序章 第十三話 振るわれる凶刃 放たれる凶弾
この広場を取り囲む、三方の建物には窓がある。
どれも閉じられており、そこを通り道とするには窓ガラスを破壊せざるを得ないだろう。
しかし躊躇っていられない。
三人のテロリストに、入ってきた路地裏を塞がれた以上、そこが彼の脱出経路なのだから。
アカツキが空き地周辺の地形情報を確認しているその最中、少年は駆けだした。
満面の笑みで。
「ちょっ」
「ロンドさん! ルイさん! 導主様!」
「わー、レント君。ごめんね。いっぱい待たせちゃって」
「宿題はこなしたか?」
桃色の髪の女は走ってきた少年を全身で受け止めて頭を撫でまわし、超速の男はぶっきらぼうながらも彼の学習状況を問うた。
(レントが脅されてるってわけじゃなさそうだな。【洗脳】か? いや、普通の【精神干渉】にありがちな虚ろさや動きのパターン化がない。それすら覆い隠すほどの高度な【モノ】という可能性もあるにはあるが、低そうだな)
つまりあの少年はもともとテロリスト集団の身内であり、それ故にアカツキに近づいたということになる。
ならばレントは、アカツキを騙していたのだろうか。
そう考えた彼に少年は驚くべきことを口にした。
「導主様にお願いがあります」
「どうか致しましたか?」
子供には似つかわしくないほどに、丁寧な言葉と所作。それに応える『教団』の最高権力者もまた、子供相手とは思えぬほど丁寧なしぐさだった。
「アカツキの兄ちゃんも、『教団』に加えていただけないでしょうか」
「…………は?」
「それはどうしてですか?」
アカツキの反応が、一瞬遅れた。
それほどに、理解しがたい言葉だった。
「えっと、アカツキの兄ちゃんだったら、【ゼノギフト】が無くても凄い強いからです! それに、『教団』の下でメチャクチャ頑張れば、神様もアカツキの兄ちゃんを見直して、もっかい【ゼノギフト】を与えてくれるからです」
「まあ、何て優しい子なんでしょうか……!」
胃袋が裏返った。そう思えるぐらい、目の前の光景は直視しがたいモノだった。
今まで接してきた少年が敵の身内だったから、ではない。
同じゲームで遊べるぐらい普通であったはずの子供が、『教団』の活動を否定するどころか、それこそが救いと考えているからだ。
それだけ狂った価値観に、染められてしまっているからだ。
この大人たちの手によって。
「安心しろ、レント。もとよりそのつもりだ」
「さ、私たちもお話が必要だから、レント君は先に『地球』に帰っておいてくれるかな? 他の子たちも待ってるよ」
「うん! バイバイ、兄ちゃん!」
「……ああ。じゃあな」
声が震えなかったのは奇跡だった。
目の前で光の粒子となって帰還する彼に、アカツキはぎこちなく手を振って。
完全に消えた瞬間に、[インベントリ]から日本刀を取り出した。その刃は、彼の闘志をうけて、鋭く輝いている。
しかし大人たちには、それが見えないかのように、何ら変わらぬそぶりで喋る。
「改めて自己紹介を致しましょう。私の名前はエイゼリア・オルカーベルトと申します。『神権教団』の二代目導主を務めさせていただいております」
「……何の用だ。無能力者であるこの俺に」
「おや、心当たりが無いのですか?」
「何のことだ」
アカツキは訝し気に眉を顰めた。
その様子に導主は不快気な表情をみせることなく、それどころか慈母のような柔らかな笑みを浮かべた。
「なるほど。『内気法』などというモノを開発した以上、自覚していると思っておりましたが。ここでは、皆まで言うことはできません。しかし私たちの下に来れば、神の【恩寵】が再びあなたを照らすでしょう」
「くだらないな。一度失われた【ゼノギフト】が戻ることはない」
「私たちならば戻せるとしたら?」
「馬鹿なことを。アンタらにそんな設備があるもの――「確かに貴方がロンドに言った通り、我々にかつてのような権勢はありません。世界の過半を相手どって渡り合った頃の勢力など、見る影もありません」
どうやら彼の口撃はしっかりとこの目の前の女に届けられているらしい。
だというのに、この導主は柔らかな笑みを崩さない。
「しかし、それでも私たちには今日まで逃げおおせているという事実と、それ故に積み重なった歴史があります。貴方の予想できないような恩恵も」
「例えそうだったとしても、アンタらに従うつもりはない」
「最強になりたいのではなかったのですか?」
誰から聞いたとは言わなかった。
何せ三年前の選手宣誓でも、そして去年度の『ワールド・トーナメント』でも、彼は最強を目指すことを宣言しているのだから。
「俺はただ誰より強くなりたいんじゃない。俺にとって力とはただの道具で、手段だ。お前らみたいな外道共の手を借りて、更なる力を得るなんてな――」
――俺の理念に反してるんだよ。
そういった瞬間に、彼は自らの[インベントリ]から煙幕と閃光弾を取り出した。
両手の届く範囲にしか展開できないという仕様を逆手に取り、彼の背後に渡した手から出現したそれらは、地面に落ちる瞬間まで目の前の三人の視界に入ることはなかった。
「わあ」「チッ」「きゃ!」
故にソレははるか格上の相手に対しても、一瞬のスキを作り出す。
アカツキは駆る。目的地は数ある窓の一つ。蹴破りやすく、一階部分にあるために跳躍などのロスも少ない。即座に見切った逃走経路。作り出した一瞬の間隙。研ぎ澄ます感覚。
故に、窓を蹴破ろうとした瞬間にアカツキがソレを躱せたのは、偶然ではなかった。
遅れてやってきた破砕音。頬を掠める銃弾。
黒い人影が、彼の眼前で砕け散った窓ガラス越しに立っている。逃走経路は防がれていた。
アカツキの動きは、読まれていた。
「行儀の悪いガキだな」
「ッ!」
背後に立った【災異能力者】。振り向く少年。しかし抗う術などとうに――。
「ガフッ」
胸部を中心に、張り裂けるような痛みが奔った。
彼の心臓に、刃が突き立っている。
「な、ぜ……」
痛み。痛みを彼は感じている。死に至るほどの。
それはありうるべかざることだ。なぜなら、アカツキは《探究者》。その肉体と魂は『地球』に存在し、この『イグノーテラ』の体は仮初めのモノに過ぎないはずなのだから。
正規品の『幽体投射装置』を使用しているはずの彼には、痛覚を制限する『安全装置』が備わっているはずなのだから。
その全ての前提をぶち抜いて彼に突き立った凶刃は、リアルな死を彼に突きつける。
抜けていく全身の力。遠のいていく意識。掠れていく聴覚には、彼らの話声が聞こえてくる。
「レントについてはどうしますか?」
「そうですね。一連の記憶は消しておきましょう。彼の所在は我々にとっての最高機密ですから」
「『地球』の班も、彼の体を確保したみたいでーす」
「では去りましょう。いつここをあの男に察知されるか分かりません」
『地球』の自分の身柄を確保されているという事実よりも。
レントの記憶を、人生を、平然とした顔で踏み躙る彼らに。
煮え滾るような怒りを抱いた。
(必ず……、俺が助けに……)
そこで、彼の意識は途切れた。
□
「予定通りか」
黒いフードを被り、黒い【拳銃】を手にした、人相を伺い知ることのできない男が独り言ちる。
その視線の先には、光の粒子へと変じていく、アカツキの肉体があった。
彼は空き地を取り囲むビルの中にいた。先ほどアカツキを窓ガラス越しに撃ったのは彼によるものだ。
つまり、アカツキの思考を読み、退路を防いだのも彼だ。
「引き上げだ、傭兵」
「了解。目標の身柄は?」
「地球の連中が確保した。既に移送したそうだ。馬鹿な連中だぜ。おとなしく寮に住まわせておけば、こうはならずに済んだものを」
「仕方ないだろう。アレの真価に気づけている人間はそう多くはない。これだけ早く事を起こせる組織はさらに少ない」
黒フードの男に、超速の男は片頬を歪める。
「何にせよ、『祭典』まではしっかり働いてもらうぜ。たっぷりと前金は払ったんだからな」
「無論だ。金の分の仕事はキッチリこなさせてもらうさ。まずは『学院都市』内の拠点の引き上げからだな」
「任せたぞ。まあ、元より証拠なんて大して存在してねぇがな」
そう言って、超速の男は一足先に、『地球』へと帰還していった。
他の者たちも同様だ。この広場とその周辺に残されたのは、彼一人ということになる。
それを注意深く確認してから、彼は独り言ちた。
「ソウヤ・アカツキ。見せてもらうぞ」
彼は四角く切り取られ、夕暮れと夜のグラデーションを描く空を見上げた。
すぐに夜は来る。長い夜が。
しかし黒フードの男には確信があった。必ず朝日は、払暁の日は来ると。
「お前がどこまでできるのかを」
そう言って彼はその場を後にする。
その言葉の真意を知る者は、まだ誰もいない。
□
そして。
目覚めたソウヤ・アカツキの視界に映った景色は、本物の青空と木々の緑だった。
青く、青く。
透き通るような空があった。
周囲の木々によって形作られた深緑の額縁に映る景色は、天頂部分に向かうほど濃くなっていって、青空の果てに宇宙があるということは、何の誇張でもないということを教えてくれている。
いつまでも見上げていると、そのまま重力を振り切って逆さまに落ちていってしまうのではないかというぐらいに、吸い込まれてしまうかのような魅力があった。
しかし今の少年に空を見上げている暇などない。
なぜなら全身が焼け付くように痛むのだ。
「な、んでっ……!」
痛む全身を芋虫のようにくねらせながら、彼はその痛みの原因から逃げ出そうとする。
彼には分かっていた。
その痛みをもたらしているのは、先ほどの斬撃によるものではないということが。
何せ彼の体には傷一つない五体満足なのだ。
しかし代わりに肉体がない。
その半透明の体を見れば、どんな者でも分かるだろう。
ソウヤ・アカツキは、死霊となって異世界『イグノーテラ』へと現れたのだ。
「ぐっ、はぁ。ようやくたどり着いた」
彼が目指す場所は、なんてことのない木陰。
影の中に入った時点で痛みは消え失せ、それでも全身が熱を持ったかのような感覚はぬぐいきれない。
それでも周囲を見渡すことができるようになった少年は、自らの現状を確認する。
彼がつい先ほどまでいたのは、周囲を木々に囲まれた、小さな天然の広場だった。
「森、の中だよな……? けど、何でこんなことに。ていうか、あっつい……」
木々の狭間から零れ落ち、柔らかく大地を照らす光も、今の少年にとっては容赦なく身を焼く灼熱だ。
そうでなくとも、単なる木陰に隠れただけでは、完全な安息とは言えない。
まるで既に地球から失われた夏季のような、うだるような熱気が彼を襲っているからだ。
「間違いない。日光に対する脆弱性。半透明、つまり霊体。服に関しても、そういうふうに霊体が形をとっているだけっていうのは本に書いてあった通り」
学院で得た知識を頭から引っ張り出しながら、彼は自身の肉体を検分していく。
「薄暗い森の中でもはっきり見える《暗視》、それで……、《浮遊》もできる」
自身に備わった基本的な《アビリティ》を確認していく。
なんてことはない。ある程度落ち着いた時点で、自然とできることが頭の中に浮かび上がってきたのだ。
あたかも生まれつきそうであるかのように。
「マジで【ゼノギフト】に目覚めた時と同じなんだな。……ホントに俺は、『ゴースト』になって、この異世界に転生したのか」
地面から三十センチほど浮かび上がりながら、筋肉も骨も、血すら通っていない体を当たり前のように動かしていく。
一通り確認した後に、少年は森の奥へと目を向ける。
足音を彼の聴覚が捉えたからだ。
「いきなり天敵のご登場ってわけか……」
死霊に純粋な物理攻撃は効果がない。
故に、武器に何らかの付与を施すか、魔術で攻めるかが基本戦術となっている。
そして彼の目の前に現れたのは、子供程度の体躯に、緑色の肌、粗末ながらも衣服として成立している物を身に纏い、そして手にしているのは杖。
コブリンメイジ、と呼称されるモンスターだ。
最も一般的に魔術を行使するモンスターでもあり、即ち、彼に死を与えうる者である。
「上等だ。かかってこい」
『グギャァ!』
この場所が、どこなのかも彼には分からない。
なぜ、『死霊』になってしまったのかも。
しかしそれでも、彼は足を止めることはない。
明日を切り開くための死闘が、幕を開けた。




