①弓ヶ浜の悲劇
いつごろから彼と、法結と旅を続けていた事だろう。
海岸沿いを走る列車は、夜の闇と、飲み込まれそうな漆黒の海と、時々通り過ぎる温泉街の灯りの中を走り続けていた。
「渡尊君、なぜ夜明けの雨はミルク色なんだと思う?」
法結は情緒的な問題を論理的に解釈しようとするために、唐突に変わったことを言いだすことがある。
「夜明けの空が段々と明かるくなって来たので、雨の色や形が認識できるようになった、という事ではないのかね、法結君」
「ふむ……」
法結はあまり納得がいかないように、その気難しそうな顔の皺をさらに深くした。
「渡尊君、人はなぜ色を認識できるのかな?」
「医者の私にそれを聞くかね。この世のあらゆる物に色が着いて見えるのは、太陽の出す様々な波長の光の内の決まった波長を反射して、その反射された波長の光の色が目に色として見えるのだろう」
「満点だ、渡尊君。それではこの夜明けの雨は、ミルク色の波長を反射した、ということかね」
「情緒的な心象の情景を唄ったものなのだろう。ほら、その次の歌詞は『ささやきながら降りてくる妖精たち』だからね」
「おおっと渡尊君、そこまでだ。『妖精』には我々の作者であるコナン・ドイルが苦い思いをしている」
私たちを乗せた列車は、思いだした様にその速度を落とし、夜のとばりの降りた駅へと滑り込んでいく。
駅には依頼者が車で迎えに来ているはずだ。
「全く便利な時代になったもんだな。サイトを開設しておけば勝手に厄介な事件が舞い込んできて、こうして現地にも来ることができる」
「まあ私たちは昼は動けない体だからな、大っぴらに事務所を出すことも出来ないし」
「全くだ」
乗降客もまばらなシモダの駅では、緑色のワーゲンバスがロータリーに停車していて私たちを迎えてくれた。
「随分と年代物の車ですね」
「ハイ、あ、僕が依頼した神木です」
事件の内容はこうだった
伊豆秋馬、井勢屋猛、神木慎之助の三人は左山大学の演劇部の仲間で、
毎年夏休みには弓ヶ浜の民宿「雨渦」でアルバイトをしに来ていた。
弓ヶ浜は、海岸線が弓を張ったような形をしており、遠浅で夏は家族連れの海水浴客で賑わう。
ライフセイバーの免許も持っているので、三人とも泳ぎはお手の物のはずだったが、ある晩、伊豆秋馬が忽然と姿を消した。
二日目の朝、少し離れた海際で、伊豆秋馬は水死体となって発見された。
遺書はなかったが、弓ヶ浜の海岸で、海側にかかとを揃えたかたちの秋馬の靴が見つかったので、警察は自殺と判断した。
遺体の顔や手にうっ血した様な傷跡が見つかったが、海中の岩などで受けた擦過傷であろうと判断された。
「おかしいんですよ、どう考えたって秋馬が自殺なんか、するわけがない」
こう言いながら神木君は目にかかるくらいのストレートな前髪を掻き揚げた。
「神木君、だったっけ。気持ちはわかるけど、警察は自殺って言ってるんでしょ……」
「で、自殺か他殺か、あるいは事故死か。事の真相を調べたいと」
法結は私の声を遮るように言った。
「え、依頼を受けるつもりなのか、法結」
法結は委細構わず。
「では調査を始めさせていただきましょう。渡尊、明かりになるものを貸してくれないか」
神木くんも私も呆気にとられる中、法結は岩場の方にどんどんと歩いて行ってしまう。
私は仕方なく、神木君と事件のことについて話してみることにした。
「そういえば、もう一人の友達はどうしてるの」
「ああ、井勢屋はこの事件にショックを受けたのか、すぐ郷里の仙台に帰ってしまったんです」
「それ以来連絡は取っていないんだね」
「そうですね、LINEしても何も帰ってこなくて」
神木君は、夜の岩場を飛び回る法結の姿を感心して見つめている。
「なんか、すごいですね。ありがとうございます、真剣に調べていただいて」
「ああ、彼はスイッチが入るとああなっちゃうんですよ」
私は、私なりの疑問点を神木君に聞いてみることにした。
「伊豆君は、亡くなる前には何か変わったことはなかったの?」
「いえ、彼は夕食もバーべーキューではしゃいでいたり、全く変わったところは無かったですね。むしろ井勢屋の方が、いつもと違っておとなしいというか、何か緊張している様な風でしたが」
「伊豆君と井勢屋君の関係ってどうだったの、例えば彼女を取り合っていたとか」
「ええ? まさか井勢屋を疑ってるんですか?」
神木君はびっくりして私に向き直った。
「ああ、いや念のためにね、何でも聞いておきたいので」
「あいつらはまあ、演劇部ではいいライバルっていうか、互いを認め合う仲でしたね。怨みとかそういうものは無いと思うけどなア」
「この弓ヶ浜の民宿にはすっと三人で来ていたの?」
「えっと、確か井勢屋がもともと高校生の時から五年くらい連続でバイトに来ていて、伊豆と僕は去年誘われてからですね」
「事件のあった夜で、何か覚えていることはない?」
「そうですね、昼間働き通しで夜はぐっすりですからねえ。いつ伊豆が出て行ったかなんて全く気がつきませんでした」
私には、事前に本庁の大岡警部に頼んで所管から秘かに聞いていた情報があった。
「事件の深夜、船のエンジンの音を聴いたり、何か大声を上げているのを聞いたという情報もあるんだけどね」
「ええ、本当ですか? まあ深夜時々花火をして騒いでいるグループがあったり、暴走族みたいなのが来ることはありますがね」
その時、岩場の陰の方から法結の大声が聞こえた。
「おおい! 渡尊君、ちょっと来てくれ!」
神木君と二人で急いで法結のいる岩場に駆け寄る。
「渡尊君、これをなんだと思う?」
「これは……」
法結の掌にあったのは、トローチの欠片の様な白い小さな物体だった。
「こんなもの何処から見つけてきたのかね」
「事件のあった夜は大潮に近い満ち潮だった。何日かたってはいるが、こういう岩場の隙間に流れ着いているものが残されていることがあるからね」
「これは、確証はないが、いわゆる『脱法ドラッグ』というやつではないのかね」
「ご名答だ。神木君、後は裏付けを取るために、明日の夜まで時間をいただけるかな?」
「は,はあ?」
神木君は目を丸くして私たちをまじまじと見ていた。
ξ ξ ξ
事件の真相はこうだった。
その夜、伊豆秋馬は、岩陰から弓ヶ浜の海岸を見張っていた。
友人の井勢屋猛が前々から脱法ドラッグの闇取引に関わっていることに気づき、深夜の海岸で密売船と接触をしている
現場を押さえ、その組織から抜けさせようとしたのだ。
井勢屋が密売船に乗り込むのを見届け、伊豆は意を決して海に飛び込み、単身船に乗り込んだ。
驚く井勢屋を尻目に、組織の売人に井勢屋にもう関わらないよう頼み込むが、その組織と乱闘となり、この時大量の脱法ドラッグが海にばら撒かれた。
伊豆は組織に捕まり暴行された上、海に突き落とされて命を落としてしまう。
井勢屋はそのどさくさに紛れて船から逃れ、組織の追跡を何とかまいてそのまま郷里の仙台へ向かった。
事の真相を法結から聞かされた神木君は、苦悶の表情を浮かべて法結に尋ねた。
「法結さん、なんで伊豆が自殺ではないと思ったんですか?」
「ああ、最初は履物の向きだね。自殺するものなら海に向かってつま先を揃えて靴を置くか、突発的なら脱ぎ散らかしておくものだろう
海に向かってかかとを揃えていたという事は、何としても井勢谷君を連れ戻してくるという強い意志の現れだったんじゃないのかな」
「神木君、この脱法ドラックの組織の件はもう本庁の大岡警部のほうへ伝えておいたから、遅かれ早かれ組織は暴かれると思うよ。
もし井勢屋君にこのことを伝えられるのなら、組織が壊滅されるまでもう少し郷里で身を隠すように伝えておいたらどうかな」
「ハイッ、そうします。法結さん、渡尊さん、本当にどうもありがとうございました」
神木君が去ってから、私は法結に尋ねた。
「君は、最初から犯罪の匂いを感じていたようだったね」
「ああ、もともと自殺の90%は他殺とも言われているし、確かに何か怪しいものを感じたね。なあ渡尊君」
「何かね?」
「私たちは複雑に絡み合った世の中の闇から、犯罪という赤い血を嗅ぎ出して生きている、そうだろう」
「アア、文字通り吸血鬼みたいなもんだな」
「全くだ、おかげでお日様の元では活動できない。不条理な生き物になってしまったものだ」
「世の中には理屈では割り切れない事も、たくさんあるようだな、法結君」
< 了 >