序章 第二話 鍛え、学び、脅し。
ソウヤが学園を離れてから、二年半の月日が流れた今日。
彼は廃墟の只中に居た。
全身をライダースーツめいた黒く洗練された装甲服で覆い、外気から完全に隔離された姿だが、さもありなん。
ここは廃棄区画。
激減した人類種が住まう、擬似陽光投射天幕に覆われた居住区画ではない。
濁り切った空と、崩れ去った文明の名残が大地を満たす、もう人が住むことができない領域なのだ。
その汚染された大気を切り裂くように、疾駆する少年の姿があった。
ひび割れたアスファルトを踏みしめ、半ばからへし折れた道路標識を掴み、崩落した歩道橋を飛び越える。
その果てにたどり着いた高速道路には、かつてこの『東京』の地の大動脈であった面影はなく、乗り捨てられたいくつもの車が乱雑に転がっている。
とうに道路としての役割を放棄したその道を、されど少年はかつての自家用車と何ら劣ることはない速度で駆け抜ける。
幾多の障害物を、等しく足場に変えていく彼の技術は既存の物。『パルクール』と呼ばれるものだ。
フランスを発祥とする、自身の身体能力を十全に使いこなすことによる移動術。
それこそ忍者と見まごうほどの華麗な動きを実現させることができる物だが、彼のソレは格が違った。
それも当然のこと。今の彼は、そもそもの身体能力が異なるのだ。
かつての戦乱によって半ばから破壊され、即席の飛び込み台となった高速道路。
それを目の前にしても、少年はいささかも速度を落とすことなく、疾走を続けていく。
そして跳躍。
体を風が叩き、数十メートル下の地面が眼前に迫りくる最中であっても、少年の表情にいささかの焦りもなかった。
着地音。
衝撃を逃がすためにくるりと転がり、その勢いのまま立ち上がる。
自殺行為としか思えないような落下の後でも、彼の肉体にはいささかの不調はなかった。
「タイムは……。 9分57か。ようやっと十分を切れたな。次は……」
肩で息をしていた彼は、呼吸を整えていく。
汚染された大気に包まれながら彼は深く、深く、息を吐く。
全身から絞り出すかのように空気を吐き出し、次いで息を吸った。
フィルターによって清浄なものに変化したそれで、肺を満たした刹那。
彼の肉体から温もりが消え去った。
(『気配沈静』も問題なし)
彼の生命活動の証明である、心臓の律動も少しずつまばらなモノになっていく。
そのままひどく静かな足取りで、廃墟の中を歩くことをしばし。
廃ビルの影に隠れた彼は、自分以外の動く影を発見した。しかしそれはアカツキと同様に、『廃棄区画』で修行を行っている狂人ではない。
「カロロロ」
肉食獣の型に、ヘドロを押し込んだかのような化け物だった。
一体だけではない。十体近いそのモノたちは、廃車に牙を突き立てていた。
「手ごろな数の『ツギハギ』共だな」
彼らはこれまで地球が育んできた生命体ではない。
まして『イグノーテラ』に存在しているモンスターが地球にやってきたのでもない。
正式名称『継ぎはぎの怪物たち』
放射性廃棄物すらも例外なく捕食し、その身もまた放射線をまき散らす、汚染生命体。
第三次世界大戦下において、遺伝子工学と【ゼノギフト】の粋を結集して開発された生物兵器である。
それらが人間たちの制御を離れ、こうして汚れた文明の残滓を喰らって繁殖することとなったのだ。
世界大戦下で失われた命の三割超は、この冒涜の体現者たちによる被害である。
「シッ!」
その人類の敵手たちに向かって、アカツキは迷いなく礫を投擲。
強肩という比喩では収まらぬほどの剛力が、礫を砲弾へと変化させる。
「ギャバァッ!?」
ヘドロが弾け、頭部を失った個体はそのまま崩れ落ちた。
液化した仲間の遺体が足元に広がったことに、対する他の個体の反応はシンプル。
敵の抹殺。その場にいた全てが少年へと殺到した。
対する彼の返答もまたシンプルだった。
「ラァッ!!」
鋭い発声と共に拳を繰り出す。
その後に在ったのは、と拳の風切り音をかき消す破砕音だった。
打ち捨てられていた自動車が、彼の拳を受けて吹き飛んだのだ。
半分の個体は、拳打の衝撃をエンジン代わりとした廃車に轢かれて、輪郭を崩し。
残る半分がアカツキを爪牙の間合いに捉える。
絶体絶命。
百年前の野生動物など比較にならぬほどの殺意が迸る中で、彼はなおも揺るがなかった。
拳を鼻先に、爪先を喉笛に、肘を脇腹に、膝を顎先に、貫手を心臓に。
全身の躍動の後に、彼の足元には輪郭を失ったヘドロだけが広がっていた。
「ふぅ」
一呼吸を置くアカツキ。
恐るべき光景だった。
基本的に新世代の人間は、つまり【ゼノギフト】に目覚めた人類種は、旧世代の者たちよりも身体能力が高い。
だがそれはあくまで、ほんの少しだ。
同じ競技に向けて、精密機械かの如く肉体を鍛え上げる旧世代のトップアスリートと、同じ競技に打ち込んだ新世代の学生が肩を並べる程度。
当事者にとっては絶望的な差だが、あくまで同じ人間のくくりで捉えられる。
故にこそ、ソウヤの引き起こした現象は、前代未聞だった。
【ゼノギフト】の恩恵を受けずして、それに匹敵する破壊を生み出す。
『あちら』のように、体系化された超常能力のないこの地球上においては、ありうるべかざることだったのだ。
しかし、その偉業を為した少年の顔には、喜色はない。
「ギリギリ【小異能力者】程度か……。十キロ走の前はもう少し動けたんだけどな……。やっぱりどうあがいても『内気法』単体で勝ち上がるのは不可能か」
彼の最高到達等級は【奇異能力者】の上位。
これは齢十二という観点を抜きにしても、高い等級だった。
大半の異能力者がステージ3に届くか否かで生涯を費やすのだ。
仮に彼の【ゼノギフト】が健在であったのならば、ほんの一握り強者がたどり着き、生きた天災とすら称される【災異能力者】にすらも届き得ただろう。
しかし今の彼の【ゼノギフト】の出力は静電気よりもやや強い程度。
真正の雷光に届かんばかりだった、かつての力は見る影もない。
「足りないものは、他で補う。いつも通りでいい。む?」
初心を新たにしていると、自身の携帯端末が微振動を発しているのに気が付いた。
イヤリングの領域にまで小型化されたソレが、彼の視界にホログラムを映し出し、便りを知らせる。
「日課も終わったし、そろそろ顔を出すか」
そう言い終えると、彼は人類の安息地たるドームへと踵を返すのだった。
□
窓から流れる風景から、かなりの速度が出ているはずだというのに、ほとんど振動の伝わってこない。そんな持ち主の社会的ステータスの高さを如実に表したリムジンの後部座席に二人の人影があった。
正確にはホログラムであるため半透明の少年と、白髪の老人だ。
録音データを吐き出していた蓄音機型のテープレコーダーを停止させ、トドロキは一拍一拍を区切るようにして、問いかける。
『これは、由々しき事態だとは思いませんか、マツムラ理事』
白髪をオールバックにし、一目で分かるほど高価なスーツに身を包んだ初老の男性は、普段通りならば威厳に満ち溢れているのだろう。
しかし、今は見る影もない。
手は震え、脂汗が顔に白髪を張り付け、視線も定まらない。
二十年は老け込んでいるかのような表情と、今にも縋り付きそうな眼差しが向けられているのは一人の少年。
トドロキに対してだった。
『神聖なる学び舎。その運営を司る人間の一人が、その運営資金を私的流用し、あまつさえソレを犯罪組織の口止め料に使いこむなど』
大げさに言葉を区切り、両者の机の上に投げ出されているホロウィンドウに映し出された。
虚飾に満ちた数値が連ねられた電子帳簿。そして自らの側近と明らかに表社会の人間の風貌ではない者が『何か』を取引している現場。
しかし初老の男性はそこに目を向けることはない。
耐えがたい真実から必死に目を反らし、肺腑を絞り出すかのように掠れ切った声を出す。
「ど、どうやって……」
『その方法って今、重要なことですか? まあ少なくとも、いくら側近の【ゼノギフト】に頼っても意味はないとだけお教えしておきましょう』
「……………………何が望みだ」
『話が速いのはこちらも助かります。と言っても俺のお願いは、何かをしてほしいとか、そういうのではないです』
一拍。
言葉を区切り、少年は目の前の大人を見据える。
『俺の邪魔をしないでいただきたい』
「……具体的には」
『再入学のために必要なモノはほぼそろいました。後は貴方方の許可と、大会での優勝のみ。マツムラ理事には黙ってく首を縦に振って頂ければそれで構いません』
「わ、私一人に言ったところで、君が――」
『他の十二人の理事のうち、アナタを含めて四人に同じことを申し上げました』
「なっ!」
『嘆かわしいですね。アナタ方のような人間が理事会に携わっているなんて。過半数届かなかったのは喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか』
用は済んだとばかりに、少年は席を立った。
『【ゼノギフト】の強弱を、人間の優劣に直結させるような頭に化石の詰まった人間に大した興味はありません。俺の邪魔をせず、同じことを繰り返さないのならば、アナタの不祥事は墓場まで持っていて差し上げましょう。』
消え去るトドロキのホログラム。
その場に残されたのは項垂れた老人だけだった。
□
「アナタの論文。正式に認められたそうよ。これで勉学の方面において文句を言うものは誰一人としていないわ」
「そっかぁ。ありがとうな。色々手伝ってもらって」
「何を言っているかしら。『内気法』の確立を行ったのは他でもないアナタでしょう? 私がやってあげたのは、精々論文の書き方を教えた程度よ」
そう言ってマグカップを傾けるのは、齢十七でありながら、この世界屈指の研究機関において教授を務める才媛。
名をユウリ ヒサギ。
ソウヤにとってのお目付け役であり、そして彼と同じく異能喪失者でもある。
「それにしても、よく実用段階にまでこぎつけたわね。半分『大戦下』での都市伝説の類だと思っていたけど。まさかこの地球上で、生命力を身体能力の強化に流用する技術が存在していたなんて」
「色々と文献をひっくり返してな。それこそ内丹術とか、気功とか、瞑想とか。あとはボックス呼吸法か。やっぱり呼吸を起点にした形が一番現実味があるよ。全身に張り巡らされた自律神経にまんべんなく能動的に干渉できるからな。こっちの世界だと《スキル》だとか《アビリティ》の補助もないし」
彼の作り上げた『内気法』とは、異能の燃料たる魔力ではなく、命あるすべての者が持つエネルギー、生命力によって身体能力を底上げする技術である。
その理論を確立し、実証したのがソウヤがこの二年半で作り上げた功績であり、彼の異能に代わる新たな武器でもあった。
「驚きよね。この地球での人類種にも、こんな可能性が秘められていたなんて」
「この『内気法』で強化できるのはあくまで肉体の機能だけだからなぁ。そんな大したものじゃないよ。それに【ゼノギフト】がある以上、今更じゃないか?」
「そんなわけないでしょう? いい?」
手近にあったペンシル型のレーザーポインターを手に取り、ホログラムのボード起動するユウリ。
慣れた手つきで少女は図示していく。
「根本的に、あちらの人類種とこちらの人類種は、性質が違うの。確かに筋骨の構造、臓器の種類や数といった基本的な構造は似通っているけれど、その性能は地球人類を大きく凌駕しているのよ」
「一番の違いが魔力とか生命力とかの生体エネルギーの扱いやすさだったよな」
「そうね。私たちは地球人類は、魔力を【ゼノギフト】、もしくは[拡張機装]の燃料としてしか扱うことはできない。対してテラリアン、それどころか『イグノーテラ』全ての生命体は魔力を能動的に、そして万能的に扱うことができるわ。その最たるものが《スキル》や《アビリティ》よ。種族レベル向上による能力値もその一種と呼べるわね」
熱弁を振るう少女を眺めながら、少年はお茶請けの菓子を頬張る。
自らの研究分野のこととなると人が変わったかのように熱弁を振るい始めるのは、今に始まったことではないからだ。
「あちらの世界でに魔力とは、こちらでいう電力のようなもの。そして電力以上の万能性を誇っているのよ。世界にも人体にもあふれかえっている」
「でもそれが『内気法』とどうつながるんだ? あれは生命力の流れを偏らせて肉体を強化する技術だぞ?」
「だからこそよ。命から生み出されるエネルギー。それを電力のように産業に組み込むことができれば、不安定な自然環境エネルギーや将来世代に禍根を残す核エネルギー頼らずに済む。アナタの研究はその第一歩となりうるわけ」
そうしてヒートアップしていることに気づいたのか、軽く咳ばらいをしながら話題転換を、少女にとっての本題をぶつける。
「それよりいいの? この研究のデータと特許を全てここに預けるなんて」
「色々お世話になったから。俺一人じゃ『イグノーテラ』での実地試験なんて到底できなかっただろうし」
「本当に興味がないの? この研究の利益を全て研究所に寄付することになるのよ?」
「いいって。色々良くしてもらったから。あの防護スーツとか」
「あれはもともとデータを取るための被験者が必要だったのよ。アナタはそれに抜擢されただけよ」
「でもほぼ私物扱いで使えてるじゃん。他にも資料室とか」
「それはあなたがここの一員として、明確に認められているからよ。それにこの基礎研究を基に応用技術を発展させていけば、アナタは歴史に名を残すほどの――」
「その話はもうしただろう? 俺は研究じゃなくて探究がしたいんだよ。最強の座への道筋を。と言っても、こことのコネは惜しいから、多めに恩を売っておくっていうだけさ」
「はぁ。何度言っても変わらないようね」
処置無し、といった表情でため息をつくユウリ。
「しっかり適切な睡眠をとること。わかった?」
「ユウリもな。知ってるぞ? 最近寮に帰ってないって。寮母さんたちが嘆いていたよ」
「ぬぐっ」
まんまと言い返されて、言葉に詰まる少女。
そんな彼女を微笑まし気に見つめて、そして表情を真剣なモノへと切り替える。
「本当にお世話になりました」
深々と頭を下げる少年に、少女は微笑む。
「応援してるわ。けどくれぐれも頑張りすぎないように」
そうして半年後。
大会当日。
三年越しの決着をつける時が来た。
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[拡張機装]
異能力者の体細胞と魔力を受信するための回路などを取り付けることによって、【ゼノギフト】を一個人のチカラから、工業製品の領域にまで拡張した機械。
製造時に異能力者の体細胞、起動するための燃料として人間の魔力といったように、完全に機械化できているわけではないが、荒廃した地球での生存圏確保のためにかかすことのできない技術である。
個人用の装備品として[拡張内装]、施設などの設備として[拡張外装]の二系統が存在している。
ちなみにこの技術のルーツは、第三次世界大戦において、無能力者たちが、異能力者の遺体を兵器利用したことが発端となっている。