優しさに囚われて
フォルズが勘定を済ませてカフェを出た後、シトラは私達が座るカウンター席に移った。空いていたのが偶然ロゼットの隣なのでそこに座ったようだ。
「シトラさん…だっけ?フォルズと楽しそうに話してたけど、友達なの?」
「…うん、友達!」
どうやら二人での会話が始まったようだ。私は口を挟まないでおこう。
「ふーん、フォルズとはどう知り合ったの?」
「えっと、去年の演劇が初めまして、かな。」
「僕は一年生の学期末。ラヴィの進級が危うかったから、励ましてあげろって。」
ブホッ。思わず紅茶を吹き出してしまった。慌てて懐からハンカチを取り出すと、レイニーがそれを手で制した。彼は店の奥に入り、布巾を持ってきて手早くカウンターを拭いた。
「お店の掃除は、店員の役目だよ☆」
「汚してしまったわね。ごめんなさい、驚いてつい…」
まさか進級云々の話をまだ覚えているとは思わなかった。ちらりとロゼットの方を見ると、彼はポカンとした顔をしている。
「(え?もしかして僕のせい?)」
その光景を見てシトラは不敵な笑みを浮かべた。ロゼットの肩を優しく叩き、ニヤニヤと話しかける。
「ふふふ、駄目だよーロゼ君?思ったことはちゃんと言わないと。」
「と、突然どうしたのさ。そんな先生ぶって。」
「…ちょっと、耳貸して。」
ロゼットが言われた通りに耳を貸すと、シトラはコソコソと何かを囁いた。ロゼットはかぁっと顔が赤くなり、カウンターに机を突っ伏した。私とレイニーはギョッとしたが、シトラは何だか楽しそうだ。
「ラヴィちゃんからキミの話聞いてたし、見れば分かるよ。だって…」
「あーちょっとストップ!」
その後、ロゼットは顔を真っ赤にしたまま発狂しそうになっていた。このままでは彼の精神衛生上良くないと言う事で、お茶会はお開きになった。カフェを出る直前、ロゼットは泣きそうな顔でシトラにあっかんべーをしていた。本当にどこまでも子どものような人だ。
翌朝、ホームルームで先生からある用紙と、封筒が一枚配布された。上側に太字で[修学旅行代金 積立のご案内]と書かれている。普通はもっと早くから積み立てると思うのだが、この学校は半年前かららしい。
「これは大事な手紙なので、必ず保護者に見せてくださいね。」
保護者、という言葉に少し違和感を覚えた。一応私の保護者は実父母になっている筈だ。しかし、私は今ロゼットの家に住まわせてもらっている。なら積立金はロゼットの保護者に払ってもらうのだろうか。居候している身なのに、そこまで面倒を見てもらうのか?
「(私、アメラさんの重荷になってるんじゃ…)」
その日はあまり授業にも集中できなかった。一度疑問を持ってしまうと、それは中々頭から離れないものだ。何処にいても、何をしていても自分が居候しているこの状況の良し悪しを考えてしまう。
「ガーチェさん、顔色が悪いですよ?」
「あ…先生。いえ、何でもありません。」
先生は私のことを心配してくれたが、何と言われようと大丈夫としか返せなかった。打ち明けられる訳がない。あくまで業務の一部として私に接しているこの人に、私の個人的な悩みなんて。
「ラヴィーネちゃん、おかえり。あら…ロゼは一緒じゃないのね?」
いつものように家に帰ると、アメラさんは相変わらず笑顔で迎えてくれた。嬉しいはずの笑顔が、今は辛くて仕方がない。経済的に負担をかけているだけの私に対する愛情に、優しさに胸が痛くなってしまった。
「アメラさん…これ、修学旅行の積立の案内書です。」
「あら、ありがとう。ふむふむ、積立は明後日からか…」
私が何をしようと、アメラさんは必ずにこやかに笑って返してくれる。その笑顔に助けられるときも多々あった。私は邪魔ですか、という言葉が喉元まで来る。意を決して口を開こうとした。しかし直前、今この手にある幸せが壊れてしまいそうで急に怖くなった。
「あっ心配しないでね。ラヴィーネちゃんも、ロゼと同じく修学旅行行けるわよ。」
「ありがとうございます。私…部屋に戻りますね。」
「…?ちょっと、ラヴィーネちゃん!」
アメラさんの声に気が付かないふりをして、足早にその場を去った。部屋のドアを開け、バッグを床に置く。そして素早くドアを閉めると、荷物の整理もせずベッドに飛び込んだ。いつもは何よりも早く明日の準備を済ませていたのに、今日は放置しているバッグも全く目に入らない。それどころではなかった。
暫くの間布団に顔を埋めてボーっとしていると、何か聞き覚えのある声が聞こえた。立ち上がり窓から外の様子を見ると、ロゼットとシャルロットが仲良く会話をしながら帰ってきていた。ロゼットもシャルロットも、私がいる時より心做しか表情が柔らかい気がする。過ごしてきた時間が違うので、それは当たり前のことだ。
「(今までは、家族四人で仲良く生活してたのかしら…)」
二年前私は自殺を図り、ロゼットは治療のために家に運び込んでくれた。精神が不安定で幻覚が見えていた私を、ロゼットもシャルロットも根気強く看病していた。そして今、あろうことか私はその善意に甘えてこの家に住んでいる。
「(姉さんがいるなら、私はそれだけで良いんです。)」
「…カルシュト。自分勝手に家出して、貴方を置いていってしまった…」
今頃どうしているだろう。跡取りの筆頭候補だった私が家出をして、父の期待と怒りの矛先は今カルシュトに向けられているのだろうか。彼をたった一人で、地獄に置き去りにしてしまった。それを忘れて、この二年間友だちを作って学生生活を満喫して…馬鹿みたいだ。私は最低な人間だ。もう、これからどうしたら良いのだろう。
カルシュトと、彼ともう一度会いたい。しかし、どうしても父の冷たい瞳が、剣を握れと髪を引っ張られる痛みが脳裏に焼き付いて離れない。あの家の門を潜る勇気や、あの生き地獄に再び足を踏み入れる勇気は私にはなかった。本当はずっとこの家にいたい。
「はぁ…どうするべきなのかしら。」
「ただいまー。あれ、ラヴィ寝てる?」
ドアが開く音がして振り返ると、そこにはロゼットが立っていた。私は精一杯いつもの冷静な感情と表情を作り、何事もなかったかのように振る舞った。
「起きてるわよ。今日はシャルと帰ってきたのね。」
「あ…バレてた?もー、本当はラヴィと帰りたかったのに。」
「は、私と?どうして?」
するとロゼットは口籠り、何だか気不味そうに目線を逸らした。疑問に思いながら彼の返答を待つと、ロゼットは決まりが悪そうにボソッと言った。
「だって…いつも一緒に帰ってたし?ほら、僕友達少ないからさ!一人で帰ると寂しいじゃん。」
「(友達が沢山いれば、私じゃなくても良いのね…)」
私はため息をつき、バッグから教科書類を取り出した。明日の準備、忘れないうちにさっさと済ませてしまおう。
「ラヴィ、何か言ってよ〜。ため息だけは怖いって!」
「いいから、黙ってバッグ片付けなさい。」
この気持ちは隠しておく事にする。この何気ない日常が、ロゼットとの思い出が逃げてしまわないように。