視界良好
「とりあえず、こんなものかな。」
今日は朝から大掃除を始めたが、昼過ぎには片がついた。
掃除道具は色々と残されていたので、本当に助かった。
ホコリは積もっていたものの、物はよく片付けられていて、一人でもどうにかなった。
昼食として持参したパンを齧りながら、メイヤー氏のことを待っていると、程なくして、彼はやってきた。
本日はグレージュの三つ揃いのスーツに、懐中時計だろうか金鎖が煌めいている。ポケットチーフは瞳の色より一段彩度を落とした青灰で、光の具合によってはうっすらと紫の色味で加工がされているのがわかる。なんとも上品で色気のある装いだ。
「掃除、ご苦労だった。ずいぶんスッキリしたな。」
「まぁ、基本的には綺麗に使われていたみたいですからね。ホコリを払うだけで良かったので、助かりました。それにしても、私以外の従業員の方はどうしたんです。流石にこの時間になっても誰も来ないなんて、始業時間が遅すぎませんか。」
「他の従業員はいない。正確にいうと、ここにはいない。営業所には何人かまだ残ってはいるが。ここでは基本的に、会計と財務の総括が行われていたんだ。」
「ああ、まぁ税関窓口もあって経理業務をするには丁度良いですからね。」
「その通り。」
「なるほど。つまり、メイヤー様による人員の整理は主に、こちらで行われたということですね。それでは、メイヤー様の補佐というのは、主に、こちらで経理業務当たるということでしょうか。」
それならこの素敵な部屋をしばらくの間、独り占めできるということだ。
「そういうことになるな。」
なるほど。それで、税関の所長に相談していたわけだ。ふむ、と私は心の中で一人首肯した。
「それでは、帳簿や在庫管理表をまずは拝見できますか。」
「もちろん。ここの棚にまとめてある。」
そう言って指し示された棚は、アンティーク調のしっかりとした作りの棚である。棚を縁取る、バラと蔦が絡み合う意匠が美しい。
こういう意匠を見ると、この世界はいわゆる“ヨーロッパ風”の異世界というものなのだな。
だけど、中世っていうほど文明が遅れているわけではないのが不思議だ。
棚に並べられた台帳は、どうやら上から下へ、そして左から右へ、年代別に並べられているようだ。
最新年度のものだと思われる一冊を手に取り、さっと目を通す。これはどうやら在庫表のようだ。それをみて、思わず私はゴクリと唾を飲んだ。
「あの、こちらに記されている硝石の在庫なのですが、これ、流石にこのままではないですよね・・・?」
私の指さす数字を眺めて、メイヤー氏は頷いた。
「ああ。まさか。」
「良かった。」
私はほっと胸を撫で下ろした。しかし、メイヤー氏は私の様子を訝しむように眉を顰めた。そしてこう宣ったのだ。
「もちろん、今や在庫はそんなもんでは済まない。それどころか日に日に膨らんでいるんだ。どうにか在庫処分をしなくては。」
嘘でしょう!
そこに記された数に恐れ慄き、私は思わず天を仰いだ。
「一体どうやったらこんな数の在庫数になるのです!いくらなんでもおかしいでしょう。この数は。」
「まぁ、戦後の需要低下を鑑みずに、戦時と同等数を仕入れ続けたのだろうな。」
「なぜ、私を雇う前に仕入れを止めてないんですか!」
メイヤー氏はバツが悪そうに目をそらした。
「正直、人員整理でそこまで手が回らなかった。というか、上の決裁もなしに、輸入がただ続けられているとは思わなかったんだ。」
「この数じゃ、相当倉庫も圧迫されていそうです。それに、ここには硝石の在庫数のみしか記されていませんが、メイヤー汽船の取り扱いは硝石だけなのですか。南方大陸と言ったら、カフィにカカオですよね!ハンゼは帝国一カフィハウスが多いのでしょう?それらの取り扱いはないのですか。」
「残念ながら。うちは硝石だけで成り上がったからな。戦争時、硝石はあるだけ売れたせいで、商会としての努力をしてこなかった。確かにカフィにカカオは良い着眼点だ。しかし、それらは既に特定の商会の占有状態で、今から参入は厳しいだろう。」
「そうですか。うーん。これから先のメイヤー汽船の行末を考えると、これを機に硝石一本の商業形態を見直したいですよね。通常の商会はどれくらいの規模で、カフィやカカオを輸送しているのでしょうか。需要は鰻登りなのですから、輸入を拡大したいと思っている商会もあるような気がします。」
「よし。詳しい友人に聞いてみるか。しかし、なるほど。うちで輸送に噛めないかということか。商品の輸送そのものもそうだが、海賊行為からの護衛船という方向性もありかもしれない。ウチの船員は根っからの船乗りだから、腕っぷしも強い。それなら、既得権益を無闇に侵すことも少ない。それどころか、利益を得つつ、地元の商会に恩を得ることも出来る。」
私は思わず目を瞬いた。
これっぽっちの提案から要点を汲み取り、しかも、そこで思考停止せずに、さらにアイディアを深めてみせるなんて。
メイヤー氏は大胆な人員削減に踏み切れるだけの決断力があるのみならず、頭の回転も早いのだろう。
しかも、ぽっと出の従業員の意見も柔軟に取り入れる姿勢もあるとなれば、メイヤー汽船の立て直しは思った以上に早く進みそうだ。
どこまで許されるかと、わざと慇懃無礼な提案の仕方をしたが、それを気に留めた様子もない。
これは思っていたよりも楽しく仕事ができそうだ。
少し、ワクワクしてきた。
「その通りです。商品を売るノウハウはありませんが、運ぶだけなら、メイヤー汽船でも参入できます。硝石の輸入を減らして、空いたスペースを活用すれば良いのですから。メイヤー様のご友人に、需要がありそうか、お伺いしてみてはいかがでしょうか。倉庫の在庫も確認しなくてはなりませんし、やることはいっぱいありますね!」
私の言葉を受けて、メイヤー氏は片眉を上げ、なんとも愉快そうな顔をした。
「よし、まずは倉庫で在庫を確認しよう。友人との会食の予定も組んでおく。もちろん、アンディ、君も同行しろ。だって、君は私の補佐なのだからな。」
それはもう大変魅力的な表情で、メイヤー氏は艶然と笑って見せたのだった。