1.
世界中に存在する生活総合ギルド。そこは脅威や素材となる魔物の討伐、薬草採取、商品の発注や仲介、家事手伝いなど、生活に関わる事ならなんでも依頼できる組織で、内容に応じて冒険者部門、商業部門、生活支援部門と分かれている。
「すみません、マリーさん! この書類をそっちの部門長までついでにお願いします!」
「おっ、トムさん。ちょうどよかった。これ生支からの依頼だったアセロ草です。一緒に持って行ってください」
「トムさーん! こっちの木箱も宝物庫に運んでおいてもらえるー?」
「力仕事を全部オレに頼ってんじゃねーよ! まったく。宝物庫にはあとで行くからそこの隅に置いておいてくれや。それと――てめーら次からは自分で運びやがれ!」
そんな生活総合ギルドの朝は早い。ここ、地方都市バルメシアでも日が昇り出した頃からギルドの中から様々な怒号や物音が聞こえてくる。白のブラウスに上は黒のジャケット、下は赤のロングスカートの制服に身を包んだ勤続13年、今年で28歳になった私、エレーネの所属する冒険者部門でも刻一刻と迫る営業準備に追われていた。
「うーん、アオパカッソの生息地は……ミドリ平野だっけ?」
薄茶色でふわふわの髪をリボンでまとめた小柄で若い新人職員シャルルは、私の作業している机のすぐ近くで依頼対象である魔物の生息地への地図の準備をしているようだ。
魔物の素材依頼はどのような入手手段でも問題はないが、生息地がわからないと依頼を受け辛い。そこで冒険者にこのバルメシアからの移動経路や周辺都市など教えるのも冒険者部門で働く職員の仕事となっていた。けれど彼女はまだ色々とうろ覚えのようで「ヌトース森林? うーん、どっちだろ?」と悩み始めた。
「シャルル、どっちも違うわ。アオパカッソはベルナ湿地帯で地図はB-3の棚よ」
「あっ、そうですね! ベルナ湿地帯でした!」
しばらく様子を見ていたが答えに辿り着ける気はしなかった。なので、私はベルナ湿地周辺の地図が置いてある棚を指さしながら教える。答えがわかりすっきりしたようで、シャルルはいつもの元気を取り戻した。
「エレーネさん! ありがとうございます!」
「それとパカッソの討伐依頼の準備をするなら月照花の採取依頼も一緒に紹介できるから覚えておくといいわよ」
「あっ! 月照花もベルナ湿地で採取できるからですね! わかりました!」
元気よく返事をしたシャルルは長い髪と一緒にリボンを揺らしながらすぐさま地図を探し当て、簡単な手書きの地図にしながら書き写す。そして、私の教えた月照花に関する情報も別の棚からを集めてその地図に書き加えていく。そんな様子を見守っていると、どこかから「さすがお姉ちゃん」と聞こえてきた。
「……少し世話を焼き過ぎたかしら。けれど素直に話を聞いてくれる子だし、今更対応は変えられないか」
たしかにかわいい妹分だけれど私たちは姉妹ではない。茶色の髪という類似点だけで周りがそういっているのだけだ……と、いいたいところだが、やる気に満ちたシャルルなのでついつい手を貸してしまうのは自覚していた。そんなシャルルを少し目で追っていると、新人である彼女が一生懸命働く傍らで、よく見知った薄緑色のツインテールが裏口から外へと出ていこうとしているのを目撃した。
「サリナ! どこに行く気? 依頼書の張り出しはもう済んだの?」
「エレーネ先輩!? あははは……すみません、ちょっとだけお手洗いに」
「そっちは裏口――言い訳するならもっと考えなさい」
普段はお調子者だが気配を消す技術はなぜか冒険者以上。そんな彼女を見つけたのは本当に偶然だった。下手な言い訳を一蹴し、『ほかに何か言いたいことはある?』と目で問いただす。
依頼は緊急のものでない限りは遅番の職員によって担当部門、依頼等級などが正しいか確認後、現場管理者と部門長の承認を受けることで生活総合ギルドが英式に請け負った依頼書として受理される。その張り出し待ちの依頼書の山がサリナの机にはまだ残っている。サリナの担当業務は依頼書の張り出しだが……この後輩はその仕事を終えずに裏口からどこかに行こうとしているようだったからだ。
「エレーネさんお願いしますっ! 少しだけ、本当に少しだけ! すぐに戻ってきますから見逃してもらえませんか?!」
私に向かって一生懸命に手を合わせるサリナは「このとーり!」なんてしている。いつものようにふざけてる様にしか見えないので、様子を見ていた他の職員たちは「またか」と言外に滲ませながら仕事に戻っていくが……彼女は人目がなくなってもお願いをやめなかった。少しのサボリ癖はあるものの根は真面目な彼女は、いつもだったらここで折れて軽い恨み辛みを言いながら仕事に戻ると思ったのに……必死さがいつもとは違う。その理由が何かを考えて、私はある一つの理由に思い当たった。
「……はぁ。そういえばカノンくんって今週は遅番なんだっけ? やっておくから貸しよ?」
「ありがとうございます! 今日、実は私の誕生日で――」
「それくらい知ってるわよ。いいから、さっさと彼のところに行きなさい。話は戻ってから聞いてあげるから」
商業部門で働くカノンくんとサリナは幼馴染で恋人関係である。サリナがこっそりと彼を覗きに行くことはあっても、それは何かしらの仕事のついでで声をかけることはない。そんな感じに普段は二人とも仕事とプライベートをしっかりと分けており、職務時間外に逢瀬を重ねているのは有名だった。彼が遅番だったのを思い出した私は、今日がサリナの誕生日なので少しだけ会う約束でもしているのだろうとアタリを付け、貸しという形で仕事を引き受けた。
「ありがとうございます! エレーネ先輩っ! この借りはいつか必ず返しますね! カノンくんもいつもだったら仕事明けに祝ってくれるんですけど、今日は有給も取れなかったみたいで本当に助かりました! なんでも危険な書物が持ち込まれたとかで人手が取られて商業は大忙しだって」
――のだが、なかなかサリナは動かない。私にお礼を必死になって伝えようとしているのはわかるが時間が勿体無い。それに私たちに興味を失っていた周りの視線も再び集まり始めている。
「声が大きい。彼を待たせてるんでしょ? 早く行きなさい」
「はい! ありがとうございます! よろしくお願いします!」
なので、カノンくんが待っている。と、意識させてさっさと彼のもとへ向かわせる。大げさに感謝を示すサリナはとても嬉しそうに裏口へと駆けていった。
「まったく。そんな喜ばれたら戻ってきても叱れないじゃない。――さてと」
サリナから仕事を引き受けたはいいが、まずは自分の分を片付けなければならない。営業開始後でもできる仕事はどけ後回しにして、やらなければならない仕事を片付けに戻る。しばらくすると自分の仕事は粗方片付いた。そんな時、目立つ真っ赤な長い髪が視界の端に見えた。あまりこちらに来ない友人なので珍しいと思っているとそのまま一直線のこちらへと近づいてくる。そして備品の確認をしている私のすぐ後ろで止まり、書類を漁りながら話しかけてきた。
「ちょっとエレーネ。サリナに甘すぎじゃない?」
「そう? お誕生日を彼氏に祝ってもらえるなんてとても羨ましいし、それをあんなに喜ぶなんて純粋で微笑ましいと思うけど」
いつもは支部長室やら他部門とのやりとりでフロアにあまりいない現場管理者のマリーだったが、どうやら遠くから私たちのやりとりを見ていたようだ。まあ、あれだけ派手に茶番を繰り広げれば誰かが彼女へと報告が上がっていてもおかしくはない。管理者として言いたいこともあるだろうが、後輩に頼まれて仕事を引き受けた私の責任もあるので上手いこと躱すことにした。
「それに、私たちくらいになると逆にあまり嬉しくはないでしょ? 今だけよ。見逃してあげて」
「確かに誰かに誕生日を祝って貰えるなんて微笑ましいけどさー、なんていうの? 別に嫉妬ってわけじゃないんだけど、こう、焦り? 焦燥感とかいうほどじゃないけどそういうのに襲われない?」
彼女もそれはわかっているようで微妙にすり替えた年齢の話に乗ってきた。こう……こう、と人差し指で頭を叩きなんとか言葉として彼女が捻りだした感情は私にもわかる。マリーとは同期配属で働き始めてからの長い付き合いだ。そして私たちは冒険者部門では所謂お局で、先輩や他の同期たちは既に寿退社済み。一心不乱に働いて、気が付いたら20代後半。焦燥感というほどのものでもなく、そろそろいい人と結ばれたい。私たちが抱いているのはそういう願望程度のものだった。
「まあ、私もあんたも現状にそこまで不満もないし――なんだかんだでこの仕事がお互いに好きだからねー」
「そう思うなら私なんかに油売ってないで働いてくれる? マリーまでサボられたらさすがに間に合わないから」
現場管理者のマリーにサボられても私の仕事が終わらないということはないが、あまり長くおしゃべりしている余裕も実際のところないため塩対応させてもらうことにした。
「あ! そういえばダンジョンで悪魔との契約書が見つかったらしいよ。なんでも願いが叶う契約書だとかなんとかって噂好きの子たちが話してたけどどう思う?」
「……はぁ。で、それって本物なの?」
「あのアレンが持ち込んできたもので、商業部門のイヴァルが鑑定して本物と認定した。エレーネならこの意味わかるでしょ?」
けれど、私の小言を無視してマリーは一人で話を続けるので聞くだけだが付き合うことにした。現場管理者になってからの彼女は多忙で、あまり仕事中に話すこともなくなっていたからだ。時と場合を考えて欲しいとは思うが、なかなか話をやめないあたり久しぶりに私と会話できるのが嬉しいのかなと一度考えてしまったらもう邪険には扱えなくなってしまった。
「本物ってわかっても悪魔との契約書なんでしょ? そんなものすぐに破棄されるんじゃないの?」
どうやら昨日、S級冒険者のアレンが率いるパーティー『灰色の勇姿』が持ち込んだものらしい。S級冒険者の持ち込みということもあり、その見つかった契約書は慎重に扱われ、商業部門でも一番の目利きである鑑定師のイヴァルが調べたところ本物ということがわかったとのこと。ただし、契約がどのようなものなのかまではまだわかっておらず、噂のようになんでも願いが叶うかどうかは別の話のようだ。
「そうそう、アレンの持ち込みで思い出したけどあんたからの依頼じゃないわよね? 自分からいく勇気がないからって好きな人に眉唾な契約書を取ってきてと頼んだりなんか――」
「しないわよ。そんな噂も出てるの? だいたいね、あの人は堅実な依頼しか受けないのはマリーも知ってるでしょ」
新しく見つかったダンジョンの探索依頼をアレンたち『灰色の勇姿』を受けていたのは知っているので、話題に上がっているその契約書はあくまで副産物のはずだ。そもそもあるかどうかもわからないアイテムを依頼としても彼が受けることはない。それは私が一番よく知っていることだが、ある程度彼と付き合いがある人ならみんな知っていることだ。
「まーね。アイツ、あれでもしっかりした男だし。あーあ、悪魔に結婚でも願ってみようかしらね――っとこれこれ。まったく、ナンシーにも手がかかるわ」
「契約結婚なんかしなくても、あなたのことを理解して一緒になってくれる人がきっとすぐに見つかるわよ」
「そう言ってくれるのはエレーネくらいだけどね。さてとー! じゃ、私は部門長のところ行くからあんたも拗らせてないで頑張りなさいよ」
短い時間だったが気兼ねなく駄弁れて満足したようで、マリーは少しだけ嬉しそうな声で手にした書類をヒラヒラとさせながら部門長室がある二階への階段を昇っていった。
「拗らせるって何よ……はぁ――。まったく、甘いのはお互い様でしょ。それにマリー、あなたはみんなに怖がられていると思っているかもしれないけれど逆だからね?」
経理も担当している彼女が冒険者向けの書類棚へと何もないのに来るわけもなく。数日前まで冒険者に同行していたナンシーの名前が出てきたことから経費の申請書類で彼女が不備を見つけて修正するために動いていたようだ。その誰かのために仕事をこなしている姿はとてもカッコよく映っているようで、サリナいわく男女問わずフロアにいる職員たちから憧憬の眼差しを向けられているとのことだった。
「ふぅ。なんとか間に合いそうね」
マリーと話をしながらも手を動かし続けたことで自分の仕事をひとまずは片付けられた。サリナのいた机に目をやると山になっている依頼書がそこに鎮座している。
「それにしても……サリナ、タイミングが悪いわよ」
席を外している後輩への愚痴も言いたくなる。ちょうど昨日は週に一度の依頼確認の日で、期限切れや内容変更された依頼がそのままになっていないかの確認などのため張り直しのために剥がされた後だった。サリナ一人で作業の全てをするわけではないが、割り振られた量はそれなりに多かった。
「古い依頼書はこっちで、新しい依頼書はあっちで――、えっと等級分けは……うーん、途中まではやってるあるけどまだみたいね」
けれど引き受けた以上はやりきるつもりだ。サリナから引き受けた依頼書の張り出し作業にさっそく取り掛かる。
適正な依頼を冒険者に提示するために冒険者部門の基準に合わせた等級が依頼書には記載されている。それを依頼等級ごとに分けながら掲載期限が近いものを上にして重ねていく。たまに変な場所に場違いな等級や期限のものがいるが、古い依頼書はある程度固まって積まれているのでその間に新しいを差し込んでいくイメージで仕分けをしていく。
「あら? この街限定依頼でA級依頼が出されるなんて珍しいわね。受けられるのなんてアレンさんしかいないはずだけど……」
しばらくすると真新しい珍しい依頼書を見つけた。この街にB級以上の冒険者はいない。なのでこれは必然的にS級のアレンへ直接的な依頼だ。内容は――天涙華の納品。危険な魔物が多く生息する燕空山に咲く花の採取依頼である。
「掲載期限は……半年? 随分と長いのね。大切な人の命日だったりするのかしら」
この天涙華という花は単純に採取難易度が極めて高いためA級に指定されているがただの花だ。その花の蜜は死者に安らかな眠りをもたらすと言われているので、お金に余裕がある人なんかが時折求めて依頼を出しているのだが――。
「あ、あの――エレーネさん! その……わたし、マリーさんとの話を聞いてしまって」
そんな考え事をしていると先ほどまで受付の準備をしていたシャルルがおずおずとしながらも話かけてきた。
「シャルル、もしかして結婚の話?」
「はい。えっと、これ言っていいかわからないんですけど……」
どうやらマリーとの会話を聞いていたらしい。言いにくそうに淀みながらも、シャルルはなんとかポツポツと言葉を紡いでいく。