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ハンゼの港から  作者: tanja
12/31

クマさんは悪くない

思っていたよりもたくさんの方に読んでいただけている上に、「いいね」などで応援していただけていることに毎回感謝の気持ちでいっぱいです!ありがとうございます。

遠くで船の汽笛が、低く深く、鳴り響く。

灰色で重たい曇り空は、もうすぐ冷たい雨が降ることを予感させるものだ。



今日、我々は、港に程近いメイヤー汽船の営業所を訪れていた。


ここは元々、先代が船長として船に乗っていた時代に、陸上に家を持たず、居場所を持たない船員たちの寝場所を確保するためにわざわざ建てられた建物らしい。そのため、営業所というよりも従業員寮と言った風情だ。


かなり広い敷地に建てられた2階建ての木造建築で、決して華美ではないが、外壁は航海の無事を祈る意味があるという木彫り紋様で縁取られ、実用的で味がある。

その1階のいくつかの部屋は、管理事務室、会議室、共同の食堂、そして資材保管庫として使われており、2階にはベッドが備え付けられた船員の個室が並んでいるらしい。


玄関で出迎えてくれたガタイの良い男性に促され、食堂の椅子に腰をかける。

ここにある椅子や机は、質素な木製のものだが、長く大切に使い込まれているのがわかる。


「若様、こんなところで、しかも、何もお出しできず申し訳ありません。なにぶん、客人を迎えることがないものですから。」


そう言って、一礼すると、男性は我々の向かいに腰をかけた。


「すまない、あなたは……」

「若様と私がお会いしたのは随分前のことですから、お忘れになっていても無理はありません。当時は甲板の掃除を任されていました、ダンです。若様、お久しぶりです。よく、ハンゼに戻ってきてくださいました。」

「ダンだと!もしかして、人参のダンか……?」


ダンの瞳は夜の海のように静謐な濃紺だ。錆色の髪や髭はぼうぼうで、体格が良いから、まるでクマのように見える。そんな一見、厳めしい印象を与えるダンだが、メイヤー氏の言葉で、その夜の海の瞳が嬉しそうに和らいだ。


「ええ、ええ。覚えていてくださったのですね。」


久々の再会に二人の間には、あたたかな空気が流れている。

しかし、その空気を断ち切ってしまうのは申し訳ないが、私はつっこまずにはいられなかった。


「あの、人参というのは……」


「ああ。ダンは人参が好物でね。どれくらい好きかというと、昔、航海に出る時に、キャプテンに隠れて人参を船にしこたま積みこんだらしい。案の定、航海中に腐らせて、悪臭がひどいものだから捨てろと命令されたにも関わらず、捨てるぐらいなら、と、その腐った人参を食べて死にかけたと、先代がしきりにぼやいていた。子供の頃、俺が先代にくっついて船に遊びに行くたびに、人参をくれたんだ。その人参がどこから出てくるのか、いつも不思議に思っていたものだ。」


昔の光景が思い出されたのか、メイヤー氏はくすり、と笑みをこぼした。



「な、なるほど。」



クマなのに、人参……

どうやら、メイヤー汽船のクマさんは草食系らしい。



「今は、チーフオフィサーとして、キャプテンの留守中の船を預かっています。あの頃のように、外洋航海に生の人参を積み込むような無謀なことはしなくなりました。」



今は人参よりも、キャプテンに託された船員達を守ることが俺の使命ですから。



そう言って、ダンは居住まいを正した。そして、こう切り出したのだ。



「今日は若様に謝罪しなくてはならないことがあります。」


そのただならぬ様子に、私とメイヤー氏は顔を見合わせる。


「もう、硝石の需要が落ち込んでいることを知りながらも、戦後も同じペースでカリーチェの輸送を継続したのは俺の判断です。大変申し訳ありませんでした。」


ダンはテーブルに額がつきそうなほど、深く頭を下げた。


「俺の身はどうなっても構いません。ただ、船員たちのことだけは、どうか、雇用を継続していただけないでしょうか。」


ダンの唐突な告白に、メイヤー氏は顎に手をあて考え込んでいる様子だ。

少し寒い食堂に、重苦しい静寂が満ちる。私は、メイヤー氏が口を開くのを待った。


しかし、その静寂は長くは続かなかった。



バンっ!



ものすごい音と共に、乱暴に食堂のドアが開かれる。

そして食堂に飛び込んできたのは、まだ10代後半であろうと思われる若い青年だった。



「チョッサーは悪くないんです!」


青年は船乗りらしく、日に焼けた肌をしており、海風の影響か髪は少しパサっとしている。

それよりも、私の目についたのは、体力勝負の職についている割には体の線が細く、「海の男」のイメージとはかけ離れた体躯であった。何かがおかしい。私の直感が警鐘を鳴らした。


「マーセル!」


ダンは椅子から立ち上がると、今にもメイヤー氏に飛びつきそうな様子の青年を制した。


「チョッサー!俺……!」

「若様、マーセルがご無礼をいたしました。申し訳ありません。」


ダンはマーセルの頭を、がしりと、鷲掴みにして無理やり頭を下げさせる。そして、自分も再び頭を深々と下げた。


「ダン、頭を上げてくれ。とりあえず、詳しい話を聞かせてくれないか。あと、アンディ、君はマーセルの方を頼む。」

「かしこまりました。」


メイヤー氏に、後は任せてくれと視線で合図する。


「ちょっと待ってくれよ……!」


マーセルは、まだメイヤー氏に何か言いたそうな様子だが、私は、彼の背中を押して無理やり食堂から連れ出した。




今までのやり取りでもわかるように、ダンは非常に責任感が強く、おそらく相当の頑固者だ。彼はすでに、自分一人でこの件の責任を負うと決めてしまっている。あの調子では、彼から大したことは聞き出せないだろう。


でも、それでは困る。


だから、実態を把握するために、マーセルから情報を引き出す必要があるとメイヤー氏は判断したのだ。


聞き取り役は、マーセルを身構えさせてしまうメイヤー氏よりも、私の方が都合が良いのだろう。これはそういう差配だった。


「マーセル様、お話をしながら、色々建物内を案内してくれませんか。」


「ああ。だけど、さして見るものなんかないぞ。あと俺のことはマーセルでいい。様付けなんて気持ちが悪い。それに、言葉も崩してくれないか。俺は丁寧な言葉は苦手なんだ。こっちだ。ついてきてくれ。」


まだ、追い出されたことに納得はいっていないのだろうが、基本的に気の良い人間なのだろう、マーセルは頭を掻きながらも、私のことを邪険にする様子もなく、案内してくれるようだ。


「それじゃ、遠慮なく。私のことはアンディと気軽に呼んでくださいね。そうそう、マーセル、ちょっと気になったんだけど、ダン様のことチョッサーって呼んでいたよね。それってダン様のあだ名?ちょっと可愛いね。」


「ぷっ。あだ名って。そんなわけないだろう。船乗りの間では、チーフオフィサーのことをチョッサーっていうんだよ。ほら、今は航海を終えたばかりで何も無いが、ここは、航海に出る際の食料や生活必需品を保管するための資材保管庫だ。」


マーセルに促され、保管庫の中に入る。しかし、保管庫という割に、10畳ほどの広さの部屋は見事に空っぽだった。


「本当に何もないね。」


私は驚きで、目を丸くした。しかし、マーセルは至って冷静だ。


「ああ。キャプテンがいなくなってから、航海中の必要最低限の食料を買うだけの金しか支給されなくなったからな。だから、食料以外には手が回らなくて……」


私は絶句した。そして、瞬時に起きていたことを察し、怒りが込み上げていた。


最悪の予想が私の頭をよぎる。



マーセルはあまりに細いのだ。まるで何日も満足に食べられていないかのように。



「ねぇ、マーセル。毎日、ご飯は食べてる?」

「今は航海中じゃないから……金は節約しないと。航海中は食べられるから、今は我慢しているんだ。」


「なんでそんなことに……まさか、マーセルは賭博とか酒とかに金を溶かしてるの?」


そんなわけはないことは知りつつ、核心に迫るために、話を促す。


「バッカッ。そんな余裕あるわけないだろう。陸にいる間の給料が払われないんだ………。それに関しては、本店の奴らに何度もチョッサーが掛け合ってくれたんだけど、陸上で仕事をしない俺たちに金を払う義務はないって、相手にもしてもらえなくて。航海中の給金っていうのは、基本的に生活費が天引きされるから、手元に多くは残らない。陸にいればいるほど、俺たちの生活は苦しくなって、ついには食うにも困るようになる。だから、チョッサーは俺たちが飢える前にいつも航海に連れ出してくれて……。」


マーセルは俯いて拳を握りしめている。


重大な事実の発覚に、私は額に手を当てた。



航海支度金及び、船員に払われるべき諸々の手当と運搬報酬に手をつけた、とんでもないロクでなしがいる。



私はそう確信した。


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