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ハンゼの港から  作者: tanja
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異世界の中の私

いつもいいねを下さる方、本当に執筆の励みになっています。ありがとうございます!

目の前で髪を掬い取っていたベルソルトの手が不意に離れる。


途端に呼吸が楽になる。気付かぬうちに息を詰めていたらしい。


ベルソルトは、すぐそばにある椅子に座ると、私にも座るようにと示した。

木製の椅子に腰掛けるとぎしりと軋む。少しぐらぐらとしていて、なんとも心許ない。



「コンプリーターというのは、なんですか?」

「なんだ、まだ自覚がないのか。」


ふむ、とベルソルトは手を顎に当てた。


「そもそもどうやって、この世界に来たのかもさっぱりで。」


そう、私は何も知らないのだ。この世界に初めてやってきた時、私は思ったのだ。


なぜ、私が。

なぜ、私がこんな理不尽に見舞われなくてはならないのか、と。

しかし、その問いへの答えは、今までついぞ与えられることはなかった。

ベルソルトは答えてくれるだろうか。



私はなぜここにいるのか。それが知りたい。



ベルソルトの赤い瞳がひたり、と私を見つめる。

この世のものとも思えぬ美形に見つめられても顔をあからめるような心はもうすっかりどこかに忘れてしまったが、恋愛とは異なる期待で胸が高鳴る。


「コンプリーターは、叡智の書によって異世界に送られ、時が来たら引き戻される。」

「時が来たらというのは………?」

「世界の転換期に。」

「世界の、転換期………。それでは、私以外にも、異世界からやってきた存在がいるのでしょうか。」

「否。」

「えっ。それはなぜですか。」

「コンプリーターの血族はもう一人として残っていない。」

「残っていない……?」


それってどういうことだろう。背中に冷たい汗が伝った。


「……異人狩りについては?」

「教会主導で、一般とは異なる能力を持つ人々が迫害されていると聞きました。アルケミストも教会とは相性が悪いとか。」

その言葉にベルソルトは同意を示す。


「教会の奴らは、神が綴った、この世界の叡智の書が完璧なもので、唯一のものであると考えている。だから、」

「だから、叡智の書の欠落を詳らかにする存在であるコンプリーターとアルケミストが許せないってことですか。」

「そういうことだ。特に、コンプリーターは異世界、それもこの世界を超える世界が存在する事を明確に示してしまう。だから、コンプリーターは教会の教義から外れた異端として、標的にされ、徹底的に根絶やしにされた。コンプリーターは、アルケミストとは異なり、異世界の知識を持つ以外に特別な技能を持たない。だから、血族が滅ぼされるのはあっという間だった。それに、コンプリーターを滅ぼすことで、アルケミストの存在意義も奪うことができる。」

「それは、叡智の管理者だけでは欠落が補完できないからですね。」


ベルソルトは頷いた。

私が、ベルソルトの言うように、コンプリーターであるかはわからない。それでも、教会への警戒心は持っておくに越したことはないのだろう。



「コンプリーターに、その血族以外から選ばれることはなかったのですか。叡智の書が送り込んで、引き戻すというなら、アルケミストと違って、誰でも良いのでは?」


そう、ここにいるのは、私じゃなくても、よかったのでは。


ベルソルトはかぶりを振った。


「血は力を秘めている。アルケミストは血の力で術を使う。コンプリーターが誰でも良いはずがない。界を渡るのが、ましてや精神的に肉体的に完全な形で戻ってくるのが簡単であるはずがない。それは普通の人間では成し得ない、神の領域だ。叡智の書の力だけではなく、特別な血が秘める力が必要であるはずだ。」

「でも、その血族はもう残っていないのですよね。では、私は何者なのでしょうか。この世界で、私は何をすれば良いのでしょうか。」

「それは、誰かに決められる事じゃない。お前が決めることだ。」

「でも、世界の転換期に引き戻されたコンプリーターには、何か特定の知識を持ち帰ることが期待されているのではないのですか。」

「お前が成すこと、すべては叡智の書の導きのもとに起こることだ。」

「私がこの世界にどんな知識を持ち込んでも構わないということですか?」

「その結果何が起ころうと、それもまた、叡智の書に導かれたこの世界の運命に過ぎない。」


私は唇をかんだ。なんだか頭が重い。


「私は、役目を終えても、もう元の世界に帰れないのですか。」

「お前はまるで、自分自身がこの世界の客人に過ぎないような物言いをする。」

「!」


その指摘は的を射ている。私は、いまだに元の世界に未練があるのだ。そして、この世界の異物であり、帰るべき世界が他にあると思いたいのだ。


「コンプリーターというのは、もともとこの世界の人間だ。当然、この世界で生きた記憶と共に界を渡り、時がきたら引き戻される。お前は、確かに、この世界の人間であるはずだ。」

「私には、この世界で生きた記憶がありません。叡智の書がこちらから人を送り込んで引き戻すことができるならば、もともと向こうの世界の人間を引き寄せることもできるのではないですか。」

「その可能性は考えてもみなかった。その可能性と同様に、コンプリーターというものが、こちらの記憶を一度封じて界を渡る可能性もある。」


異世界に渡る時のコンプリーターの状態について少し調べる必要があるな。


そう、ベルソルトは静かにつぶやいた。


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