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ハンゼの港から  作者: tanja
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叡智の書

新たに、ブックマークしてくださった方、ポイントを入れてくださった方、いいねを下さる方々、執筆の励みになります。いつもありがとうございます。ようやく、本業が落ち着いたので、間が空いてしまいましたが、再開できそうです。お待たせしました。

今日は、マーセルに連れられて、メイヤー汽船の専任アルケミスト、ベルソルトのラボに行くところである。


ここに至るまでに、やたらと寄り道をしてきたせいで、もうすでに、お昼時を少し過ぎてしまっている。

マーセルはハンゼで育っただけあり、至る所で知り合いがいる。

彼の人懐こい性格も相まって良く声をかけられるのだ。


特に、同年代の知り合いが少ない私にとって、彼の友人を紹介してもらえるのはありがたいことだった。


ハンゼの街の西のハズレには、黒い森が広がっている。

そこをマーセルはずんずんと進んでいく。


「この森は特別に危険だったりする?」

「いや、特にこれと言って特別なことはないな。野生動物はもちろんいるが、道の近くには近づいてこない。」


マーセルの言葉に私はガックリと肩を落とした。

黒い森は、木々の葉がなぜか黒いだけで、どうやらごく普通の森であるようだ。残念ながら、魔獣や、食人植物などのファンタジー要素は見当たらない。



でも、今日は錬金術師に会うのだから!


私は、日頃不足しているファンタジー成分に関しては、そこに望みをかけることにした。


ベルソルトの住処は、その森の中の一本道を進んだところに唐突に現れた。

煉瓦造りの塔のような建物で、天高く伸びている。

ところどころに、フジツボのような非常に奇抜な装飾が施されており、どのようにして建設されたのか、気になるところだ。


ドアには、人の手がリンゴのような果実を握っている、なんともセンスを疑うドアノッカーがついている。

マーセルは、その少し気味の悪い手をむんずと掴み、リンゴ(仮)の部分で、ドアを勢いよく殴打した。


「ベルソルトー、ドアを開けてくれ。」


ドアの前でしばらく待っていると、唐突にドアが開いた。


目の前には、なんだかわからないシミがそこここについた白衣を纏う浮世離れした美貌の男性が立っていた。

シルバーの腰まで届く髪は、サラサラと肩からこぼれ落ちる様がまるで絹糸のよう。その発光する赤い瞳はまるでガーネットだ。

血の通わない、生を感じないその美貌には、一周回って恐怖感を覚える人もいるだろう。



メイヤー汽船の再建のためには、硝石を火薬以外に加工して売り出さなければならない。そのため、錬金術で具体的に何ができるのか教えてほしい。


私がそう説明すると、ベルソルトは一つ頷き、塔の中へと戻っていく。


「マーセルは先に帰っていて!」


私は慌てて、ベルソルトの後を追った。




本日、外は珍しいくらいのからりとした晴天である。


それなのに、塔の中は……


ひんやりとして、薄暗く、ジメジメしている。そして、外観からはわからなかったが、意外に広いのだ。

壁からは、にょきり、と石板のようなものが、等間隔で生えていて、階段の役割をしているらしい。

ベルソルトは、その石板沿いに、ぐるぐると塔を登っていく。

石板の下は何にも支えられておらず、強度が十分であるのか少々不安ではあるが、そんなこと言っていられない。私は恐る恐る、その石板の上に足を乗せた。




ベルソルトに導かれ、私は塔の中腹あたりの部屋にたどり着いた。


室内には実験用の器具や薬品が雑多に置かれた棚と、作業用の机、椅子が何脚か。

そして、そこら中に散らばる紙や書物。


ガラス製の器具などは、日本にいた時と変わらないものがこの世界にも存在しているらしい。



「精製、分析、合成。」


それが、アルケミストの三技能だとベルソルトは言う。


徐に、机の上に置かれた皿の上に、瓶の中の薬品を少し、匙で掬い取る。そして、これまた机の上に無造作に転がっていたカリーチェを、皿の上で握る。


その瞬間に空気が一瞬震えた。


ベルソルトに握られたカリーチェは、サラサラと白粉になり、皿の上の粉に降り積もる。

皿がキラキラと光った。


「えっ」


皿の上の粉末が、明らかに変化していた。

無数の氷柱のような形状の結晶が皿の上に乗っている。


「ザールペトラ。火薬の原料だ。」


ザールペトラ……


ペトラの塩…………



なるほど。硝酸カリウムのことか。私は手を打った。


「カリーチェを精製して、お皿の上の粉と合成した、という理解であっていますか……?」


私の問いに、ベルソルトはこくりと頷く。


つまり、この世界の錬金術師は、原材料さえあれば、自由自在に、特定の物質のみを抽出し、一瞬のうちに化学合成ができるわけだ。


私は、その価値に震えた。


「分析というのは、なんでも分析できるのですか。」


「この世界の叡智は、虫食い状態の書物。ところどころ欠落している。その管理を担い、欠落を一つ一つ埋めて、世界を完成させる存在がアルケミストだ。」


鈍く光る赤い瞳がひたりと私を見つめる。

私は、その言葉にわかりやすく動揺した。


ベルソルトは、今、なんていった…………?


この世界、といった。もしや、異世界の存在を知っているのか。


いいや、まさか、とかぶりを振り、そんな都合の良い考えを打ち消す。


私は、ベルソルトに話の先を促した。


「お前は、コンプリーター、叡智の補完者だろう。」


最近随分と伸びてきた私の髪の一房を、ベルソルトが手に掬い取る。

少し痛んだ黒髪が一瞬煌めいた。


「やはり。」


ベルソルトはつぶやいた。


「分析、ですか?」

「アルケミストは叡智の書、この世界に存在する知識の全てを統べる書を、分析によって、引用することができる。しかし、叡智の書から欠落したものは、引用できない。」

「それは、物質として存在していても、それが何かはわからない、ということですか。」

「そうだ。お前の髪、毛先だけが分析不能だ。」


私は、はっと息をのんだ。


そう、それはきっと、私が異世界から来たから。


ベルソルトは、この世界以外の世界が存在することを知っている。

そして、私がこの世界の異物であることも。


私はようやく得た、自分がここにいるワケを知ることができるかもしれない予感に、武者震いした。



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