雨と運命
しとしとと雨が降っている。いつまでも続く雨音に日本の梅雨を思い出す。
帝国では秋から冬に向かう時期に雨が降る。
日本にいた時、梅雨の雨は、どことこなく夏を閉じ込めて運んできているような、ジメジメと生ぬるい感じが鬱陶しいと思っていた。
しかし、帝国の秋雨はどこまでも冷たく、日本の温かな雨を懐かしく感じるのだから、人間っていうのは調子がいいもんだ。
ナイターハウス内の狭い螺旋階段をくるくると上がりながら、職場の税関窓口を目指す。
ナイターハウスはハンゼにおける国際交易拠点だ。
税関窓口のみならず、ハンゼと世界中の港をつなぐ船を所有する商会や地元の有力商会および商業組合が入居している。
ナイターハウスに入居している商会は、税制面で特に優遇され、より自由な貿易が保証される。
だから、ナイターハウスに入居していることは一種のステータスなのだ。
そして、それらの特権と引き換えに、ハンゼの貿易の振興及び、港湾倉庫街の管理、また、商業組合に所属する商会が帝国貴族や帝国そのものから圧力を受けた場合に保護する義務を共同で請け負うことになる。
不幸にも、税関窓口はナイターハウスの最上階にある。
そのため、商会と税関窓口間で書類をやり取りするために、誰かが何度も階段を上り下りする羽目になる。
本日何度目になるかわからない階段を登り、ひっそりとため息をつく。
エレベーターが欲しいと切実に思う。
電卓も、ましてやコンピューターもないこの世界では、税の計算はもちろん全て手作業だ。
そんな世界に来てしまったことを恨めしく思いつつも、比較的早く、そこそこ正確に計算ができるというだけで、税関窓口の手伝いとして職を得られたことは非常に幸運なことだったとも思う。
それにしても、科学もなければ魔法もない異世界に、私はなぜ突然来てしまったのだろうか。不便で仕方がない。
やっとの事で、階段を登りきり、税官室に入室すると奥の室長室に直行する。
「室長、書類を回収してきました。入室してもよろしいでしょうか。」
「ああ。入ってくれ。いつも通り、書類はそこに置いておいてくれ。」
「かしこまりました。」
ドアを開けると、珍しく来客があるようだった。
来客用のソファーがドアの方を向いているために、室長の背中越しに、こちらを見た青灰の瞳とバッチリ目があってしまった。
そこに居たのは昨日、でくわした美丈夫だった。
なんとなく、嫌な予感がする。
「おや。室長、新人ですか。」
「ああ、彼はアンディ。見ての通り、異国出身だが、なかなかの掘り出し物でね。計算も早くて正確だし、真面目によく働くから重宝している。」
「ほう…、そうですか。」
こちらを吟味するように、ゆっくりと上から下へと視線が動く。そうして、何か得心したかのように、小さく頷くのが見えた。
「丁度いい。それでは、今回の件、「彼」に任せることにしても良いですか。」
来客はこちらにちらりと視線をよこして、ニッコリと妙にキラキラしい笑みを作った。
「えっ。」
唐突に、自分は何かに巻き込まれるようだと理解した。
「ああ。ああ、そうだな。それが良いかもしれん。いつまでも、手伝いのままでは不憫だと思っていたんだ。アンディ、こちらに来なさい。」
「あっ、あの、室長、こちらの方は…」
「こちらは、つい先日、先代よりメイヤー汽船の代表を引き継いだ、メイヤー氏だ。私と先代は帝国学校の学友でね。彼のことは子供の時から知っている。どうも、先代からの引き継ぎの際に、人事を一新することにしたらしい。人手不足だということで、誰か使えそうな人材がいないか相談されていたんだ。税関は帝国の機関だから、いつまでたっても、異国人の君のことを正式に雇うことは難しい。君の働きぶりを見て、いつまでも手伝いとしておいておくのは惜しいと思っていたんだ。丁度いい。これを機に、メイヤー汽船に籍を移したらどうかな。」
「というわけだ。うちで、働いてくれるかな。給料はそうだな、今までの倍だそう。」
ニコニコと笑う室長はもう私を受け渡す気満々のように見える。
あ、これ、断れないやつだ。しょうがない、そう腹を括った。
「謹んでお受けいたします。」
私はため息を飲み込んで、頭を下げた。こうして、私の運命は再び動き出したのである。