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  作者: フライ・ド・オリオン
出会い
1/3

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 「月が綺麗だ」

 空を見上げて、ドラゴンは啼いた。

 轟音と共に崩落を始めた城の天井。降り注いでくる瓦礫と煙の隙間から見えた月は欠けることなく美しく丸く、己の最期の時をどうやら明るく照らしてくれるつもりのようだ。

 こんなにも素敵な満月に看取って貰えるなんて、なんて幸福者だろうか。

 悲しいかな、足一つ動かせない。つい先程まで酷く痛んでいたはずの身体も、もう寒いばかりでその他一切を感じる事はない。

「……死は近づき始めると本当にあっという間に迫ってくるものだな。あぁずっと、縁の遠いモノだと思っていたのに」

 自然と怖くはなかった。いつかは必ず来るものである。死と言うのは。それがたまたま、少し早まってしまっただけの事だ。恐れる事は何も無い。死後、もし天国と地獄が聖書の通り存在しているのなら、己が行くのは間違い無く地獄だろう。敵のものと言えど、沢山の命を奪ってきたのだ。人もエルフも、時には魔王に叛逆した同族も。この手は、この牙は、今更拭いた所で全く拭えない数多の赤に塗れている。

「……あぁ、眠いな。すごく、眠い」

 月を見ようと持ち上げていた首を、ゆっくりゆっくりと瓦礫の上に下ろした。

 瞼が重く、瞬きすら緩慢になる。欠伸をした。肺に酸素が入った気がしない。吐き出せた気もしない。

「主、申し訳ございません。至らぬばかりに命を落とす事を、お許しください」

 ばつん、と唐突に暗闇に落ちた。

 何も見えない。鉛のような瞼だ。ピクリとも動きやしない。

「…ある、じに、ハンロンドに、栄光、あれ」

 抗えない眠気が襲い来る。思考を奪い、蝕むように闇が、深く深くなっていくのを感じた。



 温かい。

 死とは、延々極寒の海に浸される様に冷たいものだと勝手な想像をしていたが、まさかこんな。

 まるで真綿に包まれているかの様な柔らかな熱に安寧すら感じるとは。驚いた。やはり死んでみなくては分からないものだ。

 揺すられるような、僅かな振動も感じる。もしかしてこれは今、地獄へと魂を運ばれている状態なのだろうか。なんて、想像力が我ながら逞しい事だなと笑ってしまう。

 どちらにせよ、死んだ事には変わりない。馬鹿馬鹿しい事を考えるのはやめて成り行きに身を任せようと思考を停止しかけた時だった。

「ガーランド」

 頭の中に聴き間違うはずのない我が主人の御声が響き渡り、反射的にある筈のない身体を起こそうと身じろいだ。実際身じろげてはいない。身体は無い。そんな感覚、と言う話だ。

 ああ、聴きたかった。どうせならこんな己が作り出した妄想の声ではなく、最期に、本物の貴方の御声で名前を呼んでもらいたかった。主、我が魔王。我が父。

「ガーランド」

 再び名前を呼ばれた。

 やめてくれ、もう、やめてくれ。

 貴方に呼ばれていると言うのに、己はもう返事一つ返す事が出来ない。苦しくて、そしてひたすらに悲しくなる。

 だから、呼ばないでと願う。しかし主の呼ぶ声は鳴り止む事無く更に重ねる様にして響く。

「ガーランド」

 身体を揺すられる様な振動が唐突に強くなった。先程からずっと続いているこの振動は一体なんだと言うのだ。


「ガーランド」


 重い重い緞帳が巻き上げられた。

 一気に開かれた視界へと飛び込んでくる青白い月光、瓦礫、そして大きな、大きな影。

 ヒュ、と喉が勝手に鳴る。

 己は死んではいなかったらしい。致命傷は確かに負っていた。保っても幾ばくの命だった筈だがなにを。

 主が、笑っている。

 語ることも無い、主が瀕死の己をそのまま殺さず救ったのだ。この身体を温めていたのは真綿ではなく主の膨大な魔力で、ずっと感じていた微振動は、主が己を起こすために実際にこの身をその手で揺すっていたからだったのだ。なんと言うことだ。

 主の真紅の目がゆるりと弧を描き、笑みを深めて見下ろしてくる。

「ガーランド、随分と御寝坊だな、さて、返さねばならない返事は何回だ?」

「……ッ、ご、五回、です。主…ッ!」

 聞こえていた回数を答えれば、主人は愉快そうに声を出して笑う。

「ははは、残念、不正解。正解は二十八回だ」

「…っ申し訳、ございません」

 ざり、と爪が傷んだ床に引っかかり、音が鳴る。

「ガーランド、おいで」

「えっ…あ…はい、主」

 主が自身の太腿を叩いてそこへ頭を乗せるよう導く。何故急にそんな事をと疑問に思うまま鼻先だけをぽとりと乗せれば、すぐに手が伸びてきて柔らかく撫でられた。

「大きくなったな、ガーランド。昔は私の膝に収まるほどしか無かったのに」

「それはもう百年以上も前の話じゃないですか。いくら成長の遅い真の竜族だって、大人になります」

「そうだな」

「あの……主、お言葉ですがこんな事をしている場合では…」

 主の首を落とそうと奮起する彼奴らがもうすぐそこまで迫っているのは、主だって分かっているだろうに。

 主は、笑っている。己が目覚めてからずっと、主は笑っている。

「ガーランド、何を怖がっている。ハンロンドは、魔族は、そして私は、決して滅されはしない」

「ッ当然です。それに、怖がってなどおりません、心外です。…ですが」

「私は心が広いからな」

「…え?」

「一時、彼らに夢を見させてやろうと思ってな」

 この広間に続く城壁が、激しく吹き飛ぶ。続いていくつかの足音。ひとつ、ふたつ、確実に近づいて来る。

「主ッ!!」

「ガーランド、慌てるな」

「し、しかし!!」

 持ち上げた頭をすぐに引き戻されて、あっという間に主の膝に鼻を縫い付けられてしまう。どうして、主は一体何を考えているのだ。

「お前は寂しがり屋で私が離れるとぐずって大変だったんだ。あやしきれなくてお前が大泣きすると城が揺れた」

「主!!今そんな話をしている場合では」

「ガーランド」

 主から、笑みが消えた。

「ハンロンドに、栄光あれ」

 ゴオ、と空間が捻じ曲がり、どこからとも無く大きな扉が現れる。

「……退却ですね、主、オレに乗ってくださ」

 人差し指がちょん、と鼻先に付けられた。

「ガーランド、愛しい愛しい我が子よ」

「え」

 ぐんッと全身から力が抜けたかと思えば視界がみるみるうちに変わり、気付けば主の腕の中に抱かれていた。

「ああ、懐かしい、なんて可愛い姿だ」

「はっ、な、なッん」

「生きろ」

 嘘だ。





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