加護の奇跡
白い花が赤く染まるくらい、一面の花畑の真ん中だけ景色が違った。
投げ出された血まみれの腕が、見下ろした迦暢にそろりと持ち上げられる。
お互いがお互いの幻を見ているようだ。
「ヴァルダマーナ様っ!!しっかりして、ヴァルダマーナッ!!」
「か・・・の・・・」
何度目かの呼びかけに雰囲気で微かに笑ったヴァルダマーナに迦暢は傍らに膝をついてその手を硬く握る。
ケホッケホッと咳込んだヴァルダマーナの口元から鮮やかな紅い血が漏れた。
もう駄目かもしれないと迦暢ですら思う。
「すぐにっ、すぐに助けるから!」
迦暢の声にヴァルダマーナはただうっすら開けていた瞼を一度つぶってみせる。
心配するな、と聞こえてきそうな穏やかな顔で。
息をするたびヒューヒューと喉が鳴る。
血にまみれた顔を手の甲で拭うけど、落ちやしない。
「か・・の、こぇ、ぬいて・・・くれない、か・・?」
消え入りそうな声でヴァルダマーナがかすかに手を動かして自分の背に刺さっている矢を指さす。
「今抜いたら血が出るから、ちょっと待って」
「ど、く、がな・・・」
毒という言葉に迦暢は慌てて背負っていたザックを下ろし、鞄の中から神様に貰った傷薬と水筒を取り出した。
ヴァルダマーナの上半身を自分の膝に乗せる様に引き上げ服を剥ぎ取る。
ザバザバと傷口を洗い流し、矢を握って勢いよく引き抜いた。
その傷口を手で押さえるがどくどくと血が流れ出ていく。
用意しておいた傷薬を傷口にねじ込む様に塗りつけた。
ヴァルダマーナは激痛に身をよじったが、迦暢は必死に押さえつける。
傷はみるみるうちに塞がって、まるで何もなかった様に綺麗になった。
それでも膝に乗せるヴァルダマーナの顔は燃えるように熱い。
鞄の中から叩くと冷たくなる瞬間冷却パックを取り出して叩き、首に当てる。
冷却シートもおでこに貼った。
砂漠と聞いて熱中症対策に色々送ってくれた家族には頭が上がらない。
プラティパスの残った水に粉末状のスポーツドリンクの素を入れ、更に前の街で薬師如来様に頂いた万能薬の飲み薬も入れてよく振ってから慎重にヴァルダマーナの喉に流し込んでいく。
咽せながらもヴァルダマーナもゆっくりと口を、喉を潤すように飲み込んだ。
飲めば薬が効いてみるみる顔色が戻ってくる。
「つめたくて、すごいな」
「もう少ししたら、仲間の人来ると思うから、もうちょっと我慢してね」
六神通のひとつ、天耳通を使い、ヴァルダマーナの声から居場所を突き止め、神足通を使ってヴァルダマーナの元に急いだせいでサルマやアドラシオンが付けてくれた数名の護衛も振り切って来てしまった。
1人ではヴァルダマーナを馬に乗せることも出来ないが、風の様に走り去った自分をこの広い砂漠の中で見つけてくれるのか怪しい。
かなり楽になったらしいヴァルダマーナに水筒を握らせ、矢傷以外の怪我にも薬を塗りこんでいく。
「迦暢、お前も飲むんだ」
「自分の分はまだあるからそれは全部ヴァルダマーナ様が飲んで」
差し出された水筒を押しやって、迦暢は自分用の水筒を取り出して忠告に従って水分をとる。
水はたっぷり持ってきたから、まだ大丈夫だ。
でもなんとしてでも今日中に見つけてもらわねばならない。
何か良いものがないか鞄の中をゴソゴソして、発炎筒を見つけた。
点けてみるが、赤い炎があがりはするものの、煙が少なく目印にはならなさそうだ。
「それはなんだ?」
「救援信号をあげようと思ったんだけど、威力不足だったみたい・・・他に何かあったかな」
「その前にファラムンドを探したい」
薬師如来様の薬でかなり元気を取り戻したらしいヴァルダマーナが鞄を探る迦暢の手を止める。
確かに2人で行動していたはずなのにヴァルダマーナ1人で居るのは不自然なのだが、血だらけで倒れているヴァルダマーナの姿に動転してその事がすっかり頭から抜けていたのだ。
ヴァルダマーナが耳に手を当てるがインカムの姿がない。
「そこらにインカム落ちていないか?」
ヴァルダマーナがそう言って辺りを見回すがまさに砂上の一粒・・・いや、むしろ砂だけなら色で見つけられたかもしれないが花畑が逆に邪魔をして見つけるのは難しいかもしれない。
「インカムなら私のがありますよ」
「すまないが貸してくれ」
迦暢は耳から外し、差し出されたヴァルダマーナの掌にのせる。
腰に付けていた本体の電源をオンにした。
そういえば、これでサルマにも連絡が取れるかもしれない。
「ファラムンド、応答してくれ」
「・・・ヴァルダマーナ様、ご無事ですか」
祈る様なヴァルダマーナの声に一拍遅れてファラムンドが反応する。
疲れ切った様な声だが、無事なのは確認が出来た。
ヴァルダマーナは短く息を吐いて、小さく微笑んだ。
それを見守っていた迦暢もファラムンドの言葉自体はよく聞こえないものの、無事を確信して深く息を吐く。
「こちらは迦暢と合流した」
「私はサルマに助けられました・・・」
「馬はあるか?」
「サルマと護衛の馬ならば。そちらは?」
「迦暢の馬はある。敵はもういないな?」
「殲滅出来ているはずです」
「こちらもそうだと思いたいが、イルデフォンソの遺体を持ち帰りたい。こちらを見つけられそうか?」
「少しばかりの煙が見えますがそちらでしょうか」
「そうだ」
「向かいます」
通信を終え、ヴァルダマーナは迦暢に向き直ると、鞄を漁っていた迦暢をぐっと引き寄せ抱きしめた。
迦暢も鞄から手を離し、ヴァルダマーナにしがみつく。
「迦暢、会いたかった」
「私も、ずっと会いたかったです」
大きな掌で頬を包まれ、瞳をじっと覗き込まれて、迦暢は思わず笑みが溢れた。
死なずにいてくれた。
平和な日本ではこんな光景に出会う事はきっとないだろう。
少し離れた所にはヴァルダマーナに討ち取られたであろう相手が転がっているのだろうが、ただ迦暢が今思うのは、ヴァルダマーナの無事だけだった。
「ヴァルダマーナ様が無事で良かった!!」
迦暢が感情を爆発させて涙を溢すと、ヴァルダマーナが頬に触れる指を動かしてその軌道を拭う。
そのまま顔が近付いて、唇が塞がれる。
血と砂を感じるが、それでも喜びが勝った。
砂に塗れるのも構わず頬を擦り付けられたが、迦暢は嬉しくてふふと声を漏らす。
何度か笑い合い、何度か堪らずキスをするうちにサルマ達がやってきて、ふたりはやっと立ち上がった。
「迦暢、少し用を済ませてくる。サルマと彼方を向いていてくれ」
「あっち、ですか?」
「あぁ、すぐ戻る」
そう言って、くるりと背を向き変えらされ、護衛達の馬とは逆向きの花畑が示される。
背後から覗き込む様に頬にキスをしてから、ポンと両肩を叩き、ヴァルダマーナは離れていく。
代わりにすぐにサルマが寄ってきて傍に立った。
「迦暢が先に行ってしまった時はどうしようかと思ったが、すぐに見つかって安心した」
「ごめんね、見つけてくれて助かったよ」
「神がな、導いて下さったのだ。迦暢を見つけた時と同じだね」
そんな事あるわけない、と言えるはずもない。
迦暢は神も仏の存在も知っている。
今まで必死すぎて見えていたはずの花畑が急に鮮やかに意識の中に入ってきた。
色とりどりの花畑。
ずっと眼下に広がっていてのに、今やっと認識出来た。
奇跡みたいな場所だ。
神の楽園。
迦暢は自然に両手を合わせ、目を閉じる。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」
ザアッと風が吹き、花びらが舞う。
あらゆる災難が消滅するという真言を唱えるとその風と共に胸につかえていたものがサッと払われた様な気持ちになる。
多分、終わったわけではない。
でもヴァルダマーナと一緒に生きているという事実が、お釈迦様の言っていた運命を乗り越えたのではないかと思える。
どこか前向きになれた。
「迦暢、待たせたな。街に戻ろう」
肩を叩かれ、振り向けば、穏やかな笑みが自分を見下ろしている。
「帰りましょう、みんなで」
迦暢達と別れ、そのままソヴェルミシュカンに入ったアドラシオンは街の壊滅的な状況につい馬の足を止めた。
石畳だったはずの場所もすっかり砂を被り、建物も崩壊したり、半分埋まったりして荒廃した街のようだ。
それでも人々がなんとか復旧しようと砂を運び出している。
「女子供が見当たりませんな」
「あぁ、しかし統制が取れている様に見える」
「おい、そこの!」
アドラシオンの側近が近くで土を運び出す男を呼び寄せる。
男はあからさまに高官であろうアドラシオンの小隊に荷物を放り出して小走りに駆け寄った。
「なんでございましょう」
「復旧の指揮をとっているのは誰だ?」
「もちろん領主様で御座います」
「領主とは、ハイメの事か?」
「いいえ?領主様はフィディル様です」
「フィディル殿が?お前はフィディル殿の姿を見たか?」
「勿論でさぁ。神殿で指揮をとっておいでです」
男はそう言って少し高台になっている1番奥の神殿を指差す。
側近とアドラシオンは頷き合うと「もう良い」と言って男を解放すると、騎乗のまま奥へ進む。
「フィディルは死んだのではなかったのか?」
「どうなっているのでしょう?」
「亡霊の顔を拝むしかあるまい」
埋もれた街を進むが、街の人々の顔は絶望してはいない。
やれやれと片付けをしているものの、皆特に怪我もないようだ。
神殿に近づく程、女子供が煮炊きをしたり、洗濯物を干しているのが見られた。
怪我をしている者もほとんど居なさそうだ。
「どうなっておるんだ」
「奇跡が起こったとしか考えられませんな」
「さて、亡霊やら奇跡やらここ数日慣らされたと思っていたのだがまだ続きがあったとはな」
アドラシオン等の視線の先でフィディルが地図を広げて役人に指示を出す姿が見てとれた。
住民の言った通り、フィディルは生きていたのだ。
アドラシオンが更に近づくと、こちらに気付いたフィディルがこちらに体を向けて礼をする。
「アドラシオン様、ご無沙汰をしております」
「フィディル殿、其方何故生きておられる?」
「ハハハッ、酷い言われようですな」
「周辺に死んだという情報が流れておる。其方が流させたのか?」
「滅相もない。ヴァルダマーナ様に死ぬ事を禁じられましたのでな・・・」
そう言ってフィディルは寂しそうな笑みを浮かべた。
それ以上、皆が居るこの場で話す気がないのを悟って、アドラシオンは周囲を見回す。
迦暢が敵に占領されているような事を言っていたから警戒していたが、せっせと復興を行う者達ばかりで、争いの気配はない。
「敵ならば海へ逃げた者達以外は領館に捕らえております」
「どの様にして?」
「そもそも多くは海へ逃げた様ですが、残りも概ね大雨にやられて大した事がなかったので御座いますよ。むしろ海へ行かれたヴァルダマーナ様の方が心配です。無茶をされてなければ良いのですが」
ツァツプラオットがある方向へ少し眉根を寄せてフィディルが視線を向けたのに、アドラシオンもつられるように振り向いた。
流石に花畑は見えないが、街が半分埋まっているせいで砂漠との境目が曖昧に見える。
「王都に連絡は?」
「私の名で街が大雨にやられた事は飛ばしました。しかしそれ以上の事はヴァルダマーナ様から止められております」
「私に望む事はあるか」
「アドラシオン様は既に降嫁された身。私から他領の方に望む事は今の所御座いません。ただ御兄弟として、ヴァルダマーナ様を御助け頂ければと願うばかりです。私には手出し無用との事でしたが」
「姉として弟を迎えに行く事にしよう。それでは最後まで騎乗のままで申し訳ないがこれで失礼する!」
「御気をつけて」
手綱を引き、馬を反転させて門へ急ぐ。
側近達もそれに続き、外に待たせていた兵達もその背後に続いて砂漠へ駆け出した。
海へと続く既に乾いたワジ沿いにツァツプラオットへ向かう。
迦暢が言っていた通りだ。
やはり最初から迦暢について行くべきだった。
自分の判断を悔やみながら、アドラシオンは唇を噛む。
最初からヴァルダマーナは言っていたのに。
迦暢の意志は神の意志なのだと。
王都ではヴァルダマーナや迦暢からの情報で事前に配備された軍により反乱軍はことごとく討ち取られた。
最初は半信半疑だった長男のエベラルドも、王や弟達に強固に促され準備をしていただけだったが、実際に敵を前にしてその情報の正確さに度肝を抜かれつつも役割を全うするしかない。
今の時代に弟達の優秀さに比べ、武力だけの自分が王としての素質がそぐわない事を理解した。
勿論、王都を守り切ったのはエベラルドの力が大きかったのは間違いないのだが。
どの反乱軍も王都の地を踏むことすら叶わないまま一網打尽にされ、差し向けた領主一族は捕えられた。
王族にとってはまさかと思う裏切り者もいたが、見事に罠にかかった時は悲しみよりもヴァルダマーナの優秀さに対する感嘆の方が大きい。
「ヴァルダマーナは一体どうやってここまでの情報を得たのだ」
「今回だけではないのですよ」
「なんだと?」
「我々はいつも父上と弟の掌で転がされていたわけです」
エベラルドの嘆きにパーサは肩をすくめる。
パーサだって弟達の優秀さを本当に知ったのはつい先日の事だ。
武力の事しか頭にないエベラルドが気づく余地はなかっただろう。
「その当の本人は何をしているのだ」
「売国奴を追ってソヴェルミシュカンに向かうと連絡があったきりです」
「兵を率いてか?」
「従者と2人の様です」
「はぁ?そんな無謀な話があるか?」
「ヴァルダマーナは自分の存在を軽く見がちでいけませんね」
捕まえられた者達が次々に牢に入れられていくのを眺めながら気が遠くなってくる。
こんなに大掛かりな謀反に気付かずにいたら、自分達は生きていなかったかもしれない。
そこにエベラルドの側近が王城からの情報を運んできた。
王城では役に立つと思っていなかった末弟のアーロンが城の殆どの者が知らないアドラシオンからの暗号を読み解き、それ以外にも次々に飛んでくる情報を整理して大人達を差配している。
今回もアドラシオンからの情報を城で待つ王だけでなく王都のはずれにいる自分達にも伝令を走らせてくれたらしい。
「噂をすればソヴェルミシュカンからだ。フィディルがソヴェルミシュカンを奪還した・・・とあるが、フィディルは死んだのではなかったのか?」
「情報が錯綜していますね。死んだと言うのは敵側が流した嘘だったんでしょう」
「しかしヴァルダマーナの情報はないな」
「困った弟です。しかしヴァルダマーナにも大事なものが出来た様ですし、きっと帰ってきますよ」
弟を信じて疑わないパーサがそう肩をすくめると、また知らぬ情報が出てきた事にエベラルドはため息を吐く。
兄は兄で弟から何も相談も報告がないのが不満らしい。
次男のカルリトスが廃嫡される決議を採った際も、離宮に囲う最愛の存在は隠されたままだった。その存在を知るものには王である父から箝口令が敷かれた為にカルリトスがヴァルダマーナの離宮に押し入って機密を持ち出そうとしたという理由に変えられていたのだ。
「私もたまたま知ったのですが、まだ会わせてもらえてないのですよ」
「どちらが先か競争だな」
そう言って2人は笑ったが、その後、末の弟や偶然とはいえ妹にすら先を越されていた事を知り、自分達が如何に下の兄弟に信頼されていないと理解する事になるのだった。




