手を伸ばしても
「…さん…チェさん。」
誰かの声が聞こえる。目の前は真っ暗で体中が焼けるようにヒリヒリする。状況が飲み込めない。私は…そうだ、カルシュトに突き落とされたのだ。
「起きてガーチェさん!早く、早く!」
段々と聞こえる声がハッキリとしてきた。真面目そうで何処か気の抜ける声。そう言えばレイニーは屋敷の外で待機していたのだった。状況を説明しなければならないのであって、寝ている場合ではない。そう思い私は即座に目を開けた。
どうして、もえているの?
時が止まったかのような感覚に襲われた。意識が戻り最初に目に入ったのは、轟々と音を出して燃えているガーチェ邸だった。見たところ炎はまだ二階に留まっている。二階にはカルシュトがいる。助けに、助けないと。
無我夢中で屋敷に近付こうとするが、その瞬間バランスを崩し前のめりに倒れた。また立ち上がろうとしたその時、後ろから無理やり肩を掴まれた。振り返るとそこには鬼気迫る表情のレイニーが立っていた。
「人手が足りない。ぼくはメイドさん達を避難させるから、誰でも良いから呼んで!」
有無を言わさない圧力に、頷かざるを得なかった。その後折れた足を治癒魔法で治している間、辺りには様々な声が響いていた。恐怖、心配、そして怒り。その中の誰かが言った。
「カルシュト様が、あの方が火を…!ハァッ、ハァッ…わ、笑ってたのよ。」
この時に丁度足の治癒が終わり、痛みは完全に消えた。立って周囲の建物を見渡す。ふと見覚えのある店がちらりと見え、迷わずそこへ駆け出した。
[カシヤップ邸]と書かれた看板を横目に、裏口のドアを何度も何度も叩く。一分一秒が永久に感じられるような時間の最中、中から人が出てきた。
「何かあったの!?」
「ガーチェの屋敷が燃えてて!助けてほしいの!」
勢いに任せ大きな声を出したので、近隣の家の人々もぞろぞろと外へ出てきた。皆焔色のガーチェ邸の姿を見ては悲鳴を上げ、他の家へと知らせに行く。
シトラを見ると、屋敷を包む炎に酷く動揺しているようだった。自身を落ち着かせようと手を握ったり開いたりを繰り返している。
「シーズ…。」
小さな声でそう呟いているが、意味が良く分からない。立ち尽くすシトラの手を必死に引きながら、
「お願い着いてきて!」
と呼びかけた。シトラは何かを言いたげにしていたが、言葉を噛み殺して首を縦に振った。玄関から飛び出した私達を、後ろから誰かが追いかけてくる。恐らくシトラの姉と父なのだろう。何かをしきりに叫んでいたが、私もシトラも聞く暇がなかった。
この時、静まり返ったカシヤップ邸にはまだ一人の女性がいた。薄暗い部屋の窓から見えた二人の少女。この内一人は、女性が絶対に失ってはならない存在だった。何があっても自分が守ると決めた存在の筈だった。無意識に足が動いた。部屋のドアを乱雑にこじ開け、女性もまた燃え盛る屋敷に向かう。少女の、シトラの未来のために。
シトラを連れて屋敷に戻ると、炎は既に屋敷全体を呑み込もうとしていた。避難した人々の中を探すが、やはりカルシュトの姿はない。つまりまだあの中に取り残されているのだ。
「弟君、中にいるんだよね?あたしが行ってくるよ。」
「な、何を言ってるの!」
「レイニー君は救助された人を安全圏に避難させる。ラヴィちゃんは怪我人を治療する。周りの大人が消火する。となると、あたしが残った人を救助する、でしょ?」
シトラの目は本気だった。私が了承すれば、彼女は本当にあの炎の中に入っていくだろう。言葉が出ない。返事ができない。するとシトラはクスッと笑い、私の肩に手を置いた。
「皆知らないと思うけどね、あたし時空魔法の達人なんだよ。時間を止めながら逃げ遅れた人を探すから、心配しないで。」
シトラは胸に手を当てて深呼吸をし、ガーチェ邸の方へ体を向けた。レイニーは驚いた様子でそれを見ている。そして、一度瞬きをする間にシトラの姿は消えてしまった。
「(…フォルズ、シトラちゃんが火事現場に入っていった。場所はガーチェ邸、急いで向かって!)」
心臓の鼓動が急激に早くなるのをヒシヒシと感じる。床の瓦礫を避けながら、シトラは屋敷の中を注意深く見回っていた。ラヴィーネの口ぶりからすると、まだ避難できていない人は何人かいるようだ。このような広い場所で見落としたら最後だ。
「(この屋敷、壁は石で作られてる。でも屋根と柱は木造…急がないと!)」
手当たり次第に瓦礫を触手で切り刻み、下に人がいれば屋外へ出す。それを繰り返しながら各部屋を確認した。結果的に一階にいた人は六人、全員救助できた。しかしまだ弟が見つかっていない。確か灰緑の髪の少年だった気がするのだが。
「(…おい。カルシュトってあれのことじゃねぇか?)」
二階に続く階段に足をかけると、セインズが話しかけてきた。彼の指し示す方向を見ると、そこにはナイフを持った一人の少年がいた。以前出会った時の特徴とも合致する。
「流石だねシーズ、助かったよ。」
シトラが一度皮膚で直接触れたモノには時間停止が効かない。何故ナイフを所持しているのかが不明なため、少し間合いを取って彼の手に触れた。すると突然彼のナイフが顔を掠めた。間一髪避けることができたが、彼の様子がおかしい。
「…何をしにここへ?」
「キミがまだ中にいたから、助けに来たんだけど…。」
「必要ないです。私はここで死ぬので。」
あっけらかんとした雰囲気で恐ろしいことを口にし始めた。しかもあのナイフの振り方は、最悪の場合眼球に刺さってもおかしくなかった。まるで人が苦しむのをなんとも思っていないかようだ。しかし、どうにかして彼をここから脱出させる必要がある。
「その目…貴方も私を拒絶するのか?愛してく、くれない?あ…あっ、あぁ…どう、して?なんで?」
カルシュトは震えた手でナイフを握ったまま、膝から崩れ落ちた。先程とは打って変わり急に不安定になった。銀色だった筈のナイフが真紅色に染まっていく。そろそろ時間停止の魔法を維持するのも限界だ。
「ごめん、ちょっと手荒にいくから。」
「…ッ!嫌だ、生きてたって!誰も!」
シトラは魔法を解除すると、カルシュトを触手で掴み脱出を試みた。カルシュトは動揺し激しく抵抗したので、咄嗟にナイフを持っている左腕を掴んだ。その瞬間何かが視えた。
▷▷◁◁
自分を産んだ女性は銀色のナイフを持って自分を刺し殺そうとした。自分を育てた男性は当たり前に暴力を振るった。あぁ、また[この人]に殴られるのか。
ーお前のせいだ、お前のせいで!ー
ーあの女狐がお前を産まなければ、愛されるのは私だった!ー
私のせいじゃない。ワタシのせいじゃない。痛い、痛い痛い。泣けば罵声を浴びせられる。黙れば殴られ続ける。
ーこんなことならー
ーあの女の腹ごと、お前の心臓を貫けば良かった!ー
▷▷◁◁
「…ぁ。キミ、は…。」
カルシュトが返事をする前に、近くの屋根が嫌な音を立てるのが聞こえた。シトラが上を見上げると、屋根が落ちてきている。
「え?」
回避する余裕もなく、頭部に鈍い痛みを感じて意識が途切れた。




