②人喰いトンネル
神奈川県と山梨県の県境の山奥に『山の神トンネル』はある。
付近で心霊現象が起こるとか、神隠しにあったとか噂が絶えないスポットである。
面白半分で訪ねて来た人もよく行方不明になっていることから、地元では『人喰いトンネル』と言われて恐れられていた。
もちろん法結と私は、酔狂に心霊スポット巡りにはるばるこのトンネルに、しかも夜中に、来たわけではない。
「それで今回の依頼は、人探しと言う訳かね渡尊君」
「そうがっかりするな、法結君。もともと探偵事務所への依頼なんて、浮気の調査や人探し、猫探しが一番多いものだよ」
法結はつまらなそうに、そのトンネルの入り口や、地面の様子を調べ出した。
依頼の内容はこうだった。
井出前完と鵜原いとは大学生の時に知り合い、恋人同士になった。井出前と鵜原は同時期に就職したが、鵜原の勤めた広告代理店はブラック企業で、すぐにメンタルを患い家に籠るようになってしまった。
井出前は鵜原に献身的に尽くしたが、鵜原は何かにとりつかれたように「つらたん…… つらたん……」と呟き続け、やがて井出前や家族の前からも姿を消してしまう。
鵜原が井出前に最後に残したLINEには、『人喰いトンネルに行く』と残されていたという。
「渡尊君、その『つらたん』というのは何かね?」
「さあ? 若者言葉だろう。痰を吐くほど辛いという意味ではないかな」
法結はトンネルとその入り口を十分に調べた後、トンネルの中に入り、奇妙な事を始め出した。
法結は持っていたステッキで入り口から10メートルくらいの所のトンネルの壁を叩き、音を確かめた後、さらに10メートルほど入ってステッキでトンネルを叩く。さらに10メートル…… という具合にその行為を繰り返していった。
「法結君、そんなことをしていたら夜が明けてしまうよ」
私の言う事を全く聞かずに、法結はきちんと10メートルの間隔をあけてその行為を繰り返した。
小一時間以上過ぎたころ、法結が戻って来た。
「渡尊君、大体分かったぞ。二週間後くらいからまたここに来て、毎晩見張る事にしようか」
「え? 一体何が分かったと言うのだね、法結君?」
ξ ξ ξ
二週間後から毎夜、私たちは『人喰いトンネル』を見張った。
「法結君、君はなぜ二週間後くらいに何者かがここを訪れると思ったのかね?」
「トンネルの入り口付近に泥道があっただろう、その中に普通の乗用車とは違う重量が重くて太いタイヤ痕が残されていた。
かなりきちんと二カ月に一回くらいこのトンネルに来ていたようだ」
「トンネルの中を叩いていたのは、何をしていたんだ?」
「トンネルのやや中央部くらいの所に、向こう側が中空になっている気配があった。こじ開けて入ってみると、簡単な事務机と、 さらに奥の方へと抜け道が作られているようだった。
さすがにあまり証拠になるようなものは残されていなかったが、机の上のテーブルカレンダーの日付けがだいたい二カ月に一日の日が斜線で消されていた。その秘密の部屋を訪れた日なのだろう。
後方の抜け穴は、いざというときに他の出口から逃げるためのものなのではないかな」
張り込みを始めてから7日目の夜。
トンネルの近くに怪しい人影が現れる。
「ひえっ! 幽霊!」
「慌てるな渡尊君。あれは…… 若い女性の様だな」
「こんな所までどうやって来たのだろう」
「恐らく少し離れた所までタクシーで来て、そこから歩いたんだろうな。渡尊君、今何時だね?」
「深夜2時10分前くらいだが」
「ふうむ……」
やがて10分後、午前2時ちょうどくらいに、真っ黒なランドクルーザーが静かに現れ、女性のそばに停車した。
女性は車から降りてきた黒ずくめの二人と、何言か声を交わしているようだ。
「人さらいという訳でもなさそうだな」
「例のトンネルの中の部屋に入られると厄介だな…… よし、渡尊君、踏み込むか!」
「危険だぞ、法結君」
私が言うが早いか、法結は隠れていた茂みを抜け出して、土手を駆け下りていた。
「ちょっと待ったあ!!」
二人組はすぐに法結を目視すると、いきなり威嚇の発砲をして来た。
サイレンサーが掛かっていたのか銃声もなく、運悪くその銃弾は法結の肩口を貫いた。
「ぐふっ!!」
「法結!!」
しかし法結は全くひるみもせずに、両手を上げて降参のポーズをして二人組と女に近づいてゆく。
「生憎、夜は不死身なんでねえ。自分たちは警察でもヤクザでもない、ただの私立探偵だ。ちょっと話をさせてくれないか」
肩を銃弾で貫かれても全く怯まない法結に動揺した二人組は、何かをこそこそと話し合っている。
「君たちは、あれか。いわゆる『逃がし屋』か?」
二人組は、顔を見合わせた。
「幸か不幸か私たちには君を逮捕する権限はない」
「私たちは、恐らく君たちに関わったであろう女性の手がかりが知りたいだけなのだ」
「どうだ、私たちの質問に、イエスかノーかだけでも答えてはもらえないだろうか」
二人はしばらく小声で相談した後、片手を上げた。
「五問か、五問だけだな、よし」
法結は、しめた、と言う顔をして、その灰色の脳を高速回転させているようだった。
「4カ月前ほど、鵜原という女性が、この人喰いトンネルに行く、と言って行方不明になっている。
その女性を知っているか?」
”YES”
「その女性を海外に逃がしたのか?」
”NO”
「北海道か?」
"YES”
「うーん、十勝か?」
”YES”
「十勝のどこ……」
二人組はタイムオーバーというサインを出して、車に乗り込んでいく。
私は思わず二人組に向かって叫んだ。
「待て、今まで逃がした人たちは、幸せに暮らしているんだろうな」
二人組は苦笑いの様なものを浮かべて、言った
「アア、モチロンダ」
ロボットが喋っているようなボイスチェンジャーで、機械的な声を出した。
「ヒャクニンニ、ヒトリグライハナ」
そう云い捨てて、二人組は女性を後部座席に乗せて、超急発進でトンネルの中に消えていった。
「法結、追わないのか?」
「ああ、残念ながらここから先は私たちの仕事でない。現実から逃げたい人と、逃がしたい組織の需要と供給のバランスがある限りこういう出来事はなくならないだろう。
用心深いあいつらのことだからもう二度とこの場所を使うことはないだろうしな」
「そうすると、『人喰いトンネル』と言う名前を変えなければいけないな」
その後、井出前君に連絡を取り、鵜原様が、北海道の十勝で、恐らく名前や姿を変えて暮らしているらしいことを伝えた。
「十勝ですか…… でも彼女は無事なんですよね、よかった。ありがとうございました。僕は一生掛けても彼女を見つけ出してみせますよ!」
と、元気に答えた。
「渡尊君……」
「なんだね法結君」
「あいつらの言っていた『100人に一人』というのがどうも引っかかっているんだが、実際今、現実に生きている人は、どれくらいの人が幸せなんだろうか」
「そうだね、例えば一日に一回でも幸せを感じることができれば幸せであると仮定すれば、それでも全体の3,4割くらいではないのかな」
「それでは、一日に一回でも不幸を感じる人を不幸だと仮定すれば」
「それは、7割か8割の人が不幸、と言うことになってしまうのではないのかな」
「人の世は、難しいものだな」
「そうだよ。だからこそ我々に依頼をしてくる人々がいて、それを解決する我々が必要なんだろう。
それにしても法結、北海道はともかく、よく十勝を言い当てたな」
「いや、とっさに帯広の豚丼が頭に浮かんだだけだ」
〈 了 〉