社会人、天を穿つ
ガラガラガラ…。でこぼことした砂利道を、二頭の馬が歩く。モーリッツは飽きもせず眉間にシワを寄せ、夫人も息子も誰とも目を合わせようとしない。まるで水中で息を潜めたかのような静寂の中、車輪が転がる音だけが響いている。退屈そうに外の景色を眺めながら、レイニーは今朝の出来事を振り返り始めた。
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そう、その時は確か…フォルズの仕事の様子を見学していたのだ。前日の朝早く、ゴルドー先生と決闘してからフォルズの家への入居が決まるまで、トントン拍子で話は進み、荷時もその日の晩に終わらせた。先生の臨時教師としても契約期間がもうすぐ終了するため、特に問題はなかったようだ(生活費はぼくの懐から毎月徴収されるが)。
「どりゅわあぁるあぁぁ!破アァァー!」
「静かにやれ!ほらそこ、狙いがブレてる!」
「あちょおぉー!いえっさあぁぁ!」
「うるせぇ!」
道場主というのは、どうもぼくが想像していたより過酷らしい。門下生は烈火のごとく拳を振り素振りをし、フォルズは一人一人に厳しい言葉を投げかける。本人曰く、あの人達は全員おやっさんの怒号と熱意に毒されている、と。皮肉なことに、ぼくにはフォルズも似たような後ろ姿に見えた。
その光景が数十分続いた後、門下生たちは床に正座しフォルズの助言を待った。かく言うぼくは門下生たちの飲み物を取りに行った。何気なく玄関前を通り過ぎようとしたが、外からは微かに音が聞こえる。どうも気になる。飲み物を近くの部屋のテーブルに置き、そうっとドアを開けた。
「……あら、フォルズじゃないのね。」
そこに立っていたのは、なんとガーチェさんだった。ぼくの顔をまじまじと見つめ、少々目を丸くしている。ただ驚いたのはぼくの方だ。
「ガーチェさん。フォルズに用があるの?呼んでくるよ。」
「必要ないわ。だって、貴方を探していたんですもの。」
思わずギョッとした。彼女のポーカーフェイスはいついかなる時でも仮面のように乱れない。ぼくは本能でその奥底にある面倒事を察知してしまったのだ。
一先ず飲み物を道場の方へ提供し、ガーチェさんをリビングに通した。話を聞いてみると、現在ガーチェ家が息子の魔法の家庭教師となる人材を探していて、ぼくにその役割を担ってほしいとのこと。
「弟なの、たった一人の弟なの…」
「どこの馬の骨かもわからない輩に任せられないって?」
冗談交じりにそう聞いた。するとガーチェさんは真っ直ぐぼくを見つめ、キュッと拳を握りしめた。
「違うわ。私は、時期を見計らって弟を屋敷から連れ出すつもり。そして、貴方にはその協力者になってもらいたいの。」
「なるほど、それでぼくにスパイになれと。」
ガーチェさんは真剣な表情で頷いた。しかし、ぼくは中々首を縦に振る気になれなかった。親友の頼み事ならともかく、ガーチェさんとはそこまで信頼関係が築けていない。どうすることもできずに唸っていると、ガーチェさんは両手をつき、埃があちこちにある床に頭をつけた。
「えっあの、何して」
「…私のことはどう言おうが構いません。でも、それでもあの子は…私の大事な家族なんです!厚かましい頼みであることは重々承知です。けれど…どうかお願いです、力を貸してください。」
プライドの高いガーチェさんが、ぼくに対して敬語で頭を下げている。この状況を理解するのに数秒かかった。何か言うべきだと思えば思うほど、段々と声が出なくなる。
「弟に…会わせてください…!」
ガーチェさんは頭を下げたまま、絞り出したかのような声で懇願していた。その時になってようやく声が出た。ぼくは反射的に了承していた。クラージュの村の惨劇が脳裏に蘇る。貴族を、社会を敵に回したらどうなるか、分かっていたはずなのに。
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「(シトラちゃんのことと言い、ぼく何でこんなに頼られるのかなぁ。)」
レイニーは深くため息を付いた後、軽く自身の頬を叩いた。いけない、このままでは思想まで陰気になってしまうと、そう思った。それに彼はただの善意でこの役目を引き受けたわけではない。家庭教師としての給料から生活費を捻出し、道場に住み続けるため。そう、全ては彼自身が安寧に過ごすため。レイニーは自分にそう言い聞かせ、鼓舞した。
屋敷に着くとすぐ客室に通され、レイニーはモーリッツから様々な説明と契約内容の確認をされた。テーブルの上にある契約書を手に取り、紙の上のダニを目で追うが如く細かく確認する。特に理不尽さを感じる契約ではなかった。おまけに予想通り給料が高い。レイニーはニコッと笑い、快くサインをした。
レイニーが受け持つ生徒、カルシュトの部屋は屋敷の二階にある。隣にも同じように部屋があるが、どうも人の気配がしない。
「(昔はガーチェさんの寝室だったのかな?それにしても部屋勿体ないなぁ…)」
そんなことを思いながら目の前のドアをノックした。暫くすると中から声が聞こえ、カルシュトが部屋から顔を出した。こうして向き合うのは何気に初めてだ。姉弟と聞いていたが、顔つきはあまりラヴィーネと似ていない気がする。
「カルシュト…様。すみません、お待たせしました。」
「…いえ、別に構いませんよ。こちらにどうぞ。」
そして気がつくとレイニーは、カルシュトの部屋で椅子に座り紅茶を頂いていた。レイニーは給料を貰いに来たのだ、決してもてなされに来たのではない。彼は我に返り、わざとらしく咳をした。
「さて、単刀直入に申しますと、今日は授業は致しません。私としても気持ちよくお教えしたいので、まずは自己紹介から始めましょう。」
レイニーは必死に笑顔を作っていた。自作自演で楽しそうに喋っているように聞こえると思うが、内心はその真逆だ。というのも、先程から一向にカルシュトの表情が変わらない。モーリッツは不機嫌そうな顔だったが、彼の場合はまるで生気が感じられないのだ。その人間離れした不気味さが、今にもレイニーの口角を下げようとしていた。
「私はアルマ・シーフェン。主に攻撃用の魔術を専門としております。これから宜しくお願い致します。」
「私はカルシュト・フォン・ガーチェです。こちらこそ、宜しくお願い致します。」
そう言うと彼は少し微笑み、レイニーに軽くお辞儀をした。その瞬間、カルシュトの顔がレイニー自身の笑顔と重なった。それが嘘の笑顔だと瞬時に理解した。
「貴方様のことは、何とお呼びすれば宜しいでしょうか。」
「え?あぁ…普通に、アルマと呼んでいただいて結構ですよ。」
「そうですか。では、アルマさんですね。」
その後も他愛のない会話を続けたが、イマイチ話は盛り上がらなかった。しかし、最初より話しやすい雰囲気になったのは確かだ。屋敷の門をくぐって外に出た途端に、レイニーはヘナヘナとその場に座り込んだ。どこからともなくラヴィーネが近づき、レイニーに歩み寄る。彼と目線を合わせ、淡々と質問した。
「随分疲れたみたいね。やはり何か言われたの?」
「そ、そういう訳じゃないんだよねぇ。はは、カルシュトくん思ったより気難しいな。」
ボソッとレイニーがそう呟いたのを、ラヴィーネは聞き逃さなかった。しかし元はと言えば、協力を申し出たのは彼女だ。結局ラヴィーネは、何も聞かなかったふりをして道場まで付き添ってあげた。その真実を、レイニーは知る由もない…。




