表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/28

闇町フラッシュパンチ (2)

  2.


 基地のゲートは二つの段階を経て開けられる。スリットにカードを通してパネルを開くのが第一段階。パネルに右手の平を当てて掌紋をスキャンするのが第二段階。カードから読み取った情報と、スキャンした掌紋が一致して初めて、ゲートは調査員を本人と認める。そうしてやっとゲートは開かれるのである。

 共同第五ビル十四階にある風波政府情報捜査局基地は、三十ばかりの小さな部屋に区切られていた。それぞれの部屋にパソコンが一台ずつ置いてあって、厳重に鍵が掛かっている。ゲートをくぐった時に部屋番号を指定され、その部屋だけがいったん解錠される。扉は一回しか開ける事ができず、中に入ってもう一度閉めると、外からは二度と開けられなくなる。次に開くのは中にいる人間が外に出る時だけ。つまり、部屋の扉は常に一方通行だった。

「密室ですね」大鷹は一気に機嫌を直した。親の権威を笠に着て無理を通した甲斐はあったのだ。ここまで立ち入らせて貰えるのなら、これは冷遇などではない、とんでもない優遇だ。気味が悪いほどである。

「何? 密室?」エリナはパソコンのスイッチを入れながらおかしそうに言った。「ロックトルーム? 君、ミステリーが好きなの?」

「ええ、まあ、他のジャンルよりは」

「そうか。私は好きじゃない。馬鹿馬鹿しいって思ってしまう」

「馬鹿馬鹿しいほどいいんです」

「例えば、こういう部屋で私が君を殺して、部屋を出る。部屋はロックされて、君の死体は鍵の掛かった部屋に残される。密室殺人というわけかな」

「そうじゃないですよ。密室殺人は不可能犯罪でなければならないんです」

「不可能な犯罪は起きないよ。不可能なんだから。不可能犯罪の馬鹿馬鹿しい所が何処かって言うとね、誰がやったかすぐばれてしまうという事だ。私がこの部屋で君を殺して逃げたら、ただの馬鹿じゃないか。誰が見ても、私が殺した事は一目瞭然だ。だって他の人間には『不可能』なんだからね」

「理屈をこねちゃいけません。エンターテイメントですよ」

「私は楽しめないんだ。どうせ理不尽ならファンタジーの方がいい」

 エリナはキーボードから名前とパスワードを入力し、脇に置いてあった機械のスリットにパスカードを通し、再びパネルから掌紋をスキャンさせた。

「ずいぶん用心深いんですね」

「不用心なんだ。ここだけの話、このカードは偽造されやすくて。さっきのハナダ青の挨拶カード見ても分かるように、そっくりでしょう。さっきのは外見だけだったけど、ハナダ出版社はたぶん完全に有効なカードを偽造する技術も持ってる。早いうちにシステムを変えなきゃいけないのに、上の連中がケチっててなかなか変わらない」

「まずくないんですか? それ」

「まずいよ。非常にまずい。今はそれでも、ハナダとは同盟関係を保ってるからいいけど、これでハナダが敵に回った日には目も当てられない」エリナは喋りながら指をキーボードに走らせた。画面は突如として文字で一杯になった。「コマンドプロンプトなんだ。分かる? 君は何も知らなそうだから説明が大変だ」

「コンピュータは一通り扱えます」

「コマンドはおいおい覚えて貰う事にするよ。今は忙しいからね。私は大抵こうやって、まず最初に誰がアクセスしているか確かめる……やっぱり随分アクセスしてる。これから数日間はてんてこ舞いだね」

「機動隊が出るって本当ですか?」

「情報局の? どうかな。ハナダ青の保護ごときに機関銃が必要かな。彼女の方では私達の申し出を断る理由は無いはずだし、彼女がそうと決めたら闇町で逆らえる者はいない」

「じゃ、さっきの挑発はどんな意味だったんですか?」

「あれは、彼女の気晴らし。政治的な意味は無い。新人の君をからかいに来ただけだ」

「そうだったんですか」大鷹は複雑な気分になった。あの少女に、からかわれたのか? しかし随分と手の込んだ気晴らしだ。外見だけとは言え、カードの偽造は一日二日ではできないはずだ。大鷹が掌紋と顔写真を登録したのは、つい一週間前だ。そこからデータを盗み取り、大鷹が高島エリナという調査員と組まされる事や今日ゲート前で待ち合わせる事などを盗聴して、先回りして、阿成大介にカードをすらせて……不気味なほどの手際の良さだった。情報局の予定は何もかもハナダ青に筒抜けという事だ。

「なんだか……ひどくいい加減なんですね」

「いい加減。まったくだ。こんな組織は、情報捜査局とは言えないよ。闇町のヤクザ屋さんとなあなあやってるだけだ、いつ裏切られるとも知れないのに」

 話しながらもエリナは忙しく手を動かしていた。大鷹も隣に座って懸命にディスプレイに目を凝らしたが、意味不明な英数字の羅列の合間に時々挟まれる日本語の文字列、それもよく分からない略語や何かばかりである。何が重要で何がそうでないか分かっているエリナはいいが、どれもこれも凝視してしまう大鷹には目の疲れる作業だった。

「そう気を張る事ない」エリナはのんびりと言った。「作業手順は簡単だよ。アクセスして、ゲートの通過を報告する。今回はハナダ青にからまれたんで、その報告もしないといけない。それから、自分宛に届いたメールをチェック。このメールが、本部からの指令というわけ」

 エリナはメール画面を開き、ざっと目を通した。大鷹が始めの数行を読み終えないうちに、エリナは最後まで読み取ってしまったらしい。

「大鷹くん。面倒な事になったな」大して面倒そうにも聞こえない口調で言う。

「どんな事です?」

「闇町が、ハナダ青の保護への協力を放棄」

「え?」

「闇町の移転を機に、ハナダ青の身柄は風波政府が保護するはずだった。政府はうちを通して、闇町の上層部にハナダ青を引き渡すよう求めていたんだけど、今日になって闇町はグズグズ言い出した。ハナダ青が裏切って行方を晦ました、と」

「行方を晦ましたって……」その彼女に、大鷹達はさっき会ったばかりだ。「どういう意味ですか?」

「君、ある人から宝石を買うとしよう。お金を払う段階になって、その人がこう言ったとしたら? 『宝石が何処かに行ってしまった』」

「その人は、宝石を売りたくないんでしょう」

「じゃ、闇町は、ハナダ青を売りたくないんだろう。行方不明とはね。何が気に食わないのかな? こっちは、充分な高値で買おうって言うのに……値段の問題じゃなさそうだね。リンチかも知れない。闇町はハナダ青を殺してしまうつもりかも。だってSKの所為で……彼女の母親の所為でさんざんな思いをしてきた人間が、闇町には沢山いるんだから」

「母親? ハナダ青の?」

「……何も、知らない」エリナは急に画面から離した目を、まっすぐ大鷹に向けた。呆れたようでもあり、憐れむようでもあった。「本当に何も知らない。知らなすぎる。君は矛盾を抱えてるね……この方面に興味があるのなら、少しは自分で調べたってよさそうなものだ。右も左も分からないまっさらな状態でここに来るっていうのは、どんな心理なのかな……いや、君に質問してるわけじゃない。私の独り言。ハナダ青の本名は水無絵馬みなえまと言って、母親の水無貴流たかるはSKの中枢機関だった中央研究所という所の所長だった。彼女は薬学者で、いろんな薬を開発したと言われている。今から十年くらい前にこの街では新型の麻薬が流行ったんだけど、水無貴流の名を取ってミナタクルと呼ばれた」

「それは知ってます。SKの、その中央研究所で開発された薬の復刻版なんでしょう」

「そうと言われてはいるけどね。怪しいものだよ。丁度私は駆け出しの頃でね……懐かしい。ミナタクルの正体を突き止めようとして一人で調査したんだよ。でも、大事件が起こって何もかも打ち切りだった。ミナの卸売りをしていた組織のボスが不良少年に殺されて。それで、闇町上層はカンカンになって街中の不良っ子達を刈り取った。凄かったよ。三日もかからなかった。中間層の辺り、スリとかカツアゲとか暴走族とかがうろついてる辺りね、あそこが一夜にしてぴたりと静かになった。ミナタクルが売られる事もなくなって、いや、売られてはいたんだろうけど、ミナという名前では二度と市場に出て来なかった。情報局の方でも、もうその話題に触れてはいけないような雰囲気で。それでまあ、若かった私は出端をくじかれてとても悔しかったね……」

「……水無貴流が女性だったなんて」大鷹は暗く言った。「僕はてっきり、父親かと」

「世間一般には、そう思われているけどね」エリナはパソコンの電源が落ちるのを待って立ち上がった。一方通行の扉を開けて、狭い密室から出る。「ハナダ青の父親はしがない公務員だった。彼女が五歳の時に離婚して。絵馬には兄もいたんだけど、兄の方は父親が引き取った。と言われている。『統一日本』の時代の話だから、どこまで本当なんだか。地震のおかげで記録もいい加減」

「五歳だったら、ハナダ青はお兄さんを覚えているんでしょうね」

「どうかな。私が彼女の立場だったら、家族の事なんて覚えてても思い出したくない。彼女は独りだ。この世に、この時代に、独りで取り残されたんだよ。どんな気持ちか分かる?」

「本部からの指令は何と?」大鷹は聞いた。

「赤波書房をマーク。彼女が本当に闇町を裏切ったのだとしたら、味方に付くのは赤波だけだから」エリナは何だか不機嫌に言った。何か気に食わない知らせがあったようだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ