表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
  作者: フライ・ド・オリオン
出会い
2/3

【1】




「はー雨降るなんて聞いてない。傘なんて持ってきて無いぜ」

「しずくちゃーん、これ持っていっていいわよ」

「ああ、ありがとうございます…って言うか店長、ちゃん付けはやめてくださいよっていっつも」

「傘はグローバルシェアなのよ」

「…俺の話少しは聞いてくれません?つーか客の忘れ物を店長自らグローバルシェアって…」

「しずくちゃんは明日ってシフト入ってたっけ?」

「いや、休みですけど」

「あらそう、たまにはゆっくり休むのよ〜勤勉勤労学生!」

「はぁ、どうも。じゃあお先に失礼します」

「はぁい、おつかれさまね!」


 日本の五月の天気は、どうしてこうも変わりやすいのだろうか。気温は暑いかと思えば翌日には冷えたり、雨は降り出すと梅雨前だと言うのにじめじめと長く降ったり。この時期の天気予報は五割当たらない。もっぱら眺めるのは直近一時間前後の雨雲情報を知らせるアプリだけで充分であり、予報は見るだけ時間の無駄である。

 殿巻しずく。二十歳。至って普通の都内の大学に在籍。勤勉かと問われたら答えは否。しかし適当に流している訳でも無いので成績は平々凡々としている。可もなく不可も無く。以上も以下も無い、並だ。卒業後はおそらく、ごくごく一般的な会社に就職して、それなりに充実した毎日を忙しなく送るのではないだろうか。

 大学で出来た新しい友人関係も良好で、二年になった今も、初めての講義で肩を並べた彼らとよく連んでいる。

 彼女はいない。しばらく作る気も無い。

 きっとまた同じ理由で振られるのが分かりきっているからと言うのもあるが、現在、ひと月ほど前に新しく我が家に来た手のかかる姫の面倒で手一杯なのだ。振られる前提で付き合う彼女に割く時間など無い。

「ただいま、姫、生きてるか?」

 地上三階、ダイニングキッチンから続く六畳一間が二つ並ぶうちの一つの扉を開け、愛しの水槽の前に立つ。

「ああ良かった、なあそろそろ飯食わないか?もう一ヶ月も拒食して…どうした、何がストレスなんだ。温度も適正、シェルターも置いた。水はちゃんと飲んでるな、えらいぜ。……にしても冷凍マウスもだめ、うずらもひよこもダメとなるとな…生き餌は心が痛むから苦手なんだけど、もうそうも言ってられないか…」

 岩を模したシェルターの隙間からほんの少しだけ覗く美しい肌をじっと眺めてから、水槽から離れてキッチンに向かう。今日も彼女が食事をしてくれる事を祈りながら冷凍庫から凍ったマウスを取り出し、ケトルに水を入れて湯を沸かす。

 解凍用のケースに数匹ころころと入れて、少し水を張ってから、お湯が湧くまでの間他の子達の様子を見に部屋へと戻り、一つ一つ水槽を確認する。

「皆は問題無さそうだな。良かった良かった」

 姫以外の彼彼女らはいつも通り、通常運転。むしろ元気過ぎて水槽の中が荒れている子さえいて、元気なことは良い事だと頬が緩む。

「王子、お前の元気と食欲、姫に分けてやってくれ」

 後程部屋掃除が確定している元気な王子を見詰めていると、なあに?ごはん?とでも言うような目をこちらに向けて来る。

「ちゃんと今日はお前のご飯もあるから安心しろ」

 パチン、とキッチンでケトルのスイッチが戻った音がする。

「……」

 王子から離れて、もう一度姫の水槽の前にしゃがんで覗き込み、顔を探してみるがどうにも見えない。完全に拒絶されているような寂しさを感じて、思わずため息がこぼれ落ちた。

「……お前と言葉が通じればな」

 殿巻しずく。二十歳、大学生。

 趣味は、爬虫類の飼育観察。



「はぁ…今日も雨なんて聞いてない」

「しずくちゃん、折り畳み傘ってのが世の中にはあって」

「店長、グローバルシェアアンブレラは今日はないんですか」

「無いわよ、こないだアナタが一本持って帰って、他の子達にも渡して、アタシも使ったから」

「店長も折り畳み傘持ってないんじゃないですか」

 もうこれは梅雨入りしてるのではないかと疑いたくなる。五月上旬のくせしてどれだけ降るんだ。最近は桜も前乗り気味であるし、流行っているのか?仲良く揃って前乗り前線してるんじゃない。全然面白くない。

「家近いんで、走って帰りますよ」

「別に止むまで居てもいいのよ?」

「ありがとうございます、でもうちの子達の世話もしたいんで、失礼します」

「あらそう?風邪引かないでね」

「もう五月ですよ?ちょっとくらい濡れたって大丈夫ですって。それにこの程度の雨ならそんなに濡れないと思うし」

 なんて言って店を飛び出したことを三分後には後悔していた。雨なんて優しいものではない。滝だ、滝。ここは滝壺か?誰だ頭上でこんなピンポイントでバケツをひっくり返したのは。と悪態ついた所で既に下着まで絞れるくらいにびしょ濡れだ。

 走るのを止め、張り付いて邪魔な前髪を後ろへ撫で付けて空を見上げる。

「…どっから湧いて来たんだ、この雲」

 いつの間にやら発達した黒々とした渦のような雲が、今にも雷でも落とさんばかりにみるみる膨れ上がっていてとても気味が悪い。

 言ったそばからバリバリゴロゴロと唸り始め、蒼い稲光が雲に纏わりつくように駆け巡った。

「ゲリラ豪雨、お前が来るにはちょっとまだ早過ぎるだろ」

 強まる風と雨と雷に流石にこれはと再び走り出そうとしたその瞬間。

 強烈な閃光が目を襲った。続いてあまりにも近すぎる爆音、爆風。なんとか破れず持ち堪えてくれた鼓膜だが、酷い耳鳴りを起こしている。

 煩かった雨の音は耳鳴りのせいで少し遠ざかり、水が蒸発したのか盛大に白い煙が上がっている道路から一歩二歩と後ろに下がる。ばくばくと心臓が激しく脈打っていて、息が上がった。

「……あ、ぶな…」

 後数秒早く走り始めていたら百パーセント雷に打たれていた。ゾッとして背筋が震える。危機一髪どころの騒ぎじゃない。正に九死に一生の運を使ったと言ってもいい。明日からとんでもなく運に見放されたとしても、それはそれで納得してしまいそうな位、それくらい、雷は目前に落ちた。

 白煙が降り続ける雨と風で打ち落とされ流れて、ようやく少し視界が晴れて見えるようになった地面の上、大きな落雷で焦げた黒い痕の中心に何か小さな影が蹲っているのが分かって硬直した。なんだこれは、猫か、犬か、たぬきか。それとも…。

「まさか…こ、子供…?」

いや、もし子供だったとしたら、いくら雨が降っているからと言えど目の前にいて気付かないなんて事があるだろうか。有り得ない、そこまで耄碌していないはずだ。となるとやはり、動物だろうか。それこそ猫なら、不意に隙間から飛び出して来る事も多いにある。

 おそるおそる近付き覗き込んだ先の答えは、到底辿り着くはずのない姿をした生物かも疑わしい何かだった。

「………は?……なんだこれ…おもちゃ…か?」

 転がっていたのは、とても良く出来た五十センチ程度のドラゴンの縫いぐるみ、あるいは可動型の模型だろうか。煤のような黒で汚れているが、元は白銀系の鱗だろう。鱗か、スパンコールかは判断しかねる。

 ぐったりと寝そべる姿は、どうにも模型と断定するには些か柔らか過ぎるように見えるのに、縫いぐるみとも言い難い。よくよく観察すれば縫い目はどこにも発見出来ないし、そもそも縫いぐるみだったら雷で燃えてもおかしくない。ちょっと考えれば分かることだと言うのに、気が動転し過ぎて思考はすっかり散乱していた。

「……何で出来ているんだ、これ」

 そろそろと手を伸ばし、謎の物体で出来たドラゴンに指先で触れようとした時、前足と胸部がひくりと僅かに動いた。

「いッ…!?!?」

 腰が抜け、ばしゃりとその場に尻餅を付く。

 一度動き出したドラゴンの胸は、規則的に膨らみ、縮む。まるで、息をしているかのように。

「な、なッなんだ、…何で、動いて…」

 震える腕を叩き、今一度、手をドラゴンの鼻先へと近付けた。

「……」

 弱々しい鼻息が、指にかかる。


 ばしゃばしゃと水を踏み、全速力で家を目指す。跳ね上がる泥も、抱えた事で汚れた服も何もかも、何もかもがどうでも良い。早く、早く早く。一刻も早くこの稀有な命を救わなければならないと、頭はそれで埋め尽くされていた。

 漫画やゲーム、映像作品でしか終ぞその姿を見る事は叶わない架空の生物。大概そこで描かれる彼らはこの地球上での進化の過程ではまず有り得る筈のない骨格と大きな翼を持ち、現存する爬虫類よりも硬く発達した頑丈な鱗を全身に纏っている。尾は長く、胴と同じくらいの長さで描写される事も少なくない。角はあったり無かったりするが個人的にはある方が好きだ。

 そうして口から顎からはみ出る肉食を思わす強靭な牙、岩をも砕きそうな鋭利な爪。

 そんなまさしく思い描いたようなドラゴンの姿が、今自身の腕の中にある。息をしている。生きている。

 いないはずの生き物が何故いるのか、実は雷に打たれたのは自分で、死にかけの中夢でも見ているのではないか。だがそれにしては雨はこれでもかと身体を濡らすし、腕に抱えるドラゴンは見た目の割にかなり重く、十キロ以上は優にあるように感じる。家は着実に近付いているし、信号は待たねば渡れない。

 人はすれ違いざま傘もささずに何かを抱えて全力疾走する一人の男に興味深げに視線を送っている。

 これが夢だと言うのなら、些かリアリティがすぎやしないか。



「にしても本当に…ドラゴンが存在するなんて……」

 小さなドラゴンは未だ目覚める気配は無いものの、比較的穏やかな呼吸を繰り返しており少しばかり安心した。

 あれから帰宅してすぐに浴室へと運び、そこで温タオルと洗面器を駆使して汚れを落としてみれば、それはそれは美しい白銀の鱗が姿を現した。爬虫類達のアルビノとは違い、透明感があるのに裏側が透けている訳ではないと言うのがなんとも不思議で、最早この世の物とは思えないそれだった。

 どこもかしこも傷んだ部分はなく、鱗一つとして落ちていない。つまりは怪我の一つも無いと言う事である。雷に打たれても無傷だなんて、流石ドラゴンとしか言いようが無い。

 骨が折れていないかも確かめられる限り確かめてみたが、別段おかしく曲がっているようにも、関節が外れているようにも感じなかった。とはいえ初めて触れた生き物である。どこまでが爬虫類の知識で補えるかなど分からないのだが。

 しかしこうしてタオルに埋もれてすー、すーと寝息を立てている姿は爬虫類と言うよりかは小型の哺乳類に近いように見える。

「ドラゴンって、本当に火を吐くのだろうか。今更だけど、起き抜けで家燃やされたりしないよな…?」

 一抹の不安が過ぎるが、だからと言って外に放り出すなんて考えられない。

「まぁ、起きるまで見張ってればいいか」

 とりあえず今すぐには起きそうもない。珈琲でも淹れてこよう、とドラゴンから離れ、寝室を後にした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ