暗闇の先の色
月曜日、清々しいほどに青い空が広がる快晴の日。フォルズはリビングの入口で立ち尽くしていた。それもシトラの家のリビングで、部屋の中をチラチラと見渡している。
「フォルズ君、あたしの家来ない?」
昨日のその一言で全てが始まった。そして今全てが終わった、そんな気がする。
「何か…フォルズ君不機嫌そうだね。どうしたの?もしかして、ロゼ君もいてビックリしたとか?」
シトラが冗談交じりにそう尋ね、彼のバッグを床に置いて座らせた。フォルズはハッと我に返り、顔を上げた。そこには不思議そうに顔を覗き込むシトラと、気まずそうに菓子を食べるロゼットの姿があった。
「あーっと、ごめんね。折角二人っきりになるはずだったのに。」
「いや、ちょっ…そういう意味じゃない!というか何を想像してるんだよ!」
そう言いつつも、フォルズの頬は少し赤くなっている。それを目の当たりにし、ロゼットは余計に肩身が狭くなってしまった。ガックリと肩を落とし、細々と何かをつぶやいている。そんな彼を憐れんでのことか、シトラは小動物でも見るかのような目で彼を見ていた。
「それにしても、ロゼ君がうちに遊びに来るなんて珍しいね。たまたま近くまで来たの?」
「そうじゃなくてね。僕、もうすぐ友達と旅に出るんだよ。それで、挨拶とお礼をしようと思って。ほら、先週に占ってもらったでしょ?」
「あぁ、確かに!」
どうやら思い当たる節があったようで、シトラは納得したように声を上げた。ロゼットは自分の荷物から菓子折りを取り出し、シトラに差し出した。
「あの時は本当にありがとう。結局、父さんには旅に出ることに反対されてね。母さんも味方になってくれなくて、いつもみたいに根負けしそうになって。でも…ね、シトラちゃんの言葉で勇気が出せたんだ。だから、ずっとお礼を言いたくて。」
気持ちが高ぶったのか、段々と声が大きくなる。ロゼットはシトラの手を両手で握り何度も何度もありがとうと言った。それまでずっと楽しそうに笑っていたシトラは、その一瞬だけ驚いたように呆然としていた。
「ロゼ君、あたしは大した事してないよ。お礼言いすぎだって。」
「そんなことないよ。僕は、あのままじゃ自分の意見を通せなかった気がするんだ。だからやっぱりシトラちゃんのお陰だよ。」
そしてロゼットは自慢げに花柄のスカーフを触りながら、これからの旅の見通しを話してくれた。踊り子の友達の夢や、ラヴィーネからもらった贈り物、荒くれ者の伝書鳩の話。フォルズはどれも興味津々だったが、彼の方向音痴の酷さを知っているシトラは終始苦笑いしていた。
「あっ、もうお昼時だね。じゃあそろそろお暇しようかな。」
「そう?もうちょっと居ても良いのに。」
「良いんだよ。これから買い物に行かなきゃだしね。じゃあ、またね!」
見送りに来たフォルズに親指を立ててエールを送り、ロゼットは帰っていった。清々しい顔でエールを送り返したフォルズは、シトラの顔を見合わせた。無駄に爽やかなフォルズを見て、思わずクスクスと笑ってしまった。
「行っちゃったね。それじゃあ、あたし達もご飯にしよっか。」
「……あぁ、そうだな。えっと、キッチンは何処なんだ?」
「え?あたしが作るんだよ?」
その刹那、途端に心拍数と体温が上昇し、フォルズの思考回路は都会の新幹線の路線の如く複雑怪奇なものとなった。数多もの感情が彼の脳を駆け巡り、鼓動が大きくなる。その時フォルズは、目に見えて動揺していた。
「(何してんだコイツ…)」
「(他人事みたいに。シーズの恋愛だってこんな感じでしょうよ。)」
シトラは内心セインズにツッコミを入れながら、言葉巧みにフォルズを説き伏せた。気がつくとフォルズはリビングに座らされ、机の上には茶の入ったカップが置かれている。
「いやいや、流石に悪いって。」
「…あのね、実はお願いがあるの。あたしのお母さんに、会って欲しいんだ。」
シトラは小さくため息をつき、遠慮がちな口調で話し始めた。シトラの母、リーベルは数年前に恐怖で部屋にこもりがちになり、今は家族とすら会話が疎かになってしまった。それでも、前向きに生きているフォルズと接して、彼女の中で何かが変わるかもしれないと、シトラは漠然とそう思っていた。そして、心配そうなシトラを前に、フォルズは二つ返事で引き受けた。
「それくらい構わないぞ。というか、最初からそのつもりだった。任せとけって!」
そう言っては見たものの、実際にドアの前に立つとフォルズはとても緊張し始めた。暫くの間ドアノブと睨み合いをした後、呼吸を整えてノックした。
「すみません、リーベルさんでお間違い無いですか。」
なるべく優しい声色を意識して話しかけると、部屋の奥から確かに声が聞こえてきた。
「そうですが…どちら様、でしょうか。」
「初めまして。俺はフォルズ・スミスと言います。シトラとは学校の同級生でした。シトラから、話は聞いていますよ。」
そこで言葉を区切るが、返事は一向に返ってこない。リーベル自身が、今の状況に罪悪感を抱いている証拠だ。フォルズは一歩前に出て、部屋のドアノブに手をかけた。
「いつまでそうやって逃げるつもりですか?」
「え…?」
「全部、知っています。優れた占い師である貴方が、十数年前にシトラの死を予見したことも。娘の最期に立ち会うことを恐れて人との関わりを閉ざしたことも。」
ふと部屋の中からガタッという音が聞こえた。恐らくは動揺して何かを落としたのだろう。 彼女は相手と数秒間目を合わせただけで過去と未来を見ることができる。日常生活を過ごすだけで大切な人の最期を予知してしまう苦しみは、きっと他の誰にもわからない。だからこそ、シトラの父は文句一つ言わずにリーベルの世話をし続けていたのだろう。しかし、このまま現実から目を背けたままの彼女を放っておくことも、きっと間違っているのだ。フォルズには、自身の過ちから逃げることの愚かさが痛いほどよくわかっていた。
「貴方は、恐怖から逃げるという選択をした。その選択が貴方の家族の絆を壊し、シトラ達は寂しさを何かで埋めようと躍起になったんですよ。」
「あ、あぁ…!」
「俺は…幼い頃に、間接的に父母を死に追いやりました。独りぼっちになった祖母を置いて故郷から逃げました。だから思うんです。償いは、相手に赦されるためにあるのではなく、罪を犯した人自身の気持ちを楽にするためのものなのだと。そして、リーベルさんの償いは、今からでも家族に向き合うことではないでしょうか。」
ドアの向こうにいるリーベルを、フォルズはいつの間にか昔の自分に重ねていた。
暫しの沈黙の後、内側からドアの鍵が開き、部屋の中からリーベルが手招きをしていた。彼女が部屋に閉じこもって以降、初めて来客を入れたのである。フォルズは黙ってリーベルの部屋に足を踏み入れ、ドアを閉めた。
「シトラは、良い友達に巡り会えたようね。改めて、私はリーベル・カシヤップです。」
「…では、俺も改めまして、フォルズです。わざわざ部屋に入れてくれて、ありがとうございます。」
「えぇ。それで、何か聞きたいことがあるのでしょう?」
時々フォルズから目線を外しながら、リーベルは彼と会話をしている。やはりまだ、目を合わせての会話は難しいようだ。フォルズも依然として険しい表情のまま、リーベルと話していた。
「はい。シトラの…死期の話です。占い師の能力の詳細は、正直よく理解できていません。ですから、シトラは占いは覆らないと言っていましたが、俺は違うと思います。そこで、リーベルさんに情報提供をしていただきたいのです。」
「…良いでしょう。私が見たのは、炎に包まれた館で上から何かが落ちてくる光景。」
リーベルの能力では視覚情報しかわからないらしく、それ以外のことは不明瞭なままなそうだった。それでも有益な情報には違いなく、フォルズは真剣に聞き入っていた。
「貴方なら、シトラのことを任せられる気がします。あの子を、どうかよろしくお願いしますね。」
「…はい。」
リーベルはニッコリと微笑み、目の前の青年を眩しそうに見つめていた。




