第14話 輝きの心奥『ルクス・コル』 前編
聖域の最奥。重厚な扉が開かれた先、空と水面が無限に続く円環の中央で、七色のプリズムを積み上げたような巨大な猿――光の大聖獣の模倣体が、硝子細工のような指を鳴らした。
カァン、と硬質な打撃音が静寂を打つ。本物のラエタスならば、ここで「ヘイヘイ!」と鬱陶しい奇声を上げるところだろう。だが、目の前の人形は不気味なほどに無言だった。
音もなく軽快なステップを踏み、長い腕をぶらりと下げておどけてみせる。挑発するようにクイクイと指を曲げ、自身の尻を叩いて「来いよ」と煽る動作。
「……本物より静かな分、動きのウザさが際立ってんな」
レオが冷ややかに剣を構える。その背中を、焼けるような圧迫感が襲った。
肌が粟立つ。呼吸をするだけで肺が乾くような、濃密な光の熱量。 目の前の敵から放たれているのは、ただの魔力ではない。空間そのものを歪め、この領域の物理法則さえ書き換えようとする、圧倒的な質量の「力」だ。
模倣体が、小馬鹿にするように首を傾げ、再び指を鳴らした。
直後、敵の輪郭がブレた。
「来るぞ!」
レオが短く警告を発するのと、世界が白く塗りつぶされたのは同時だった。
音すらない。模倣体の指先から放たれたのは、光弾などではない。空間の座標そのものを光熱で飽和させ、浄化する「閃光の波」だ。
回避する場所などない。
アーヴィン・バーディアが、一歩前に出た。王は無言のまま両手を広げ、自身の前方に多層の光壁を展開する。
衝撃。
防壁と閃光が衝突し、鼓膜を劈くような高周波が鳴り響く。王の足元の水面が爆ぜ、衝撃波で数メートル後退させられる。
王の口端から一筋の血が流れる。防ぎきれていない。光の出力差が大きすぎる。王家の血筋と加護をもってしても、正面からの押し合いでは分が悪い。
そこへ、模倣体が追撃をかける。光速のステップ。
だが、その動きは一直線ではない。わざわざジグザグに、ダンスを踊るような軌道を描いて攪乱し、残像を残しながら側面に回り込む。
巨大なプリズムの拳が振り下ろされる。
狙われたのはシルビアだ。
彼女は反射的に腕を交差させ、全身のマナを防御に回す。
激突音。ベキィッ、と嫌な音が響く。
シルビアの防御の上から、前腕の骨が物理的に圧し折られた音だ。
シルビアの体が、水面を弾く石のように吹き飛ばされた。数十メートル転がり、水飛沫を上げて止まる。
彼女の腕は不自然な方向に曲がり、装備の下の皮膚は赤黒く変色していた。
だが、次の瞬間。 シルビアの体から、淡い金色の蒸気が噴き出した。
癒やしの聖霊アウローラの加護による、自動回復。
ボキボキ、と骨がひとりでに組み変わる音が響く。赤黒く腫れ上がった皮膚が、早送りの映像のように瞬時に色を取り戻し、傷一つない白肌へと修復されていく。
シルビアは何事もなかったかのように立ち上がり、完治した腕を振って構え直す。
「い、痛くありませんっ……からっ」
目に涙を浮かべながら、強がるシルビア。
速いだけではない。質量がおかしい。一撃一撃が攻城槌のような重さを持っているが、それを即座に無かったことにする聖女の回復力もまた、常軌を逸している。
攻撃を終えた模倣体は、追撃を急がない。シルビアが立ち上がるのを見て、感心したようにパチパチと拍手をして見せる。そのプリズムの顔には、嗜虐的な笑みが張り付いていた。
レオが走る。このふざけた動きに付き合っていては、ペースを乱されるだけだ。
時空魔法で空間を歪め、敵の死角へと潜り込む。 銀閃一撃。 強化されたチャクラを乗せた刃が、模倣体の脚部を捉える。
だが、手応えが硬すぎる。 ダイヤモンドよりも硬質なプリズム装甲が、刃を弾き返す。
模倣体が煩わしそうに腕を払い、裏拳を放つ。 レオは直感だけで上体を逸らすが、衝撃波だけで頬が切れ、血が舞う。
距離を取ったレオに対し、模倣体は指揮者のように両手を振り上げた。 硬質な音が響くたび、その周囲に無数の光球が生成される。
小細工なしの暴力。三人がかりでも、有効打を与えられない。
模倣体は無慈悲だ。休むことなく指先を向け、無数のレーザーを乱射する。レオたちは浅い水面を走り回り、転がり、泥臭く回避し続けるしかない。一発でも掠れば、肉をごっそりと持っていかれる。
じりじりと追い詰められていく。このままでは、エネルギー総量の差でこちらが先に尽きる。
レオは荒い息を吐きながら、思考を回す。敵は光だ。光である以上、反射と屈折の物理法則からは逃れられない。だが、この空間自体が敵のホームグラウンドであり、光源は無限にある。
光源を断つのは不可能だ。ならば、光の通り道を汚すしかない。
レオは視線を走らせ、少し離れた位置で迎撃を続けているノイアーへ合図を送った。
黒と紫の戦闘服に身を包んだ従者は、涼しい顔で頷く。それだけで十分だった。
ノイアーは敵への直接攻撃を選ばなかった。彼が狙ったのは、敵の足元――「水面」だ。
彼が手を触れると、美しい水面が漆黒のインクを流したように黒く染まっていく。 同時に、闇の霧を上空へ爆散させた。
第四位階闇属性魔法≪シャードブル≫。
視界が遮られる。だが、それ以上に重要なのは「反射率」の低下だ。乱反射を利用して超高速移動を繰り返していた模倣体の動きが、一瞬だけ鈍る。光の屈折計算にノイズが混じったのだ。
敵が初めてステップのリズムを崩し、足元の黒い水に足を取られるような挙動を見せた。その優雅でふざけたダンスが止まる。
そのわずかな硬直。
水面を蹴る音。シルビアが肉薄していた。癒やしのマナを筋繊維の一本一本にまで過充填させ、肉体の限界を超えた速度で敵の懐へ潜り込む。
彼女の拳には魔法はない。あるのは、この理不尽な光の装甲を砕くための、物理的な衝撃のみ。
インパクトの瞬間、空気が破裂するような音がした。
破砕音。模倣体の腹部に亀裂が走り、その巨体が初めてのけぞる。
「硬い、ですわね……っ!」
シルビアが拳を引く。その拳からは血が滲んでいたが、すでに金色の蒸気と共に塞がっている。攻撃の反動すらも、彼女の再生能力は瞬時に帳消しにする。
手痛い一撃を受けた模倣体が、憤怒の形相でシルビアを睨みつける。硝子の顔から笑みが消え、純粋な殺意が膨れ上がる。
体勢を立て直そうと、敵が腕を振るう。その動きには、先ほどまでの精密さと余裕が欠けていた。苛立つように地面を踏み鳴らし、威嚇するように両腕を振り上げる。
(……すげえな、シルビアさん)
レオが剣の柄を握りしめる。だが、敵の思考パターンは、レオの予測を超えていた。
模倣体が両手を天に掲げる。まるで観客にアピールするかのような、大仰な動作。 その頭上に、太陽のごとき巨大な光球が生成された。
熱量が増大する。 水面がわずかに蒸発し、白い湯気が視界を奪う。
「陛下、あれ、防げますか!?」
レオが叫ぶ。だが、アーヴィンの表情は険しい。
「……やってみるが、保証はできなさそうだよ!」
王の顔色が蒼白だ。先ほどの防御で、既に魔力の大半を持っていかれている。
光球が膨張し、臨界点を超える。放たれるのは、この聖域全てを消滅させるほどの、極大の浄化光。 物理的な破壊ではない。情報の初期化。この空間に存在する異物――レオたちを、塵一つ残さず消し去るためのシステムリセットだ。
模倣体が、勝ち誇ったように指を鳴らした。その硝子の瞳が、確かに「詰みだ」と嘲笑うように細められた。
(マズいか……)
レオが歯噛みし、固有魔法≪時空回帰・白≫の起動シークエンスへ意識を向ける。だが、間合いが遠すぎる。あの魔法はゼロ距離でなければ効果を発揮しない。
その時だった。
レオの少し前方に立っていたノイアーが、振り返ることなく、しかし静かに右手を掲げた。
〘レオ様〙
静かな、しかし氷のように冷徹な声が、レオの脳裏に直接響く。 ノイアーからの念話だ。
〘私が、道を作ります〙
「ノワル?」
レオが怪訝そうに見る。ノイアーは武器を構えていない。ただ、その足元から広がる影が、不自然なほど濃密に揺らめいていた。
〘あのような無粋な光……闇の美学に反しますので〙
その声には、微塵の焦りも恐怖もない。あるのは、主君の勝利を確信し、そのために己の全てを捧げる従者の、静かな殺意だけだった。
〘皆様で、トドメを。……お膳立ては、影の領分でございます〙
レオが止める間もなく、ノイアーの足元の影が爆発的に膨れ上がった。




