星を抱く
砂漠の夜は寒い。
乾いた砂は熱を蓄えられずに昼との寒暖差は20度程になる。
いくら辺境伯の領地内と言えど軍隊を街の中に入れる気はないらしい。
一行は街の程近くで野営する事になる。
しかし兵達は手慣れたもので、すぐに天幕を次々に建てた。
食料も多少は持っているようだが、一部の兵が街中に入り料理を大量に買い付け鍋ごと運んでくる。
迦暢達にも手早く食事や水が配給された。
「皆手慣れてるね」
「訓練で遠くへ行ったりするからな。大きなキャラバンなんかも野営するから街の人間もこうして鍋ごと貸してくれたり慣れたものだ。一応補償金は払っているがな」
「サルマ、足寒くないの?」
迦暢はテントに入るなり登山用のフリースを着て厚手の靴下を履いている。
しかしサルマだけでなく他の兵も昼間履いていたデザートブーツを脱いで裸足でサンダルで過ごしている人が多い。
「焚き火があるからそんなに寒くないだろう?一日中ブーツを履いているわけにもいかないからな」
「それはそうだろうけど」
食事をとりながらとりとめのない話をしていると、アドラシオンが近づいてきた。
了承を得て2人の前に腰掛け、机の上に地図を広げて明日の予定を告げる。
それからサルマが見てきたものを確認し、アドラシオンの斥候から得た情報と擦り合わせていく。
本当は夜通し駆けてでもすぐにヴァルダマーナの元に行きたい。
だがツァツプラオットへは迦暢の速度では3日かかる。
馬も休ませなくてはいけないし、ここで急いだところで1人ではどうしようも出来ない事を迦暢も理解しているのだ。
2人が明日の旅程を確認する横で迦暢は無駄だと思いながらも月を見上げ夜空に目を凝らした。
天眼通はやはりヴァルダマーナの姿を映さない。
だが女子供が小さな小部屋で抱き合う様に寄り添い合う姿が見えた。
その人達はアドラシオンが普段着ている様な庶民より高級な色合いのある服を着ているが、その部屋にはそれに相応しい調度品などが一切ない。
だが何処となく迦暢には馴染みのある風景だ。
次に男達が忙しなくこの暗闇の中、松明を煌々と焚いて戦支度をしているのが見えた。
それを松明の横でじっと見張る様に立つ男の頬には剣で斬られた古傷がある。
その男の足下に傅いた青年が彼をイルデフォンソ様と呼んだ。
彼の真上には丁度半月くらいの月が浮かんでいる。
だが今、迦暢の頭上に浮かんでいるのはそれよりも少し凹んだ月だ。
「イルデフォンソは月が半分くらいの時に戦支度を始める。大体兵の数は200程度」
「イサ、其方なにを?」
急に空を見上げ予言を告げる迦暢にアドラシオンは訝しむ様に声を掛けた。
しかしサルマは直ぐにペンと紙を取り出して迦暢の言葉を書き付ける。
「女子供は多分、神殿の小部屋に隠されている」
「神殿が裏切ったとでも?!」
「彼らはアザゼルを襲うつもりだ」
アドラシオンの言葉には耳を傾けず、迦暢はただ見えたものをひたすら言語化し続けた。
サルマはじっとその言葉を書き取り続けるが、アドラシオンは迦暢への質問は諦め、側近達に色々と指示を与えるべく動き始める。
迦暢の目にこれ以上のビジョンが見えなくなり、迦暢はただ仏様ではなくこの国の神であるベンディス様に向けてヴァルダマーナの無事を祈った。
祈りを終え視線を戻すとアドラシオンがじっと迦暢を見つめている。
「其方、本当に神官なのだな」
「なんです、急に」
「イルデフォンソと面識があるのか?」
「知りません。彼の前に跪いていた青い羽の耳飾りをした青年が頬にこう、斜めに傷が入った男をそう呼んでいるのが視えただけです」
迦暢は話しながら傷の場所を自分の顔に指を動かして示す。
アドラシオンはその説明にふぅと息を吐きながらサルマをチラリと見た。
しかしサルマは事もなげに小さく頷く。
「青い羽の耳飾りの男は何歳くらいだ?」
「ヴァルダマーナ様よりは上でしょうか…20代前半といった感じで、髪は肩くらいの長さでした」
「多分、ハイメ殿で間違いないでしょう」
「それはソヴェルミシュカンでの出来事か?」
「場所はよく分かりませんが、大きなお屋敷の前庭だと思います。松明を焚いて軍備を整えていました。月が半分の大きさですからあと1、2日後の事でしょう」
「アザゼルを襲うと言っていたな」
机の上に広げた地図を見やった。
アドラシオン達が向かう予定のソヴェルミシュカンよりも少し先の内陸寄りにその街の名が記されている。
ソヴェルミシュカンへ向かうなら明日も一緒の旅程だが、アザゼルに向かうのであれば途中で分かれて違う道をいった方が早そうだ。
相手が200なのに対してこちらは100しか兵が居ない。
二手に分かれるというのも効率が良くないだろう。
「アザゼルを襲うのであればヴァルダマーナもそちらに向かうのではないか?」
「青い羽根飾りの青年は傷の男に言いました、“私は”アザゼルに向かう、と。傷の男がそちらに向かうとは言っていません」
「狙いは揺動か」
「それは分かりません。でも私はヴァルダマーナ様と合流する為、花畑に向かいます」
アドラシオンがこのまま真っ直ぐアザゼルに向かえばアザゼルは救えるかもしれない。
しかしその間にイルデフォンソが他に仕掛けようとしているのであればそちらは見逃す事になる。
何かいい案はないかと地図でアザゼルの周辺をぼんやり視界に入れていると、ふと見知った街の名前を見つけた。
「ヴァローナ…」
「あぁ、ここからよりヴァローナの方が近い。アザゼルとヴァローナは同じ領内だからな」
「現在、ヴァローナの騎士支団長はエロンソ様です」
「エロンソだと?何故そんな小さな街にエロンソがいる?」
「ヴァローナにはババ様もおりますからヴァルダマーナ様の御差配によるものでしょう」
ふむ、とアドラシオンは少し考え込むと少し離れた所に立って控えていた副官を呼び寄せる。
副官が走って一旦立ち去るとすぐに戻ってきて小さな紙片とペンをアドラシオンの前に用意した。
「お主らはヴァローナか王城に連絡する術はないのだな?」
「ありません。ヴァルダマーナ様は鷹を使ってましたけど」
「さもありなん。時に、サルマはヴァルダマーナから暗号を教えられていたのか?」
「いいえ」
「ではどの様にしてヴァルダマーナに謀反を伝えたのだ?」
「迦暢様への手紙の最後に書きました。我々にしか分からないであろう言葉で」
「それを暗号と言うのではないか」
「いえ、正確には暗号ではないのです」
暗号ではない。
サルマが書いたのはただの平仮名だ。
間違っていない。
だがサルマの言う通り、この世界で平仮名が読めるのはヴァルダマーナに近しい人間に限られる。
アドラシオンは意味がわからないと首を傾げた。
「その言葉が分かる人間が王城にはいるか?」
「王城ですとアーロン様だけでしょう。離宮も含めるのであればウンベルト殿も分かります」
「アーロンだと?まぁよい、ではその言葉でハイメがアザゼルを落とすつもりだから兵を出せと手紙を書け」
そう言ってアドラシオンが紙片とペンをサルマの方へ押しやった。
サルマは隣に座る迦暢に困った様に視線を送る。
サルマも学びたいと言うので少しずつ教えているがアーロンやウンベルト程力を入れて勉強している訳ではない。
だから迦暢への手紙に書いた暗号もどきも平仮名だけだったし、単語しか書けなかったのだろう。
アドラシオンが要求する内容を漏れなく王都に伝えると言うのはサルマの日本語力では少し厳しいのだ。
迦暢は自分が書きますとその紙片を引き寄せた。
つけペンは上手く使える気がしないので腰に付けている小さな鞄に放り込んでおいたボールペンを使う。
出来るだけ情報を詰め込もうと小さい字で書こうとしたが紙が分厚い和紙の様な感じで滲んでしまった。
これでは届いたところで読めないに違いない。
「アドラシオン様、違う紙に書いても良いですか」
「違う紙でも構わないが、それ以上の大きさだと付けられなくなるからダメだぞ」
「・・・では、この大きさくらいなら大丈夫ですか?」
迦暢はボールペンと一緒に入れていたメモ帳を取り出す。
元々の紙より大きいが、日本の紙の方が半分以下の薄さなので折れば大丈夫だろう。
アドラシオンは迦暢が見せた紙の薄さに驚いていたが、許可を出してくれた。
手紙を書いている間もアドラシオンは渡した紙をまじまじと見ている。
「イサ、この紙はどこで手に入れた?」
「あー…これはちょっと神事用の特殊な物でして、かなり特殊なツテで手に入れたんですけど」
「これは貴重だろうな」
「何枚か差し上げましょうか」
「良いのか?!」
目を向いて驚くところ申し訳ないが100均で買った単なるメモ帳だ。
迦暢は10枚くらいペリペリと引きちぎってアドラシオンに渡す。
「そのペンもか?」
「そうですね…ただこれは替えがないので差し上げられないんですけど」
「分かっておる」
迦暢が天眼通で視たものと近況をビッシリと書いて折り畳む。
アドラシオンに渡すとすぐに副官によって鷹の脚にくくりつけられ、既に暗い空へ飛ばされた。
夜目が効かないのでは?と思ったが、夜中でも人並みには見えているらしい。
そもそも相当訓練されている鷹なので命令には従順なのだとか。
「さて、上手くアーロンに届けば良いが・・・ヴァローナにも伝えておきたいところだが何か手立てはないものか」
「王家からヴァローナに出兵する様指示をして貰えば良いのでは?」
「先程の手紙でそこまで伝われば良いが」
「そこまでは書いてないですね・・・あの鷹呼び戻したり出来ません?!」
「明日の昼までは戻らないだろうな」
「そんなぁ。ババの占いにアザゼルを守れとかメッセージを送れないかな・・・」
「騎士の誓いでも受けていない限り無理だろう、そんなのは」
アドラシオンが迦暢のとりあえず言ってみただけの方法に苦言を呈した。
しかしその言葉にサルマがピクリと反応する。
「騎士の誓いならば受けているではないか、迦暢」
「へ?」
「ヴァローナにはアフデルがいる」
「え?お断りしましたよね?」
「儀式としては成立しているから迦暢の願いに応えるはずだ」
「えぇっ?!聞いてない」
忠誠を誓った騎士には主人の願いが届くらしい。
ヴァルダマーナが迦暢にこっそり授けた印もそうだが、本人に自覚がない内によく分からないまじないを掛けられているから困る。
印の効果も正直よく分かっていないが、騎士の誓いなどもっと知るところではない。
この国特有の不思議な力だ。
「どうやって伝えれば良いんです?」
「アフデルが額を付けた手の甲に星を抱く」
「星を抱くって?」
「そうだな、迦暢が思う星の絵を反対の指で描きながら、天空の星が迦暢の騎士とその手の星と繋いでくれと願うのだ。それからその手の甲に唇をつけて心の中で願ったことが相手に伝わるよう願う」
「それから?」
「それだけだ」
半信半疑のまま、迦暢は言われた通りの手順でアフデルにハイメがイルデフォンソに人質を取られて命令され、大体2日後にアザゼルを襲うのでヴァローナの騎士支団長に加勢に行くよう伝えて欲しいと願った。
少しして迦暢が星を描いた部分の手の甲が急激に温まった様な感覚に、迦暢はアフデルが了承したと感じる。
本当に伝わったかなんて分からないし、伝わったとして騎士団が動くかも、領主がそれを了承するかも分からない。
もう後は祈るしかないのだ。
「一応、伝わった様な気はします」
「父上も気を利かせてくれれば良いが」
「アドラシオン様は結局どちらに向かうのですか?」
「そうだな・・・ソヴェルミシュカン、だな」
「アザゼルはどうするのです?」
「領主に馬は走らせるつもりだが、われわれが押さえなければならないのはイルデフォンソだ。アイツが一番居そうな所に向かう」
そう言ってアドラシオンは立ち上がる。
迦暢に明日は予定より早く出る事になるだろうから早々に寝る様に、と言いつけてアドラシオンは自分の天幕の方へ部下と共に戻っていく。
サルマも早く寝た方が良いと迦暢を急かした。
自分らの天幕で持って来た寝袋に入り、迦暢は目を閉じる。
瞼の裏に昼間の走っている感覚が蘇るが、じっと耐えていると疲れていたのは間違いない様ですぐに眠りに落ちたのだった。




