序章 第六話 来る新天地
透き通るような空があった。
天頂部分に向かうほど青色は濃くなっていって、青空の果てに宇宙があるということは何の偽りでもないということを物語ってくれている。
いつまでも見上げていると、そのまま重力を振り切って逆さまに落ちていってしまうんじゃないかというぐらいに、この青色は果てしなく、美しかった。
居住区画のドームに投影された偽りの青空にも、大気に満ちた汚染物質の曇天にも遮られることのない、晴天。
それを見上げる一人の少年は、ソウヤ・アカツキは異世界『イグノーテラ』に居た。
しかし、あれほど待ち望んだ景色を目の前にして、少年の顔に喜びはなかった。
苦悶に顔を歪めて身をよじる姿は、あたかも火あぶりにされているような痛苦を感じ取っているということが、誰の目にもはっきりと分かるだろう。
いや、事実焼かれているのだ。
陽の光に。
「どうして、こんなっ、ことに……」
息も絶え絶えの様子で、嘆く彼の脳裏に走馬灯のように過去の記憶が駆け抜けた。
□
彼が学院の高等部への再入学を果たしてから一ヶ月。
遂に異世界への自由渡航が少年少女たちに解禁された。
と言っても今、彼らがいるのは『学院』の所有している地球での校舎、その中の講堂である。
この場で行われるのは、基本的な注意事項の確認と、翌日に控えた異世界渡航の日程の確認が行われていた。
アカツキを除く、中等部からの繰り上がり組は既に異世界渡航の経験者である。
それでも彼らが白髪交じりの女性教師、学院内でも相当に厳格である教頭の講義を半ば頭を素通りさせるほどに浮足立っている理由は二つ。
正式な探究者として自由に探索が許可されること。
それに伴って、《ジョブ》への就職が認められることである。
学院の高等部に入った時点で、探究者の卵たちは正式な探究者としての許可証が与えられる。
最初の半年は異世界における基礎知識や基本技術の習得などがある程度優先されるが、それらの認定試験をクリアした者たちには無制限の渡航許可が与えられるのだ。
そうでない最初の半年間も、『学院』が碧球内で所有している校舎の敷地から出ることを許される。
彼らが思い描いた冒険が遂に現実のものとなるのだ。
これで浮足立たない者など、最初からこの『学院』に入ってはいないだろう。
月に一度の身体及び体力検査、学力調査などをクリアしないと一時的に権限が停止されることもあるが、それ以外の制限はほとんどない。
未成年にこれほど自由な裁量を与える教育機関は世界でも統括政府直属の十数校しか存在せず、だからこそかつての少年はこの学院にこだわっていた。
必要量の単位も異世界での功績によって賄うことができるので、最低限の運動と食事のみを地球で済ませて、あとはひたすら異世界での探索に明け暮れる者もいた。
ではそんな《探究者》とイグノーテラの人類に呼称される、地球人類は何のために異世界へと潜るのだろうか?
「では折場さん。答えてください」
「物質を含めた完全な異世界渡航手段を発見し、地球と『イグノーテラ』の交流をさらに活発化させるためです」
「正解です。このことは~~」
もっと直接的に言えば汚れ切った地球を捨てて、異世界に逃げ込むためでもある。
地球内でも宇宙開発などによって新天地を目指そうと考えている者たちも少なからず存在しているが、異世界への避難が主流派である。
そしてそのどちらも、すでに地球そのものには見切りを付けつつある。
何せ人類以外の動植物もまた、およそ全てが絶滅状態にあるからだ。
もとより深刻化していた環境汚染に、『第三次世界大戦』のダメージが重なり、地球の環境はほぼ不可逆的に破壊されてしまった。
残された動植物は北極と南極の『生物種保全管理局』、通称『アーク』内において現存しているのみである。
居住ドームの中には街路樹も存在しているが、それらはクローン技術を用いて造られた、生きているだけの空気清浄機であり、従来のようなソレとは根本的に異なっている。
人類種の食糧も培養されたプランクトンなどを加工した、合成食糧が主流。
生の食材を現実で食べたことがある人間など、地球人類の中でもごく一握りの富裕層だけなのだ。
一億を超える探究者たちを除いては。
即ち探究者たちは、最終的な目標は異世界への避難を。
短期的な目標では、地球ではすでに失われてしまった景色や料理などを手軽に楽しむために、異世界へと赴いているのだ。
事実娯楽目的の期間限定の『渡航チケット』なども統括政府によって販売されている。
「このように物質的な転移手段は未だ解明されておりません。転移魔術に関してもです。しかし、両世界の文献においては、確かに肉体そのものを転移させる手段があったはずなのです。かの『始まりの帰還者』たちの意識がこの世界に帰ってきた際も、自らが『装備』していたものと共にこの地球に帰還しました。このことから~~」
「(いつまで続くんだ……)」
「(《ジョブ》への就職調査も済ませたというのに、何をこう話すことがあるのだろうね。そういえばどんな《ジョブ》にするつもりだい?)」
喋りつづける教師の目を盗んで、ひっそりと言葉を交わすアカツキとシャルロット。
この世界における超常能力の、人類側の根幹たる《ジョブ》。
ソレの予定表も提出した今、生徒たちは待ちきれない明日に備えてとっとと寮の自室へと戻ってしまいたかった。
少年も例にもれず、教頭の話を右から左に聞き流しながら、親友との雑談に興じることにした。
「(《ジョブ》? 俺は《戦士》と《魔術師》だな。残り一つは『モノリス』次第)」
「(随分と攻撃に偏っているね。ちなみに私は《治癒術師》と《付与術師》さ。一週間後には二人以上のグループで森の中を散策だろう? 私と組まないかい?)」
「(いいぜ。せっかくならモンスターとも戦ってみたいし)」
「(その日の散策が許されているのは、モンスターのやってこない安全区域だけだろう? まさか抜けだすとでもいうのかい?)」
「(そんなことはしないさ。けど向こうからこっちにやってきた場合はその限りじゃない)」
あくどい笑顔を浮かべる少年に、小さく嘆息するシャルロット。
「(これはお目付け役が必要だね。あと後衛からの支援も)」
「(助かるぜ。二人きりでいいよな? あいつらは別の場所だし、エイトルドは……、なんか優等生になってるし)」
「(今の君の企みを聞いたら、真っ先に止めに入るだろうね)」
親友のあまりの変わりっぷりには少年はひどく驚いていた。
そんな感じで適当に、されど記憶には残しながら聞き流していると、教師が締めの言葉を述べる。
「よいですか、皆さん。我々は幽体投射などの技術によって、精神のみをあちらの世界に飛ばしているため、あちらの世界での死は可逆的な物です。痛覚自体も現段階では最大限抑えられています」
髪の毛が灰色になりながらも、芯の入ったかのように背筋を伸ばした女性教師が、同じく芯の通った声で、周囲に語りかける。
気を抜いていた、あるいは気の逸っていた生徒たちも自然と居住まいを正して教師に目を向ける。
「しかし貴方達は《探究者》です。地球での労働で得た金銭を統括政府の手によって換金し、あちらを観光する《旅行者》とはわけが違います。次世代の人類を、そしてその未来を切り開くための責務を負っているのです。その自覚を持った節度ある行動を心がけてください」
はい! と完璧にそろった返事に満足げにうなずき、そうして女性教師は日程の確認へと移っていく。
既にそれらの日程と投下地点、周辺の地理を完全に頭に入れている二人は、雑談を再開した。
「(それで、どうして隣の『居住ドーム』からここに通って来いなんて無理難題を受け入れたんだい?)」
非難の色を帯びたまなざしと共に、少女は口先を尖らせる。
それもそのはず。
学院の理事会から出された提案はここから五十キロは離れた隣のドームへの居住と、そこからの通学だった。
ドーム同士の行き来は基本的にリニアモーターカーによって行われているが、その行き来も物資の運搬がほとんどで人の交通は少なく、はっきり言ってかなり高い金額を払わねばならない。
平民の学生の通学に使えるような代物ではなく、使ったとしても懐に渾身のボディブローを連打したかの如く家計を圧迫していくだろう。
これに耐え切れるのは、学院の中でもかなり社会的地位のある家柄に生まれた人間だけ。
もっと端的に言えば、学院の理事会は彼に金銭的な圧力をかけて、学院から追い出そうとしているのだ。
その不義理に彼女が不満を抱くのは無理ないこと。
しかしその目論見をかんっぺきに打ち砕いたのがソウヤ・アカツキという少年だった。
「(朝のランニングとしてはちょうどいい距離だし、むしろ感謝しているぐらいだぜ?)」
そう、大の大人でも防護マスクなしでは一日と持たない廃墟の中を、彼は『内気法』を駆使して徒歩で――正確に言えば疾走――で登下校しているのだ。
もっと言ってしまえば、彼の懐は同年代とは比べ物にならないぐらい潤っているのだが、それは彼だけが知っていることであり、今回の言い訳には使わなかった。
「(あと厳密には理事会っていうよりは、生徒全般の保護者からの意見だな。それを理事会を通して学院長に伝えてきたんだ。あの人もそれを覆すのは至難だろう)」
必死の言い訳で、この提案を阻止できなかったことを平謝りしてくる理事会の四名を思い浮かべながら、彼は少女に真実を打ち明ける。
「(……君がいいのならいいけれどね。くれぐれも気を付けてくれよ?)」
「(ハハッ。旧時代みたいな車も通っていないのに、事故るわけないだろ)」
明らかに納得いっていない様子の少女に、彼は朗らかに笑って答えるのだった。
□
「ここが、『イグノーテラ』…………」
そこは統括政府が『イグノーテラ』内に所有する土地であり、地球の『学院』の生徒が『異世界渡航』によって集う場所。
名をそのままに『学院都市』である。しかしこれ以上相応しい名はあるまい。なぜならアカツキが再入学を果たした『極東』の学院のみならず、地球全土の学生がこの異世界の街で、《探究者》としてのイロハを学ぶのだから。
恐らく建築系の【ゼノギフト】の恩恵を受けたであろうその街並みは、二十一世紀の大都市もかくやというほどの超高層ビルが林立している。
そして、その上を覆う『青』は、地球のような『居住ドーム』のスクリーンに映し出された偽りの映像ではない。
透き通るような空があった。
天頂部分に向かうほど青色は濃くなっていって、青空の果てに宇宙があるということは何の偽りでもないということを物語ってくれている。
いつまでも見上げていると、そのまま重力を振り切って逆さまに落ちていってしまうんじゃないかというぐらいに、この青色は果てしなく、美しかった。
彼は、遂に『異世界』に来たのだ。