第一章 第十話 崩落、そして狂騒
「まずいな、これは」
最深部の大広間から飛び出してきた骨竜から必死に逃げる狼と、安全地帯にいる鎧の二つの視点から入ってきた情報によって、アカツキは強い焦燥感に苛まれている。
その原因もまた二つ。
入口から殺到し、迷宮を埋め尽くさんばかりに迫りくる幾多のモンスター。
個々の強さは大したことはなくとも、千近い群れが通路を埋め尽くせば物量のみで彼らを圧殺しきるだろう。
そして迷宮最深部にて存在していた、この周辺の主であるドラゴン。そのアンデッド。
生前の名称は、クリーピング・ドラゴン。
這いずりの名の通り、飛行能力はなく四肢によって大地を駆る竜である。
しかし、曲がりなりにもこの『イグノーテラ』において最強種の一角たるドラゴンの名を冠しているのだ。
その戦闘能力はこの迷宮に殺到しているどのモンスターとも比較にならない。
アカツキたちでは到底太刀打ちできない相手である。
(アンデッドなら《勇者》であるリーナが居ればワンチャン……。いや、どちらにしろこんな状況では勝ち目はない。一刻も早くここから出なきゃ)
そう言ってアカリの手をとり、駆け出そうとした少年の目に二つの危機を上回る、より破滅的な景色が映った。
そしてソレは聴覚すらも侵していく。
ビキリ、ビキリと次第に広がっていく亀裂音。
一万年以上存在しているらしき『大迷宮』と異なり、『小迷宮』は突如として現れ。
そして突如として消えるのだ。
崩壊という過程を経て。
「マジかよ!!」
「やっぱりここは『小迷宮』だったのかしら!?」
ビキビキと亀裂は広がっていく。
そして彼らの耳に響く、獣たちの声と足音。
それらは迷宮全体に木霊し、破滅の三重奏をかき鳴らす。
「予想以上にモンスターが多い! アカリ、何かできないか!?」
「悪いけど、私の奥の手は無差別! アナタたちまで巻き込まれてしまうわ!」
「なら撤退だ!」
そう決定したアカツキは、自分の霊体を《部分憑依》の経路を通じて無機質な鎧から、熊へと移す。
頑丈な甲殻で覆われた、アーマード・ベアだ。
「っ! 走るぞ! ゴーレムはしまっておいてくれ!」
「きゃっ!」
アカリの身長と現時点での能力値ではろくな速度が出ないと考えたアカツキは彼女を熊となったその身で背負い、全速力で通路を駆けだしていく。
目の前には波濤のごとく迫りくるモンスター。
しかし少年は一切の減速をしない。
狂気を迸らせた獣たちの眼光を一身に受け止め、それでも迷いのない疾走を続け、その果てにモンスターの大波に飲み込まれる――。
――その直前で、跳躍。
獣たちの頭を踏みつぶしながら、足場として着地、その巨躯でありながら疾走の速度を一切落とさない。
「とんでもないことするわね!」
「足場の悪いとこは走り慣れているんでな!」
軽口を叩きながら、足元からの攻撃を軽やかに回避し、あるいは踏みつぶしていく少年。
足元のモンスターも更なる追撃を仕掛けようとしているが、後続のモンスターに押され、それもままならない。
強靭かつ巨大な四肢で通路を踏みしめる姿は、さながら重戦車であり、並みいるモンスターをものともせず蹴散らしていく。
アカリは、必死に甲殻の隙間の毛皮にしがみついて、モンスターの叫び声に負けじと怒鳴り散らす。
「リーナちゃんの方は大丈夫なの!?」
「問題ない! あっちも同じ方法で入口に向かって、なっ!」
リーナの方のアカツキが捉えた光景に、思わずその場にいた彼も驚きの声を漏らす。
彼に移ったその景色とは。
□
「あ、アンデッドが、モンスターを食べてる……!」
十体以上のコブリンが横に並んでもなお余りあるほどの広さの通路を、埋め尽くす白の巨体。
背後の骨竜から逃れるために、鎧穴熊にその身を移したアカツキとリーナが見たモノは、ありうるべかざる光景だった。
通路を埋め尽くさんばかりのモンスターを、骨竜は咀嚼し、嚥下しているのだ。
骨しかない体で肉を喰らおうとも、白骨の隙間からこぼれ落ちていくだけのはずだというのに、嚙み砕かれた獣たちの体は、何処かへ消え去っていく。
鎧穴熊に《憑依》するために、《憑依》を解いたフォレスト・ウルフも同じ末路を辿った。
内心でアカツキは詫びながら、相手の能力の分析を行う。
「あれは、《命力吸収》か……?」
『アカツキ、これで間に合うの!?」
「分からん! 全力で走っているけど、入口まであとどれだけかかるか……!」
アカリの方にいる鎧穴熊よりも、こちらの方が進みが遅い。
その理由は一つ。
迷宮に入り込んだモンスターの全てが骨竜の下に集っているのだ。
当然やってくるモンスターの数も、段違い。
そしてその全てを骨竜が食い尽くす。
「このモンスターはすべて奴への供物か!」
「アカツキさん! 私の《セイクリッド・スラッシュ》で……!」
「待て! それは温存しておいてくれ! あのアンデッドを殺しうる唯一の手段だ!」
聖剣に魔力と活力を注いで輝かせ始めたリーナを制止し、アカツキは鎧穴熊の莫大な膂力で近くにいたコブリンをつかみ取って、振り返りざまに投擲。
ちょうど骨竜の鼻先に着弾。爆散して、眼球代わりに暗い緑色の輝きを放つ眼窩を肉で覆う。
砲弾と見紛う速度で当たったソレにも、煩わし気に首を振る程度のリアクションしか見せない骨竜に歯噛みしながら、わずかに稼いだ時間を無駄にはしまいと、必死に四肢を動かす。
「あと一手、あと一手あれば撒けるのに……!」
「私の魔術も全然利きません……!」
背中に必死にしがみつきながら、骨竜に向かって魔術を放つリーナの健闘も虚しく、骨竜の勢いは衰えない。
あたかもブルドーザーが土を掬うように、下あごを石床に擦り付けて、モンスターたちを飲み込んでいく。
足を止めれば彼らと同じ末路を辿ることなど、わざわざ口にするまでもない。
「クッソ、何か手は、あのドラゴンを足止めする手は……!」
『リーナ。私の奥義の解放を推奨。あれなら、リーナ自身の消耗はない』
「む、無理だよ! 一度も成功したことないんだよ……! 私じゃできないよ!」
『大丈夫。リーナと私の適合率は歴代において最高。できない道理はない』
ルクスの優し気な声、しかしリーナが返す声は震えていた。
「私のジョブが《中級勇者》と《治癒術師》しかないこと、知ってるでしょ? どれだけ『実績』を積んでも、『適性』が低すぎてまともなジョブに就けない……。その《勇者》もずっと中級のまま。私は出来損ないの勇者なんだよ? だからお父さんもお母さんも見殺しにしちゃったし、クリスちゃんとも……」
『リーナ……』
(モノリスを出るときの浮かない顔は、自分の才能の無さに失望していたが故のモノか)
これまでとは想像もできないほど悲しみに満ちた表情で少女は語る。
「こんな私がアレを使えるわけない。コブリンの時みたいにアカツキさんに《憑依》して使ってもらった方が……」
「悪いがそれはできない。《部分憑依》ならまだしも、体ごと乗っ取る《憑依》は《生霊術師》の補助を受けても二体が限度。この状態でリーナに《憑依》するってことは、この熊の体を捨てることになる。それじゃあ、骨竜を足止めできてもモンスターにすり潰される。そもそもアンデッドの俺は聖剣を使えない」
会話を続けている間にもジリジリと骨竜との距離は縮まりつつある。
何もしなければ確実に、骨竜の無いはずの胃袋の中に納まってしまうだろう。
「リーナ、勇気って何だと思う?」
「?」
状況に似つかわしくない、何の焦燥も乗っていない穏やかな声でアカツキは問う。
鎧穴熊に宿った彼は、しかしヒトであった時とは変わらぬ声音で続ける。
「たぶんそれは、状況次第でどう表れるか、大きく違う物なんだと思う。今にも凍えてしまいそうな子供に手を差し伸べるという形で現れることもあれば、自分よりはるかに上の立場の人間の横暴を目の前に、これから先の人生をふいにしてでも止めに行くという形で現れることもある。あるいは」
鎧穴熊に宿った少年は波濤のように押し寄せるモンスターたちを蹴散らしながら、なおも続ける。
「自分を遥かに上回る力を持つ相手に、震える手足に鞭を打ってでも立ちふさがるという形でも。けどソレら全ては行動だ。ただ行動あるのみなんだ」
「! 私には……、その行動も……」
「俺はお前を出来損ないだなんて思っていない。コブリンに襲撃していた村の時も、危険な囮役を買って出た。ここに偵察に行くのを決めたのもお前だ。リーナ、お前の行動には勇気がある。救いを求める人のために、命を賭ける勇気が。君自身は気づいていないだけだ」
少女の瞳に火が灯る。
その熱を見ずとも感じ取った少年は、それをより確固たるものにするために、核心を告げる。
「今の俺は二体までのモンスターを自分の体のように操ることができるが、本体は一つだ。その本体が宿っている依り代が破壊されてしまえば俺も死ぬ。そしてこの俺こそが本体なんだ」
「それは……」
「どうか、今、勇気を振り絞って、俺を助けてくれ。俺には夢があるんだ。その夢のためには誰より強くなければならない。けど今の俺は弱い。一人じゃこの状況をどうにもできない。だから、頼む」
アカツキが吐いたのは、年端も行かない少女に縋るみっともない言葉。とてもではないが勇気づける言葉とは言えない。
けれど。
彼女の聖剣を握る手に、どうしようもなく力が籠る。
当然だ。
彼女は《勇者》に選ばれたのだから。
勇気を以って、人を助ける者と選ばれたのだから。
リーナの魔力が、『ルクスカリバー』の中を奔った。
その魔力は『ルクスカリバー』内部の霊的魔術式回路を満たし、常識外の力を発動。
それは光というカタチで聖剣を取り巻いた。
「《聖剣解放:対象停止》!!」
光り輝く聖剣。
その輝きは骨竜に向けられた切っ先へと収束、解放。
コブリンキングを消し飛ばした一撃とは比べ物にならないその光は、しかし骨竜に直撃しても何らダメージを与えることはない。
当然だ。
この光はたかだかダメージを与える程度の格の低いモノではない。
「止まった!?」
それも単なる拘束ではない。
色が抜け落ちたかのように灰に染まった骨竜にはいかなる力の拘束も働いていない。
対象の時間そのものを停止しているが故に。
「これならいける!」
「持って数分です! 今のうちに」
「ありがとう、リーナ!」
骨竜に様子に構わず、そこに集結するモンスターを渾身の力でかき分け、そして。
彼の行く手に光が差した。
□
「っしゃぁ! 脱出だ!」
「アカリさん! ご無事ですか!?」
「アカリでいいわ。だましててごめんね、リーナちゃん」
二体の鎧穴熊が合流し、吸い込まれていくかのようにモンスターたちと『小迷宮』から離れる一党。
ひと段落、と行きたいところだがモンスターの流れが止まらない以上、骨竜が健在であることは疑いようもないだろう。
「このままあの骨竜とモンスターで相打ちになってくれれば万々歳なんだけどね」
「そうはいかないみたいだ」
突如『小迷宮』が弾け飛ぶ。
不壊のはずのソレが砕け散ったのは、寿命を迎えたか、あるいはそも『小迷宮』ではなかったか。
どれも否。そこより現れたモノが吹き飛ばしたのだ。
「骨の竜って言ってなかったかしら?」
「あれじゃゾンビだな」
「来ます!」
それはどす黒い腐肉を纏い、その巨躯をさらに拡張し、産声を上げる。
『ユニークスが出現しました。等級『市街陥落』級個体名『キャリオン・スカベンジャー』』