笑顔の贈り物
「レイニー何処行ってたんだよ。何だこの置き手紙は…!?」
道場のドアを叩いて早々に怒りに満ちたフォルズに出迎えられた。その手には雑に丸められた紙くずが握られている。ガーチェ家…私の実家だった場所から、レイニーを道場に送り届けた所なのだが、いきなりこの有り様だ。
今にもレイニーに掴みかかりそうな勢いで、彼は目の前で紙くずを広げて私達に見せつけた。なぐり書きで書いたのかかなり字が汚い。
<フォルズへ
小遣い稼いでくるから心配しないでねー>
「…酷いわね。」
思わず声が漏れる。
「いつ、どこで、何して金稼ぐのか!大事なところ全部抜けてんだよ。」
フォルズはレイニーの頭を三角帽子越しにグリグリしながら叱りつける。その光景は少々見るに耐えず、私はようやく助け舟を出す気になった。
「フォルズ、落ち着きなさい。レイニーは家庭教師のアルバイトをしていただけ、私が紹介したの。」
二人を強引に引き剥がしながら、私は静かにそう告げた。フォルズは時が止まったかのように動作を止め、パチパチと瞬きをしている。暫しの沈黙のあと、彼はようやく口を開いた。
「レイニー、一応聞くが…危ない仕事では」
「ないよ。」
「つまり?」
「本当にただの小遣い稼ぎ。」
「……はぁー。」
フォルズはホッと胸を撫でおろし、その場に座り込んだ。安堵したように深くため息をついたかと思うと、急に笑い出した。
「ははっ…何だ、そういうことか。良かったぁー。」
「あれぇフォルズ、心配してくれたの?」
「いや、別に?ふぅー…んじゃ、あそこでブチ切れてるおやっさんを諌めにいくぞ。」
大げさに笑いながら彼は奥の部屋を指さした。そしてそこにあったのは、頭に血管が浮き出て仁王立ちしているおやっさんの姿だった。
後退りするレイニーの首根っこを押さえ、フォルズは満面の笑みで私に向き直る。
「このアホを送り届けてくれてありがとうな。あとはこっちで制裁するよ。」
「……お大事にね、レイニー。」
「ちょちょっと、ガーチェさん!」
バタン…。私は静かにドアを閉め、怒号が鳴り響く道場を背に歩き始めた。
その後ロゼットの家に帰りドアを開けると、すぐに違和感を覚えた。何処からか男性の怒鳴り声が聞こえてくる。どうやら奥のリビングで言い合いをしているようだ。様子を見に行こうと近づくと、
「僕は…僕は、父さんの人形じゃない!」
ロゼットの叫び声が聞こえ、彼はリビングから泣いて走り去っていった。ただならぬ雰囲気に嫌な予感がし、恐る恐るドアを開けた。アメラさんと、その隣にはロゼットたちの父親が座り込んでいる。この人は基本無口で、あまり話したことはない。
「あの…何かあったのですか。」
「あぁ、帰ってきてたのか。何も大した事じゃない。ロゼが急に、友人と旅に出たいと言い出してね。全く何を考えてるんだか。」
そう言う彼は、人を小馬鹿にしたような、そして呆れたような目つきをしていた。私にはそう見えた。アメラさんの方をちらりと見ても、苦笑いをして黙っているばかり。
「アメラさん達は、ロゼの夢に反対したのですか?」
「当たり前だろう?ロゼは家の農業を継ぐんだから。」
不意に先程のロゼットの子供のような泣き声が思い出される。自分の将来の不安、家業を継ぐという足枷、気弱で頼りない自分。この三年間で、ロゼットの様々な葛藤を知った。
「ロゼは…泣いていました。それも、大切な玩具を壊された子供のように。」
「…何が言いたいんだ?」
目の前の男が眉をひそめる。しかし、ここで引き下がってはいけない気がした。呼吸を整え、正面から彼の目を見る。
「お二人には本当に感謝しています。この三年間、精神が不安定だった私をこの家に住まわせていただいた。お二人のことは、本当の両親のように思っています。でも、だからこそ、シャルとロゼのことはそれ以上に大切にしてほしい。」
「オレが子供を大切にしていないかのような言い草だな。」
男は更に顔を歪め、キッとこちらを睨みつける。失礼なことを言っているのは百も承知だが、それでも言わなくてはならない。
「今までロゼが、貴方がたにハッキリと意思表示をしたことがあったでしょうか?私が知る限りでは一度たりともありません。」
「それはほら、ロゼは人の感情に敏感な子だから…。」
アメラさんが夫を庇うように口を挟む。先程までの作り笑いは少しずつ崩れ、口角が下がってきている。
「えぇ、確かにそうですね。そして、同時にとても我慢強い人でもあります。旅に出てみたい、自由に世界を回ってみたいという思いも、きっと我慢してきたのでしょう。」
ここで一呼吸置き、二人の反応を伺った。アメラさんは意表を突かれたような表情をしながらも、ちらりちらりと夫の機嫌を確認している。そして当の夫は、依然として気難しそうに唸っている。
「シャルは家の農業を継ぐ時のために、今は独学で農学を学んでいます。知識量はロゼと大差ないほどです。だから、ロゼの思いを汲んでやって欲しいのです。」
「何を…」
「ロゼの最初で最後の我儘を、どうか聞いてあげてください!」
その瞬間、父親である男は机から大きく身を乗り出し、その大きな手の平は私の頬に向けられた。バシン!大きな音がリビングに響き渡り、気がついたときには右頬が痛みを訴えていた。
「部外者が何をっ…!シャルロットをあんな落ちこぼれと一緒にするんじゃない!」
ついに化けの皮が剥がれ、男は更に私の胸ぐらを掴んできた。男の般若のような怒り顔が、父のモーリッツと重なる。ようやく踏ん切りがついた気がした。
「アメラさん、王国騎士団に通報してください…。」
ジンジンと痛む頬を手で押さえながら、そう言った。目を見開いて呆然としていたアメラさんはようやく我に返り、震えながら頷いた。
そのすぐ後、部屋のドアが勢いよく開き、ロゼットとシャルロットが入ってきた。男は慌てた様子で掴んでいた手を離したが、もう遅い。
「父さん…ラヴィを叩いたの?」
絶望したような表情でロゼットがそう尋ねた。
「お父さんがここまで酷い人だと思わなかった。」
シャルロットが吐き捨てるようにそう呟いた。どれだけ言われても、この状況では言い返しようがない。男もそれを悟ったのか、それ以上暴れることも言い訳をすることもなかった。
それから少しすると、家の外に王国騎士団の数人が来た。私の右頬の跡が決定的な証拠となり、男は連行されることとなった。移動用の馬車に入れられる直前に、男は振り向いて私を睨みつけた。その瞳の奥には、殺意に似た黒い感情があったのだと思う。
それからあっという間に数日が経過した。結果的にアメラさんは旅に出ることを了承し、ロゼットはついに荷造りをし始めた。そして今、私も部屋で荷造りをしている。学校を卒業してから既に一週間近く、流石にこれ以上アメラさんの厚意に甘えるわけにはいかない。
「ねーねぇ、ラヴィ。ちょっといいかな?」
「別に構わないけれど、どうかしたの。」
すると、ロゼットは自分のバッグの中から水色のハンカチを取り出した。そして満面の笑みでそれを私に差し出してきた。
「はい、これ!誕生日おめでとう。」
「あら…覚えていたの?そう言えば、学校を卒業する前にもこんな話をしたわね。」
ハンカチを受け取り、それをまじまじと見つめる。一生懸命選んでくれたことが伝わってくる。同時に、ふと思い出したことがあった。私は急いで引き出しを漁り、花の刺繍が入ったスカーフを取り出した。
「私からの感謝の印よ。受け取って。」
「えっいいの!えへへ〜ありがとう。」
本当は荷造りが終わって別れ際に渡そうと思っていたのだが、丁度良かったのかもしれない。私達は暫くの間互いの贈り物を見せ合った。とてもとても、温かい時間だった。




