


「……さて」


 レオが空になったグラスを置き、少しだけ真面目な顔つきになる。


「感想戦も尽きませんが、先の話もしておきましょう。まだ一つ目ですから」


 レオは懐から手帳を取り出し、ページをめくった。


 八大聖霊の試練。暦の順序に従うならば、次は――。


「『風』。……次は、北の森林都市国家、セルバンですね」


 その名が出た瞬間、アーヴィンの表情から笑みが消え、僅かに曇った。レオもまた、苦い顔で手帳を閉じた。


「セルバンか……。あそこは、少々骨が折れるぞ」

「ええ、分かっています。我が家の『天敵』ですから」


 レオは肩をすくめた。


「父さんが『あそことは商売にならねえ』と匙を投げた唯一の国です。機械文明を拒絶し、マナトレインの開通を拒んだ頑固なエルフたち。……技術屋にとっては、鬼門中の鬼門ですよ」


 レオの脳裏に、父オスヴァルトの愚痴が蘇る。『いいかレオ、あいつらはネジ一本締めるのにも文句を言いやがる』『機械の駆動音が森の声を掻き消すだと?ただの風切り音だろうが!』。


「よく知っているようだね。彼らは『雑音』を嫌う。機械の駆動音はもちろん、大声や騒音もマナー違反だ」


 アーヴィンがレオのスチームパンク風の装備、特にテーブルに置かれた歯車仕掛けのゴーグルを指差す。


「レオ君のその装備、少し『うるさい』と判断されるかもしれない」

「……なるほど。ただのダイヤルなんですけどね」


 レオは手帳に「対策:静音化」と書き込む。


「当然、ここから列車で行くことはできない。国境の手前で降りて、そこからは徒歩か、良くて馬車だ」

「でしょうね。私の好きな『優雅な旅』とは程遠い道のりになりそうです」


 レオはため息をつくが、その瞳に悲壮感はない。


「ですが、避けては通れません。風の宝球を手に入れなければ、ベル様への道は開かれないのですから。……郷に入っては郷に従え、です」

「ふふ、頼もしいね。君なら、あの頑固なエルフたちの心もこじ開けられるかもしれない」


 アーヴィンが期待を込めて微笑んだ。


「ところでレオ君」

「なんでしょう?」

「君の魂の記憶である、英雄ショウと、エルフの王であるヴァルグ殿との関係性はどうだったんだい?」


 アーヴィンの問いはもっともだ。セルバンは排他的だが、英雄ショウとその関係者には敬意を払うという歴史がある。もしショウの記憶を持つレオが、ヴァルグ王と親しい間柄だったのであれば、交渉の余地はある。


 レオは記憶の糸を手繰り寄せ、頷いた。


「良好だったと思いますよ。ヴァルグ様は気難しい方ですが、自然を愛する心はショウと通じていましたから」

「そうか、ならば安心だね」


 アーヴィンが安堵の息を漏らす。だが、レオは言いづらそうに視線を逸らし、頬を掻いた。


「いや、でも……うちの初代であるノーマンとは、常にいがみ合っていた記憶がありますよ」

「……え?」

「ノーマンは効率主義の塊でしたから。『森を切り開いてマナトレインやパイプラインを通せば便利になる』と提案しては、ヴァルグ様に矢を射かけられていました」


 レオの脳裏に、怒り狂うエルフの王と、それを「分からず屋め」と罵る初代当主の喧嘩の光景が蘇る。


「それは……また、難儀だね」


 アーヴィンが引きつった笑みを浮かべる。


 レオは「英雄ショウの転生体」であると同時に、「ノーマン・クロースの直系子孫」でもある。


 エルフの王にとって、レオは「かつての友」でありながら、「天敵の子孫」でもあるという、極めて複雑な立ち位置にいるのだ。


「まあ、行ってから考えますよ。門前払いはされないと信じたいですね」


 レオは努めて明るく言い、立ち上がった。それに合わせアーヴィンも立ち上がる。


「さて、そろそろ行こうか。城ではリンジーたちが首を長くして待っている……はずだ」

「そうですね」


 レオは立ち上がり、コートを羽織り直すと、地下室の倉庫の隅にある扉の前へと移動した。


 レオが目を閉じ、先日いた場所のイメージを強く念じる。


 座標は――光の大聖霊の五重輪オクト・クインタ、第零門前。


 マナを流し込むと、扉の向こうの気配が変わった。


 レオがノブを回し、扉を開け放つ。


 その向こうには、ガルズ湖からの湿った風が吹き込んでくる、五重輪の壁が聳え立っていた。


「……便利なものだね、本当に」


 アーヴィンが感心したように首を振り、先頭を切って扉をくぐる。続いてシルビア、ノイアー、そして最後にレオ。


 全員が外へ出ると、レオは扉を閉めた。


 空間の歪みが修正され、扉はただの何もない空間へと溶けて消えていった。

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