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ノームと幸運

 僕はどこで何をしていようとも、バカやろう死ねよという言葉を慎重に反芻している。この言葉、誰が言ったかは分からないが、とにかく過去に対する後悔の感情が乗っており、これにはまだ何か魅力が秘められているような気がするんだ。バカやろう死ねよについてこれからも解明を続ける。

 君はしょうもない。君は人一倍夢見がちであり、その自覚があることを恥じていた。身の丈とか面倒くさい自助努力とかを目標に並べるより、もうさっさとこの夢を失ってしまいたかった。いや失うだけでは足りない。誰か圧倒的な強者に奪われでもしないと、毎日イライラして他に何も手が付かなってしまう。奪われて初めて、君は君に与えられた分の領域を愛することができるのだろうと、そんな勝手な確信に耽っていた。動物は栄養を摂取する際に、生存するために必要な分以上を体内に取り込む。すると生きる上では必ず余剰というものが生まれるのである。ある日、君は成長を止めた。世界で君だけとはいわないがまず君は成長を止めた。それならば必然であるこの余剰はどこへ向かい、どこで発散されているというのだろう。雲が澄んだように敷いた午後に、その後をつけてみる余力さえ君には残されていない。まだ君は夢を見ていた。

 なんせ港の海から始まる邦画ばかり見漁っているのだから、ソイツの現実問題が一向に好転しないのはまったく仕方のないことだろう。未だに映画や小説は人生に良いものだとする連中が存在する。何でもかんでも感動して、片っぱしから健康や経験として良いものと信じて疑いたくない、外部から情報を摂取するだけの生活をそのゴミ詰まりの五感だけを用い道を歩く人間に似た何か。いやソイツこそが人間と呼ぶべき存在なのかもしれない。人は歳をとるほどに、どんなに敏感で自意識過剰な奴でも鈍くなってしまう。結末を変えることができないのならば初めから何も気にせず暮らしてしまった方がよっぽど自然ではなかろうか……とか言う奴は抵抗という現象を知らないのだろう。壁でさえ押されれば相手を押し返す。外部から力を受け取っても一切の抵抗をみせない、その姿がおかしいと言っているんだ。映画だろうが小説だろうが、迎合を余儀なくされるほどの渦なんて作品にはそうそう巡り合わないだろう。それは向こうを大きく見積もり過ぎているか、自分を小さく見積もり過ぎているかだ。そうやって楽して相対的な幸福を掠めようというとき、反対に絶対の不幸の質感が落ち込んでしまう。そうして生まれた澱こそがソイツの生の暴かれる正体なのだ。正体はいつか暴かれるが、リフレッシュレートに間に合ってさえいればそれは元々暴かれなかったも同然なんだ。僕と君はほぼ同義であるが、ソイツとはまったく別の意味を持つ。果たして読み終えたあなたにこの意味が分かるだろうか。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

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