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闇町フラッシュパンチ (3)

  3.


「ハナダ青も闇町も、何をしたいんだろう」大鷹は通路の隅を見やったまま、口を動かさずに呟いた。共同第八ビル十二階。赤波書房株式会社の事務所の、入り口の真ん前である。

「そんなに変な方向見てる事ない。うちが赤波に用があるのは自然な事だし、逆にそうでなかったら却って警戒される」

「こんな所にあからさまに突っ立ってていいんですか?」

「いいんだよ。うちはなあなあ捜査局だ」エリナは壁に背をもたれて腰を下ろし、通路向こうの赤波事務所を平然と眺めていた。大鷹は座る気になれない。直に座っていいほど通路が清潔だとはとても思えなかった。

 天井の低いビルである。手を伸ばしてジャンプすれば、楽に届くだろう。通路は薄暗く、じめじめしている。日が当たらないからだろう、打ちっ放しのコンクリートは薄気味悪いほどひんやりとしていた。

 通路は無闇に入り組んでいる。大鷹とエリナが今いる通路が一応『大通り』のようだったが、その大通りですら途中で変に折れ曲がったり狭まったりしていた。そこから小枝のような細い通路がいくつも分かれて、暗い奇妙な空間へ、奥へと続いている。その通路も大抵が途中で折れ曲がって、あるいは更に枝分かれして、どこかしこの扉に続いているようだった。扉はどれも鉄扉である。黒いペンキで素っ気無く、「代2」「P」「(禁)」など意味の知れない標識が書かれている。中には面倒になったのかお金が無かったのか、マジックペンで手書きされた文字もあった。エリナの説明では、殆どの扉が赤波書房の使う出入り口らしい。

「闇町で調査員に手を出すのはスリだけ。これは覚えといた方がいい。疑心暗鬼になって過剰な反応すると、危険だよ。だいたい闇町の中間層なんて、誰が何やってたって誰も気にしない。自分に関わりの無い事には無頓着、というか、首を突っ込まない。それが生きる為の知恵だから」

 確かに、通路にはさまざまな人間が忙しなく行き交っていたが、大鷹達に目を向ける者は一人としていなかった。闇町では隣り合うビル同士が必ず『架橋』で繋がっているから、こういった通路はただ通り抜ける為に使われているのである。第八ビル自体に用がある人間は一人もいないようだ。

「僕はどうも納得できません」

「闇町は風波政府に手を出せないんだ」

「そうじゃなくて、ハナダ青の事です。これから、どうする気なんでしょうか」

「さあ。目当てはお金かも知れない。闇町はカゴ島への引っ越しの為にだいぶ散財してるからね……こういうトラブルがあれば、政府はお金で解決しようとするに決まってるから、それが狙い目なのか。あるいは、本当にハナダ青が裏切ったか。にっくき日本政府に復讐する為に、SKの情報をごっそり持って逃げ出した」

「何処へ逃げるんです? 風波政府の後ろ盾なしで、日本政府に対して何かできますか?」

「直接何かする事はできない。でも、彼女達は証言者だ。過去に日本政府がやった事を、全世界に向けて暴露する事ができる」

 赤波書房の事務所の入口もまた鉄扉だった。他の扉と同じように黒ペンキで、「赤波書房株式会社」とある。扉は全体がクリーム色の塗料で保護されていたが、端からぱらぱらと剥がれ落ちようとしていた。剥がれた所からは茶色く錆びた鉄板が覘いている。ずっしりと重たい扉ごしには人の気配が全く感じ取れず、他のどの扉とも同じように、その扉は部外者を頑なに拒んでいるようだった。

 病院だ、と大鷹は不意に思い当たった。このビルのこの階が醸し出す空気は、病院にそっくりなのだ。大鷹の祖父は持病があってよく入院していた。母親に連れられて、幼い大鷹はよく見舞いに行ったものだった。その時、歩いた廊下が、丁度こんな廊下だった。どこが似ているというわけではない。しかし、枝分かれし、部外者を拒み、正体を隠した無数の通路。無数の扉。それらは入院患者や見舞客の目からさり気なく隠されてはいたが、大鷹はそこに通路があり、扉がある事を感じ取った。そこは大鷹のような部外者が触れてはならない場所であり、開け放された病室からは隔たれた場所であり、暗い秘密の隠された場所だった。血の気配。死の気配。

「具合が悪いの、大鷹くん」エリナが見上げていた。

「いいえ……なんだかここは、病院に似てると思って」

「ああ。本物の人間を扱ってるからね。今も丁度、解剖中だそうだ。今朝どこかで誰かの死体が見つかってここに運び込まれた」

「解剖って……本当に切り開くんですか? 何の為に?」

「私が知るわけない。解剖解剖って皆言ってるけど、冗談じゃないかな。体の中が見たいなら電磁波でも何でも当てて好きな角度から写真に撮ればいい。それくらいの設備は揃ってるはずだ」

「ここが何をやっているか、情報局の方でもはっきりとは知らないんですね」

「うん、だって、闇町の方でも知らないくらいだからね。ここは完璧な秘密主義。金も力も持ってないから却って脅しようが無い。それでいて四大組織の棟梁達からの支持は絶対だ。坊や坊やって、とんでもなく可愛がられてる。赤波柾がね。……おや、噂をすれば」エリナは向こうからボディガードを引き連れてやってくる一人の男に目を向けた。

 アウトドア用品のカタログの表紙に載っていそうな、わざとらしい格好をした男である。しかし勿論、かなり上等の服だろう。カーキ色の袖無しジャケットにはポケットが沢山付いていて、そのうちの二つは手を突っ込む為にあるらしかった。少なくとも彼はそう思い込んでいる。帽子をかぶり、真っ黒なサングラスをかけ、これから山に行きますと道行く人に宣伝しているようだ。髭は無精髭らしく見えるように伸ばしていた。

「誰です?」

「桜組の棟梁。本塚高蔵もとづかこうぞうだ。赤波に用かな……すると、彼もグルか」

「棟梁って、大工の親方みたいですね。総長じゃないんですか?」

「総長はご存命だ。四人とも。そろそろ全員七十越すのかな。ハナダ青がね、三年かかって四人とも退けた。ジジイに用は無い、息子を出せってね。それで、若者だけが寄り集まって作ったのが、非公正取引委員会」

 本塚高蔵は真っ直ぐ赤波書房事務所の入口にやってきて、鉄扉を遠慮会釈もなくどんどんと叩いた。逆の手に、ボディガードの一人が半透明のビニール袋を手渡す。中に入っているのは黄緑色の球体。プリンスメロンに見えた。

 扉の向こうでは来訪者に名前を尋ねたらしく、桜組の棟梁は「本塚だ」と言ってまた扉を叩いた。すると応対の者は戸を開けるのを渋ったようで、本塚は「うるっせえ開けろ、俺を誰だと思ってる」などと悪態をついた。扉はやっと開いた。

 小野小町の如く髪を伸ばした、浴衣を羽織った男だったので、赤波柾だと分かった。背の高い若者だ。疲れ切って死んだような目をしていたが、その目でちらりと大鷹達を見やり、次に素早く本塚の手元を見やった。

「何の真似です?」赤波柾は迷惑そうに言った。

「見舞いじゃねえか。今朝の、大丈夫だったのか?」

「いつもの事です。お気遣い無く」

「息子さんがお出かけだそうじゃねえか。それに体が一つ来たそうだな」

「今、終わった所です」

「ただでさえキツイのにこれから休む暇も無いんだろ? これでも食って力を付けとけ」

「そうですか。じゃ、頂きます」一度は遠慮するという日本語文化圏の常識を堂々無視して、赤波柾はあっさり受け取った。よほど嬉しいらしく、唐突に仏頂面をやめて微笑んだ。

「風の便りで聞いたけど、お前、一人じゃ安心して眠れないんだってな。今から昼寝すんなら、俺が付き合うぜ」

「冗談でしょう。帰って下さいね」

「お休みのキス」

「結構です」赤波柾は、素早く身を引いて扉を閉めた。バッタンと大きな音がした。

 本塚高蔵はちょっとのあいだ扉を見つめていたが、まもなく機嫌よく口笛を吹きながら歩き出した。さっき来た方向とは逆である。どうやら別な用事のついでにここに寄ったらしかった。

 大鷹はしばし無言だった。

「赤波の初恋は雨陰信条あまかげしんじょうという男の子で」エリナは勝手に解説しだした。「ミナタクル中毒で突発的に自殺した。赤波はその復讐に、ミナの卸売りをしていたヤクザのボスを撃ち殺した」

「知ってますよ。それで上層部がカンカンになって街中の不良を刈り取ったんでしたね」

「そうそう。大鷹くんもだいぶ事情通になったじゃないか。彼は一度日本に逃げて、数ヶ月後に闇町に舞い戻ったんだけど、本当ならその時に殺されてしまうはずだった。本塚高蔵が彼をかばったんだ……どんな下心があったにせよ」

「でも、それだけのツテを頼って生き延びたのは、彼の才能でしょう」

「そうだろうね。骨がある。怒りにまかせて人を殺してしまうなんて、あまり褒められた人間じゃないけど、努力は認めるよ」エリナは喋りながらも、せわしい人の流れを鋭い目で追っていた。

「怒りにまかせたわけじゃ……ありませんよ」大鷹はやや暗い目で言った。「彼の動機は正当でしょう」

「動機とか倫理の問題じゃない。彼は自分の手で人を殺した事で苦しんだはずだ。今でも極端に病弱なのは、その後遺症。自分がそんなに苦しむような事を、後先考えずにやるって所が、浅はかなんだ」

「手厳しいですね」

「そうかな。私は寛大だよ。君よりはね」

「僕より?」大鷹はエリナを思わずじっと見下ろした。足元が揺らぐような気がした。

「そう睨まなくてもいい。君は自分に手厳しい人間に見えたから、言ってみただけ」言いながらエリナは先程本塚高蔵が去った方向を目で示した。「もう一人、重要人物がいらっしゃった」

「今度は何組ですか?」

高橋愛史いとしだよ」

 人込みの向こうに、二十歳ほどに見える青年が一人歩いて来るのが見えた。この暑いのに全身黒ずくめで、しかし涼しげな顔をしてやって来る。SKの中枢、中央研究所の臨時職員だったという奇特な経歴を持っていて、大地殻変動当時まだ子供だったSK被害者達の保護者役を務めてきた。SKの情報を握っている事だけを武器に震災後の大混乱のさなか北の島に渡り、風波国を独立させた男である。風波はSKの情報を手にしたおかげで日本から独立し、替わりにSK被害者達を日本政府の手から守った。しかし、その同盟関係は十七年前の事件で崩れ去った。

「彼はハナダ青の味方でしょうか」

「どうかなあ」エリナは青年から目を放さずに呟いた。「世界妖怪自治連盟会議……妖自連。ハナダ青をどう思ってるのかな。似ている立場に置かれた同志でもあるし、水無貴流の娘という意味では敵でもあるし。でも、リーダーの高橋愛史は、彼女を覚醒させる為に物凄い犠牲を払ったんだけどね。ハナダ青が薬漬けで七十年間眠らされた事は知ってるでしょう。その間、彼は風波政府とずっと交渉し続けて、政府に極秘の研究機関を作らせて、ハナダ青を覚醒させる方法を研究させた。それで、風波七十年にやっとハナダ青は瓶の中から出て来たわけ……日本政府は慌てたんだろうね。高橋愛史を誘拐するという暴挙に出た。妖自連の子の一人がね、現場に居合わせて、日本政府からの追っ手を一人殺してしまった。今、赤波書房の副長になってる岸実生がその子だ。それで、そんな騒ぎがあって妖自連はハナダ青も含めて皆闇町に逃げ込んだわけだ……」

 高橋愛史は赤波書房の入口の前に立つと、首に下げてシャツの中に入れていた鍵を引っ張り出し、ドアノブの中央の鍵穴に差して回した。それからちらりと大鷹達を振り返り、素早く鉄扉を開けて中に入って行った。彼の大きな、綺麗な瞳が大鷹の目に妙に焼き付いた。

「彼は赤波書房の社員ですか?」

「いや。高橋は去年の暮れに突然闇町に現れた。それで、何回か赤波やハナダ青と接触があって……六月頃からここで暮らし始めた。だから、何か企んでるのは確かだ」

「ハナダ青だ」大鷹は人の流れに紛れて何気なく歩いて来る小さな少女を見つけて、思わず口に出した。

「遅い」エリナはやや冷たく言った。「視力が足りててその遅さじゃ、まだまだ調査員は務まらない。少し訓練が必要だね」

「僕は、闇町が見たかっただけですよ」大鷹は思わず言ってしまった。「調査員になりたいんじゃありません」

 エリナは少し考えたようだったが、「ここで突っ込むと君はまた地図の話をするんだろう」と言って目を逸らした。大鷹はかっとなった。

「エリナさん」

「真打ちだ。目を離すな」エリナはハナダ青を鋭く一瞥し、すっと立ち上がった。

「高島さん、僕は」

「君が何かの事情でうちに例外的な我儘を通したのは知ってるよ」エリナは大鷹の顔を見もせず、急に低く言った。「闇町の観光をしたいと言ってきたそうだね。私は詳しい事は知らされてないけど、君の素性は大体見当が付く。適当に観光案内してさっさとお引き取り願え、というのが上からの指令だけど、私はちょっと逆らってみるよ。君を新人の調査員として扱う。君にはそれが必要だと思う。分かったね」

「調子に乗るな」大鷹は興奮を抑えられなかった。

「出過ぎた真似なのは分かってる。でもほっとけない」

「貴方の上司は気付いてる」

「勿論、気付いてる。基地にログインした時点でその旨が本部に送られてるからね。部外者を基地に入れた事でこっぴどくなじられた。気に食わないね。現場に居ない人間にとやかく言われたくない」

「そんな事」

 ハナダ青が近付いたので、エリナは大鷹を黙らせた。少女は赤波書房の入口の前に立ったが、鍵は持っていなかった。華奢な、しかし案外力強い拳で鉄扉を二回ノックした。返答は無い。大鷹は、無垢な姿の少女が信じがたいほど汚い言葉で悪態をつくのを聞いた。それも、闇町の最下層特有の、ひどく崩した発音である。ハナダ青は、もう二三度扉を叩き、しまいに右膝で思いきり蹴り付けた。数秒後、扉がやっと開いた。

「すみません」赤波柾は、桜組の棟梁に応対する時よりもずっと腰が低かった。「聞こえてたんですが」

「いえ、まあ、ストレス解消です」ハナダ青は低く抑揚のない声で言った。「寝てらしたんでしょう。また倒れたそうですね」

「すみません」

「無闇に謝らないようにね。反省してるなら、無理は控えて下さい。大介さんは?」

「武器の調整に」

 赤波柾がそう言った途端、ハナダ青は明らかに落胆した顔をした。まるで十四五の少女のように。

「ハナダさんの気を散らせては悪いというような事を言ってました。『仕事以外の時間になるべく顔を合わせたくない』これはあいつからの伝言です。俺から補足させて貰えば、気が散るのはむしろあいつの方でしょう」

「いつ戻るでしょうか」

「明日の朝まで帰らないつもりかと。何しろ今朝早く出てったくせに、まだ戻って来ません」

「馬鹿な事するんじゃなかった」青が弱音を吐いた。立ち位置が微妙に変わって彼女の顔は見えなくなったが、泣きそうになっているのかも知れなかった。「柾さん。どうしたらいいでしょう。何も考えられないんです」

「どうしたい?」赤波の口調は変わった。「貴方がしたいようにしたらいいと思う」

「今すぐ会いたいんです。理由は無いけど」

「六の薬屋です。貴方の顔を見て嫌な顔するような男は、殴ってやりなさい」

「分かりました。ご助言に感謝します。お大事に、それと皆さんに宜しく」青は挨拶する暇も惜しそうに背を向け、通路を駆け出そうとしたが、ふと思い出したように立ち止まって大鷹達を見た。

 大きな目。綺麗な目。

 あどけない、顔立ち。

 大鷹は息の仕方を忘れそうになった。

「いい事を教えましょうか」ハナダ青はエリナに向かって、明るい、はっきりとした声で言った。「今日中に、日本政府がこの街に侵入します」

「日本政府」エリナは少女を見据えておうむ返しに言った。「……目的は」

「私を捕まえる為です。健闘を祈りましょう、お互いに」ハナダ青はかすかに笑んで、歩き出した。かなりの速足で、その後ろ姿はあっという間に小さくなる。『大通り』の不自然なカーブの所為で、まもなく壁に遮られて見えなくなった。

 エリナはふっと溜め息をつき、大鷹を見た。大鷹はまだ身構えていたが、エリナはさっきの口論など忘れ去ったように、

「大鷹くん、休憩だ」

と言っただけだった。


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