序章 第九話 招かれざる来襲者
白髪をこさえた老教師が、抑揚のない声で喋りつづける。
もはや睡眠のための怪音波と言っていい。
そして――
「えー、即ち《ジョブ》というモノは路というべきモノなんですね。この『イグノーテラ』における超常能力は、その根幹たる《モノリス》から供与されています。この《モノリス》というのは『イグノーテラ』の人類史のその起源から存在しています。その至近で祈りを捧げる、厳密には《ジョブ》に就きたいと思考することによって、意識のみをそのスペースに誘います。コレは一定の思考能力を有した生物なら例外なく到達できる場所ですね。逆に一定以上の思考能力を持たない生物は《モノリス》を介して《ジョブ》就くことはおろか、《モノリス》に近づくこともできません。いわゆる『モンスター除け』の効果ですね。『ユニークス』に代表されるような強力なモンスターや、《魅了》などによって精神的に錯乱しているモンスターはこの効果を無視することができますが、そういった例外を除けば、モノリスの近辺はこの『イグノーテラ』における例外的な安息の地ということができるのですね。そしてその《ジョブ》に関しては、そのように祈りを捧げただけで、就くことはできません。皆さんご存知の通り、『実績』と『適性』の二つが必要となってきます。この違いについては皆さん既にお判りでしょう。『実績』が努力。これまでの講習で行ってきた魔術行使や、模擬刀を用いた上での戦闘などの特定行動によって、それに関連した《ジョブ》が開示されます。『適性』が有り体に言えば才能ですね。これ次第では一切の『実績』無しで《ジョブ》が開示されます。こういった生来の才能に加えて自身の【ゼノギフト】に関連する《ジョブ》はあらかじめ開示されていることがあります。【ゼノギフト】による『適性』の拡張ですね」
(((長い……)))
――そう、長いのだ。
少年少女のフラストレーションは限界に達しようとしていた。
彼らがいるのは《モノリス》を内包した建物の目前にした広場である。
《ジョブ》に就くことが許されるのは高等部に入学してから。故に誰もかれも平等に三年間のお預けを喰らっているのだ。
ようやくそのお預けが終了し、【ゼノギフト】とは全く異なるベクトルの力を手にすることができるということができる。
というのに、その直前で講釈を垂れられる。しかも生徒たちにとっては長々と聞かされるこの話の全ては、既に履修済みの内容である。
「《ジョブ》というモノにも、そして『イグノーテラ』では我々自身にも、レベルというモノがあります。皆さんも一度はやったことがあるでしょう。RPGのような、あのレベルです。《ジョブ》においては一部の例外を除けば一律五十レベルまで。我々個々人に存在する、種族レベルというモノに関しては未だに上限は観測されてはいませんが、中には九百以上まで確認されています。そしてこの種族レベルと職業レベルは同様に数値化されていますが、表しているモノは異なります。……そこのサトウさん!」
「……っはい!」
数時間を超える老教師の呼びかけに、夢遊の世界に旅立っていた生徒が現実に引き戻される。
「職業レベルと種族レベルの違いについて答えてください。もっとも一般的な説で構いませんよ」
「え、っと、えー、職業レベルが、その職業の熟練度で、種族レベルが存在としての強度です」
「はい、正解ですね。居眠りをしているには上出来な答えです」
普段なら忍び笑いの一つでも漏れそうな場面だが、この広場に充満している倦怠感の前ではそんなものは影も形もない。
ひたすらに疲労と苛立ちが蔓延している。
かといって抑揚のない喋りがもたらす眠気にその身をゆだねようとすれば、こうして恥をかくことは必至だ。
「この二つのレベルはこのように異なる物を数値化していますが、決して無関係というわけではありません。皆さんはRPGをやったことがありますか? そういったRPGにおいては序盤の敵を何十時間も倒し続けることで、最高レベルまで上げることができます。『イグノーテラ』においては初級のスライムなどですね。適正レベルよりも低いモンスターを倒すと経験値効率が悪くなるという研究結果が出ていますので非常に効率が悪いですが、途方もない根気と膨大な時間があれば、極めて安全に強くなることができます。レベルの向上に伴って『能力値』も向上していくのでしょうから、当然のことでしょう。しかし誰もこのような方法を行うことはしません。『イグノーテラ』に住まい、モンスターとの戦闘が生死に直結しているテラリアンの人々でも同様です。これはなぜでしょうか? イレイアスさん!」
「ひゃいっ!」
「なぜ人々はスライムに代表されるような初級モンスターのみを狩り続けることによって、レベルを上げることをしないのでしょうか。ジョブに絡めてお答えください」
「え、えーと」
言葉に詰まる少年を見かねたアカツキがノートの切れ端に答えを書いて、少年の視界にさりげなく掲げる。
それに気づいた少年がなるべく目線を動かさないようにそのカンペを読み上げる。
「種族レベルには壁が存在しており、その壁を超えるためには一定以上の強敵と戦うこと、もしくは中級職などの上位を獲得する必要があるからです」
「その通りですね。一つ目の壁は種族レベル五十、これは中級職で突破可能です。二つ目は百五十。これは上級職で、三つ目の三百は最上級職に就くことで超えることができます。逆にこういった一定以上の等級の《ジョブ》に就かなければ、どれだけのモンスターを撃破しようともこの壁に阻まれてレベルは上がりません。そして、あなた方の関心の中心であり、時には【災異能力者】を凌駕する性能を発揮する《至天職》に就くことができれば、種族レベル最大最後の壁である五百レベルを超えることができま、おや」
教員の怒涛の長話を遮ったのは、無機質なアナウンスだ。
それも珍しい、『学院都市』内全域に響き渡る全体放送である。全ての『学院』が『統括政府』所属と言えども、利権争いを行うスポンサーによって、かなり厳密に学校ごとの敷地が決められている。
昨日アカツキがいたような繁華街など都市の外縁部に円を描くように存在しており、全ての生徒が出入り可能になっているが、そのほかは学校ごとの学生証が無ければ立ち入ることはできない。
故にこうした全体へのアナウンスが行われるのは、よっぽどの異常事態でしかありえないのだ。
それこそ、都市そのもの存亡の危機に瀕しているかのような。
「何だ? モンスターの大群でも来たのか?」「それよか『ユニークス』だろう。ここでぶっこみゃ、『ユニーク・アワード』獲得、ってなるかもよ」「今の俺らじゃ、『村落壊滅級』でも勝てないでしょ」「うわーこれじゃあ、《ジョブ》獲得も延期かなぁ」
しかし生徒である彼らには緊張感が無い。
当然だ。《探究者》の真の肉体は、世界を隔てた地球に存在している。一世紀以上の歴史の中においても、その壁を超えることができる攻撃など存在していない。
まして彼らは正規品の『幽体投射装置』を使用している。セーフティの一つとして痛覚が制限されているのだ。傷を負ったとしても痛みを感じないだろう。
「はい、皆さん。こちらに注目してください。今回のような緊急事態においては、冷静にアナウンスを聞いて――『皆さん、初めまして』
災害時の避難訓練でしか使わないような全体放送に、似つかわしくない少女の声が響いた。何より重要事項の連絡に徹すべきこの放送において、『初めまして』の挨拶を行うなど場違いにもほどがある。
「誰かのいたずらか?」「めっちゃいい声~」「こんな事したら停学ですまなくないか?」「いやー、親のカネとコネによるでしょ」「何にせよ、早く《ジョブ》に就きて~」
その声が帯びた幼さのせいか、生徒のほとんどは同じ学生の悪戯だと予想していた。そしてそうではない例外的な者たちは、一言一句聞き逃すまいと聴覚に意識を集中させる。
先ほど言ったように全体放送とは、都市そのもの緊急事態にのみ使用される。そんな重要設備をたかだか悪戯ごときでまんまと使わせるほど、この『学院都市』の教員は迂闊ではない。
そしてその予想は正しかった。
『私は『神権教団』の導主 エイゼリア・オルカーベルトと申します。一般的には教祖と呼ばれる立場にあります。このようにこの場をお借りして、皆さんとお話させていただくのは皆さんにお伝えしなければならないことがあるからです』
少女の名乗りによって、生徒たちの間ににわかに緊張が走る。
『神権教団』とは、平たく言えばテロリストである。
正式名称は、『神より権威を賜りし者たち』。
2030年代から二十年続いた第三次世界大戦の初期、【ゼノギフト】を持つ者と持たない者の生存競争の様相を呈していた時代に生まれたテロリスト集団である。
彼らは【ゼノギフト】を神によって与えられた特権と認識し、持たぬものを差別し、持たぬものを庇う者をも迫害した。
彼らの横暴は、人類の全てが【ゼノギフト】を目覚めたこの時代においても変わらない。
異世界の地球『イグノーテラ』へと河岸を変え、神の名を免罪符に悪逆の限りを尽くしている。
そんな彼らの掲げる教義はシンプルだ。
『権威を持たぬ人類に死を与えることによって、魂を浄化し、権威にふさわしき人間として新生させる』
早い話が無能力者を皆殺しにして、異能力者に生まれ変わってもらおうというとち狂った主張である。
こんなとち狂った思想を掲げておきながら、全盛期においては、世界の過半を敵に回して、互角以上に渡り合った。そして今日においても《探究者》の犯罪を取り締まる『統括政府』直属の治安維持組織である『保安機構』が影も形もつかめていない。
そんな百戦錬磨のテロリストたちが彼らの領域に来たのだ。
「皆さん、落ち着いて行動してください。避難手順に従って、安全な場所で帰還を……「きゃぁっ!」
甲高い悲鳴の出所に、生徒の意識が集中する。
そこでは、土塊でできた人型が無造作に生徒へと掴みかかっている。それも十や二十では利かない数だ。
『その前に少々、私の方からプレゼントをお送りいたします。楽しんでくださいね』
「何と! 一体どこからこんな数の……!」
「先生、交戦許可を!」
「なりません! こんな場所で君たちが戦えば同士討ちになります! 急いで安全な場所への避難を! そこで帰還しなさい!」
[インベントリ]を起点とした空間回路を通った地球への《帰還》は、戦闘中には行えない。これは『イグノーテラ』に住まう全ての生命が、戦闘状態において体内のエネルギーを活性化させ、その活性が《帰還》としての魔力の流れを妨げるからだ。
現身が破壊されることによる《離脱》はいついかなる時にも行われるが、その場合は現身の再構築に最短でも一日以上要する。
そういった要因や、念願の《ジョブ》を目の前にしていきり立った彼らの不満、何より最高峰の『学院』の生徒であるという自負心が、目の前の敵に対して安易な解決法を取らせてしまう。
「行くぞ! ぶっ飛ばせ」
「舐めんなよ!!」
血気盛んな若者たちがその手に【武器】を握り、あるいは四肢を【獣性】で彩る。
土塊の人形たちはゴーレムだ。簡単な魔術人形の一種。さしたる魔力を感じなかった彼らは、それらを雑魚と見なし、遠慮なくその手の凶器を叩きつける。
事実彼らの目の前にあるのが、見た目通りの魔力しか内包していない土塊製のゴーレムであったら、その一撃で砕け散っていただろう。
「なっ」
湿った破砕音が響く。
砕けたのはその敵手ではなく、彼らの手だった。
痛みはないだろう。しかし、何も傷とは痛みやそのダメージで体を傷つけるにとどまらない。傷を負ったという事実こそが心を蝕むのだ。
「うわっ!」
「ひいっ!}
上ずった悲鳴を上げながら後退る彼らの腹部に、土人形が拳を叩き込む――。
――寸前で、二つの掌がその拳を受け止めた。
一つは金属光沢を帯びた漆黒。一つは生命力を纏い仄かに輝く。
「膂力は大したことないな。装甲が固いタイプか?」
「どっちかっていうと《付与魔術》じゃないか。何にせよ見た目通りの倒しやすさってわけじゃ……」
爆音と言って差し支えない破砕音が、アカツキの鼓膜をぶっ叩く。
音源は漆黒の拳を受けて粉みじんになった土人形とその衝撃を受けて凹型にへこんだ建物の壁面だった。
「お前には関係なさそうだな。ていうか【鋭体】の強度は据え置きなのか」
「みたいだな。今まで食ってきた金属の分の強度と鍛えてきた膂力がしっかり乗ってやがる」
その横で土人形を締め技で行動不能にしてから、首を捩じ切って戦闘不能にしたアカツキは立ち上がって、背後を見遣る。
生徒は端的に言ってパニック状態だった。
何せ二人が倒した二体以外にも何十体の土人形が躍りかかっているのだ。
その場にいた生徒は五百人程度であり、数的有利は圧倒的に生徒側にある。しかし彼らは戦いの素人であり、相手は無機質なゴーレム。
生徒たちは逃げ出す者、戦う者で足並みをそろえることができず、烏合の衆へとなり下がる。
いつの間にやらアカツキたちの下に駆け付けていたシャルロットが問うた。
「どうする?」
「もちろん、ぶっ飛ばしに行くよなぁ!」
「いや、避難するに決まってるだろ」
「「え」」
至極当然のように、敵前逃亡をするつもりの少年に、他の二人は呆気にとられるほかなかった。