お貴族、最大の危機
まずい。非常にまずいことになった。なんとかしなくては。しかしこの状況を一体どう打破すれば良いのだろう。進級まで後二ヶ月という今日この頃、私は異様に焦っていた。学校に再び通い始めて以降、最大の危機と言っても過言ではない。
「よっ、そんな世紀末みたいな顔してどうしたんだよ?」
ブツブツと呟きながら廊下を歩いていると、誰かに話しかけられた。この口調で私に友好的に話しかけてくるのは学校に一人しかいない。顔を上げると、案の定フォルズがそこにいた。
「フォルズ…私そんなひどい顔してるかしら。」
「俺がそう思うから言ってんだよ。良かったら話ぐらいは聞くぞ?」
私達は一先ず学校の敷地内にあるベンチに座り、もたれ掛かった。フォルズは少しの間足をプラプラとした後に私の顔を覗き込んだ。
「で、何があったんだよ?」
「…先程担任の人に呼び出されたのよ。それで…はぁ。」
「何だよ、焦らさずに教えてくれよ。」
突発的にフォルズの両手をガッと掴み、押し倒すかのような雰囲気で彼を見た。フォルズは突然のことに理解が追いつかず、目を丸くしてこちらを見てくる。
「このままだと…留年するかもしれないの!」
「…え、あぁもうすぐ新学年だもんな。そんな事か、ビックリした…」
フォルズは腕を揺らして私の手を振り払い、目線を逸らして頭をポリポリと掻いた。コチラにとっては至って真剣な悩みなのに、深刻なものではないという扱いをされたことに少々腹がたった。
「そんな事とは何、これは由々しき事態よ。解決策を一緒に考えて頂戴。」
「留年なんてほぼ毎学年あるだろう。というかラヴィーネってそこそこ成績いいじゃんか。何でそんな事になってんだよ?」
入学当初精神を病んでいて、療養のためにロゼットの家で軟禁されて学校を休んでいたから出席日数が足りなくなった…なんて、正直に言える訳がない。ここは何とかして適当に話を逸らすのが吉と見た。わざとらしく普段より気不味そうな顔をしながら目を逸らした。
「まぁ、言いたくないならいいけどさ…」
「…ともかく、留年なんてまっぴらごめんなのよ。どうすれば良いかしら?」
フォルズは暫し顎に手を当てて考える仕草をし、不意に空を見上げた。もしかして、何か考えがあるのだろうか。淡い期待を寄せながら、彼が口を開くのを待った。少しの沈黙の後、彼はクルッとこちらを向いて目を細めて言った。
「…どうにもならないだろ、それ。」
翌日、教室の窓際の席に座り景色を眺めていると、担任の先生から呼び出された。何かと思い廊下に出ると、先生は眼鏡を光らせて聞いてきた。
「出席日数の件だけれど…入学直後の休学中に心の病を患っていたというのは本当かしら?もし本当なら、明日診断書を見せてくれる?」
「え…もしかして、留年は無しになるのですか!?」
「いいえ、後日進級テストを受けてもらうわ。筆記試験と実技試験で両方満点を取れば、貴方も晴れて進級よ。」
「…!ありがとうございます、それでは!」
私は嬉しさのあまり、早々に話を切り上げて教室に入っていった。こうしてはいられない。折角進級のチャンスが訪れたのだ、満点でも何でも掴み取ってみせる。足早に自分の席に戻り、早速一年間の履修範囲を復習し始めた。
「あ、ラヴィ。進級の件は何とかなったの?」
ロゼットが教科書と私のノートを覗き込んで来た。教科書から目を逸らさずに、私は返事をした。
「えぇ、実は…という訳なのよ。」
「本当!?良かったね!いやー、昨日フォルズって人に話しかけられてさ。『ラヴィーネが落ち込んでるから、何とかしてやれ。』って。先生に精神異常の件を話したら考えて直してくれるかなって思ったんだけど、上手くいって良かったよ。」
何だかんだで、私のために二人共手を回してくれていたようだ。入学したての時は不安で満ち満ちていたが、結果的に良い友達に出会えて幸運だった。この温かさをバネに、本番までより一層テスト対策に打ち込もうと思えた。
その日の晩のことだ。夕飯の支度ができたので、ロゼットはラヴィーネを呼びに行った。
「ラヴィ、夕飯できた…あれ?もしもーし。」
ラヴィーネは勉強机に顔を突っ伏して寝ていた。机に筆記用具が散乱しているのと、教科書が立てかけてあったので恐らくノートまとめをしていたのだろう。相変わらず勉強熱心なことだ。少しかがんで様子を見ると、やはり起きる気配はないようだ。
「寝てる…やっぱラヴィの寝顔は可愛いなぁ。」
ロゼットはそっとラヴィーネにベッドの毛布を掛けてあげ、頭を少し撫でて部屋を出た。
その日は自信を持って、されど深呼吸をして落ち着きながら学校の敷地に足を踏み入れた。あれから約一週間半、ついに今日は進級テスト本番である。
「(ふー…大丈夫、大丈夫。)」
自分にそう言い聞かせているが、まだ心臓の鼓動がすぐ近くで聞こえる。次第に呼吸が段々と荒くなってきた。精神が乱れている証拠だ、落ち着かなくては。
「おうおう、随分焦ってるじゃんか。一応対策してきたんだろ?」
「フォルズ…やれることは全てやったわ。でも…」
私だけ取り残されてしまいそうでやはり怖い、とは言えず、結局黙りこくってしまった。続ける言葉が見つからず、ただ俯いているだけだった。
「進級テスト、今日の放課後なんだってな。」
フォルズはすれ違いざまに立ち止まり、私の肩に手をポンと置いた。間髪入れずに彼は、
「頑張ってこいよ。」
と一言だけ口に出して行ってしまった。私に元気をくれるには、それだけで十分だった。
その日の全時間割が終了し、時は刻一刻と迫る。遂に私は別室に呼ばれ、扉を開けると机の上には問題用紙が一人分あった。席に座ると、先生はテストの説明を始めた。
「この問題は二百点満点で、実技試験は百点満点ね。前も言ったけれど、満点で留年取り消しよ。まぁ頑張って頂戴。」
「はい!」
「…それでは、テスト開始!」
先生のこの一言が聞こえ、私は無我夢中でペンを動かした。私なりにかなり必死になっていたと思うのだが、テスト中のことは全くと言って良いほど覚えていない。あの時は自分でも驚くほどに頭が回っていたので、記憶力などの他のことに意識を割く余裕がなかったのかもしれない。
「やめ!筆記用具を置いて。」
この言葉で再び我に返った。テスト時間は一時間を優に超えていた筈だが、いつの間にかテストは終わり、解答欄には全て回答が既に記入してあった。
先生に解答用紙を手渡した後、休み無しで実技試験に突入した。その内容は主に魔法でどれほどの怪我を治せるか、どの魔法で何を解消できるかを考え、使う魔法を見極めることの二つが重要視されるものだった。
「毒消しがポイゼル、体の痙攣は普通に血流の問題、石化の解除はリリース…」
連日ロゼットが呪文のように繰り返していた内容を思い出しながら取り組んだ。いつもは煩いとしか思わないが、今はお陰で迷わずに問題に答えることができている。
先生は名簿長のようなものに何かを書き込み、その後腕で額を拭いた。
「ふぅ、これで進級テストは終わりよ。お疲れ様、結果は遅くとも三日後には返すから。」
「…はい、ありがとうございました。」
テスト内容にそれなりに自信はある。私ならきっと大丈夫だ、こればかりは自分を信じるしかない。