序章 第十話 撤退を阻む者たち
「てっきり君のことだから、構わず元凶を倒しに行くのかと思っていたけど」
「ていうか、前は実際にそうしてたじゃねぇか」
二人の主張は間違ってはいない。
地球でのアカツキはソレはもう、数え切れないほどの無茶を行ってきた。親友である二人が知っていることなど、一割に満たないほどの命の危機にその身を晒してきたのだ。
理由はシンプル。人助けのためだ。
そんな彼が、今日ばかりは目の前の敵から尻尾を巻いて逃げ出すことに、二人は違和感を感じざるをえなかった。
しかしアカツキの主張はこうだ。
「この『学院都市』は《探究者》の多い『冒険同盟』の中でも指折りに《探究者》だらけの街だ。九割九分はそうだと言ってもいい。それはつまり、この『イグノーテラ』で死んだとしても、『地球』で復活できるってことになる。残りの一分のテラリアンは外部からの特別講師、つまり実力は指折りだ。となると、別に俺レベルの助けを必要にしている相手はこの都市には特にいないってことになる。ていうかこの場で勝手な動きをする方がそういった人たちの足手纏いになる可能性が高い」
「だからおとなしく避難するって」
「俺らは未だに《ジョブ》を持ってないんだぞ。当然、テロリスト共は持っているだろうけどな」
「そうだね。私もそれに賛成だ。しなくてもいい無茶はしないでもらいたいね」
「……いいぜ。それじゃあ、俺たちもとっとと避難するとしようか」
そうして彼らは最寄りのシェルターに向かって走り出す。
あらゆる現身は、《戦闘状態》においては自発的な帰還はできない。
そしてこの《戦闘状態》とは、緊張時に人間の交感神経が活発化することと同様に生来のモノであり、不随意である。要は自分の意志では止められないのだ。
故に帰還したいのならば、戦線を離脱し、なおかつ一度クールダウンをしなければならない。
「ここから一番近いシェルターは……、六番通りのところか」
「にしてもかなり広域にゴーレムがバラまかれてるみたいだな。……【ゼノギフト】なら【驚異】以上はありそうじゃないか?」
「どうかな。複数人で同じ《スキル》を使ってるっていう可能性もある。何にせよ、こんな大騒ぎを起こしたにしては、相手の目的が見えないね」
そのシャルロットの疑問に答えたわけではないだろうが、中断されていたアナウンスが再開される。
声は先ほどと変わらぬ鈴を鳴らすような少女の物だ。
『皆さんは、《探究者》の語源とは何かご存知でしょうか』
「第三世代の『試験的異世界渡航』のプロジェクト名だろう。歴史の授業でもしに来たのか、『教団』の連中は」
「どうだろうね。そもそも彼には頭の中の妄想と歴史の区別がつくのかね」
『《探究者》とは文字通り、探究する者たちであるがゆえに名づけられました。かつて地球人類は神の恩寵たる【ゼノギフト】を与えられておきながらも、その愚劣さによって道を誤り、地球を不可逆に汚染してしまったのです。その汚れ切った地球を捨て去り、『異世界渡航』によってこの『イグノーテラ』へと逃げ出すこと。そしてそのための道筋を見つけ出すことこそが、遍く《探究者》の使命』
道中でゴーレムに襲われている生徒を助けたりしながら、彼らは大通りを疾駆する。
見渡す限りに、逃げ惑い、あるいは応戦する生徒がいた。
恐らく都市内全域にゴーレムがバラまかれているのだろう。至る所から騒乱の音が絶えない。
(教員がいない? ここだけたまたまいないのか?)
足並みが乱れ切った生徒たちを統率しなくてはならない大人たちの姿が見当たらないことに不穏さを感じながら、アカツキたちはシェルターへと走り続けていく。
『しかし、皆さんもご存知でしょう。『異世界渡航』はただ日銭を稼ぐための手段へとなり下がり、《探究者》は娯楽の一種へとなり果てました。『ワールド・トーナメント』のように、無為に己のチカラを見せびらかし、あるいは《旅行者》のように観光気分でやってくるものばかり』
「人のやることにいちいち口を出さなきゃ気が済まねぇのか、連中は」
「なんにせよ、迷惑な話だね」
エイトルドとシャルロットは憤りを吐き捨て、そのままシェルターを駆け抜けようとして、アカツキが立ち止まっていることに気づく。
進行方向には背を向け、少年は佇んでいた。
そしてその立ち姿は、仄かに生命力を纏って輝いている。
完全な臨戦態勢。
「来るぞ」
「何が……」
『しかし皆さんのような若者たちにそういった大人の責任を押し付けるのは、怠慢のそしりを免れないでしょう。故に今回は、皆さんがより真摯に、そしてより安全に自らの【恩寵】を極めることができるように、不純物を取り除きたいと思います』
「まさか……、野郎ども!」
飛来したそれが、石畳を割り砕く。
それはエイトルドを上回る巨躯と無数の巨腕を備えた大男であった。そしてそれらに担がれた老人と、若い女。
彼らこそが。
『【異能喪失者】をこの地から取り除くことによって、私から皆さんへの入学祝いとさせていただきましょう』
「俺もこの学院に入学した人間なんだけどな」
ソウヤ・アカツキに対する刺客であり。
何よりテロリストたちの標的であった。
□
(教員がいないのは戦場となり得るこの場所に向かえないように足止めされてるのか? それにしても『イグノーテラ』で襲っても、普通は蘇れるというのに……)
「何が狙いだ?」
「貴様のような神より見捨てられし者に教えることなどない!!」
「なるほど。質問に答えないってことは、単にぶっ飛ばしてビビらせようってだけじゃないみたいだな」
「ぬっ!」
(この反応で確定だ。俺を狙うことに、何か他に狙いがある。そうでなければ通学中に襲撃を仕掛けたほうがいいだろうからな)
「カインド! 無駄話をするな! 即座に攻め落とせ!」
巨漢、いいや、もはや戦車並みの巨躯と威容を誇る多腕の大男から軽やかに飛び降りた女は、その両の手に鉄の矢尻を出現させる。[アイテムボックス]から取り出したのであろう。
そして鉄の矢尻たちは燐光を帯びて、彼我の距離を潰しアカツキに突き立つ、その直前で、漆黒の巨腕がソレを阻んだ。
エイトルドの体は黒く肥大化し、無数の鋼線を編み込んだかのような筋肉が彼の衣服を内側から引きちぎる。
「どうやら来客には俺らで対応しなければならないみたいだな」
「仕方ない、丁重にもてなして差し上げよう。シャル! お前はシェルターに向かってくれ。他の生徒のフォローを頼む」
「……分かった。無茶はしないでくれよ」
「善処しよう」「前向きに検討する」
「全く……!」
苦笑いを浮かべた少女が駆けていく。
シャルロットの【ゼノギフト】は戦闘向きというわけではないが、戦闘に使えないということはない。しかし今の状況では他の生徒の援護の方が重要度が高いだろう。
「小童二人が、我らに勝てると思っているのか」
「アンタは勝てると思う戦いしかしないのか。その程度の気構えしかないのなら問題ないな」
「貴様っ!」
「落ち着くのじゃ」
敵兵は三人。ローブを纏った老人。鋼鉄の矢尻を指に挟んだ狩人めいた服装の女。そして重戦車を思わせる多腕の、五メートル越えの大男。
後衛が二人に前衛が一人。当然【ゼノギフト】は鍛え上げているだけでなく、《ジョブ》の恩恵を受けているだろう。
三対二という数的不利を鑑みるまでもなく、明確に戦力はこちらが劣っている。
しかしアカツキとエイトルドは不敵な笑みを浮かべる。
「手短に済ませさせてもらうよ」
「行くぜ!」
少年たちは石畳を踏み砕く。その加速を黒の鬼人は突進に、無手の少年はステップに乗せる。
真っ向から多腕の巨人に激突する鬼人が痛烈な金属音をかき鳴らし、女の投擲を避けるアカツキがその身で風切り音を奏でる。
肉薄。拳の間合いに女狩人を捉え、手刀をその首に叩き込まんとした。
しかし弾かれる。突如出現した透明な障壁によって。
陽炎のように揺らいで消えたソレに驚愕しながら、女狩人の短刀を飛び退いて躱す。
(女、いや老人の【ゼノギフト】か)
複雑に手を組んだ老人から立ち昇る【力】の気配を感じ取ったアカツキは、そのままバックステップを続けて、エイトルドと真っ向から組み合っている多腕の巨人の膝裏を蹴り飛ばす。
バランスを崩した巨人から離れ、体勢を立て直したエイトルドとアカツキは再び並び立つ。
向かってくる三人組に、[インベントリ]から取り出した手榴弾――アカツキが買いそろえていた消耗品の一つ――を投げつけて、情報交換の猶予を作り出す。
「老人が防御障壁だな。触れた感じ反射するタイプだった。女の方は多分金属に干渉するタイプの【外界作用】。避け続けるのは難しい。老人の防御も俺の火力じゃ抜けなさそうだ」
「デカブツのパワーは俺以上。もちろん手数も上だ。オマエじゃワンパンだな。けど俺じゃあ組み合えてはしても、押し切れない」
「変わろうか?」「の方が良さそうだな。来るぞ!」
黒煙を切り裂き、無数の拳打が唸り声を上げる。
アカツキはその拳の嵐の中に軽やかに飛び込んだ。その中心点である男の顔に驚愕が走り、しかし淀みなく多腕を駆動させる。
肩、背中、脇腹に生えているであろうそれらは巨人の身の丈の上回る長さを誇っており、それにふさわしい戦車砲めいた威力を拳に与えている。
アカツキの顔面を狙った拳が大気を搔き乱し、彼の足を狙った手刀が空を切り裂く。彼を挟み込むように振るわれた両の掌が爆音を発して、脳天を砕かんと振り下ろされた組まれた二つ分の拳が石畳を爆砕する。
「ちょこまかと!」
「アンタの無駄に多い手ほどじゃないさ」
かすれば即死の拳撃は、彼の衣服を掠めることすらない。
《ジョブ》によって能力値も遥かに向上しているはずの彼の拳が、なぜ当たらないのか。
その理由はアカツキが言ったように、無駄に多いからである。
先ほど述べたように多腕の巨人の腕は、近接戦闘において非常に高水準な射程と威力を誇っている。
だがその手の数に反して、巨人の手数は多くはない。
なぜなら一つの拳打を打つにあたって、その動きが他の拳の邪魔をしているからだ。
パンチとは、腕だけで撃つのではない。
肩や背中、あるいは腰の動き。渾身のストレートならば足のひねりといった下半身の力も、その拳打に上乗せすべきだ。
しかし彼にはそれができない。
大量の腕をその上半身に備えておきながら、下半身は巨躯に見合った丸太のような太さであれど、たった二本の足のみで支えているのだ。
当然そんなアンバランスでは、拳打の威力を全身から引き出すことはできない。
(【ゼノギフト】が肉体の動きを変えるのなら、それに見合った修練を積んでいるはず。だというのにこの動きのチグハグさ。こいつは……)
「アンタ、等級上がりたてだろう。動きが新しい体に慣れていないぜ。今まではもっと少ない腕で戦ってきたんじゃないのか」
「だからどうした!」
「図星か」
等級の向上とは【ゼノギフト】の最も有名で、最も幅の大きく、そして最も才能に左右される強化方法だ。
【小異能力者】から始まり、【奇異能力者】、【変異能力者】といったように段階を踏んで強化されていく。
個々人によっては一生【小異能力者】で終わる者も存在すれば、逆に発現から一年足らずで【災異能力者】に到達する者も存在している。
端的に言って等級間の戦力差は平均で十倍以上。
この異能至上主義が蔓延しつつあるこの時代において、等級の向上は歓迎こそされ、忌避されることはあり得ない。
しかし急激なチカラの向上は、少なくない『ズレ』を当人に与える。
【内界改変】によって強化され、増加した腕の威力は戦車砲並み。
腰の入っていない拳打でこれほどの威力を確保できるのは恐るべき腕力というべきだろう。しかしそれだけだ。
急激に変化した肉体に未だ動きが適応しておらず、《ジョブ》の恩恵を受けていないアカツキを捉えることすらできていない。
何より腕が多すぎる。
アカツキへの攻撃に参加できているのは、全体の三割程度に過ぎない。
残りの腕はアカツキほどの反射神経が無くとも避けられる程度の、弱い拳だ。
(動きが最適化されてたら、これまでに十発はもらってたかもな)
巨人の挙動に纏わりつくぎこちなさとその奥に微かに見える動きのキレから、このカインドという男は、かなりの巧者であることを感じ取った。
故にアカツキは油断なく、親友へと合図を送る。
それは強烈な踏み込みだった。
石畳に足跡を刻み込み、それだけにとどまらず小規模なクレーターを作り出す。
「決めに行くぞォ!」
「応ッ!」
親友の返事を聞き、彼は地を這うかのような極端な前傾姿勢を取った。
疾走を開始。拳の間合いの三歩外から、彼は多腕の巨人目掛けて矢の如く肉体を解き放つ。
巨人は迎撃を選択した。自らの拳の全てを下を向き、眼下の彼に拳の暴風雨が降り注ぐ。
アカツキはその暴風雨に何ら臆すことなく突入する。
一歩進む。拳風が彼の衣服と髪を搔き乱す。
二歩目。降り注ぐ拳のうち二つが彼の服を掠めた。
三歩目。雷の如き不規則なステップと、彼の身のこなしでも躱すことのできぬ拳が、彼の眼前に迫り――。
四歩目はなかった。
「なっ!?」
彼はその丸太のような両足をくぐりぬけたからだ。
視界が開ける。
映ったのは、突き立つ無数の矢尻をものともせず、十重二十重に重なった障壁ごと老人を殴り飛ばす親友の姿だった。
「エイトォ!!」
返事代わりに彼に放たれたのは【棘砲】。
味方であるはず彼に突如放たれた遠距離攻撃に、女狩人の動きが一瞬、停止した。
しかしそれは致命的な隙となる。
【棘】を身を捻って躱す。
否。身を捻ったのは回避のために非ず。
自らの疾走を、両足の躍動を、全身のうねりを。
拳に乗せるためだ。
「オラァッ!!」
コマのような回転運動は、拳の直線運動と全身の躍動を直結させた。
放たれた拳が突き刺さったのは、多腕の巨人の体にではない。【棘砲】の底面である。
【棘砲】の推進力に拳が加算、故の加速。
「ガハッ……!」
振り返りざまの巨人の胸部に、深く深く突き刺さる。
瞬時に視界から消えた彼を追うための当然の行動が、致命の隙となった。
「カインド! ミラー!」
「次はッ――」
女狩人の目の前で、漆黒の影が膨れ上がる。
それは肉薄した漆黒な鬼人であり、女狩人の終末、その擬人化である。
「――オマエだ」
肉塊は打ち上げられた。
拳の衝撃で跳び上がった女からは、既に命の気配が失われている。
それが地に落ちるよりも速く、三人組は光の粒子となってこの世界から退場した。
沈黙が周囲に広がる。
援護射撃の隙を伺っていた生徒の何人かはその機会がすでに失われたのを見て、構えていた手を卸した。
その内の一人が進み出て彼らに話しかける。
「やっぱ、あんたらえげつねぇわ」
「お、カズヤじゃん」
「お前も避難組か?」
「いやー、ゴーレム関連に興味があったから観察したくてさ。だからそこそこぶっ飛ばしてみたんだけど」
「どうだった?」
「駄目だわ。これたぶん【ゼノギフト】かなんかで土の人形を動かしてるだけだ。《錬金術》のゴーレムみたいに内部に魔術式が入ってない。こんなんゴーレムじゃねぇよ……」
「まあいい――」
アカツキの本能が絶叫した。
知覚能力を超えた危機に対して。
「――よけ」
最後まで放たれなかった言葉は、音より速く迫り来た脅威に対応するためだった。
結果は――。
「平和ボケしたガキどもにしては、随分と良い反応じゃねぇか」
宙を舞う、彼の右腕によって示された。