固められた歩み
「ふぅ…何とか終わった。これなら明日には出発できるわね。」
目の前の小綺麗にまとめられた荷物を見て、思わず安堵の声が漏れた。部屋に置かれた私物を全てバッグに詰め込み、たった今ようやく荷造りが終了した。こうして見ると、意外とロゼットの部屋は広かったのだと気付かされる。
「はぁー…ラヴィ行っちゃうのかぁ。」
「ロゼ?急にどうしたのよ。」
ロゼットは口を尖らせながら、ジッと私の方を見た。出発する日にちは事前に伝えてあるのだが、彼はどうも納得できていない様子だ。
「だって三年間も一緒に居たんだよ?寂しいでしょ。」
「何言ってるの。寧ろ今までがおかしかったのよ。それに…。」
カルシュトを迎えに行かなきゃ、と言おうとした。しかし直前で踏みとどまった。いけない、正直に話したら反対されるに決まっている。例えそうでなくとも心配はされるだろう。ロゼットはそういう人だ。
「…それに、私旅に出ようと思うの。」
「え、旅?何で。」
「本当は剣の道に進みたいのだけれど、王国騎士団には入れないでしょうし。それなら、いっその事各地を放浪するのも悪くないと思って。」
それらしい理由を付け加えると、嘘も本当のことのような気がしてくる。しかし、ロゼットは返事をする代わりに難しい顔をして考え込んでしまった。勘付かれるのではとヒヤヒヤしたが、結局深くは聞かれなかった。
翌日の朝、私は誰よりも早く起きて忘れ物がないか確認した。バッグの中身と部屋全体を四回程チェックした頃にアメラさんが起きてきた。現在の時刻は午前五時半、いつもこの時間に起きているのかと思うと素直に脱帽だ。
「おはようございます、相変わらず早いですね。」
「いえねぇ、今日はラヴィーネちゃんが門出を迎える日でしょう?朝食は張り切って作るからね!」
「はい、いつもありがとうございます。」
その言葉通り、この日の朝食はいつもよりも皿の数が多かった。私が美味しそうに食べるとアメラさんも嬉しそうにする。母親とは、普通こういう存在なのかもしれない。
私がアメラ家を出発する時は、アメラさんにシャルロット、それにロゼットも見送りに来てくれた。その時にふと思い出し、手に持っていた荷造り用のバッグの中身を漁った。中から出てきたのは、少し前に買った髪留め。
「シャルロット、三年間本当にありがとう。これは、それの感謝の気持ちよ。」
「えっ…いいんですか、こんな素敵なものをもらってしまっても。」
目を丸くするシャルロットに、私はニコリと微笑んでみせた。
「いいのよ、是非受け取って欲しいわ。…皆さん、今日まで私の帰る場所になってくれて、ありがとうございました。この三年間は、本当に温かくて楽しかったです。」
「私も、ラヴィーネちゃんのことは本当の娘のように思っているわ。ありがとうね。」
「僕も凄く楽しかったよ、ラヴィ!本当に…楽しかった。」
「ラヴィーネさん。お兄ちゃんの友だちになってくれたこと、本当に感謝してます。どうかお元気で。」
一人ひとりの言葉に、深く頷いた。ついに私は三人に背を向け、外へと歩みを進める。ゆっくりと、今までの思い出を噛み締めながらゆっくりとドアを閉めた。
これからは自分で生きていかなければならない、自分にそう言い聞かせると自然と名残惜しさも消えた。私の意志は変わらない。今はカルシュトの幸せのために力を尽くすだけだ。
同日の午後、レイニー改めアルマ・シーフェンはいつも通り家庭教師としてガーチェ邸に足を運んでいた。いつ見ても大きな邸宅であるが、内部構造はそこまで入り組んではいない。お陰で迷子になることなくカルシュトの部屋にたどり着ける。
「こんにちは、カルシュト様。お元気そうで何よりです。」
「…こんにちは、先生。」
「それでは、前回の復習から。まずは魔法陣を描いて水の玉を出してください。」
カルシュトは首を縦に振り、滑らかな手つきで魔法字を描き始めた。彼に魔法を教えるのはこれで四回目であるが、彼は恐ろしく飲み込みが早い。しかし、何をしていても笑いも怒りもしないのは相変わらずだった。
「(さっきも挨拶したのに無表情だし。ちょっと、気味が悪いかも…。)」
「先生?次はどのようにすれば宜しいでしょうか。」
彼の呼び声で我に返ると、目の前には握りこぶしくらいの大きさの玉があった。魔法で生み出したものを精密にコントロールするには少々コツが要るのだが、カルシュトはそれを当たり前のようにこなしてしまう。これで騎士の適正だということを鑑みるに、やはり彼は天才なのかもしれない。
「ん?あぁ…そうですね、ならその玉を風の魔法で両断してみてください。」
「わかりました。」
流石に数分くらいは苦戦すると思っていた。しかし、宙に浮いていた水の玉は瞬く間に水しぶきを上げて崩れた。ちらりとカルシュトの手元に目をやると、左手付近に風の魔法陣がある。
「うん、大丈夫そうですね。では次に進みましょう。今回教えるのは火の魔法です。」
そう言いながらアルマはカルシュトの両手に手袋をはめ、魔法陣の紋様を彼に見せた。火の魔法は特に怪我をしやすいため、覚えたての時は細心の注意を払う必要がある。
「焦らなくても良いですよ。ゆっくりと覚えていきましょう。」
「はい。」
数分間魔法陣の紋様を覚える時間を設けた後、アルマは実際に火を出してみるように言った。カルシュトは無言で頷き、やはりスラスラと魔法陣を描いている。
「では、いきます…。」
彼が指先に魔力を込めた次の瞬間、はめていた手袋に火が燃え移った。瞬く間に火は燃え広がり、両手がまるで火だるまのようだ。アルマは瞬時に魔法で生み出した水で鎮火したが、手袋からは煙が立ち上っている。
「だ、大丈夫ですか!?何処かお怪我は…?」
慌ててカルシュトの服の袖を捲ると、右の手首に火傷を負っていた。そして…腕に残っている数々の打撲痕と切り傷。カルシュトはアルマの手を払い除け、咄嗟にそれを隠した。
「別に平気です。授業を続けてください。」
「し、しかし…。」
異議を唱えようとしたが、アルマにはどうにもできない。平民は貴族には逆らえないからだ。彼が続けろと言ったら続けるしか選択肢はない。アルマは渋々火の魔法についての解説を始めた。カルシュトも黙ってそれを聞いていた。
その後、彼の火傷の件には二人とも一切触れなかった。もし平民が貴族に怪我をさせたことが露見したらただでは済まされない。幸いにも、このことは秘密にできそうだ。
「今日はここまでにしましょう。それにしても、カルシュト様は上達が早いですね。」
「…いえ、先生の教えの賜物ですよ。」
結局、授業の終わり頃にはカルシュトは完全に魔法の出力を調整できるようになり、予期せぬ事故も起こらずに済んだ。普段通り当たり障りのない会話をし、アルマは足早にガーチェ邸を後にした。
「お疲れ様、レイニー。今日はどうだったの?」
ガーチェ邸の入口付近でそう質問してきたのはラヴィーネだった。それには答えず、レイニーは懐から一枚の紙を取り出し、ラヴィーネに手渡した。
「これ、頼まれてた侵入ルート。その時間帯でルート通りに行けば見つからずにカルシュト君の部屋に行けると思うよ。」
「成る程ね。ありがとう。」
「でもさー、たかが弟に会うためにここまでしなくても良いと思うよ?」
レイニーが冗談めいた口調でそう言うと、ラヴィーネはどこか苦い表情になった。
「あの子に何を言えば良いのか、わからないの。だから…時間が欲しいのかもしれないわ。」
「…ふーん。」
心の中では言いたいことが山程あったが、レイニーは深くは追求しないことにした。これは家族同士の問題。彼女の友人に過ぎない自分が、とやかく言う権利はないのだから…。




