3.
営業準備も進み、徐々に落ち着きを取り戻しつつある朝の生活総合ギルド。その冒険者部門では密かにとある少女の行動により様々な憶測が飛び交っていた。
「エレーネさん、今度はシャルルちゃんと何をやってたのかしら?」
「依頼書の準備をしてたアナの話だとね、シャルルがS級依頼書を買っていったそうよ」
「S級依頼書って……はっ! シャルルが興奮してたけどまさか彼女もアレン様狙い!?」
姉妹で想い人が同じだなんて辛いねだとか、その手があったかとか、さすがに本人たちには聞こえないように配慮しながらも噂好きな女性職員たちは盛り上がっていく。真似しようと依頼書を買いにいき、S級依頼書の金額に度肝を抜かれて戻ってきた職員もいたらしい。――というのを後にサリナから聞いた。
そんな知らないうちに話題の渦中となっているシャルルは、提案した結婚依頼の話を私からの条件付きとはいえ乗ってもらえたことで上機嫌になっている。私の結婚依頼を出すにあたって提示した条件はあくまで失敗した時のものだ。お祈りをやめた彼女は失敗するわけがないと再び信じ込むことで復活していた。
「あなたにこれまで依頼書の仕分けを任せたことはないと思うのだけれど……」
「依頼書の等級くらいは私だってわかりますよー。なんたって書いてありますし! 間に差し込んで並び替えている作業はお手伝いはできませんけど、少しくらいはエレーネさんのお手伝いがしたいんです!」
さすがにずっと仕事の邪魔をしているのは悪いと思ったのかそのあとは彼女からあまり話しかけてくることもなく、仕分け前の依頼書を私の邪魔にならないように等級だけ分け始めた。仕分け作業をしたことのないシャルルだが私が等級ごとに山にして分けているのを見て気付いたのだろう。けれど、等級が固まっているだけでも作業がしやすいので普段よりは手が進んだ。
「エレーネさん! お疲れさまでした! それじゃあ、ちゃちゃっと準備を終わらせちゃいましょう! 張り出しなら少しサリナさんの手伝いをしたことがあるので任せてください!」
「ありがとう。時間もないから助かるわ。私はもう少しここでやることがあるから先に張り出しててくれる?」
依頼書の掲載期限順の等級分けも終わったタイミングでシャルルが声をあげる。彼女は自分の満足する結果に一応はなったからか上機嫌に「はい! いってきます!」と張り出す依頼書を持てるだけ抱えて小走りに依頼掲示板へと駆けていった。
「根から素直でいい子なのよね。あの結婚依頼も私のことを思っての行動だろうし」
彼女の後ろ姿を見て改めて思う。リボンと共に揺れる薄茶色の髪はふわふわで、私のまっすぐな髪質とは違う。髪の長さと色合いは似ていてもあんな愛嬌を私は振り撒けないし羨ましい。
「慕ってくれるのは嬉しいけど――あなたがとても眩しいわ」
静かになったサリナの作業机で感傷に浸る。私の『エレーネ』というイメージは既に凝り固まり、堅物として周りに認識されている。過去には戻れないが、彼女のように振る舞えていたら私も既に誰かと寿退社していたのだろうか。それともアレンの戻りを待ち続ける恋する乙女のように思われているのだろうか。
「るんるるん~るん~♪ ふふふのふっ♪」
「あらサリナ、随分と嬉しそうね。何をプレゼントしてもらったのかしら」
そんなことを考えているとサリナが戻ってきた。というよりシャルルが張り出しを申し出た際、裏口の方からフロアに入ってくる薄緑色の髪が見えたので彼女を先に行かせたのだ。
「ふふ~ん、実はですね! ……あれ? エレーネ先輩、仕分け作業が今終わったところですか?」
そんな可愛らしい妹のような後輩と入れ替わるように、幸せに浮かれた様子で戻ってきたサリナは、私がまだ張り出しを終わらせておらず机の上に依頼書が残っているのを不思議そうにしながら眺めていた。
「そうね。けどあなた……それが人に仕事をやってもらっている態度なの?」
「いえいえこれは違うんです! なんていうか言葉通りなんですけど、とにかく違うんですよ〜! とりあえず――ありがとうございました!」
サリナの言いたいことはわかる。わかるがそれを口に出すべきではない。そんな彼女に呆れながらも私から引き受けたことなので弱めに責め立てると、慌てて弁明を始めて頭を勢いよく下げてお礼を言ってきた。
「けど、何かトラブルでもあったんですか? いつもの先輩だったら張り出しまで終わってますよね?」
「……なんでもないわ。ただ張り直しで量が多かっただけよ」
たしかにいつもの私だったら仕分け作業はとっくに終えて、依頼掲示板に依頼書の張り出しをほぼ終えている頃だろう。彼女の仕事にいつも手を貸しすぎて私の作業にかかる時間が把握されているようだがその見立ては間違ってはいない。けれど量が多かったのも事実で、サリナは「そういえばそうでした~。すみません」なんて平謝りをして納得する。
「はい、これ。私の仕事だけど戻ったのならあとはあなたがやりなさい。全力でやれば間に合うでしょ? 私はシャルルと依頼書の張り出しをしてくるから」
複雑な気持ちになるが、ならば私も椅子から立ち上がって私の机から移動させた書類と共に席を譲った。
「え~~~っ! これエレーネさんのお仕事ですよね!? 本当に私がやるんですか???」
「せっかくのお誕生日だもの。成長させてあげないとね」
私の残っている仕事は他部門との連絡だ。レムリオがウスバカニッパーの鋏を間違って商業部門へと納品したように、生活総合ギルドの内部間でも依頼のやり取りはある。その依頼の管理、進捗状況の確認、急ぎの場合は他の部門に掛け合っての調整などの書類だ。
「サリナ、あなたならできるわ。もし問題がありそうならトムさんやエーウェンさんになんとかならないか相談してきなさい」
「う~、わかりました~。エレーネ先輩がそこまで言うのでしたらがんばります。……ん? そういえば、どうしてシャルルも依頼書の張り出しをしているんですか?」
渋りながらも私から期待されているのは感じ取ったのかサリナが仕事を引き受けてくれた。彼女ならなんとか営業開始前に終わることができると信じているのはもちろんだが、もし無理でも営業が始まってから対応もできるので問題はない。もちろんそのことは黙っておく。彼女の意識はシャルルに移っているので追及はされないだろう。
「自分の準備が終わったからと手伝ってくれてるのよ。あの子も成長しているってことね」
「えっ! あのシャルルがもう準備作業を終えたんですか?!」
いつもなら準備をまだ終えていないシャルルが自分の準備を終えて手伝いに入っていたことにサリナはとても驚いていたからだ。
「……って、このままだと私、後輩より使えない職員に!?」
「そう思うなら頑張りなさい。それと、ちゃんと後でシャルルにお礼を言うこと。それじゃ頑張ってね」
「え、あっ、ちょっとエレーネせんぱーいっ!」
シャルルが私に話しかけてきた経緯についてはあえて教えず、後ろで聞こえる悲鳴を無視して依頼掲示板へと向かう。すると、すぐに彼女を見つけた。
「うーん! うーん!」
「シャルル、A級とB級、それからC級はもらうわね」
「あっ! エレーネさん! ありがとうございます!」
等級が高いほど依頼掲示板の高い位置に張ることになっている。そのため必死になって高い場所にA級依頼書を張ろうとしていたので、彼女が持ちきれなかった下位等級の依頼書を渡し、代わりに上位等級の依頼書を受け取る。
「お礼を言うのはこちらよ? ありがとう、シャルル。それじゃ早く終わらせて結婚依頼の話をしましょうか」
「はいっ!」
ただ下位等級といっても冒険者部門は大柄な男性を想定した建物の作りのため、小柄なシャルルは時折少し背伸びしながら掲示板に依頼書を張り出している。その姿は贔屓目なしにとても可愛い。おまけに元気のよい返事で私に自然とお礼を言う姿から彼女の誠実さが伝わってきた。そんな非の打ちどころのないシャルルは当然ながら男性冒険者からも人気が高い。彼女のいう私に対する好感度は仕事に対してだと思われるが、彼女のは純粋に人柄からだと断定しても良いほどだ。
「ところでシャルル、あなたは誰か好意を寄せている人はいるのかしら?」
「……え、私ですか?」
「ええ。だって私のために身銭を切ってくれたのだからお金目的というわけではないでしょ? そんなに出世意欲があるようにも思えないもの。そうなると求められる見返りは――」
あまり部門内における色恋沙汰の話は詳しくないが、そんなシャルルに恋人がいないのは不自然に思えた。そして今回のやり取りだ。なのでふと、気になり聞いてみることにした。
「はい。エレーネさんの推測通りです。もしよろしければ今日の定時後、お時間いただいてもいいですか? 依頼の打ち合わせと私の報酬についてお話したいので」
「もちろんよ。むしろ私から誘おうと思っていたところだったから安心したわ」
すると彼女は素直に肯定した。それどころか仕事帰りにそのことについても話をするとまで言ってきたので、もちろん私は誘いに乗った。
「え? エレーネさんからですか?」
「あら、意外? 私だって女の子よ? 可愛い後輩と恋バナをしたい日もあるわ」
作業の手は止めず、シャルルに顔を見せないようにしながらA級依頼書の張り出しを終えてB級に取り掛かる。らしくない……本当に私らしくないと思うのだが、恋する少女に心が戻ってしまったのだ――アレンに結婚依頼を出すと決めた時から……。
「あの、そうじゃなくてですね! わたしが強引に提案した依頼なので、その……そんなに乗り気になってくれるとは思いませんでした!」
「まあ、彼が私をってのはまだ信じてはいないのだけれど、アレンへの塩対応はわざとなの。面白い話じゃないけど聞いてくれる?」
「はい! 是非、聞かせてください!」
恥ずかしくても誘ってよかった。そう思えるほどにシャルルは全力で喜んでくれた。正直、相手がアレンでなければ彼女からの提案には乗らなかっただろう。その辺りの昔話も込みで話してあげるつもりだ。とはいえ、まだ朝の営業準備中で一日は始まったばかり。そして私たちは残り少ない時間で依頼書の張り出しを終えなければならない。
「ええ。けれどさすがに話し込みすぎたわね。まずは仕事に集中しましょうか」
「わかりました! エレーネさんと行きたかった素敵なお店があるんです! 提示後の楽しみにして頑張ります!」
それから私たちは黙々と張り出し作業を続け――。
「エレーネせんぱ〜い……任された仕事、終わりました〜……。間に合わなそうな依頼とかはなさそうだったので助かりました~……」
私たちが手分けして張り出し作業を半分ほど終えたところで、私の振った仕事を終えたサリナがやってきた。他部門への連絡なども発生せず作業量は少なくすんだようだが、慣れない仕事とプレッシャーからとても疲れ切っているようだった。
「お疲れ様、サリナ」
「お疲れ様です!」
「ありがとうございます~。あー、まだ張り出しが残ってますね……これ、間に合うかな……」
あと一仕事残っているが仕分けを終えたサリナを労うと、お礼を言いながら残り依頼書に死んだような目を落とした。元々はサリナの仕事だ。手が空いたのなら彼女に戻すのが普通なのだが――。
「サリナ先輩っ♪ お誕生日おめでとうございますっ!」
「って、シャルル!? 本当に手伝ってくれてたんだー! ありがとうー! 祝ってもくれてありがとうー!」
そんなサリナをシャルルが明るく誕生日を祝って元気付ける。どうやら残りの依頼書に気を取られてシャルルに気付いていなかったようだが、後輩に気弱なところはみせられないとばかりに一転して明るく元気になり、サリナは手伝ってくれているシャルルにお礼を言った。
「まったく……私の話を信じてなかったの?」
「――すみません! 半分疑ってました! エレーネ先輩にしては珍しく冗談を言っているのかなと」
「……はぁ。それよりもお誕生日おめでとう、サリナ」
「ありがとうございます! エレーネ先輩! 先輩にも後輩にもお祝いしてもらえてとても嬉しいです!」
くだらない会話もほどほどに、先ほどのシャルルのを見てまだ私はまだ彼女の誕生日を祝っていないことに気付いたのでおめでとうを言うと、サリナはとても嬉しそうに喜んでくれた。
「エレーネさんっ! 誕生日といえば――」
シャルルが最後までいうのを手で制すると、彼女はあとはお願いしますと目で訴えてきた。後輩から手伝いますというのは角が立つかもしれないとそれだけでわかったのだろう。本当に聡い後輩だと思った。
「サリナ、私はA級とB級、それからC級を。シャルルはF級を担当するわ」
「……へ?」
「――今日は特別よ? 私たちからの誕生日プレゼントとして受け取りなさい。何も準備していないし代わりに最後まで手伝ってあげる」
「ここまで来て最後まで手伝わない選択肢はないです! サリナさん! 三人でやればすぐですから頑張りましょう!」
私からの請求に呆然としていたサリナは、ようやく意味を理解して「嬉しいしありがたいのに……これが誕生日プレゼントかー」なんていいながらもシャルルからD級とE級の依頼書を受け取り作業を開始する。
「それじゃあ頑張りましょう!」
「そうね。これなら営業開始までに間に合うわ」
「う~、ありがとうございます〜」
なんだかんだ言いながらも嬉しいようで、時間に余裕もできたこともあり、ボヤきながらもサリナはシャルルと楽しそうに会話をしながら作業を進め――。
「終わった〜! 疲れた〜!」
「よかったー! なんとか間に合いましたね!」
「二人とも、お疲れ様。それじゃあ朝礼まで休憩しましょう」
営業開始までに全ての準備を私たちは終えた。
「う〜、まだ仕事が始まっていないなんて……。エレーネせんぱ〜い、誕生日休憩をもらっていいですか? お昼には戻りますから〜」
「ダメに決まってるでしょ? 体調不良とかどうしてもの理由で休暇を取るならともかく……」
私たちは作業机まで戻って椅子に座って体を休める。サリナが寝ぼけたことを言ってきたが気持ちはわかる。だがさすがに認められない。私だって結婚依頼の件もあり疲れているのだ。
「エレーネさん、サリナさん! 私、お菓子持ってるので一緒に食べませんか?」
「ありがとう、シャルル。いただくわ」
「まさかの誕生日パーティー!?」
和気藹々とした団欒を楽しみながら私たちは時間まで駄弁った。サリナは「これが至福のひと時ですか〜」なんて言っていたが文字通りのひと時で、あっという間に今日の営業開始時間を迎えた。