カフィの雫が落ちる先
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ありがとうございました!!
「はぁ。フローリン…お前の言いたいことはわかるがとりあえず落ち着け。」
なんだか、メイヤー氏まで呆れているように見える。
何かまずかっただろうか…?
振り返ってみても、特に問題があったようには思えない。
私が首を捻っていると、メイヤー氏はまたため息をついた。
「アンディ、ハンゼでカフィの需要が鰻登りであるというのは、君も知っていただろう?」
「ええ。だからこそ、先日のような提案をさせていただいたわけですし…」
そこに、フローリンさんがにこやかに付け加える。
「つまり、カフィの供給は需要に追いついていないんだよ。」
「はぁ。そうでしょうね。」
だからどうしたと言うのだ。私は頭の上にハテナを浮かべた。
そんな私に、フローリンさんは衝撃の事実で追い討ちをかける。
「今、帝国内で、カフィ豆は一般の市場に出回っていないんだ。一般の労働階級の者たちは見たこともないだろうね。」
私は驚愕して目を見開いた。
「えっ。でも、市場ではたくさんのカフィスタンドが出てるじゃないですか!」
「あれは、庶民用の代替カフィ。大麦やチコリを用いて作られるもので、豆を挽いたものじゃない。」
メイヤー氏の補足に、フローリンさんも頷いている。
思い起こしてみると、確かに、色が薄くて美味しくなさそうだと思って、スタンドのカフィには手を出したことがなかったのだ。
私はようやく、自分が不用意な発言をしたことに気がついた。
恐る恐る右側に座るフローリンさんの方を伺うと、フローリンさんはニコニコとしている。
柔和なその笑顔が妙に恐ろしく感じた。
「アンディ、君はまるで当然のことのように、カフィが豆を挽いたもので、しかも豆は焙煎して使わなければならず、保存にもコツが必要であることを知っていたね。」
確かに指摘されたように、この世界の庶民のスタンダードからすれば、私のコーヒーに関する知識が遥かに高いレベルにあることは明らかだ。私は心臓の拍動が少し早まるのを感じた。
「ねぇ、アンディ。今やカフィは人気があり過ぎて、帝国随一、金回りの良いハンゼの上級市民ですら、カフィ豆を手にいれることは難しい。だから、老舗のカフィハウスに集い、社交をするんだ。それなのに、君は家でカフィを常飲しているようだね。家でカフィを楽しむなんて、かなりの地位と金と、そして最も大事なのは特別な伝手を持っていないとできない最高の贅沢だ。しかも、君はそのことに疑問を抱いてすらいない。」
私は背中にじっとりと汗をかくのを感じた。今や私の心臓は破裂しそうなほど早鐘を打っている。
「ねぇ、アンディ。君は、一体、何者なんだろうね?」
そう言って、フローリンさんは、小首を傾げ、その美貌で人を惑わす悪魔のように、妖艶で蠱惑的な笑みを深めた。
「はぁ。まぁ、そのくらいにしてやれ。フローリン。」
張り詰めた場が、メイヤー氏の一言で一気に弛緩する。緊張のあまり息が止まっていたようだ。私はようやく息を吐いた。何だか、肉食動物に駆られる草食動物の気持ちが期せずして理解できた気がする。
「あはは。ちょっと怖がらせちゃったかな?でもね、アンディ。僕は、君にもう少し用心して欲しかったんだ。悪い大人はどこにでもいるからね。せっかくカフィについて語り合えそうな女の子に出会ったのに、狩られちゃったら悲しいし。」
「か、狩られる!?」
なにか物騒な単語が聞こえた気がする…。
私は動揺を隠せなかった。
「え。まさか、それもまだなの?フランツ、ちょっと不用心がすぎるんじゃない?」
フローリンさんの言葉に、メイヤー氏が眉を顰めた。
「ああ、まさか、これほどだとは思わなかった。あとで、言い聞かせておこう。」
私の両脇で二人は目を細めて頷き合っている。
いやいやいやいや…
一体、どう言うことなのだ。そんな重要そうなことなら、あとで、じゃなくて今、説明プリーズ!
しかし、そんな私の心の叫びに、二人が気づくはずもない。
フローリンさんは妙にキラキラした瞳をこちらに向けると、食い気味に話し始めた。
「それはともかく、カフィに話を移そう。アンディ、君はどこからカフィ豆を買い付けているんだい?」
あ、これ、絶対長くなるやつだ…。
私はメイヤー氏に視線で助けを求めたが、無言で首を振られてしまった。どうやら、メイヤー氏にも、こうなったフローリンさんは止められないらしい。
私は重いため息をつき、話し始めた。
「豆は買ってないです。ヨゼフ爺さんのお手伝いをする代わりに、2週にいっぺん分けてもらっています。」
「ヨゼフさんだって!?もしかして、カフィ・プリンツェスのオーナーの??」
フローリンさんは目を見開いた。
「プリンツェス?ヨゼフ爺さんのお店ってそんなエレガントな名前なんですか。ぷぷっ。あのいかにも頑固親父って風貌には似合いませんね。」
私は、ヨゼフ爺さんを思い浮かべ、笑いが止まらなくなってしまった。ヨゼフ爺さんは堅物のお爺さんだ。
頭は白髪で真っ白で、いつもむすっとしている。黒い杖がトレードマークで、何か気に入らないことがあると、杖でガンガン地面を叩くのだ。
小エビのサンドの屋台の常連さんの一人で、いつの間にか仲良くなっていた。私はあの気難し屋のお爺さんが実は嫌いではない。日本人的にはあのお爺さんはツンデレに分類されるだろう。
だが、あのお爺さんのお店が、カフィ・プリンツェスだとは。
それって、日本語風に言うと、喫茶お姫さまってことでしょう?
そこまで思い至ると、また笑いが止まらなくなってしまった私に、メイヤー氏は重々しく店名の由来を教えてくれる。
「ヨゼフさんのカフィハウスはハンゼで一番の老舗で、皇帝にカフィを献上したこともあるんだ。皇女がハンゼの港に立ち寄った際に、そのカフィハウスを気に入って、プリンツェスを店名にすることをお許しになったのだ。おい、アンディ…君の伝手は一体どうなっている。普通、知り合おうと思っても簡単には知り合えないんだぞ。」
そんなことを言われても、ヨゼフ爺さんと知り合ったのはただの偶然だ。私は肩をすくめて見せた。
「行きつけの出店で仲良くなったのですよ。最近、細かい作業が辛いと言うので、お手伝いを申し出たんです。そうしたら、虫食いや半割れの豆、焙煎後の豆の中で焦げたものを選別するのを頼まれて…」
「それはすごく羨ましいなぁ。じゃぁ、カフィの入れ方はヨゼフさんに教えてもらったのかい?」
食い気味にフローリンさんが言葉を挟む。
「あ、いえ…。そこは自己流というか、なんというか。ヨゼフさんも教えてくださったのですけど、面倒で…。故郷でやっていた一番お手軽な方法で淹れちゃっています。」
「…。」
両側からの視線が痛い。しかし、この二人に対しては、無理に誤魔化すことを放棄することにした。どうやら、私にはこの世界の常識が圧倒的に不足しているようだ。この状態では、何を言っても墓穴を掘ることになりかねない。
「まぁ、いいや。それで、どんな方法で淹れてるの?」
「いやぁ、本当に大したことない簡単な方法ですよ。が、がっかりしないでくださいね?」
少しバツが悪くなって、フローリンさんに念を押す。日本にいた時も、私はコーヒーに詳しかったわけではないのだ。過大な期待をされても困る。
「まず、このくらいの真鍮のカップを用意するんです。」
そう言って、手で丸を作り大きさを示して見せる。
「あ、底は平たいものが良いです。そして、底に幾つか穴を開けます。この時、あまりに穴が少ないと落ちてくるのに時間がかかるし、粉が詰まっちゃうので…」
「そこに、粉を入れるのかい?」
「いえいえ。このままだと粉も落ちてきて鬱陶しいので、真鍮のカップの底の大きさに合わせて、円形に切った、ろ紙をひくんです。その上からカフィの粉を入れて、お湯を入れると、穴から抽出されたカフィが落ちてきます。この方法だと、粉はまざらないのが利点ですね。カフィの雫は、直接、カフィカップで受け止めてます。こんな感じで。」
自分のカフィカップに、カフィをドリップする様子を身振り手振りで説明する。
そう、私が今教えたのは何の変哲もない、ペーパードリップの原始的なやり方だ。あまりに普通すぎて申し訳なくなりつつも、私は恐る恐るフローリンさんの反応をうかがう。
「なるほど…ろ紙か…」
突然、フローリンさんは弾かれたようにスツールから立ち上がった。顎に手を当てながら何かをぶつぶつ言っている様子は異様だ。
そして、メイヤー氏が声をかけても自分の世界に没入してしまったかのように応答せず、奥の部屋に引っ込んでいってしまった。
そんなフローリンさんのおかしな様子に、とり残された私たちは思わず顔を見合わせる。
「まぁ、奥で早速試してみているんだろう…。ほっておこう。」
メイヤー氏は、本日何度目かわからないため息をついた。古い付き合いだというのだから、フローリンさんの奇行には慣れているのだろう。
何だか見てはいけないものを見てしまったようで気まずくなってしまい、私は無理やり話題を変えることにした。
「そういえば、帝国では、ろ紙が割と簡単に安価で手に入りますよね。あまりに安いので、カフィを入れるのにも重宝しています。帝国では製紙産業に力を入れているんですか。」
「ああ。帝国は国策として、アルケミーに力を入れているからな。ろ紙は必需品なんだ。」
それを聞いて、私の頭から今日これまでのありとあらゆることが吹っ飛んだ。
「アルケミー!?」
私は思わずそう叫んだ。