浮世のしがらみ
次の日の朝はまだ少し薄暗くて肌寒い中起きる。
神殿の朝は割と遅いので頼む事はせず、朝食はファラムンドが昨夜買ってきておいてくれたフランスパンの様なガーリックトーストに生ハムを挟んだものだ。
迦暢の持ってきた携行食のスープを出してあげたらファラムンドが盛大に喜んでいた。
神殿長だけが起きてきて、3人を見送ってくれる。
他にも門を出る商家の馬車などはあり、それに紛れる様にして3人は街を出た。
予定通り迦暢はヴァルダマーナの馬に相乗りだ。
昨日までと違い、後ろの荷物にソーラーパネルをくくりつけ、予備バッテリーに充電しながら其々がトランシーバーを装備し、インカムを使って会話が出来る様になった。
昨日も会話が出来なかった訳ではないが、話すためには大きな声を出す必要があったし、近づく必要があったからとても便利である。
迦暢が馬を扱わない分、早い速度で馬を駆け、隣の街を警戒してちょっと外れた水場に寄りながら大回りして次の街に着いたのは昼過ぎだった。
ゼリー飲料や羊羹を2人にも提供したが、羊羹の評判は芳しくない。
ドライフルーツは好評だったので、餡子がダメなのだと思われる。残念だ。
「いやぁ、これ、最高に画期的でしたね」
「あぁ。それに迦暢の携行食や飲料のお陰でだいぶ楽だったな」
「お役に立てたなら何よりです」
馬宿に馬を預け、3人はまだフードを被っているのを良いことにインカムで話しながら途中の屋台で小腹を満たし神殿へ向かう。
しかし先に着いているはずのサルマの姿がない。
サルマは自分達とは反対側を迂回して他の街で一泊することになっていた。
先に出発したからと言って先に着くものでもないと言われれば迦暢はそれもそうかと納得する。
そもそもサルマの旅程を天眼通で視た先も特に危険はなかったはずだ。
いつも通り湯浴みをし、夜の儀式に向けて寝る様に促され昼寝をする。
陽が落ちる前に目覚めたが、それでもサルマが到着しておらず、迦暢は不安に駆り立てられ窓から見える街並みに目を凝らした。
サルマを、サルマの姿を見せて!
迦暢がそう想えば、見えるはずも無い街角にサルマが座り込んでいるのが見える。
特に怪我もしていないし、囚われている様子もない。
ただ、その表情は暗かった。
何度かため息を吐いた後、サルマは空を見上げてその重い腰を上げる。
尻の汚れを払ってから、雑念を払う様にかぶりを振って両手で自分の頬をパンッと叩く。
荷物を担いで歩き始めればそこは先程迦暢達も歩いてきた道だと分かり、合流の為に神殿に向かっているのが知れた。
10分もすると神官に案内されてヴァルダマーナと迦暢の居る部屋にいつも通りのサルマが姿を現す。
「サルマ、到着致しました」
「あぁ、道中問題はなかったか」
「予定通りネバル村を経由してきましたが、旅程に問題はありませんでした」
「そうか。詳細はファラムンドに報告しておいてくれ」
「承知致しました」
ヴァルダマーナに頭を下げてから迦暢の視線に気づいたのか、いつも通りにニコリと笑顔を向ける。
荷物を下すとファラムンド様と情報共有してくるよ、と近づいた迦暢の頭を撫でてサルマは再び部屋を出て行った。
「迦暢、サルマの無事を確認したのだからもう少し眠ってはどうだ?」
「もう眠くないので」
「では2人が戻ってきたら食事にしよう」
そう何も聞かず自分を甘やかすヴァルダマーナに自分の不甲斐なさを感じながらも迦暢はそれに甘えた。
今、サルマを問い詰める時ではないと感じているからだ。
サルマ自身がまだ腹落ちしていない事を迦暢が外からわーわー言っても迷惑なだけだろう。
それに気づいてヴァルダマーナも迦暢を甘やかしているに違いない。
自分が今すべきは夜中の水脈を開く儀式だ。
そこに支障が出ない様にするのが自分の仕事であると迦暢は自分に言い聞かせた。
いつも通りに振る舞ってみせるサルマに迦暢も普通を装いながら水脈を開く儀式を無事に済ませ、いつも通りに過保護なヴァルダマーナに抱えられて神殿に戻り眠りにつく。
そしていつも通りに昼前に目覚めるとサルマの姿は既になかった。
「サルマを知りませんか?」
「おはよう、迦暢」
「おはようございます」
「サルマは本人の希望でこの任務から少しの間外れる事になった」
「どういう事ですか?」
ヴァルダマーナが横に立つファラムンドに視線を投げると承知している様にファラムンドが話し始めた。
サルマが1人で行動している間、自分が結婚を拒んだばかりに代わりに不幸になった人達をその中で多く見聞きする事になったそうだ。
しかしそれはサルマに非がある訳ではないのは明白な話でもある。
サルマも1人でその人達を全て救えるとは勿論思っていないが、糸口を得る為にももう少し残って情報を得たいと申し出たのだと言う。
ヴァルダマーナもファラムンドも勿論止めたらしいが、サルマの決意は固く翻意する事ができなかったそうだ。
ただ迦暢の側を離れる事だけが心残りだったらしく、決意が鈍らぬ様、迦暢が起きる前に出立してしまったらしい。
「危ない事はせず情報収集のみとする様言い聞かせてある。そしてリューデリッヒまでには必ず追いつく様にと」
「わかりました」
本当は分かってなどいない。
だけど迦暢が文句を言ったところで彼らに非がある訳ではなく、どうしようもなかった事は分かる。
だから迦暢はぐっと言葉をその短い言葉に飲み込んだ。
その後ヴァルダマーナから差し出された手紙にはサルマの字で「勝手をしてすまない。必ず戻る」とだけ書かれていた。
自分で約束をしたのだからサルマはきっと帰ってくる、そう信じて待つしかないのだ。
外に出る気も起きず、迦暢は日がな一日窓の側に座って空を見上げていた。
だけどサルマの姿を天眼通で見る事はしない。
サルマは必ず帰ってくる。
そう信じて迦暢はただ空が青から紅、紅から濃紺になるのを見守ったのだった。
それからの日程も順調に辺境リューデリッヒに向けてこなしていく。
リューデリッヒの一つ手前の街に着いてもサルマの姿はない。
ただ、時を同じくして街を訪れた商隊がイサ宛の手紙を持って神殿を訪れた。
手紙の内容自体は迦暢の体調などを心配する内容で、仕事が終わったら必ず会いに行く、とまるで遠くに離れた妹に向けた様に書かれている。
しかし最後に「むほん、てびき、うたがい」と平仮名で書かれていた。
それを見たヴァルダマーナはすぐに王都に向けて鳥を飛ばす。
「迦暢、すまないが今日儀式を終えたらその足でリューデリッヒに向かう。ファラムンド、姉上へ先触れの手配を頼む」
「畏まりました」
「迦暢は少しでも今のうちに眠っておく様に」
そう言われて布団に入るがどうにも眠れそうにない。
せめてサルマの安否だけでも確認しようか、とも思うが、万が一何かあった場合に自分がどうなってしまうのか想像がつかなかった。
サルマと別れた後も何度試みようと思ったか知れない。
しかし動揺して水脈を開けなくなってはそれはそれで争いの火種になりかねない事は容易に想像ができる。
約束の全ての水脈を開いてからにすべきだと自分に言い聞かせて目を閉じるがため息ばかりが出てしまう。
途中で様子を見に来たヴァルダマーナが穏やかな笑みを浮かべてそんな迦暢の頭を撫でた。
「無策な訳ではない。お前の仕事は水脈を開く事だ。今はその為に温存しておいて欲しい」
「分かってます。分かってるけど、サルマは私にとって恩人なんです」
「信じてやる事だ。必ず帰ると約束したのだから」
「はい」
それから眠りにつく事が出来たけど、何か夢を見ていた気がする。
どんな夢だったは覚えていないが、その中でサルマが優しい声で必ず帰るよと言っていた気がした。
それ以外は痛いとか辛いとか懺悔したり他人を呪ったり、他人の不幸を喜んだり、色々な他人の嫌な声ばかりが聞こえていたように思う。
だから目が覚めた時にはなんとも言えない嫌な気分にもなったけれど、その中のサルマの声が暗い道筋を照らす灯火の様に感じた。
サルマは生きている。
だから今は自分がなすべき事をしよう。
遅い夜食を食べてから帰ってきたらすぐに出発できる様に荷物をまとめ直した。
いつもの様に暗闇の中を深くフードを被り神官に先導されて現地に向かう。
領主と落ち合い、領主に用意させた剣を使い儀式を行った。
最初の頃と違って噂が伝わっているのか、領主の顔は半信半疑ではなく最初から期待に満ちている。
そして剣を刺した箇所から水が溢れ出すと歓喜し祈りの言葉を叫ぶのはいつもの事だ。
「既に伝わっていると思うが我々はこの後出立する。無理を言ってすまないが依頼した件については頼む」
「あれくらいどうと言う事はございません」
「世話をかける。それからくれぐれも水天様への礼は欠かさぬように」
「承知しております」
跪いて深々と頭を下げる領主をそのままにヴァルダマーナは迦暢の脚元をすくう様に抱え来た道を帰る。
神殿で荷物を回収するとすぐに街を出た。
門番は領主から通達があったらしく、深夜の出発に何も言わずただお気をつけてと3人を送り出した。
日中は嫌と言うほど暑いのに砂漠の夜は寒い。
ただ迦暢はまたヴァルダマーナの馬に相乗りで、腹を紐で括られてヴァルダマーナにくっ付いているので温かい。
最初は月明かりを頼りに走っていたが、街から離れると前に渡した防災用の懐中電灯を使ってかなり先まで明るく見える。
どうやら2人はこうして夜中に馬を走らせる事は初めてではない様で手慣れた様子だ。
馬も慣れているのか素直に夜道を走った。
「リューデリッヒの水脈を開くのは明日になりますか?」
「領主と相談してみないとまだ分からんな。先に先視を頼むことになるかもしれない」
「その方が私も有難いです」
「無理をさせてすまないな。今は体を休める為にも眠れ」
「そうじゃなくて!私も色々気になるので先視がしたいという話ですよ?!」
「お前が気にしていることは理解している」
ヴァルダマーナは迦暢の肩口から自分の顔を出す様にして迦暢の頬に自分の頬を擦り寄せた。
迦暢の不安も不満も理解して包み込んでくれようとしている。
迦暢にもそれは分かるが、子供扱いされる事にはやはり不満が勝った。
「ヴァルダマーナ様は私に甘すぎますよ」
「恋人を甘やかして何が悪いのだ」
「またそれ言う」
むぅと頬を膨らませたが、耳元で小さく笑ったヴァルダマーナに迦暢はどこか毒気を抜かれた。
寄り掛かるようにしてヴァルダマーナの胸に体重をかける。
布越しとは言えどこか暖かさを感じて迦暢は目を閉じた。
腰に回された手がぎゅっと体を引き寄せると、張り詰めていたものが緩んでいく。
馬の息遣いと風を切る音だけが規則正しい振動と共に伝わってきて、いつしか迦暢は眠りについた。




