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松組コンソメスープ (4)

  4.


「嫌です」

 赤波柾あかなみまさめの十八番が始まった。非公正取引委員会は、終盤だった。

「赤波ぃ」桜組のむさ苦しい棟梁は名前を本塚高蔵もとづかこうぞうと言ったか。顎を上げた。「妥協せい」

「できません」赤波柾は会議机に両手をダンと置いて立ち上がった。コイツは非常識な若造なもんで、どんな場所にも赤黒い浴衣を羽織って出てくる。女でもこうは伸ばさないってくらい髪を伸ばして後ろで括っている。社員総勢八人の超弱小組織がこの場に出て来るだけでもいい度胸だって話だが、彼の『嫌です』が始まると何故か誰にも覆せないから大いに恐ろしい。

「うちは政府様なんぞの為に働いてるんじゃない。死んでもデータは渡さない」

「死んでみるか?」俺は煙草の合間に小僧を睨め上げてやった。しかしアレだな、今回もコイツは絶対に引かないだろう。「てめえはどうしてそう……毎回毎回逆らうんかな。嫌がらせか?」

「うちのデータは売りもんじゃない。貴方がたのと一緒にされちゃ困る」

 ほうら。コイツは俺が、闇町四大組織が一つ松組の棟梁、有松勇気だと知っててこんな反抗をするんだぜ。信じられるか?

「柾くん、それは分かったけどね」今日の議長を務める梅組の棟梁は女だ。村里証むらさとあかしという。証ちゃん。若くないけどイイ女だよな。「だからこそ貴方の所のデータは、価値があるんですよ。誰にとっても」

「渡しません」

「そう即断しないで、少し検討してもらえないかな。貴方の持ってるのをほのめかすと、支援額の桁が優に二つは上がるんだ」

「てめえにかかってんだよ。俺の顔立てろ」桜組ボス、本塚はすぐ隣に座っていたので、赤波の袖をぴっと引っ張って言った。この無精ひげの男は赤波が一介の不良少年だった頃から、彼に目をかけて育て上げた人物だった。と言われているが、事実はそうでもない。赤波は彼の慰み物だったのだ。とかく俺はそう聞いてるぜ。本塚の男色はこの期に及んでまだ治っていないそうだ。いやこれは治るものじゃねえのかいな。後継ぎはどうするんだろう。養子でも取んのか。ご苦労ご苦労。

 それでその本塚にたしなめられた赤波坊やは顔をしかめてガタッと座り直し、考え込んだ。だがもう、その顔は明らかにこの場をどう言いくるめて我を通そうかと考え込んでいる顔だ。検討する気は無いらしい。

「ハナダさん、どうですか」議長の証ちゃんは形式的にハナダ出版社の社長を見た。ハナダ出版社の社長は去年の秋に突然変わった。超カリスマ少女(なんと十五歳だ)ハナダ青さんが夜逃げして、後を引き継いだのはこの冴えない陰気な若者だ。元々の性格は暗くないのかも知れないが、権力を一手にするという役職が向かないらしく、日に日に自分の地位に押し潰されて暗い眼になっていく。なんでこんな奴が社長になったんだか分かりゃしない。

「まあ……」ハナダの社長は憂鬱そうに言ったもんだ。「……支援額が多いに越した事は無いでしょうね」顔も口調も、俺はどうでもいいと言っていた。全くやる気の無い奴だ。いっぺん死んで来い。

 証ちゃんは皆に聞こえる溜め息をついた。

 会議室は狭かった。梅組が設営する会場はいつもそうなんだ。会議机が十脚楕円形に並んで、その外側に人数分のパイプ椅子がやっと置けるほどの広さだから、席に着いた出席者達の背中が壁に触れんばかり。隣の席との間隔も狭くてろくに身動きも取れない。冷房が効いているのがせめてもの救いだ。梅組は『余計な事に余計な金を入れない』主義だからな。俺んとこ松組なんかだと、これでもかと『金を入れて』見栄を張る訳だ。だって見栄の為以外に金を使う機会があるもんか。証ちゃんはどうかしてるよ。

「赤波」だらだらと沈黙が流れた後で、本塚がもう一度言った。

「嫌です」赤波柾はすかさず顔も上げずに言った。射殺ものの無礼だ。だけどこの若造は、射殺よりひどい目に遭わされたって態度を改めた事は一度も無い。本塚は若い頃、このどうにもならない不良少年の逆らい癖を治そうとして散々骨を(この場合、赤波柾の骨を)折ったらしいが、全ての治療は無駄だった。彼はあらゆる責め苦に泣き喚き、暴れまくり、それでも嫌ですと言い通し、とうとう堪忍袋の緒が切れた本塚高蔵が右手の中指を第二関節から折ったところ、なんとその場で気絶してしまった。そこまでショック受けるほど怖かったら従えよ。馬鹿かてめえ。結局、折れたのは本塚のほうで、以来本塚は赤波柾に逆らわないようだ。

「おい、赤波」

「嫌です」

「ああもう分かったよ。嫌なんだろ。この議題は終わりだ。議長、次!」

「それじゃ話し合いにならないでしょうが」竹組の棟梁が耳につく高い声で言った。こいつ誰だったかな、竹島ミハルとか言うクソダサい名前。「桜さん、何ですか? ここを何の場所とお思いで?」

「うるせえなてめえは」

 竹組はここ数年経営が傾いているので、何かと言えば『うるせえなてめえは』と言われるのだった。この街じゃ金の無い奴に発言権は無いんだよ。ただし赤波柾を除く。

「赤波が嫌だと言った事で通った事が一つでもあるか。時間がねえんだ、無駄な言い争いは必要無い」

「必要無いものを無駄と言うんでしょうよ」証ちゃんが混ぜっ返した。「そういう意味じゃ、この会議は全部無駄でしょうね」

「議長。言葉遊びは一昨日にしてくれ」

 そこのホモ、黙れ。証ちゃんの言う事はどんな事でも素晴らしいんだ。分かってねえな。

「でも桜さん、申し訳ないけど、この議題が今日の最後の議題ですよ。次の議題はありません」証ちゃんは負けずに言った。証ちゃんが議論で負けた事なんか無いけどな。

「ハイハイハイ」竹組系列の子会社、オガサ土建の組長が小学生みたいに手を挙げて叫んだ。経営の傾き出した竹組はオガサに半ば乗っ取られている。それでオガサは発言権が強い訳。「ハイハイ議長。ワタクシは折衷案を提案いたします。赤波様のお手持ちのデータを全部ではなく、適当に半分くらい売っていただいては如何でしょう」

「お断りします」赤波坊やは撥ね付けた。子会社は引っ込めと言わんばかりだな、おい。自分の事は棚の上か。しかし、ま、俺に言わせりゃオガサの発言なんてデブは引っ込めの類だが。

「あんたね」オガサ組長はムッとした様子で、「話し合う気、あんの?」

「ある訳無いでしょう」と証ちゃん。そうそう。「あったらとっくに殺されてますよ。この人の強みはね、絶対に話し合おうとしない事です」

「最悪の野郎なんだよ」と俺は付け足した。自分で持ってきた灰皿は吸殻の山になってしまった。しかしこの会議室は禁煙なので他に灰皿が無い。証ちゃんが何度も「禁煙」と睨んでくるんだが、しょうがないじゃないか。もう既に重度の中毒者で、一秒たりとも止める事ができないんだ。誰かこの苦しみを分かってくれよな。

「お開きにしますか?」証ちゃんが言った。

「ああ、そう?」と俺は新しい煙草に火をつけながら言った。証ちゃんが俺の手元をまた睨んだ。分かってるよ。悪いとは思ってるさ。思ってはいるのさ。

 皆は腑に落ちない顔で赤波柾を見やるし、その赤波柾はそっぽを向いている。しけた終わり方だな。面白くもねえ。俺が好きなのはアメリカ映画みたいなドンドンパチパチなんだよ。馬鹿っぽくていいじゃん。

 証ちゃんはどうやったらすっきり会議が終了できるか、考えている。

 本当はでも、赤波坊の言い分がちょっと我儘だった。闇町を移転するには、どうしても纏まった金が必要だ。これは仕方が無い。政府に頼るしかないんだ。坊やは政府様なんぞと思うかも知れないが、政府だってハナダ並の立派なヤクザだからな。あのカリスマ謎少女のおかげでこの街もだいぶ結束と協力を学んだもんだが、それだけで移転大計画は動かない。金だ。金が足りない。闇町が政府に対して振りかざせる唯一の武器は、情報だ。

 風波ゼロ年の大地殻変動の直前まで、日本政府は何かの秘密事業に手を出していた。詳しいことは俺ですら知らない。でも、俗に『SK』とか呼ばれるその計画の為に、父親も母親も持たない奇形の子供が生まれ、ミナという麻薬が生まれ、関係者の何人かは、肉体を改変されて今も生きている。彼らに施された改変は彼らの外見の成長を遅め、老化を遅らせ、だから、彼らは今でも大地殻変動当時とほぼ同じ年齢のまま生き続けている。ハナダ青も、その一人だ。

 『SK』の全貌を知る者は、今となっては何処にもいない。でも日本政府がどうしても隠しておきたい過去の汚点である事だけは確かだ。大地殻変動で国が乱れた時、風波仮政府が日本に噛み付いて独立できたのも、このSKの情報を握っていたおかげだった。秘密が曝露される事を恐れて、日本は風波の言いなりになった。SKに関わりを持った人間は両国のしがらみから逃れて闇町になだれ込んだ。一世紀近くが過ぎようとする今、いまだ明かされていない全ての情報をこの闇町が握っている。いや、握りきれてはいないが、闇町の何処かにはある。例えばその在りかの一つが、坊や率いる赤波書房だ。

 赤波書房の社員八人中、四人までもがSKに直接関わった人間だと聞く。確かにそう、そうと言われれば頷けるような外見だ。そして赤波書房の仕事はアト外科、死んだ後の体に外科手術を施して整形・解体を行う死体加工屋だ。たぶん狙いは闇町にまだ沢山まぎれこんでいるはずのSK関係者の体を回収し、かのプロジェクトにおいて行われた何がしかの人体実験の傷痕を探し出す事なんだろう。ここ十年ほどの間、闇町で死んだ者をありったけ回収し、解剖し、どれほどの成果があったのか、赤波書房の連中は堅く口を閉ざしてデータを漏らさない。だけど、四人の社員の生身の証言だけでも、充分両方の政府を動かすだけの力を持っている。どちらの国も、この情報を喉から手が出るほど欲しがっている。風波は日本の優位に立つ為に、日本は風波から優位を取り戻す為に。

「柾くん、もう一回だけ聞くけど……」

「嫌です」

「最後まで聞け」証ちゃんはボールペンを会議机に叩き付けた。そうだそうだ。「いい、柾くん。ほんの十文字か二十文字くらいでも、何かあっちの知らない事を言ってくれれば、それで充分。支援額は倍に釣り上げられます。ノート一行分くらいでも何か教えてくれる気は無いの?」

 赤波はちょっと考え込んでから、言った。「じゃあ、いいでしょう」

 証ちゃんの眼を不思議な光を湛えた眼でじいっと見据えて、間を置いた。生意気そうな、それでいて、生意気だと笑い飛ばすことを許さない、そういう眼だ。コイツの眼。これがまあ、知る人ぞ知るというか皆が知るところの、赤波柾の『邪眼』だった。見つめられると、誰であっても決して逆らえない、と言われる。俺はたぶん逆らえると思うけど、逆らった事はない。怖くはないが、人を真剣にさせる眼だから。

「風波政府も日本政府も、貴方がたもきっと知らないだろうけど」赤波柾の声は、静かだと不思議な抑揚で響いた。「誰も知らないだろうけど、我々の目的は、復讐を果たす事ではないし、事実を暴露する事でもない。さあ今の、何文字でしたか、ノート一行くらいにはなりましたかね」

 言い終わらないうちにもう会議室はざわめいた。俺もちょっとぞっとしていた。十年で成長したもんだ、赤波柾。本当に見上げたヤツだ。竹組系列オガサ土建の組長はぎょっとした勢いでかっとなったんだろう、パイプ椅子を蹴って立ち上がったもんだ。しかし元からこの会議室にそんなスペースはないし、またオガサの組長はデブだったから、立ち損ねて無様にずっこけながら怒鳴った。

「茶番は大概にしろ! 赤波!」

「会議終了!」証ちゃんは声を張り上げて宣言した。「全員帰れ! 今すぐ出てけ! 松さん、吸い殻持ち帰りなさいよ! えい出てけってのが分からんか!」

 さあどいつもこいつも怒鳴るわ喚くわ、机倒すわ押しのけるわ、委員会の終了は五回に三回くらいがこの調子だ。いいねえいいねえ、俺が好きなのはこういうのだよ。何が起こってるのかと言うと、オガサの組長が人を掻き分けて赤波坊に掴み掛かろうとし、俺と本塚がそれを止めようとし、ハナダの社長も仕方なく止めるふりをし、その他この会議で発言権も持たされないあちこちの系列の子会社の代表達が、巻き添えは御免と蜘蛛の子を散らすように逃げていくのだった。何しろ一歩間違えば飛び道具が出て死人が出る。逃げるが勝ちさ。俺は逃げないで飛び道具を出す方だがな。

 蜘蛛の子が逃げ散ってオガサの組長がつまみ出され、やっと再び静かになった時、会議室に残っていたのは証ちゃんと、俺と、赤波柾だけだった。赤波はまださっきと同じ椅子に座っていた。ただし机は全部倒れている。椅子も赤波が座っているの以外はほとんど倒れている。折り畳みのパイプ椅子なので、ぺしゃんこになって倒れている。

 本塚が空の灰皿を握りしめて戻ってきた。あ、おい畜生そいつは俺の灰皿じゃんか。目がぎらぎらしている。「ああせいせいした。ぶん殴ってやった」

「俺の灰皿で?」と俺は聞いた。

「丁度いらいらしてたんだ。ついでに竹さんのケツも蹴ってやった」

「あんまりミハルをいじめるな。いま結束が緩むと面倒だぞ」

「だってあいつ知らんぷりして帰ろうとするんだぜ?」

「彼が裏切ったらどうする」

「ハナダ青さまが明日来てなんとかしてくれんだろ」

「さあ、どうだかね」

 証ちゃんは目茶苦茶になっちまった会議室を眺め回して、

「二人ともダベってるんなら片付け手伝ってね。柾くん。貴方が一番手伝いなさい、毎回毎回貴方が原因なんだから」

「だってさ、坊や」本塚はまだ座り込んでいる赤波に向かってにやっと笑った。「なんだよなあ、毎回毎回余計なこと言ってお前を手なづけようとしてんのは、この人だよなあ?」

「………」赤波坊は立ち上がりながらほんの微かに笑った。「今日も楽しかったですよ」

「ほらほら、これだ」俺は溜め息をつかずにはいられなかった。「反省してねえ。ぜーんぜん」

「柾くん、誤解してるようだけど、貴方が楽しくても私達は楽しくないのね」

「ええ、御免なさい」坊やは今度はにっこりして、足元のパイプ椅子を拾おうと身を屈めたが、そのままころっと倒れた。あまりにも自然な流れだったので、俺達は驚くのが遅れた。赤波柾は真っ青になって目をつぶり、一度痙攣しそして汗が噴き出し、一言「う」と言った。

「……いつものヤツ」本塚は証ちゃんを振り返った。「なんとかしてよ。あんた医者でしょ確か」

「看護師です」

「ほらいつも、これを担いで持って帰ってくれるガキンチョがいるじゃんか」と俺は言った。「奴はどうした?」

「大介くんでしょ。来てないみたいね」

「金髪も見当たらないな」と本塚。赤波書房の副長でSK関係者らしい、金髪のちゃらんぽらんの事だ。だいたいその金髪か大介とかいうガキンチョが赤波坊の世話係だった。

「柾くん、柾くん」証ちゃんはかがみ込んで、赤波柾の肩を叩いた。「お出迎えは無いんですか? 発作起こすんなら事前に言ってくれないと困りますよ。携帯電話持ってますか? 赤波の事務所に電話すれば誰か来てくれます?」

「いいえ……大丈夫です」赤波はすぐに強がって起き上がったもんだが、再び目が遠くなった。とても大丈夫には見えなかった。

「赤波、しょうがねえ」本塚がしょうがなくもなさそうな、嬉しそうな顔で言った。「俺が担いでってやる。立ちな」

 赤波はどんよりした目で本塚を見上げた。今にも「嫌です」と言いだしそうな様子だったが、何も言わなかった。俺も仕方ないから本塚を手伝う事にして、坊やの腕を取って引っ張った。


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