ファーストコンタクト
次の日の朝には町中祭りのような大騒ぎとなった。
迦暢は疲れてすっかり昼まで寝坊したのでよく知らなかったが、夜中の内に隣村から副支団長が馬で駆け戻ってきたらしい。
隣村の水場で村長と言われた通りに見守っていたが、聞いていた儀式の時間には特に何も変化はなかったようだ。しかし諦めかけた半時した頃、水量が枯れ始める前よりも多くなり、一時もすると空へ噴き出し、暗闇のランプの下、虹を作ったらしい。
迦暢は隣村の影響までは託宣を得ていなかったので特に準備をしておらず相当水浸しになったようだが、村長は喜び、相当な金額を副支団長に持たせたそうだ。
神殿は国が作ったのもあって、水が引かれている。
水場には常に水がチョロチョロと流れているし、トイレはボットンに近いが、地下に水で流されて臭くもない。
だが町に出れば水は水場まで行かなければないし、トイレは汲み取り式で町から離れた土に埋めている。
家庭で使う水は水場までバケツを持って酌みに行かなければならない。それは主に子供の仕事となっている。
だがこれだけ水が豊富なら、雨どいの様に水を町中に引くことも出来るらしい。
「オン・バロダヤ・ソワカ」
水天様の真言が町に出れば聞こえてくるようになった。
水がなければ人は生きていけない。
神託通りに水が沸いたのだから、神託通りに祈りを捧げなければ水は枯れる。それは月の女神を信じる民達には簡単な方程式だったようだ。
水を使う前、人々は両手を合わせこの真言を唱える。
「もしかして仏教をこの国に広げるのが私の使命だったりしないですよね??」
「特にその意図はなかったが」
「あ、じゃあ良かったです。家庭環境のせいで詳しいだけの一般人なので、私」
寺の子にしても迦暢が真言にまで詳しいのは6歳年の離れた兄の影響に他ならない。
兄は小さい時から寺を継ぐべくある意味英才教育を受けてきた。
兄は元々糞真面目な性格なのもあり、絵本の代わりに与えられた仏像図鑑を皮切りに父を超える仏教ヲタクへと進化した。そして妹である迦暢に対し、寺の運営に忙しい親に代わり絵本の読み聞かせならぬ、仏像図鑑やら仏教関連の書物を読み聞かせ続けたのだ。おかげで迦暢も主要どころの仏は概ね言えるし、真言やら種子と言われる梵字を書く事が出来る様になってしまったのである。ちなみに弟は9歳離れていることもあり、寺の手伝いをする様になった兄が忙しく手が回らず、兄からの教育を逃れたのであった。
「ところで、水天様の絵姿とか仏像が欲しいんですけど手に入れる方法ないでしょうか」
「ふむ。兄に頼めばよかろう」
「兄とは、釈天のことでしょうか?」
「いかにも」
そう言ってお釈迦様がゆっくりと2度手招きをする。
するとお経を唱えていたらしい兄がお釈迦様の前に浮かび上がった。
だが兄は気が付いていない様でお経を唱え続ける。
「お兄ちゃん!釈天お兄ィ!」
迦暢がそう言って肩を揺すると、釈天がお経を唱えながら目を開けた。
傍らに居る迦暢と、目の前のお釈迦様に状況を悟ったのか、お経を止め、お釈迦様に手を合わせたまま礼をし、すっと立ち上がる。
「再び相見えました事、嬉しく存じます」
「迦暢がそなたに頼みがあるらしい。聞いてやるがよい」
「迦暢、ちゃんと役目を果たしているのか?」
断りもなく異世界に妹を飛ばしておいて、兄には特に悪いという想いはないらしい。
むしろちゃんと規律正しく暮らしているのか問いただす様に迦暢に声をかける。
「お兄ちゃん、まずは勝手に妹を異世界に飛ばした詫びとかないわけ!?」
「お釈迦様のお役に立てるというのに何故詫びる必要がある。有難くお仕えしなさい」
「だったらお兄ちゃんがお仕えすれば良かったでしょう!」
「既に仕えているじゃないか。その上で家を継ぐ必要がある」
迦暢はそれ以上の追及を諦めた。
仏様ファーストである兄に常識は通じない。
学生の頃もいじめっ子やヤンチャな人達に相手の心が折れるまで説法をし、改心させてきた堅物なのだから。
「・・・水天様の絵姿か、仏像があれば欲しい」
「何故水天様なのだ」
「異世界が砂漠だから水が大事なんだよ。水天様にお願いして水を供給してもらったから、異世界の人達が水天様にお祈りするのにお姿が知りたいんだって」
「異世界人、感心ではないか。迦暢もちゃんと役割を果たしているようで安心したぞ」
安心するところそこじゃないから、とツッコミを入れたいところだが迦暢は止めておく。
そんな迦暢の気持ちも知らず、釈天は満足げに迦暢の頭を撫でた。
「それで用意するのは構わないが、どのようにして渡せばいいんだ?」
「どうすれば良いんでしょうか?」
釈天の疑問に迦暢もお釈迦様を振り返る。
「供えて経をあげればよい」
「それは私でなくても構いませんか。迦暢が召された場所で父があげるのでも」
「迦暢を想いながらあげれば構わぬ」
「私は修行に出ており準備が難しいので、実家の方で対応させて頂きます」
「あ、お兄ちゃん!だったら味噌と醤油もお願い!!!」
「仕方ないやつだな」
とは言え準備してくれたのは釈天の恋人である近所の幼馴染・紬らしい。
紬は釈天とも迦暢とも学年は違うのだが、家が近所だったし、うちの檀家さんという事もあり元々顔見知りではあった。可愛くて大人しいのもあっていじめられっ子で、悪ガキ達にいじめられていた所を釈天に助けられたのである。一回助けられただけでなく、悪ガキ達を更生まで追い込んだ釈天に紬は釈天信者となってしまったのだ。それからは釈天好みの女子を目指し、進んで仏教を学び、今では迦暢を超える仏教知識を持っている。そして無事に初恋を実らせ、高校に入る頃には釈天の恋人となった。紬と4歳違いの兄が大学を卒業し、総本山へ修行に出る前に婚約を果たしたある意味ツワモノだ。今は大学に通いながら花嫁修業と称して自ら寺の手伝いに来てくれている。
3日後お祈りした時に大きなダンボールが現れた。
中には水天様5体に始まり、水天様以外の十二天の仏像も各1体ずつ、子供の頃から見ていた仏像図鑑。それ以外は味噌と醤油以外にもぬか床、迦暢が好きなお菓子、カップラーメン、フリーズドライのスープ類、ツナ缶にマヨネーズ!
さすが高校時代から家族も味方につけるべく我が家に入り浸っていた自称嫁なだけはある。迦暢の好みを知り尽くした完璧な布陣だ。
もしも迦暢じゃなく、釈天が召されていたら寺だけじゃなく、ここまで努力してきた紬をも犠牲になるところだったと考えると釈天の選択は正しかったのかもしれないと思う。
出来ることならば家族以外にしてくれよ、と言うのが迦暢の本音だが。
とりあえず水天様の仏像を町長に1体提供した。
いきなり結構な木彫りが出てきたことに驚いていたが、結構喜んでいたから問題はないだろう。
そんな事よりも久しぶりのお味噌汁とぬか漬けが心に染みた迦暢だった。
しかしこの水量が増えた話がキャラバンによって周囲の町にも広がったらしい。
そして試しに真言を唱え始めた他の町でも水量がこの町程ではないが少し増えたという。
そんな噂がどんどんと広がり、とうとう王都にまで伝わった。そして王都から視察団が派遣されてきたのである。
「これは確かに水量が凄いな。神殿建設時の資料に比べると倍はあるじゃないか」
「その呪文はどこから出てきたのだ?」
「神託にございます」
「ほう。水源の麓に刺さっている剣はなんだ?」
「まじないに使った剣です。お告げがあった場所に剣を刺してまじないをせよとの神託だったそうで」
「あの像は?」
「シャーマンが視た水天様のお姿を彫らせたものです」
水源の傍には迦暢が渡した像を模してもっと大きな像が祀られるようになっていた。
町の人達は水を汲みに来るときはもちろん、近くに来た際には必ず迦暢に言われた通り手をわせて真言を唱える。
それを遠目に見ながら視察団の質問に町長は答えていく。
迦暢の存在を伝えれば、王都に迦暢は連れていかれてしまうだろう。
イサが降臨したことも伝えていないので、町長と元老達は迦暢の存在を視察団に伝える気はないらしい。迦暢を遭遇しない様に隣村にお使いに出し、視察団にはあえてシャーマンとだけ伝え言葉を濁す。
疑う事もなく、視察団は町長が渡した水天様の絵姿を持って帰って行った。