萌えの研究家
ロゼットの家に転がり込んでから早二年、気がついたら私は三年生。最高学年になっていた。進級して再びクラス替えが行われたのだが、残念ながらロゼットとは別のクラスになってしまった。
「そ…そんなぁ。クラス別々になった…」
「ロゼ、落ち込みすぎよ。登下校も帰る先も一緒なのだから、クラスが違ってもそう変わらないわ。」
クラス表を前に膝から崩れ落ちている様子は、今思い出しても笑ってしまいそうになる。三年生になっても時々一緒に帰っているが、彼はそれが最大の楽しみらしい。
今年からシャルロットが新入生として同じ学校に通う。彼女は狩人…弓を扱う職業の適性があるらしい。良い機会だったので、パンフレットで戦士養成学校について調べてみた。どうやら学ぶ分野ごとにクラスが分かれているようだ。治癒魔法、攻撃魔法、弓やブーメランなどの飛び道具、剣や槍などの近接戦闘の計四コースでそれぞれ二クラスある。
「(つまり、僧侶適正の私でも剣術を学べたということなのよね…)」
「おぉガーチェさん!浮かない顔してどうしたの?」
突然声をかけられて一瞬ビクッとした。廊下の床から前方に視界を移すと、近くの教室でレイニーが手を振っている。
「いやー奇遇だね。移動教室?」
「えぇそうよ。レイニーこそ珍しいわね。休憩時間は魔導書を読むんじゃなかったの?」
「それはそうだよ。でもいつも同じことをしててもロボットみたいだろう?」
「…まぁ、好きにすればよいと思うわ。」
そう言うとレイニーはケラケラ笑いながら教室に戻った。相変わらず何を考えているのか分からない人だ。
去年の劇の発表以降、私はレイニーとシトラとも仲良くなった。特にレイニーは同じ魔法系で教室が近いので、こういう休憩時間に話すことが多い。シトラも彼と同じクラスらしいのだが、彼女の方から話しかけることが少ないのであまり距離が縮まらないままなのだ。
教室を出て階段を上がり、少し歩くと会議場のような部屋がある。今日はそこで[精神魔法と呪い]についての講義があるのだ。講義は確か二クラス合同で行われる筈だ。席につきロゼットの姿を探すと、彼は隅の席で背伸びしていた。随分リラックスしている様子だ。
「皆揃ったか?では講義を始めるぞ…」
突然室内に響く低い声。そこにはムキムキでサングラスを掛けた、明らかに武闘派の男性が立っていた。皆瞬時に話を止め、誰この人と言わんばかりに隣の人に目配せをした。するとグローシア先生が前に出て、彼の紹介をした。
「この方が本日皆さんに講義をしてくださる、ニードリッヒさんです。」
ニードリッヒって可愛いって意味だぞ!せめてディートリッヒにしとけ!と誰もが思ったことだろう。笑ったら終焉を迎えるような威厳の持ち主だったので、皆表情筋を無理やり硬直させて我慢していた。
「魔法研究家のゴルドー・ニードリッヒだ。愛称はゴリちゃん。今日はお前らに精神魔法と呪いの違いについて教える。メモは取っておけ、労働の基本だからな。」
見た目と名字と愛称の完璧な三段構えで始まった講義だが、その内容は至って真面目だった。要所要所での板書も本当に大事なところだけ書いているので、それだけでも内容の半分以上が理解できる。
「まず精神魔法は生物が生物に対してかける。基本的には相手の感情を揺さぶる程度だ。だが熟練者であれば思考を読んだり、相手に自分の精神を移植することもできる。」
これまで聞いたことのないものばかりだ。どれも有益な情報には違いないので、忘れずにノートを取っておこう。
「ではきみ、精神魔法の対策としてどんな物があると思う?」
十数分ずっと下を向いてノートにメモしていると、先生が私に質問をしてきた。少し考えた後、私はこう答えた。
「要は魔法を防げれば良いのですよね?それなら、頭付近に微細なバリアを展開するのはどうでしょうか。」
「ふむ…良い考えだ。しかし常時展開するとなると魔力切れを起こす。それに、戦闘では少なからずバリアは弱まるだろう。」
ゴルドーさんはちらりとびっしり書いてある私のノートを覗き込み、少し口角が上がった。そして指をピンと立て、机と机の間を歩き始めた。
「最も良い方法は、心の隙を作らないことだ。自分に自信がないと、必ずその弱さに付け込まれる。精神移植をされた際も、強い意志がないと自分の人格が相手に塗りつぶされる。自我が消え、最悪相手の操り人形と化すんだ。」
[操り人形]という言葉に、話を聞いていた全ての生徒が震え上がった。いつの間にか自分が自分でなくなるかもしれない、という恐怖がその場を支配し、重苦しい雰囲気が漂う。ゴルドーさんは会議室の前側に戻り、力強い声で呼びかけた。
「だからな、皆自信を持って生きろ。自分は駄目だなんて考えるな、良いな!」
「…はい!」
生徒の威勢のよい返事に安堵したようで、次は呪いについて解説し始めた。
「呪いは魔法とは別物だ。これは特定の物に宿る思念が原因なんだ。例えば、A君がB君の宝物を壊したとする。B君は死の間際にそれを思い出し、A君の不幸を願って旅立った。その後、壊れた宝物にはB君の怨念が宿る。この宝物に他者が触れると、その人の心の内の憎しみなどが増幅し、度を過ぎた行動を突発的に取ってしまうことがあるんだ。」
ゴルドーさんは一旦言葉を区切り、深くため息をついた。
「呪いを完全に防ぐ方法は今だ確立されていない。感情が高ぶった際に自分を制御できれば良いんだが…そう簡単にはできん。一応、呪いにかかった時にその物を手放せれば正気に戻る事が多い。自分で手放すのは難しいから、誰かが気づいたら迅速に対応してくれ。」
一通り話し終わった後、ゴルドーさんが生徒の質問に幾つか受け答えをした。そうこうしている内に授業終わりのベルが鳴り、講義は終了となった。まさか一時間の講義でノートを二ページ分使うことになるとは思わなかった。
その日の下校中、私はロゼットと今日の講義について話をしていた。
「今日の講義、結構おもしろかったよね。あの…ププ、ゴリちゃん…は置いといて。」
「そ、そうね。初めて知る事が沢山あったわ。」
非常に有意義な時間を過ごすことが出来たのは確かだ。しかし、それでもゴルドーさんのギャップの激しさはインパクトが有りすぎた。思い出すだけでも笑ってしまいそうになる。
すると、後ろから誰かに肩を叩かれた気がした。気のせいかと思い無視すると、
「ガーチェさん、無視しないでよ〜。」
と声をかけられた。間違いなく私に言っている。ふと後ろを振り返ると、少ししょんぼりした様子のレイニーがいた。
「レイニー?貴方だったのね。」
「そうだよ、何で返事してくれなかったのさ。」
「まさか私に話しかけてたとは思わなかったのよ。気を悪くしたのなら謝るわ。」
私とレイニーの会話を聞いて、ロゼットはキョトンとした顔をしている。
「えーっと、友達なの?」
「あら、言ってなかったかしら。去年の劇で一緒だったレイニーよ。」
「初めましてかな?君は噂のロゼさんだよね☆」
一瞬その場が凍りついた。そういえばレイニーの前では[ロゼ]としか言ってなかった。まずい、非常に気まずい。初対面の人に急にあだ名でさん付けされるのは完全に意味不明だ。
「あっ…はい、ロゼット・アメラです。」
「そうなんだ?じゃあアメラさん、このまま家に帰るのかい?良いカフェを知ってるから、君もガーチェさんも一緒に行こうよ。」
私達は互いに顔を見合わせた。どうせこの後大した予定はないし、何より行ってみたい。
「じゃあ行こうかしら。案内してくれる?」
「そう来なくちゃね。じゃあ着いてきて!」
レイニーは嬉しそうに頷き、道案内をしてくれた。学校からは少々距離があるようで、到着するまで三人で様々な話をした。互いの好きなものや魔法についての二人の語り合いなど、話はかなり弾んだ。暫く歩くと正面にそれらしき看板が見えた。
「ここだよ。コーヒーとか紅茶とかが結構美味しいんだ☆」
レイニーは早速カフェのドアを開けようとした。しかし突如手を止めただけでなく、そのまま硬直状態になった。
「はあぁっ…!?」
「一体どうしたのよ?早く中に…え?」
ガラスから店内を覗き込むと、何と私まで硬直してしまった。だって、そこには…