倉庫街へ行こう
今日はメイヤー氏と共に倉庫を見に行くことになっている。
ハンゼでは、街を東西に分ける運河に沿って、多くの倉庫が建てられている。その運河沿いの区画は、物理的にも経済的にも街の中心で、そこから広がるようにハンゼの街は形成されている。
ハンゼの住民は皆、その倉庫の立ち並ぶ区画を親しみを込めて倉庫街と呼ぶ。レンガ造りの倉庫がズラリと立ち並ぶ様は、日本人からすると、その機能に反して優美にすら見える。
港から入ってきた船はそのまま運河を遡り、直接、倉庫街に至る。
素晴らしいことに、倉庫にはそれぞれ積荷を引き上げるための滑車が屋根に備え付けられており、それを使うことで、積荷を運河から倉庫へ直接引き上げることができるのだ。
ナイターハウスのある東からメイヤー汽船所有の倉庫がある西側へ川を渡るためにかけられた橋の上から、川沿いの倉庫を眺めると、至る所で威勢の良い掛け声と共に、色とりどりの積荷が引き上げられ窓から消えていくのが見えた。
実はこの辺にはあまり来たことがなかったが、活気のある良いエリアだ。
人々が生き生きと働いているのを見ると妙に眩しく感じる。
「ついたぞ。」
私は一際大きい倉庫を見上げた。メイヤー汽船所有の倉庫は運河のかなり上流にあり、他の倉庫からは隔絶された場所に立っていた。
赤い煉瓦造りの建物は頑強そうだ。しかし、決して粗野な雰囲気ではなく、建物の壁には煉瓦の凹凸を利用して、精緻な模様が描かれている。なんとも魅力的な建造物だ。
「扱うのが硝石だからな。万が一、火災の危険を考えて、他の倉庫からは隔離している。」
倉庫の扉の前には、日に焼けた屈強な壮年の男性が杖をついて立っていた。扉は大きく、重そうな金属製で、開けるのにも一苦労しそうだ。
「ハンス、彼は新しく補佐として雇ったアンディだ。今日は硝石の在庫を見に来た。」
「坊っちゃん達、よく来たな。」
「おいおい。もう、坊っちゃんはやめてくれ。これでも、いい歳なんだ。」
「奥方もまだ迎えてないのだから、坊っちゃんは坊っちゃんで充分だ。俺は死ぬまでに、坊ちゃんの子を抱くのが夢なんだから、早くしてくれよ。」
飄々として、なんでもそつなくこなすタイプに見えるメイヤー氏がやり込められている。
私は思わずニヤニヤとしてしまった。
「おい、アンディ。そんな目で見ないでくれ。ハンスは先代の船の乗組員だったんだ。だが、シーレで野犬に足を噛まれてしまってな。足を悪くして海に出るのが厳しくなってからは、ここで倉庫番をしてもらっている。」
「ハンスさん、初めまして。これからよろしくお願い致します。」
「おう。よろしくな坊主。それで、坊っちゃん達は、硝石の在庫の確認がしたいとのことですよね。ただ、硝石はここにはありませんよ。」
「えっ。どういうことですか。」
「ここに運ばれてくるのはカリーチェ。硝石として精製される前の鉱石だな。とりあえず入ってくれ。」
そういうとハンスは、倉庫の重厚な扉を開き、中へと招き入れてくれた。
「うわぁ。圧巻ですね。」
倉庫の中にはずらりとラックが並んでいる。各ラックの一段一段には、いくつものカゴが整然と並べられていた。
「近づいて、中を覗いても良いですか。」
「おう。ただし、カゴを引き出すのは構わないが、素手では鉱石を触らないでくれ。」
「わかりました。」
一番手前のカゴを引く。
中には、たくさんの鉱石が山盛りになっている。拳大の半透明の鉱石には白い部分や、黄色がかった部分があり、なんだかレモンミルクのかき氷のようだ。
「随分、可愛らしい色合いですね。」
「不純物を多く含むからな。不純物がこういう色味を出すらしい。純粋な硝石は白色だそうだ。まあ、俺は見たことはないがな。」
ふむ。良いことを聞いた。
これは後で、精製も見せてもらわなければなるまい。
「貯蔵場所は、まだ余裕がありますか。」
「ここの他にあと2棟がもう満杯で、ここもあと持って1年ってところだな。坊ちゃんが帝都から帰って来てくれて本当によかった。ここ数年はこれといって指示もなく、在庫が貯まるばかりで、困っていたんだ。」
ハンスは顔を顰めている。
「やはり、切迫していますね…」
「まぁ、今気がついて良かったということだろう。ハンス、今まで任せっぱなしになってしまってすまなかった。これからはちょくちょく顔を出すようにするから、ひき続き、ここの管理をよろしく頼む。」
「もちろんです。」
メイヤー氏の言葉に、ハンスはふっと表情を緩めたが、次の瞬間には悲壮な面持ちで続けた。
「坊っちゃん、できたら、船員達にも声をかけてくれないか。先週、荷揚げしたばかりだから、今週は営業所で待機しているはずだ。」
ハンスの様子に、メイヤー氏と私は顔を見合わせた。
「わかった。顔を出そう。」
これ以上、問題が見つかりませんように。
さらなる波乱の予感に、私は思わず心の中で祈らずにはいられなかった。