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異装少女と終末セカイ紀行  作者: ひなとはな
不変魔王
4/14

世界とセカイを廻すモノ



「ユキ?」


 苦い笑いを浮かべるユキに私はしどろもどろだ。触れてはいけないモノに触れてしまったらしい。全身から嫌な汗が噴き出る感覚だ。


「ユキ、ごめ……」


 そう言いかけた私に、ユキはピシっと手のひらを向ける。


「ううん、違うの。シグレは何も悪くないよ」


 そう言って顔を上げたユキは何かの覚悟を決めた顔をしていた。


「ユキが神様だって話はさっきしたよね?」


 私は首を縦に振る。あっさり聞いて、あっさり流したけど、言ってることは結構ぶっ飛んでるんだよなぁ。


「それでね、ユキって実は良い神さまじゃないの」


 うーん、良い神さまじゃないって自分で言っちゃう辺り良い神さまなんじゃないかって思うんだけど、それは一旦置いておこう。私は同居人がさっき呟いていたことを思い出す。


「そういえば私の同居人が異神って言ってたっけ?」


「……なんで、シグレの同居人さん?が異神なんて言葉を知ってるのか、ちょーっと詳しく聞きたいところだけど……。また後にするね」


 そういえば確かに、なんだけど、そもそも正体がよくわかってないからぁ。


「うん、シグレの言う通りユキは異神。その正体は神々の法に触れ、追放された神のこと……――らしいの」


 らしい、か。なるほど。ユキは記憶がないからなんでそんな大層な名前で呼ばれているのか知らないのか。


「例によってユキはなーんにもおぼえてないんだけどねぇ」


 いやーまいったまいったっ!と大げさに笑うユキは何と言うか、年相応と言うか、見た目相応で、それほど悲観的になっていないようだ。


「そもそもね!なんでユキがこの星にいるのかもよく分かってないの!!何千年も前にふと目が覚めて。ユキって名前も勝手に使ってるだけだし……」


 何千年と記憶がないまま放り出されることの恐怖も、辛さも私には分からない。だから、安易に大変だったね、なんて口が裂けても言えないけれど、せめて私といる時間くらいは楽しいものになってくれれば、なんて過ぎたことを思ったりする。ユキにとってはほんの一瞬の出来事かもしれないけれど。


「はじめは本当の名前を知りたかったけど、今となってはこの名前に愛着湧いちゃってね!」


 うん。私もユキって名前はすごく好きだ。その髪の色と、その澄んだ瞳が冬の良い所を寄せ集めたみたいで。雪っぽいし、ユキっぽい。


「そんなこんなで、魔法だって最初は今のシグレとおんなじだったんだよ?そこから世界中旅をして、魔法について勉強して、いろいろ学んで。ユキは歳をとらないからさ、いっぱいいーっぱい勉強したよ!たくさんの魔法を作って、この世界の魔法形態のほとんどユキが作ったようなものだもん!!」


 大きな身振り手振りで何千年と言う超膨大な歴史を超簡潔に説明してくれた。それにしても歳を取らないのかぁ。やっぱりそういうところで神さまなんだなって思う。老いという概念がないのだろうか。


「そんなユキがね、一つだけ覚えてたことがあるの」


「いったい何を覚えていたの?」


「――この世界が滅びるってこと」


 それは、なんとも酷な話だ。自分は何も覚えていない。自分の名前、その存在すらも曖昧で。それなのに、世界が滅びることだけは知っていた。私だったらさっさと諦めてしまうかもしれない。それでも諦めずに自分のできることを熟し続けたのは、きっとそこにユキの信念があったからだと思う。記憶という記録がなくなっても、魂に刻まれたその信念だけは無くならない。昔誰かが言っていた。


「じゃあ、ユキはこの世界を助けるために、この世界で目が覚めたのかもね」


「はっ!!たしかに!!もしかしてユキはこの世界を滅びの運命から救い出す救世主だった……ッ?!」


 私の投げかけた言葉に反応してごにょごにょと考え始める。


「それで?救世主様は記憶がないながらも魔法の研究をしてどうしたの?」


「ん?それはもちろん、この世界を壊そうとしてる元凶に殴り込みに言ったよ!!」


 しまった。雪のようにお淑やかな性格をしてるのかと思ったら、見た目以上にアクティブなお転婆お嬢さまだった。思い立ったら即行動!とは。


「ええ?!いきなり元凶の首を取りに行ったの?!」


「いやー、いけるかと思ってぇ……」


 にゃはー、と肩をすくめ、舌を出しながらおどける。どうやら、全然反省はしていないらしい。


「――結果は酷いモノだったよ」


 いや、反省はしているのか。後悔をしていないだけで・


「ユキじゃ手も足も出なかった。ユキには色々足りないことを教えられたよ」


「足りない?」


「うん。なんかね?神さまならぜーったい一つは持っているはずの神器っていうものがあるんだって。言うなれば神さまが神さまである証みたいな」


 神器……。八咫鏡とか、草薙剣とか、八尺瓊勾玉とか。所謂三種の神器って呼ばれるものなら知ってるけど。それに類する何かがあるのか。


「ユキそんなの知らないもんっ!」


 腕を上下に振り、ぷりぷりと怒るユキ。きっと神器を持っていないことをバカにでもされたのだろう。ちなみに、怒り方も可愛いので私は眼福である。


「なんか、神器持ってないことをめちゃめちゃバカにしてきてさー!!そのくせ、「まあ、貴様の神器は追放する際に記憶と一緒に封印したがな」って。じゃあ、絶対持ってない事知ってるじゃん!!」


 んー?追放するとき、記憶を封印した?なるほど。ユキの記憶喪失の原因はそこなのか。じゃあその封印さえ解ければ記憶が戻るってことか。どこに封印されてるのか知らないけど……


「結局、黒幕は顔に本当に黒い幕が掛かっててその顔拝むこともできなかったし……ッ!まあ、ユキの記憶が奪われたってことも、ついでに魔力も奪われてたってことも、何ならその記憶の中に魔法についての記憶も入ってたらしくて、ユキが弱体化している大きな要因の一つだってことも知れたんだけどさ……」


 意外と収穫多かったのね。それなら一概に無駄だったなんて言うことはできないね。


「でもさ、そんなに力の差があったら逃げることも難しくない?」


 両手両足縛られた人間が、飢えた猛獣の檻に入れられたら。どう足掻いても逃げる術はない。それこそ、飢えていると思っていたら、実は満腹で興味を示しませんでしたー!みたいな奇跡がおきない限りは。


「残念ながら、生き延びては無いんだよねぇ~。うん、ユキあそこで一回死んじゃったもん」


「ほえ?」


 なになに、神さまは不老だけじゃなくて、不死までついてるの?死んでも生き返るって……ん?いや、それだと元凶も倒せなくない?言及されてなかったけど、多分元凶も神さまだろうし。


「魔力も尽きて、武器も無し。そんなユキに向かってアホみたいな魔法を打ってきたの!!星を壊すようなえげつないやつ!!まあ、このまま死んじゃうのもちょっと癪だから、せめてもの足掻きと思って、この時計と一緒に滅びてやろう!と思って、この子を掲げて真正面から受けたの!!」


 そう言ってユキは羽織っていたパーカーのポケットから古びた懐中時計を取り出し、翳す。その懐中時計は11時27分を指して止まっている。


「それは?」


「これはね、終末時計って言って、セカイを終わらせるための時計。この針が12を指した瞬間、セカイはボロボロと崩壊してくの」






「……ん?えっ?!それじゃあ、あと3分で世界が滅びるってこと?!」


 私は慌てふためく。いや、実際あと3分で世界が滅びるなんて言われたところで何かできるわけじゃないんだけどさ。


「ちがうちがう!猶予は多分まだ10年以上あるから!!この時計はね、正確な時間を示すためのモノじゃないの。ただ、セカイの終わりを告げるためのモノ。実質的な時間の概念はないと思って大丈夫!「セカイの終わり」とかっていう、逆説的に不可能な概念を可視化しただけ。この時計に何か直接的な働きかけは無意味だし、何か影響が出るわけでもないの」


 それでも壊れないかなぁなんて一抹の希望を抱いてみたんだけどね、とユキは笑う。私にはどこで笑えばいいのかすこーし分からなかったけど。


 それから一個気になったのが、ユキの言い方がまるで、その時計のせいで世界が終わる、みたいだったのが気になる。




『――セカイは定義で溢れている』


「?」


『――セカイは定義の上で成り立っている』


『定義とは其即ち其の物を規定する全であり皆』


『森羅万象有形無形の是非を問わず』


『なれば其の物、終末時計の定義は如何に』




 これは、固有魔法?定義がどうとか言ってたね。魔法陣の形もさっきの氷魔法とはまた全然違う。そんなことを思っていると、ユキの手の上にあった時計がキラキラと輝き始めたではないか!


「シグレ、ちょっとこの時計に手を触れてみて」


 ユキにそう言われたので恐る恐る手を近づける。これ突然爆発したりしないよね?


 そーっとそーっとて触れてみる。すると時計の光が私を包み込んでいく。あ、なんかこの感じさっきと同じだ!同居人の部屋から出る時もこんな感じだった。あっちの方が何千倍も荒々しかったけど。まあ、中にいる奴が粗暴だからな、仕方なし。


(おいっ!!誰が粗暴だ!!ボクはお前みたいな感謝の顔面パンチなんかしたことねーぞッ!!)


 聞こえない聞こえないーっと。っておお?同居人以外の声が頭の中に響く。その声は無機質で、感情のこもっていない冷たい声。




『――万物には終わりがある』


『――それは神とて相違なし』


『――概念とて忘れ去られてしまえばそれまで也』


『――然りとてこの世に唯一終わりなきモノが存在する』


『――それ即ちセカイである』


『――森羅万象の基盤たるセカイに終わりはない。否、ただの一人とて其の終わりを認知する事叶わず』


『――故にセカイは終わらない』



 頭の中に話しかけてくる機械音声は淡々とややこしめな言葉を使って説明してくる。まあなんだ、私が要約するなら、つまりはこういうことだ。



 世界に住んでいるヒトが居ます。そのヒトたちが作り上げた概念はいずれ消えます。忘れてしまえば終わりだからです!モノなんて言う必要すらないですよね!

 神さまだって一緒です。この世界に不死はないのです。生命でないというのなら壊れ、崩れ、いつの日か塵芥となって消え去るでしょう!


 だけどこの世界には終わりはありません。だって、世界がなくなるなら、その前にヒトも、神さまもなくなるでしょ?そしてその最後に世界がなくなる。だから世界がなくなることを理論説明できても、本当になくなるかは分からない!

 ……シュレディンガーの猫かな?蓋を開けてみないと本当に終わったのか分からないよ!でもその蓋を開けれるヒトはいないよね!だから世界は無くならないんだー!!って。


「酷すぎる暴論を……。世界中の学者が泣くよ?」


『――是』


『――これなるは実に稚拙で愚かな暴論だ』


『――なれど事実であることもまた真』


『――そして、終末時計が暴論を覆す』


 はぁ、一体どんな原理で終わらない(笑)な世界を終わらせるって言うですかね。何かルールでもあるのかな?


『――制約は二つ』


『――其の一、φによる世界の破壊』


「待って、ふぁい……?ふぁいってあの空集合のφ?」


『――次いで其の二、最高神の数が全体の半数以下』


「おおいっ!!こっちの質問無視しないでよ!!最高神ってなんなのさ!!」


『――双方の条件が満たされし時、終末時計の針は進む』


『――その時がセカイの終焉也』


『――以上』


「ええっ!!終わっちゃうの?!」


『以下、想いの欠片を伝える』


「?」






『ンンッ……よっ、久しぶりだなぁ。元気してるか?』


「――ッ?!」


 ノイズ交じりに聞こえてきたのは……


『まあきっと元気だろう。なぁ、時雨、もしあのことを未だ引きずってるなら、俺から言ってやる。気にすんな。それからいいな?旅をしろ。仲間を集めて旅をするんだ。そしてその全てを綴れ』


「父、さん……」


 懐かしき父の声だった。旅をしろ?仲間を集めろ?それを綴れ?相も変わらず訳の分からないことを言うヒトだな、と思う。でも本当はそんなことどうでもよくて、アナタが良くても、私は良くないことが沢山あって。それを伝えたいのに上手く頭が回らなくって。こういう肝心な時に回らない私の頭が恨めしい。


『おやすみな』


 その声を最後に私の意識は深い深い水底へと沈んでいった。



――――――



『――それから。あん時は助かった。そしてすまねぇなぁ。わりぃけどもう一回頼むかもしれない。その時は、宜しく頼む。俺だって自分の子にもう一度頼むのは心苦しいんだ……』


(あぁ、分かった。分かってるさ。だから一々お願いなんかするな。ボクはその為にここにいる)


『そうか、助かる』


(……あんたの子供は良い友を持ったよ。あんたそくっりだ。うんと誇りな)




『そうか、ありがとう』




 徐々に覚醒する意識の中で父さんのその言葉が頭の中を木霊した。



――――――



「シグレ?大丈夫?」


 私の顔を覗き込むユキ。私の黒髪の隙間から除く白い顔には「心配」の二文字が分かりやすく書かれていた。


「……うっ、ってて」


 ズキズキと痛む頭を押さえる。なんと言うか、無理やり頭の中に情報を詰め込まれたみたいな気分だ。


「シグレ!ユキのこと分かる?」


 私の正面に回り、私の目をじっと見つめてくる。なんとなく体の中に微弱な魔力が流されてる気がする。ユキは心配性だなぁ。これは何だろう。回復魔法かな?それともスキャンみたいなもの?


「分かる分かる。国宝級美少女女神様の御尊顔を忘れる訳がないでしょう?」


 ちょっと深呼吸して肺を空気で満たす。肺一杯の空気は脳に送ろう。こういう時に、人間の身体って本当に酸素が必要なんだなぁ、と実感する。まあ、過ぎたるは毒なんだけどね、酸素。

 うん、段々と思考がクリアになっていく。少しずつ醒めていく頭でさっきまでのやり取りを思い出す。久々に聞いた父の声。その内容なんかよりもなんで?が一番初めに来る。そう言えば想いの欠片とかって言ってたな。


――もしかして魔法が使えた?若しくは、魔法が使えなくとも魔力の存在は知っていたとか


――そもそもあの声はなんなの?録音的なモノ?それとも……


 いや、いいや!一先ず置いておこう。なぜなら私の勘が今は分からないと告げているから!それに向こうでユキが体をくねらせながら「ふへへ~」ってあの顔で出しちゃダメな声出してるし。


「さっきさ、その時計に触れたら変なヒトが……ヒト?なのか分かんない何かがその時計について教えてくれたんだけど……」


 私はユキにさっきの機械音声に無視された疑問を聞く。でもその前にあの機械音声についても聞いておく。


「あー、あれはセカイの声だよ!まあ、世界樹の声だ、大衆意識の声だ!っていう学者も少なくないけど……。そもそもセカイの声を聴いたことがあるヒトが絶対的に少ないからね。知らないのも無理はないかなぁってユキは思うけどね」


 世界の声……。つまり、あの声は何でも知ってるってこと?


「なんにせよ、セカイの声についてこれ以上言及するのはやめておいた方がいいよ!」


「なんで?」


「それはもちろん、セカイの隠したい真実とか、消し去りたい過去とか、そういったものまで知ろうと思えばなんだって知れるからね。めんどくさーい神さまたちに眼を着けられちゃうよ!」


 ふむふむ。これこそまさに、触らぬ神に祟りなし!だね!!


「じゃあそれについては聞かないや。まあその世界の声?さんが言ったことで気になるのがいくつかあって……」


「あー、セカイの声ってすごい一方的だもんねー。是とか、否みたいな反応しかしてくれないもん!それで、シグレは何が聞きたいの?」


「φと絶対神」


「うん!それならユキでも答えられそう!!それじゃあ……まずはφから説明するね!ではでは、シグレはφと聞いて何を思い浮かべる?」

 

 再びユキ先生の授業が始まった。


「それはやっぱり数学の空集合だよね?あ、この世界にも数学ってあるのか分からないけど……。空集合ってのは……」


「――要素を一切持たない集合の事!察すがシグレ!せーかいです!!それから、この世界にも数学は存在してるよ?」


「そうなの?」


「うん、寧ろシグレの元居た世界より学問に関しては発展してると思うなぁ」


 それは意外過ぎる。何というか、勝手なイメージだが、魔法が発展すれば科学は発展しないってステレオタイプがあったから。


「数学以外にも、基本的な化学、物理学、生物学、地学、天文学、医学、薬学、病理学!果ては心理学や神学なんかもかなり細分化されて多くが幅広く、そして深く学ばれてるね!まあほら、シグレの世界より長命だし。何といっても、ここら辺の学問を一通りマスターしておかないと、学術への応用が出来ないもの!」


「学術?」


「ん?シグレの元居た世界にはそこら辺の区別なかったの?」


「うーん、多分あったんだろうけど……。私は気にしたことなかったなぁ」


 違いってあるのかな?何となく学術の方が専門性ありそうだけど……。


「学術って言うのは、結界術や封印術をはじめとする、術式を用いてこの「世界に干渉する学問」のことを言うの」


 結界術に封印術。なるほど、確かに「術」の文字が含まれている。そしてその学術も、世界に干渉、というのがキーワードなのかな。


「例えばユキのお城。あれにはすーっごいおっきな結界が何重にも張られてるの。だから雪や雨、風も防げるし、温度も湿度も自由自在に管理できるって訳!シグレの居た部屋、石造りなのに暖かかったでしょ?」


 なんと、結界術はそんなに便利なものなの?!物理的に存在しないものが、物理的な影響力を及ぼす。これは世界に干渉しているというのに納得だ。


「ああ、確かに!!ユキが裸足でペタペタ歩いてるの見てすごい焦ったけど、そういう理由だったのか!!」


「ふふん!どうよ!ユキの結界、凄いでしょ!その術式を立てるのに、いろんな学問の知識を詰め込む必要があるの。でねでね!この結界術を使えば無菌空間も、高温高圧も、無重力だって再現できる訳!さあ、ここまで話せばこの凄さが分かるでしょ!そして科学の発展も頷けるでしょ!」


 無菌空間!微生物培養において重要なファクターの1つ。尤も微生物に限った話ではない。医療分野でも必要不可欠だ。それがお手軽にいつでもどこでも作れるなんて!!


 それに高温高圧も、無重力も特殊条件下すぎて、相応の設備が必須。限られた研究者のみが用いる。序でに言えば、その設備はとてつもなく高かった気がする。億とか。


 それ以外にも応用が十二分に利く。嫌気性や超低温なんか可能という事なら確かに地球なんかとは比べ物にならないくらい進んでいるだろう。それこそ、高度な建築技術が要らないくらいには。


 これが異世界……!学術の発展のために学問を学び、学問の発展のために学術を極める。一見すると立ち行かなくなりそうな関係なのに。きっとこの世界の誰しもがよりよい明日を求めているんだろう。だからこそ、互いに協力し合い、これほどまでの体系を築き上げることが出来たのだと思う。


「まあ、ね。今は互いに足を引っ張り合ってるんだけどさ……」


 その言葉には悲しみがにじみ出ていた。


「今もさ、ユキの魔法を手に入れようと世界中が躍起になってここを目指してるんだ。ユキを倒せばユキの魔法が手に入るとか」


「え、でもユキは魔法を殆ど覚えていないんでしょ?」


「うん。それでも、この世界において、魔法の王を名乗れる程度の魔法はあるから。でも、多分使いこなせないし、固有魔法の譲渡なんてユキ出来ないし……。それなのに、勇者たちはユキの言葉に耳を傾けないし。魔法は作るものじゃなくて今では奪うものになっちゃったし……」


 ふーん、この世界には勇者がいるんだ……。


 魔王が魔法の王なのに。


「ああ!話が逸れちゃった!ごめんね、さっきの話の続きをするね!」


「ううん、凄い興味深い話をいっぱい聞けたから。こちらこそありがとう!」


「ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいです♪じゃ、続きを話すね?」


「お願いします!」


「φってのは、その通り空集合を表す数学用語。それをユキのことを魔王、希望を与える者を勇者と呼ぶように、ある特定の状態に陥った存在をφと呼ぶの。そのφって言うのはね……」


 ゴクリ。私は固唾をのんで次の言葉を待つ。


「――果て無き欲望に身を投じた者のことを言う」


「果て無き、欲望……」


「φは何をしようとも満たされることのない空っぽの存在。空っぽの集合体。だから世界はφと名付けた」


 欲望に呑まれ、欲望を叶える為に、逆に空っぽになった存在。欲に溺れたその先には破滅しかない。そんな言葉を嘗て耳にしたことがある。


「φはね、此の世の全ての生き物の中で最も憐れな生き物なの。神の、それも最高神の手によってその一生を狂わされた生き物の成れの果て。ほんの一瞬、針の先ほどの心の隙間に漬け込み、その欲望を広げ、広げ、広げ続けた結果、無尽蔵な欲望の塊となって、その歯牙はやがて神にすら届きうる。もっとも、そんなことを神さまが許す訳もなく。ただ、神々の遊戯に巻き込まれた駒となる」


「もしかしてさ、私の居た世界にもφが居たってこと?」


「うん、多分。シグレの世界のφがどんな存在なのかは分からないけど、最高神たちは互いに競い合ってセカイを混沌に陥れようと躍起になってるから。きっとシグレの世界のφも最高神のは手先として無意識に世界を荒らしてるんじゃないかな」


 無意識に世界を荒らす。最高神が世界を混乱に陥れようとしている。神さまの手先。本当にそんなのが居たのかな?


「そのφが居なくなれば世界を蝕む実行犯が居なくなる。だから終末時計の針が進むことは無くなるってこと?」


「半分正解、かな?φをどうにかしても終末時計の針は止まらない。でも、針が進みにくくなるのは確かだよ!」


 あくまでφはそれぞれの世界に罅を入れるだけの存在。沢山いればすぐに罅が増え、壊しやすくなるってことか。結局はその終末時計なんていう、世界を終わらせる概念を作り出した張本人をどうにかしないといけないのか。




「大体は分かったよ!じゃあもう一つの最高神について教えて?」


「りょうかーい!最高神ってのはね、まず、22柱います!」


「22?!多いね……」


「それぞれ番号と名前が振られててね、0番から21番まで。愚者、魔術師、女教皇、女帝、皇帝、教皇、恋人、戦車、正義、隠者、運命、力、刑死者、死神、節制、悪魔、塔、星、月、太陽、審判、そして世界」


 成程そうきたか。攻撃魔法では四大元素、支援魔法では五行が出てきたし、タロットカードが出てきてもそりゃ驚きはするけど、驚愕!愕然!!みたいなのはないかな。


「この最高神には幾つか権限が与えられているの。例えば、世界を創る権限。それぞれが一つ世界を創ることが出来るの。他にもそれぞれの最高神には権能があるの!」


 そういえば、最高神って言葉に聞き覚えがあると思ったら、そうだ。うちの同居人が異神と同じタイミングで口にしてたんだ!腐っても最高神の一角か、って。


「あのさ、これまた同居人情報なんだけど……」


「どーしたの?」


「ユキって最高神、なんだよね?」


「――!!」


 すごい驚いてる。分かりやすく動揺もしてる。


「……ねぇ、シグレのその同居人って何者?」


 若干の敵意の込められた目で見られる。めちゃめちゃ怖い。


「う、うーん、私にもよく分かんなくて……え?時が来たら教えてやる??あ、はぁ」


 私の頭の中でそれだけ言って帰っていった。


「……まあ、いいよ。シグレの中に居るんだもん。もしもシグレの害になるようならユキがこの世から抹殺してあげるから」


 その申し出はありがたいんだけど、何というか、その声が、氷魔法を使いましたか?と聞きたくなるくらいに冷え切っていた。


「あ、話をもどすね。ユキは多分、最高神なんだと思う。なんとなく、そんな気はする」


 するとユキはうーんと言って悩みだした。


「ユキ?」


「あ、ごめん!でもね、なんかどの名前もしっくりこなくて」


 そう言ってユキはまた自分の手のひらを見つめている。だから私も今までの話を思い返すが……。そういえば世界の声が何かおかしなことを言っていた。神さまもいつかは死ぬって。でも、ユキは生き返ったって言ってるし……あれ、そういえばどうやってユキは世界の破壊を目論む元凶から生き返ったんだっけ?確か終末時計を掲げて、一緒に死んでやるー!!って言うところまでは聞いたから……


「ね、ごめん、話を戻すんだけどさ、ユキはその終末時計を盾にして巨大な魔法に立ち向かったんだよね?」


「ん?うん、そーだよ!ってあ、そっか。その話の続きしてなかったっけ」


 私は首を縦に振り、肯定の意を示す。


「だからどうやって生き返ったのか気になって」


 するとユキは悩むのをやめ、説明を始めてくれた。


「魔法に当たったらね、なんかこう、じゅわーって感じでユキの指先から熔けていったの!」


「熔けっ?!」


「そりゃまあ、目算だけど300兆kJ(キロジュール)くらいの熱量あったと思うし……」


「――………ぁ?」


 言葉の通り、桁が違い過ぎて私には全然理解が及ばないんだけど……確か太陽の熱量が秒間42兆kcal(キロカロリー)とかだから、4.18倍したとして、約175兆kJ(キロジュール)

 太陽の熱量は1(平方メートル)あたり175兆kN(キロニュートン)動かす仕事をする。それに対して、ユキの受けた魔法300兆kJ(キロジュール)??


 んー、ちょっとよく分からないな。とりあえず、私だったら熔ける感覚すら感じる間もなく塵すら残らず消え去る自信があるわ。


「でね、腕がぜーんぶ熔け切ったくらいで、もう意識を保つことが出来なくてね。意識を手放したのです!」


 そんなに明るい声で言う話なのかな……?


「で、次に目が覚めたのは真っ白な部屋の中だったの!」


「真っ白な部屋の中?」


「うん!すっごい殺風景だったの。でもね、壁一面におーっきなスクリーンがあってね、そこにはずーっとよく分からない映像が流れてたの」


 ユキが言うには、そのよく分からない映像にはいろいろなヒトが映っていたそうだ。その中の一人に私も映っていたとか。だからユキは私が傷だらけで倒れていたのを見て助けないと、と思ったらしい。

 他にも黒髪の少年や、空色の騎士、双子の天使、なんてユキの記憶にないたくさんのヒトが居たという。彼ら、彼女らは何かをユキに向かって叫んでいたそうだが、その顔は目元は隠れ、口の動きもぼやけていた。だからなんて言っていたのか分からなかったとのこと。

 私は聞きながら、それはユキの失われた記憶なのではないかとも思ったけど、残念ながら私とユキは今日が初対面である。未来予知?うーん、分からない。


「ユキはぼーと見てたんだけどね、だんだんみんなの顔が険しくなっていって、気が付いたら視界が暗転したの。それでね、何かにこう、ゴンって頭を殴られた気がして、目が覚めたらユキはこのお城に戻ってきてたの!あ、頭にぶつかったのは終末時計だったよ」


 この話を聞いて思ったことはただ一つ。どういうこと?という感想だけだ。


 あまりに話の内容がファンタジーすぎる。そこまでのファンタジー力はまだ私にはないのだ。ファンタジーの過剰投与は体がまだ受け付けない。


「なんにせよ、ユキは怪我無く今も生きてる!で、ユキはリベンジをする!でも、今のままじゃどうしようもないから、封印された記憶を取り戻し、神器を見つけて、仲間を集める!」


「そーいうこと!で、シグレはユキと一緒に来てくれないの?」


 私はユキの切り返しに面食らう。ユキはニマニマと、悪戯が成功した子供のように笑っていた。私は、してやられた、と心の中で思いながら、


「――気が向いたらね」


 と小さく返した。きっと聞こえていないはず。ユキと私との距離はそこそこ離れている。そっぽ向いて呟いただけだし、聞こえてないはず。ユキは気のせいでは済ませないくらい目を輝かせて、ニコニコしてたけど。きっと聞こえていないはず。




「ふっふっふー!!まあまあ?シグレが一人で生きてくためにも?魔法を磨いておくことは大事だからねっ!!ここは一つ、ユキがシグレの固有魔法、に近いと思われる固有魔法を見せてあげようっ!!」


 わざとらしく語尾を上げ、こちらを見てくる。私は恥ずかしくなって顔を逸らす。同居人曰く、お前の耳赤くなりすぎじゃね?とのことだ。うっさいわ。


 そして目を輝かせるユキ。あー、なんか嫌な予感がするのは私だけ?


(ボクも嫌な予感がする……)


意外なところに仲間がいたかも。






『イ・ベン・エンフェル・ハー・レン・ネンテラー 創星神話第一章天地開闢ノ術』


『星を創る。零から壱を生み出す唯一つの究極術式。何人の理解も及ばず。何人の魔法も敵わず。エネルギーの収束を新たなエネルギーとして無限回の試行の末に辿り着く境地。我ら創星神の子。全なる世界の誕生に祝福を。』






 まるで読み聞かせの様に、穏やかな、包み込むような、温かい声に乗せて紡がれていく言葉……。ってか実際何語か分からない文字がユキから溢れてるし!!


 すごく幻想的なその姿。ユキの周りを光る文字が漂う。靡く白銀の髪。ふわふわと重力を忘れさせるように漂う。


 そんなユキとは対照的な頭上の危険物。黒い球体。赤雷、とでもいうのだろうか。赤黒い雷が火花を散らしながら黒い球体から放出されている。しかし、その光がこちらに飛んでくることは無い。なんと周囲のあらゆるものを吸い込んでるではないか!よし、あれを変わらない吸引力、ダイ○ンボールと名付けよう。


「あのぉ、ユキさん?これは一体?」


「んーっとね、これは語り部って固有魔法をユキも使ってみた……んだけどー……ちょっとマズいかも?」


 ポリポリと頬を掻きながら、ありゃー?と首を傾げるユキ。うん、拙いと思う。疑問形じゃなくて断定していいと思う。えへへー、張り切り過ぎて調節ミスっちゃったゼ☆じゃないよっ!!


「はぅ!!シグレ、運がいいよ!!丁度いい実験体が来た!!シグレはユキの後ろに隠れておいてね!!」


「わ、分かったっ?」


 突然の大声に驚いて、考えるよりも前に身体が動いていた。


 ユキに言われるまま後ろに隠れたけど……。んー、小学生くらいの女の子に隠れる高校生って絵面、ヤバくない?いや、何がーとは言わないけど、ヤバくない?






――――――





「ハァハァ、全くお前ら使えないんだよッ!!」


数刻の後、森の中から現れたのは人間?それから、あ、エルフっぽいのもいる。ケモミミさんもいるじゃん!本当に異世界なんだなぁ。ユキはあまりにも見た目がヒト過ぎる。


 ていうかなんだあの偉そうな奴。身なりからしてどっかの偉いヒトなんだろうけど。にしてもあの周りを見下す目とか、自分が絶対だと思ってるところとか、私は嫌いだなぁ。


「それにお前だお前!!はみ出し者の剣聖!!」


 そう言って偉そうな奴は黒い鎧に身を包んだ、いかにもな騎士に向かって文句をつけ始めた。ホント身の程知らずなんじゃないの?私でも分かる。あの数十人の集団の中で一人だけ魔力の質が異質だもん。ていうかなんかユキの魔力と似た魔力を持ってない?


「お前みたいなハズレの剣聖を雇ってやった俺のことを置いて行こうとするなんて!!お前の役割はこの俺を守ることだろうが!!」


「いいや違うな。私の役割は魔王を殺すこと。お前のお守ではない」


おぉ、顔まで甲冑で覆われているから声がくぐもっているが中々いい声をしてる。


「寧ろ切り捨てられなかっただけ感謝しろ。お前など魔王に殺されたことにすればいい。どちらにしろお前ら程度の兵力じゃ私には敵わない。死にたくなければその臭い口を閉じろ」


「ヒ、ヒィ……」


 い、威圧感半端ない……。そして目的がユキを殺すことっと。つまりあれが勇者?見た目明らか魔王側でしょ。






「なになに~??ヒトのお城の前で随分楽しそうな会話をしてるじゃない!ワタシもまーぜてッ♪」


 何と言うか剣呑な雰囲気の中をぶち壊しに行ったのはついさっきまで私の前にいたはずのユキだった。いつの間に、とか、さっきの魔法はどこに行ったの、とかいろいろ言いたいことはあるけれど、それよりもなによりも。


「え、なんで出ていったの?」


 私の紛うことなき心の声である。


「――ッ!!お前が、魔王……ッ!!」


 ほらほら!うーわっ、あの黒い騎士さんめっちゃ殺気出てるし。あの目に睨まれただけで10歳分くらい老けそう。


「おぉー!!だいせぇかーい!ワタシが魔王のユキだよっ♪どうもどうもこんにちは~!遠路はるばるお疲れさまでしたッ♪お疲れついでに自分のお墓を作ってくれると嬉しいんだけど……。本当に墓穴を掘る(物理)ってねッ!」


 いや、いやいや!!この空気でそれはさすがに何も笑えんて!!


「ぷー……」


 ユキは一つ息を吐く。


「――で、誰から死にたい?」


 おおっと。ユキも負けてないね。今心臓がヒュってなったわ。


「こ、ここ、この俺を誰だと思ってるッ!!ディカテューア帝国の第七皇子クナップ・ディカテューアだぞッ!!死ぬのはお前だッ!!白の魔王ッ!!」


 先からこのクナップさん、唾飛ばし過ぎじゃない?


 「うーんごめんねぇ?キミのことは知らないなぁ♪あ、でもでも~!帝国のことは知ってるよッ!どれだけ頑張ってもユキには敵わないことを理解しないバカな老害がまだ皇帝やってるんでしょ☆あの皇帝もモノ好きだよね~。だってワタシを倒せるくらいの力があればワタシの力無しで戦争なんか勝てるだろうにッ!!」


 きゃっきゃと無邪気に笑いながら、その無邪気さでは隠し切れない邪気を含んでユキは言葉を投げつける。もうその言葉一つ一つに棘があり過ぎて、もしユキにそんな風に煽られたら心が穏やかじゃなくなるわ。


「いいから邪魔だ。下がっていろ。魔王は私が殺す」


 黒鎧さんが剣を抜く。両刃の剣。あれは西洋の剣だ。確か切れ味が日本刀に比べて劣るから、実践では切るというより叩き切るみたいな力業で使っていたとか。でもあれどう見ても切れるよね?とても良く。


「ふーん、それ、本当に聖剣なんだッ!いやー、そんなに黒く濁った聖剣は初めて見たよ☆」


 あれが聖剣?あの真っ黒い嫌な感じのする剣が?絶対聖なる力とか授かってないでしょ。


「まぁ、いっか!なんでも。さっきからずーっとこれの制御をしてたんだけどそろそろ限界なの。じゃ、実験台よろ~♪」


そう言ってユキは上空のダイソ○ボールをクナップさん御一行に投げる。というよりかは落とす。



―――――



 凄まじかった。轟雷、轟音、そして天地がひっくり返るかと思うほどの揺れ。赤い光が爆発的に広がって、周囲を焼き尽くす熱線となる。ダ○ソンボール本体からは嵐と見まごうほどの風が吹き荒れ、草木は地面と別れを告げ、天高く舞い上がる。今日の天気は雪時々草だ。


 今私たちが居るのは、ギリギリユキの結界の範囲内。対してクナップさん御一行が居るのはギリギリ結界の範囲外。


 結界の凄さと、魔法の凄さを改めて痛感した。結界の外、あれこそまさに天変地異、というやつだろう。


「ふーん、ねぇねぇ!それは聖剣の力?それとも別の力?」


 いまだに結界の外は大荒れで、まるで嵐の真っ只中にいるみたいだ。土埃が待って、視界は不良。ユキの魔法の影響からか、魔力もすごくぐちゃぐちゃになってる気がする。


 ん?何か、カチャカチャと音がする。これは鎧のぶつかる音?ってまさか!ユキも気が付いているみたいだけど、あの魔法を受けてなおこちらに向かって突き進んでくる黒い鎧を身に纏う騎士。どうにも纏っているものが鎧だけじゃなく、黒い靄のようなモノも纏ってるように見える。


 それにしてもなんかユキと同じ魔力をあの騎士から感じるんだよなぁ。なんか分離できそうだなぁ。


(ああ、できるぞ。つーわけで、さっさと分離しろ、このうすのろ


 うおぅっ?!突然頭の中に喋りかけてくるのビックリするからやめて欲しい……。で、やり方は?


(そーだな、まずはこう口にしろ)




『オープ・ヌ・ボーク』




(そう。それは魔法言語と呼ばれる言語。詠唱のきっかけだ。意味としてはーそうだなぁ。「本を開く」かな……)


 本を開く……オープ・ヌ・ボーク。


(次に本の題名を言え。物語の魔法はその話から概念を抽出する魔法だ。物語から力を借りるととらえてもいいぞ。で、お前のそのヒト並外れた記憶の中に、分離の概念を借りれそうなモノはあるか?)


 分離の概念を取り出せそうな話……、たとえば……




Φαίδων(パイドン)


 そう口にした途端、私を大気中にある方の魔力が包み込む。


『哲学者は死を恐れない。死とは魂と肉体の分離であり、哲学者は魂そのものになること、即ち、死ぬことを練習している者であるのだから。κάθαρσις(カタルシス)




 パイドン、パイドーンまたはファイドンとも。プラトンの著書で、「ソクラテスの最期」という設定で描かれた作品。死は魂の消滅ではなく,人間のうちにある神的な霊魂の肉体の牢獄からの解放である。「魂の不死」についての対話。肉体の牢獄という言葉が非常に心に残ったのがきっかけで手に取った本だ。


 そしてこの言葉は私が読んだ本の目次の言葉だ。もっとも目次の言葉で魔法が成り立つのか分からないし、あくまで読んだのは日本語訳されたもの。問題が無いのかどうか分からないが……。大事なのは概念を抽出できるかで、抽象的でも問題はない、ハズ……。それにカタルシス、つまり浄化って言う、魂と肉体の「分離」を表す言葉も入れたし!


(んじゃ、後はバレねーよーにこっそり狙いを定めて魔法を使えばいい。これでお前も立派な半人前魔法使いだ)


 立派な半人前ってなんだよ、と思いつつもスルー安定で。今丁度鍔迫り合いしているからこの好機を逃さない手はない!



――――――



 うーん、中々手ごわいなぁ。流石は今代のアーサーと言ったところかな。ユキのお粗末剣術じゃギリギリ均衡を保っていられる程度だし……ッ。どうしたものか、と思ってたんだけど、なんか後ろでシグレが魔法を使おうとしてる!!初めての魔法だし、上手く行かない可能性の方が圧倒的に高い上に、大した魔法が使えないのがオチだろうけど、ちょっとくらいは期待していいよね♪


「ねーねー!なんでそんなワタシを殺したいの?」


 少しくらいの時間稼ぎにはなるかな?それに、ユキ的にはそんな恨まれることした記憶ないしなぁ。


「ふっ、お前のせいで私の人生が全て狂ったからな。かといって貴様を殺したところで私の狂った人生はもう戻らないがな。何、これは唯の憂さ晴らしだ」


 何こいつ。鼻で笑ったんだけど。ちょーっと失礼過ぎない??


「えぇー?!ワタシそんなことの為に殺されないといけないのー!!それは流石に嫌だなぁ」


 お前のせいで、かぁ。ユキの魔力を感じることに関係あるのかな?でも、何と言うかすごい存在がちぐはぐと言うか。もうその肉体も、精神も、魂もボロボロじゃん。それなのに、一体何を求めているの?


「チッ、いい加減本気でいくぞ。私には復讐をしたい相手がまだまだいるんだ。貴様にはその礎となってもらう、白の魔王ッ!!」


「その名前は嫌いッ!!ユキはユキって言うんですぅー!!こっちだって全力なのに~ッ!!……――手加減するのにね♪」


 ユキは一旦距離を取る。そして剣を構えなおす。腰は低く溜め、脇は締めて丹田に力を込めて、姿勢を正して、相手を見据える。魔力によるかなり雑な補助もしながら、両足に力を込めて、目一杯地面を踏みぬく。ふんっ!!っと距離を一気に詰め、空中で静止、全てのエネルギーを剣に乗せ、魔力による指向性の調節によって衝撃の方向を指定して、袈裟斬り。


 上から下への斬り下げを受ける為に、聖剣を掲げて剣身で受け止めるが、衝撃すらも操作したユキの一撃は、こんな見た目からは想像も出来ないくらいに重い一撃になったようで。鈍い金属音とともに、聖剣は地面へ突き刺さり、黒い鎧はパックリと大きな穴をあけた。聖剣が折れてくれればよかったものを、聖剣はそう簡単に折れない。だからその腕には相当な負担がかかったんでしょ?右手はグキっという音とともにだらんと垂れ、剣に添えていた左手には、小手に深い斬れ込みが入っている。ふふん!まさかこんな身長のやつに上から斬り下されるとは思わなかっただろっ!!


 ちなみに、今のユキは空中で静止中。全部のエネルギーを剣に持って行ってしまったので、慣性も働くことなく、ユキは空中にとどまっている。と言ってもコンマ何秒だけだけど。


 でも、斬って、もう一個何かできるくらいの時間はある。なので、ユキは斬りぬいた勢いそのまま剣を地面に刺し、それを起点に、体を持ち上げ、右手を剣頭に逆立ちをし上から下に、左足を下す。これはかかと落としではなく、上から下に向かっての上段回し蹴りだ。


 そして見事に頭にヒット。これで脳震盪でも起こしてくれればいいんだけどっと。さっさと距離を離した方がよさそう。


 あ、ちなみに、さっきの発言ははったりに決まってるじゃん!もうユキね、ヘロヘロ!!今の二発が今のユキにできるかなり限界の動き!!そもそもの体格差があり過ぎるの。ジャンプしないとまともにやりあえないって振り過ぎるんだっ!!それにユキの剣は確かに普通よりいいものだとしても向こうは聖剣なんていう代物だし。消耗が激しすぎる。後2、3回打ち合ったら確実に壊れる。




 ――まあ、そこら辺を魔法で埋めてこその魔王だよね。


『論理術式多重展開 パーティクル・ガン』


 これはさっきシグレに見せた固有魔法。それの更に応用版。固有魔法すら魔法陣にしてしまう、これこそ魔王の研究成果!その原理が魔法というより学術のモノに近かったから「論理術式」と名付けた。


 メリットとしては今みたいに簡単に魔法が使えるので複数同時に魔法を使える。デメリットは言わずもがな、やっぱり威力が落ちる。


 今回に限っては手数が多ければいいだけなので好都合だね!


「くっ!!ぐ、がはぁッ!!フッ、ふふッ、こんな子供騙し。私に通じるとでも?」


 ありゃ、もう立ち上がったのね。せめて寝ている間に済ませてあげようかと思ったんだけど。


「さー?やってみないと分からないじゃない!それに子供騙しって思ってる時点でもう十分通じてる気がしてるけど?」


 ユキは口の端を吊り上げて笑う。


「何?」


射出ショット


 地面に刺さった聖剣を抜き、構える。でも、もう遅い。さ、どんどん発射していこー!!そして、うんうん。そんな程度の氷の粒はご自慢の剣技で弾きたくなるよねー……。






――残念


 それは受けちゃダメなんだなぁ。パーティクル・ガン。この魔法の本質は、内側から変化を与えること。氷魔法なら、内側から凍らせる。火に応用したなら、内側から燃やす。


 だから、この魔法はよけないとダメ。剣で弾こうものなら、その件は内側から凍り付く。鎧で守ろうと思ったら、鎧をすり抜け、体内から凍り付く。


 ほら、見たことか。手足がパキパキと音を立て凍っていく。無理に動かせば筋繊維なんかに傷がつく。血管だって傷がつく。これが内側から凍ることの恐ろしさだ。


「な、なんだこれは!!クソッ!!手足が……」


「ね?子供騙しと思った時点で騙されてるの!魔王をなめちゃーメっだよねッ♪」


「貴様……!!」


 さあどうだ。これなら身長差も、武器の性能も補えるくらいだろう。ついでに言うと、ユキはもう、魔力が限界で、これ以上魔法を使うのは遠慮したいの!!ほら、早くやられて!!


 ユキの一撃を受け止めるが先までとは打って変わって押し返してくる力が弱い。でも今のユキじゃ倒しきるには決定打が足りない。




 でも十分。もとより時間稼ぎのつもりだし。さあ、シグレの魔法を見せて!ユキの勝手な期待に応えてみせてよ!




『オープ・ヌ・ボーク』


Φαίδων(パイドン)


『哲学者は死を恐れない。死とは魂と肉体の分離であり、哲学者は魂そのものになること、即ち、死ぬことを練習している者であるのだから。κάθαρσις(カタルシス)


 シグレの、雨のようにしんしんと、澄んだガラス細工のような声が響く。




――あぁ、なんて綺麗な魔力だろう


――あぁ、なんて綺麗な呪文だろう


――あぁ、なんて綺麗な魔法だろう




 魔力によって靡く黒髪がこれほどまでに幻想的に見えるなんて。数千年、沢山の魔法を見てきた。でも、こんなにきれいな魔法があるなんて。ふふっ、初めて知ることも多いものだ。


 ユキ達の足元に浮かび上がる魔法陣。ふふん、今更逃げようったって遅いんだから!ユキの氷で動けないでしょ?

 魔法陣からは眩い光があふれだす。シグレの体温に包まれているようでユキは心地いいんだけど、お相手さんはそうでもないみたい。何やら、うめき声が聞こえる。ユキの剣を押し返す力も弱まっている。


 瞬間、光の輝きが最高潮に達したかと思うと、その光は徐々に薄れていった。




 ユキの剣にかかる力がなくなったことを不思議に思いながら目を開けると、そこには、氷が溶けて自由になってるアーサーが……。――えっ?!なんで溶けてるの!!あの氷はユキが溶けるよう魔力を込めないと溶けない筈なのに!!


「な、何をした?体に、力が、入らない……?!」


 地面に膝をつけ座り込んでいる。本当に力が入っていないみたいだ。


「おおー、成功、成功!すごー、これが魔法かぁ。あ、何をしたか?んー、一言で言うなら浄化?」


「浄化、だと?」


 シグレは木陰から出てきてユキの下へ駆けつける。どうやらユキに危害が加わっていないかを確認しているらしい。特に、異変はないけど、なんか少し元気になったかも?


「そそ!詳しいことは全然分からないんだけどね!!」


 浄化……?一体シグレは何の概念を魔法にしたの?そもそもユキの氷は浄化したところで溶けないだろうに。


「チッ!余計な邪魔が入ったせいで、仕留め損ねた。今日は引く。だが私は必ず貴様を殺す!!」


「んー、逃がすとでも?」


 私は素早く結界を張る――おおっと?


「ああ、逃がさせてもらう」


 そうしてその実からあふれ出した黒い靄は皇子と聖剣使いだけを包みこんで影へと消えていく。うーん、結界を破られたかぁ。ま、いっか!



―――――――



「いやー、怖かった!!」


 なんかよく分からないけど、上手くいったみたいだから良しとしよう!本当に怖かったんだからね?!


「シグレ、凄い!!ユキだけじゃ太刀打ちできなかったもん!」


 ユキに褒められると少し、いや、かなり照れる。


「ううん、凄いのは私じゃなくて魔法だよ。物語の魔法が想像以上に強いみたい。ホント何でもできちゃうんじゃないかぁ?」


「たぶん、その魔法で、何でもできるって言えるのはシグレくらいだと思うよ」


 ユキは少し呆れたように笑った。


「それにしても、シグレは一体どんな魔法を使ったの?ほんとに浄化?」


 おお、さすがは、魔法の王。やっぱり気が付くのか!


「ううん、正確には分離の魔法だよ」


「分離?」


「うん。なんかさ、ユキの魔力があの騎士からしてさ。分離できるのでは?って同居人に聞いたらできるっていうんで、してみました!一応ね、浄化もできると思うんだけど……メインはやっぱ分離かなぁ」


「ユキの、魔力を……分離?ああ、だから氷が解けたのね!!」


 何やらユキは納得したらしい。ああ、そうだ。あとでこの分離した魔力をユキに返さなとね。


「まあ、そこら辺は後にしよっ!今日はもう疲れたよ~!!シグレが目覚めてからバタバタ続きだったからね!」


「うっ、それはなんか申し訳ない……」


「あははー!!気にしなくていいよ!ユキも久しぶりに楽しかったからさ!よし、お城に戻ろ!」


 ユキは私の手を引いて中庭と城内を隔てる大きな扉に向かう。


「あ!そういえば、シグレって料理できる?」


 ふっふっふー!私の家事力はかなり高いからね!


「勿論!異世界の食材がどんなものかわかんないけど……。もしよければ私に作らせて?せめてものお礼ってことで!」


「おおー!じゃあシグレシェフのお任せコースで!!」


「承りー!!」


 私たちは光が灯され、蝋燭の火が美しく輝く石造りのお城に向かって歩いていく。


 今日はなんとも濃い一日だった。今日を一言で表すのなら……




 うん、『死ぬほど充実してたッ!』かな♪



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