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「ロゼット」を見つめて

 学校の庭園で自殺を図り、この民家での牢屋生活が始まってから早二週間。度々牢屋の扉が開いては父や宿屋の女将が話しかけてくる。二人共ご飯を毎日欠かさずに持ってくるし、父に至っては手首の治療もしてくれる。いつもと態度が真逆で少し気味が悪いくらいだ。

「ラヴィーネさん、入るよー…手首、結構治ってきたね。」

「…どうして『さん』付けなのですか。」

「いやだから、僕はロゼットだよ。お父さんじゃないってば。」

父の名前はモーリッツの筈だが、何故かここではロゼットと名乗る。本人は別人だと言うが、姿と声色が父そのものだ。口調は違えども間違える筈がない。

 それにしても、二週間前に聞こえたあの声は一体誰のものだったのだろう?宿屋の女将とも父とも全く違う声だった。それに何だか…聞き覚えのある気がする。優しくて温もりを感じる声だった。


 檻の中では何もすることがなく、話し相手もいないので退屈だ。髪をブチブチ抜きながら暇をつぶしていると、父が息を切らして部屋に入ってきた。父が取り乱すなんて珍しい。何か気に障るようなことでもあったのだろうか。

 父は急いで呼吸を整え、檻の扉を開けた。

「一緒に行きたい場所があるんだ。着いてきてくれる?」

「…はい。わかりました、お父様。」

父が真っ直ぐ私の瞳を見ている。父の瞳が濁っていて、怖い。ふと目線を下に向けると、手が震えていた。いけない、気づかれたらまた怒られる。

「ちょ、ちょっとお兄ちゃん。大丈夫なの、外に出して?」

女将が心配そうな様子で部屋に入ってきた。父は女将に優しく諭すように言った。

「そんなに心配なら、シャルも付いてくるといいよ。僕の、一番好きな場所に行くんだ。」

 父は家を出て近くの茂みをずんずん進んでいく。言われるがままに付いていくと、やがて見晴らしの良い草原に辿り着いた。三人でそこに座り込み、暫く静かな時間が流れた。草花の水滴が日光に反射して輝き、色とりどりの葉が空を舞う。

 ふと幼い時のことを思い出した。一人になりたい時は、いつも屋敷の裏庭が私の秘密基地のようなものだった。自然豊かな場所が、私は好きだったのだ。思い出せてよかった。何年も我慢してきた心の蓋を今開けられたような、そんな気がする。


 隣を見ると、そこには茶髪で髪を結んだ、穏やかな瞳の少年が座っていた。父じゃない。まじまじと彼を見つめると、彼は首を傾げた。私はその時ようやく気がついた。信託の日に話しかけてくれたのは、自殺を図った私を民家に運んでくれたのは、彼だったのだ…

「ロゼット…」

「え、今僕の名前を呼んだ、の?」

そう、確かロゼットだ。ロゼット・アメラ。それが彼の名前だ。

 私が初めて彼の名前を呼んだ時、宿屋の女将が目を丸くして身を乗り出してきた。あれ?女将じゃない。よく見ると女将に似てすらいない。もしかして、この子は…

「シャル…ロット…?」

「はい、そうです。シャルロットです!」

やはりそうだ。この二週間、ロゼットが時々[シャルロット]という名前を口にしていた。この子がロゼットの妹さんだ。

 二人共、私の気が済むまでここにいさせてくれた。自由気ままに空を飛ぶ虫を見ているだけで気持ちが和んだので、そっとしておいてくれたのはとてもありがたかった。

 しかし、ロゼットの家に帰って来ると再び父と女将の姿が見えた。

「な、なんで。斬ったはずなのに、どうして!?」

「いやいや、私斬られてないですけど!?」

よく考えると口調があの女将らしくない気がする。それに声にも少し違和感を感じる。これはまるでシャルロットが話しているようだ。

「もしかして…シャルロット、なの?」

「そうですよ、分かるんですか?」

 このとき私は初めて、自分が今見ている世界に対して疑問を持ち始めた。目の前の人がシャルロット?見た身は女将そのものだと言うのに。

「それじゃあ…この人がロゼットということ?」

「そうそう、僕がロゼットだよ!」

ロゼットは大げさに手を動かし、嬉しそうだった。思い返すと、これだけ態度の差があって何故別人だと気が付かなかったのだろう。気が付かれないよう、小さくため息をついた。


 その日から、私が社会復帰するための訓練生活が幕を上げた。今までの父と女将の姿は別人だと知ることができたが、ロゼットとシャルロットの姿は中々わからない。何故かあの草原では二人の姿をはっきりと認識できたので、度々そこに連れて行ってもらった。

「えーっと、ラヴィーネには僕がどんな姿に見える?」

「そうね…茶髪で髪を結んでるわ。それと、青緑色の瞳。」

「そう、それがロゼットの特徴。覚えておいてね。じゃあシャルはどうかな?」

「茶髪のハーフアップで茶色の瞳。えっと…黒色の上着を羽織っているの?」

「はい、お気に入りの物なのでいつも着てます。」

 二人のそれぞれの見た目や声色の特徴を覚える。ただそれだけだったが、父や女将とは別人だと自己暗示をかけるのにはそれで十分だった。ロゼットとシャルロットと置き換わって見えていた二人の姿は、やがて幻影に変わった。その頃にはもう父と女将の声は聞こえなくなっていた。

 私の精神状態が以前より安定してきた頃、ロゼットはある提案をした。

「ラヴィーネも落ち着いてきたし、そろそろ牢屋生活から卒業しない?」

「…そうね。これ以上いたら逆に頭がおかしくなるわ。」

ロゼットの家にお世話になってから約一ヶ月後のことである。遂に退屈な牢屋での生活から開放されるに至った。


 ある日、ロゼットが学校に行っている時に彼の部屋の壁に立てかけてある剣が目に止まった。一ヶ月間、分からないなりに大切に手入れしてくれたのだろう。完璧とは程遠いが、血の汚れが殆ど落ちていることがわかる。私はそれを手に取り、家の外に出た。

 幹が小さめの木の正面に立ち、落ち着いて深呼吸をする。目を見開き、剣で幹を斬った。幹には深い切れ込みが入り、数秒後に何本か枝が地面に落ちた。

「…楽しい。」

もう一度剣を強く握り、今度は遠くから助走をつけて勢いよく斬りかかる。木は完全に横に真っ二つになり、大きな音を立てて倒れた。

「剣を振るのが楽しい!もっと…もっとやりたいわ!」

 幼少期、鍛錬と称して剣を無心で振るっていた時はとても楽しかった。それは当時の私がそれしか知らなかったからだと思っていた。しかしそうではなかったのだ。あの息の詰まる日々の中に喜びを、楽しさを感じられたのは、私自身が剣が好きだったからなのだ。父に言われるがままに何かを斬ることだけが、私の全てではなかった。そう思うと嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

「あ、ラヴィ。今までずっとそれやってたの?」

「ロゼ?…あら、もうこんなに経っていたのね。」

ロゼットはクスッと笑い、

「良かったね。」

と一言私に言った。なぜ笑ったのか分からず、それを尋ねると彼はこう返した。

「だって、ラヴィが生き生きとしているから。時間を忘れて没頭できるっていうのは、それだけ燃え尽きない程の熱意があるってことだよ。」

「えぇ…私、やはり剣が好き。王国騎士団にはもう入れないけれど、そんな理由で諦めたくないわ。私なりに、剣を極めたいの。」

「…良い目をするようになったね。強い覚悟と信念が感じられる。ラヴィらしいよ。」

ロゼットは微笑みながら私の肩に手を置いた。彼のその手を両手で握り、その目を見つめる。

「私の夢を叶えるためにも、ちゃんと学校に行こうと思うの。」

「ラヴィがしたいことなら、僕は止めないよ。できることなら、何だって手伝うからね。」

心做しかロゼットの頬が赤くなっている気がするが、具合でも悪いのだろうか。本人が元気そうなので問題はなさそうだ。

 私が壊れてしまいそうになった時に、ロゼットが私をまた見つけ出してくれた。だから、いつか彼に恩を返せるような人間になろうと決意した。スタートが遅くなってしまったが、大丈夫。きっとまた歩き出せる。なぜなら私は、王国の誇り高きガーチェ家の一員なのだから。

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