ダンとアヒム
いつもいいねをくださる方々、執筆の励みになっています。ありがとうございます!実は前回、致命的な誤りがあり、訂正しました。初版ではヨナスを一等航海士と記載しましたが、正しくは二等航海士です。もし、混乱なさった読者様がいらっしゃりましたら、誠に申し訳ありませんでした。
「集計が終わりました。」
ハンスがメイヤー氏に結果を耳打ちする。予想通りの結果であったのだろう。二人とも動揺は見受けられない。
「キャプテンバールの結果、約一名をのぞき、全員が、ダン・ミュラーをキャプテンとして推挙した。ダン・ミュラー前へ。」
ダンは戸惑っている様子だ。なかなか前へと出ようとしない。そんなダンの背中を周囲の船員たちが押す。
「ダン・ミュラー、船員達はお前をキャプテンとして推挙している。」
「お、俺にはそんな資格はありません……」
「ダン・ミュラー、キャプテンバールの掟は知っているだろう?」
「そ、それは……」
いまだに覚悟が決まらない様子のダンをみて、メイヤー氏が追い討ちをかけた。
実は、キャプテンバールという制度が廃れていったのは、この掟のせいだと言っても過言ではない。
キャプテンバールにおいて、船員は船長を選ぶ権利を持つが、これは、自分の推挙した人物が船長になれなかった場合には、船に乗らないと宣言することと同義である。
そのため、キャプテンバールで、自分が推挙した人物が船長にならず、船から去る場合には、その人物を推挙した船員たちは皆、職を辞することになる。
現実には、こんなことを商船で許していては、人員の確保がままならないため、キャプテンバールという慣習は徐々に衰退していったそうだ。しかし今回、私たちはダンを引き止めるために、この掟を利用することにしたのだ。
これは元々、マーセルが言っていた「船乗りは心底心酔したキャプテンについていく」という言葉に、着想を得た作戦だ。
初め、私が思いついたのは、船長を船員の投票で決定するという点だけだった。それだけだと、少し弱いかも知れないと思っていたところに、ハンスがキャプテンバールという古い慣習とその掟について教えてくれたのが大いに役だった。
そして予想通り、ダン以外の全員がダンをキャプテンに推挙した。そのため、もしここで、ダンがキャプテンにならず船を去ることになれば、船員たちは皆、ダンについていくことになる。すなわち失業だ。
「後ろを振りかえって、船員達の顔を見てみろ。それでも、お前は、ここを去ることを選ぶのか。」
メイヤー氏に促され、ダンは後ろを振り向いた。
船員達は真剣な眼差しで、ダンを見つめている。
誰も、口を開かない。
皆、ダンを心から信頼しているのがわかる顔をしている。
船員全員の視線を受けためたダンはハッと息を詰めた。
そして、その瞬間、ダンの背中から受ける印象が様変わりした。
とうとうダンは、こちらに振り向き姿勢を正す。
覚悟の決まった顔で、メイヤー氏とぐっと視線を合わせた。そして、船員全員の信頼を背負い宣言する。
「ブルームーン号のキャプテンを、精一杯、務めさせていただきます。」
先ほどまでとはまるで別人だ。
「ブルームーン号のキャプテンとして、ダン・ミュラーを任命する。」
メイヤー氏によるキャプテンの認可に、わっ、と船員一同が湧き立った。
「さて、今回のキャプテンバールでは、もう一名、候補に上がったものがいる。」
メイヤー氏のその言葉に、再び場が静まり返った。
「アヒム・アルニム、前へ。」
「へっ。俺?」
まさか自分の名前が呼ばれるとは思いもしなかったのだろう。後方に居たアヒムが、あたふたと前へでた。
アヒムさんは、確か機関士だったはずだ。
おそらく、ダンがアヒムを推挙したのだろう。
私は少し意外に思った。
アヒムさんは、とても気さくで気遣いのできる人だ。灰色の髪に灰色の瞳をしたアヒムさんは、船乗りにしては珍しく眼鏡をかけている。
前回の訪問時には、私が船員たちの輪に入れるように積極的に話しかけ、ラプカについて質問してくれた。
だが、みんなをぐいぐい引っ張るリーダーというよりかは、どちらかというと優し気な人で、ともすると気弱そうにすら見える。
そして、まだまだ帆船が主流のこの世界では、機関士の地位というのはあまり高くない。
「ダン、推挙理由を。」
「はい。アヒム・アルニムはこの船の唯一の機関士です。白い貴婦人では、緊急時の補助的役割という意味で蒸気機関の活躍は限定的ではありましたが、その事実に卑屈にならず、もしもの時のために、完璧にメンテナンスをし続けてくれました。そして、アヒムは、船と船員の全てを把握するために、努力を怠りません。船や船員に不調があった場合、アヒムは決して見逃しません。アヒムなら、船長も務まると思い、推挙しました。」
その言葉に、メイヤー氏は顎に手を当てた。値踏みするようにじっとアヒムのことを見つめている。
「ふむ。今回、ブルームーン号には、機関部を新設することが決まっている。船長の推薦もあることだしアヒム・アルニムを機関長に任命しようと思うが、異論があるものはいるか。」
船員たちは、みな首を振っている。どうやら、誰も異論はないらしい。
アヒムだけが、突然のことにポカンとしている。
「アヒム・アルニム、本日をもって、ブルームーン号機関長に任命する。」
「……。」
口を開いたまま、いまだ放心状態で返答できずにいるアヒムを見かねて、ダンがアヒムの背中をバシンっと叩いた。
「つ、謹んでお受けいたします。」
こうして、この瞬間、この世界初の機関長がぬるりと誕生した。




