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君のいない船  作者: 羊毛
25/28

祝杯ブルーサイダー (1)

  1.


「じゃ、そいつは一瞬にして『密室』から消えたわけだ」大介は得意そうに密室という言葉を使った。覚えたての言葉は何かと使ってみたくなるものである。

 闇町への『帰国』後、私達は再びハナダビルの屋上に二人きりでいた。四大組織のリーダー八人が到着するのを待つ間、暇を持て余した私と大介は仕方なく、どうでもいい会話で沈黙を埋めていた。いったい誰も彼もどうして私達を二人きりにしたがるのだろう。大介が会話が苦手な事くらい、見れば誰だって分かりそうなものだ。そんな男と二人きりで置き去りにされる私の身にもなってみるがいい。

「一瞬ではないけどね。たっぷり二十秒はあったと思うよ。何しろ八羽島さんは鍵を開けるのに手間取ったからね」

「そいつは共犯だ」大介はちょっと首を傾げて言った。「共犯だから、時間稼ぎをした」

「そうだろうね。なかなか、迫真の演技とは言えなかったけど、リアリティはあったね」

「待って下さい。考える」大介はフェンスに持たれて呟いた。すぐにこだわる男なのだ。

「考えて答えるようなものじゃないよ、これは」

「いいから、考えさせろ」

「あのね、分かる人はすぐ分かるの。直感だよ。一瞬で、分かるか分からないか、それだけ。論理じゃない」

「今、考えてるんだから……彼が消えたのは、お前が彼を目撃してから檻の戸を開けるまでの約二十秒間。二十秒で大きな移動はできない。抜け穴だな」

「抜け穴は無いんだよ。鉄格子と段ボールとビニルシートなんだから」

「なんで天井だけビニルシートなんだ?」

「段ボールが足りなかったんでしょう」

「ビニルシートはめくれるじゃないか。段ボールは破らないといかんけど、シートなら切れ目を入れておいても皺寄せてクシャクシャにしておけば分からない」

「あっそう。それで?」

「檻のサイズが三メートル四方。天井の鉄格子が六マスかける六マス。この一マスは一辺が五十センチになる。大人の男でも、楽に通り抜けられる大きさだ」

「どうでしょうかね」

「事前に練習しておけば、二十秒で出られるようになるはずだ。格子を伝って登り、天井のマスをくぐり抜け、シートの切れ目をめくり、上にあがってシートの皺を寄せ直す。非常ベルは音消しだな」

「事前に練習……」北泉もご苦労なこった。

 大介は私を見た。綺麗な深い目で見た。

「何?」

「当たってるか?」大介は無邪気だった。

「当たってるんじゃないの?」

「なんだ、それ。それだけなのか?」

「まさかね……」私は東の空を見た。もうそこは青白くなっていた。新しい朝が始まろうとしていた。この街では、この場所では、今すべてが終わろうとしている。

「青。分からない」大介は微かに笑っていた。

「一応、私が示した条件は、檻の外から見ても中から見ても、北泉はいなかった、という事なのですが」

「天井の上にもいなかった?」

「見当たらなかったね」

「じゃあ、本当に消えたのか?」

「本当にって、どういう意味だろうね」私は柄にもなくリンの事を考えていた。ジョーカー四世と双子の相棒の事も考えていた。私にとっては、結局のところ通りすがりの人間に過ぎなかったが、なんだか忘れられなくなりそうだった。あんなふうに無責任で自由な子供時代が、私には少し足りなかったと思うからだ。もっと単純に、嬉しかったのかも知れない。通りすがりの、別な立場の人間だった私や大介を、彼らはまるで当然のように友達として迎え入れた。シャバの子供は皆あんなにおめでたいのだろうか。だとしたら、何もかも無駄というわけではなかったのだ。黒猫議長が作ったこの国は、平和な国になったという事だ。もしそうでなくても、何かはあったわけだ。私達がこの世に取り残されて苦しんだのも、まったく無意味という事ではなかった、少なくとも私にとっては。少なくとも私は大介を見付けたし、リン達は私を見付けてくれた。

「もっとさかのぼって疑おうか」大介は続けていた。「そもそも、お前が見たその北泉という奴は、本物だったかどうか」

「さすがに本物でしょう」

「3D画像だったんだ」

「いくら視力が低くても、画像と本物の区別は付きます」

「知られざる先端技術で、誰にも見分けが付かないくらい似ている」

「あと一分で時間切れにするよ」

「分かった、もっと真面目に考える」大介もいよいよ意地が入ってきたようだ。「床の段ボールを持ち上げて、マス目をくぐって床下の抜け穴に」

「抜け穴は無いんだって」

「抜け穴だらけじゃないか。天井に六かける六、床に六かける六、合わせて七十二も穴がある。そもそも密室とは言えない」

「密室だって言ったのは貴方ですよ」

「二十秒前には居た。そこから突然いなくなる事はできない。出られる方向も限られている。出た形跡はない。だから出てない。同じ場所かその付近に留まっている。……」

「おや、ようやく論理的になってきたね」

「留まっているのに、外から見ても中から見てもいない。つまり、見えない。見えないけど居る事は確かなんだ。隠れている」

「なるほど、なるほど」

「天井からしか出られないが、出てしまえば外から見えてしまう。シートの中に隠れていたのかな……」

「つまり、ぺしゃんこになってね」

「部屋の何処かに居たんだ」

「パソコンの中とかにね」

「現場を見れば……写真に撮ってきてくれれば良かった」大介は恨めしそうに言った。「これは、公平じゃない。俺の取得できる情報が少なすぎる」

「一応、貴方を格上とみなしてハンデを付けたのです」

「他にヒントは?」

「ヒントお?」

 その時、向こうの倉庫みたいな建物の戸が開いて八羽島が出て来た。そこが屋内に続いているのだ。八羽島は両手に一つずつ背の高いグラスを持っていて、青い液体と氷が入っていた。私と大介は黙って彼が近付いて来るのを眺めた。

「お邪魔して申し訳ありません」ここ数ヶ月の苦労がようやく終わりを迎えて、八羽島はいくぶんほっとした顔だった。

「別に邪魔じゃないですよ。みんなして何を勘違いしてるのか知りませんが……」私は言いながらちらりと大介を見たが、大介は賛同しかねるらしく傷付いた様子をしていた。待てよ、付け加えれば修正できる。「その、他の人達みんな存在自体邪魔ですから。別に気を遣って下さらなくても同じ事です」

「羨ましいっすね」八羽島は笑って、グラスを私と大介に一つずつ差し出した。「有松勇気様から、差し入れです」

 大介はかなり困ったらしく、手を出さなかった。赤波書房の社長補佐ごときが松組の棟梁から直接何かを貰うなんてあり得ない事だし、ハナダ出版社社長の手から直々に受け取るなんて事もあり得なかった。

「私とこの人にですか?」私は大介のぶんも自分で受け取りながら聞き返した。

「ええ、まもなく来るはずなんすけど、全員でちょっと乾杯する事になってて……未成年の方は、アルコール抜きという事で」

「大介さんは成年ですよ。私もこう見えて九十七年生きてるんですが」

「ワイン開けますんで、開けたら一口注ぎますよ。だから、まだ飲まないで待ってて下さい」八羽島はそう言ってまた向こうの建物に入って行ってしまった。私は大介にグラスの片方を渡して、自分のぶんを一口だけ飲んだ。サイダーのようだった。

「ヒントだけどね」私は続きを開始した。「重要なのは天井の高さかな」

「高さはどれくらい?」

「三メートルに少し足りないくらいか、三メートルより少し多いくらいだね」

「その二つは、だいぶ違うようだが」

「差し引きして余るぶんは……」

「あ、分かった」と大介は遮った。しかし、向こうの戸がまた開いたので、黙った。

 ぞろぞろといろんな人が出て来た。竹島ミハルとその父親、有松勇気とその父親、村里証とその父親、おいおい全員親同伴だ。当たり前だが。桜組の変人棟梁、本塚高蔵はふらりと一人でやって来た。その父親は三十秒ほど遅れて到着した。もしかして皆スーツで私と大介だけ浮いたらどうしようかとちょっと心配していたが、松組の棟梁はジャージみたいな服だし桜組は親子とも普段着でくつろいでいる。なんかこう、性格出てるよな。誰もボディガードは連れていなかった。これは非公正取引委員会の規則だ。戸口までは連れてきてもいいが、会場には入れさせない。そんな事当然といえば当然なんだが、こういう規則を作って守らせるのが大変なのだ。しばらくがやがやと挨拶などし合って、それから本塚が席を外した。次に戻って来た時は、赤波柾を連れていた。というか、もう柾さんは死ぬほど嫌そうだったけど、無理矢理引き摺られて連れてこられた。

「俺はいいです。結構です。四大組織とハナダさんだけでしょう」柾さんは連れてこられてもまだ抵抗して帰ろうとしていた。

「息子さんも出席してるぜ」本塚高蔵は大介を見やって言った。

「あ、そう、じゃ、そいつが俺の代理です。さよなら」

「柾さん、帰らないで下さいね」私が釘を刺した。「ええ、只今から、第百二十七回……この数字は適当です。……非公正取引委員会臨時会議を開きますので」

「青さん、もっとビシッと」有松勇気が注文付けやがった。

「始めます」私は言った。手に持っていたグラスをそこに転がっていたコンクリートブロックの上に置いた。「まず報告から」

 ざっと十名ほどの人間が緩やかな輪になって私を見つめた。ちょっと久しぶりだ。

「住民の移住状況は良好です。当初予測されたような大きな混乱はありませんでした。下層の住民を先に確実に移動し終えていた事が大きかったと思われます。学園Fの手際も予想以上でした。各便に乗った人数の偏りは、殆どありません。どの便も定員五十パーセントオーバーですが、この数字は予測の範囲内です。大きな事故はありません。

「地下駐車場から港までの移動も、大変円滑でした。シャトルバスの利用は予測を下回りました。自家用車を持っている住民は自分の車で移動しました。私達の意図した事ではありませんが、移住に際して持ち運びのできない大きな家具や車などを買い取る業者が多数出現した事が、この成功の背景にあります。住民は港まで自分の車で移動し、港で待ち構えていた業者にその場で車を売り払いました。まもなくかなりの台数の車がシャバに中古車として出回るでしょう。

「カゴ島の方では、そろそろ混乱が始まっています。主に、新しい縄張りを巡っての争いだろうと思われます。あまり大騒ぎにならないうちに押さえたいと思います。

「それから今後の予測ですが、移住は急速に進んでいます。シャトルバスも船も来週末まで運行する予定ですが、乗る人数は加速度的に減っていくと予測されます。最終便には数えるほどしか乗らないでしょう。あと、移住しないと言い張っている分からず屋が百人ほどいましたが、周りに流されてなんとなく抵抗していた人間が大半です。現在では八割以上が説得されて移住に同意しました。残り二十名も、あと三日ほどで考えを変えるでしょう。最後まで移住しないと言い張る人間が絶対に三人は残るでしょうが、放っておけば自分で生き延びると思うので、それ以上の介入は行わない予定です」

 皆、黙って聞いていた。

「次に日本政府の動きについて。日本政府は約束を守るつもりのようです。我々も約束を守り、風波と闇町を彼らの手に引き渡します。リバウンドによる損失の心配はこれでほぼなくなりました。

「風波政府の動きについて。風波政府は状況を全く把握していない状態です。皆様の協力と日本政府の陽動のおかげで彼らの目をそらすことができました。この点で今回の計画は非常に成功したと思います。

「赤波書房と妖自連の動きについて。赤波書房株式会社は事後処理を終えしだい解散いたします。これまでに赤波が収集した資料は高橋愛史の所有するものとなります。高橋愛史は昨夜流れ弾で負傷して、現在梅組で治療を受けておりますが生命の危険はありません。彼は全ての資料を誰にも渡さず、公開もせず、保存するつもりです」

「保存?」竹島ミハルが呟いた。

「総括して」私は続けた。「大まかな所で計画は成功いたしました。細かな損害は、必要な犠牲であったと私は考えております。怪我人が出ました。死者も出ました。不信や裏切りもありました。ただ、私の考えるところでは、我々はできる範囲のなかで最大限に上手くやったと思えます。報告は以上です――ご質問は?」

 少しの沈黙。それから有松勇気が口を開いた。

「SKの情報は何処へ行く?」

「高橋愛史が隠します。保存。今後、最低五十年は公開しないつもりです」

「どうして?」

「こういう事があったという事実を、正しく後の時代に伝えるのが妖自連の最終目標です。赤波書房の目的もこれに同じです。事実を暴露して復讐するというような事は、元より考えに入れていません。それは、無意味な事でしょう?」

「いつかは公開するんだろう?」

「時期を見て、という事になります。その頃には妖自連の仲間は全員、この世にいないと思います」

「誰が引き継ぐんだ?」

「赤波書房の副長に双子の息子がいます。母親が美生財閥の会長の妹です。そう簡単に倒れる事は無いと思いますが」

 また、沈黙。

「もっと楽しくやりましょう」本塚高蔵が言った。「難しい事は終わり。とにかく終わった、成功した、それでいいんでしょう。早く飲まないとそのサイダー、気が抜けますよ」

「もう抜けてますよ」私はコンクリートブロックの上に置いていたグラスを取った。「では成功を祝って。誰でしたっけ、ワインを開けるとか言ったのは?」

「ハナダさんでしょう」

「八羽島さんだったの?」

「今、持って来ます」八羽島は倉庫に入って行って、ワイングラスをいっぱい積んだワゴンを引っ張って戻って来た。逆の手にボトルを三本持っている。皆の手にグラスが渡り、飲み物が注がれた。私と大介のグラスにも一口ずつ注ぎ足されて、色が灰色っぽい青紫になった。綺麗だけど不味そうだ。

 私は全員の顔を見渡してグラスを少し上げた。「闇町のさらなる繁栄を祈って」

「俺は、青さんのこれからの幸せを祈って」八羽島がはにかんだように微笑みながら付け加えた。

「それと、全ての子供達の為に」と有松勇気。

「赤波坊に」と本塚がグラスを上げたので皆吹き出した。すかさず、本塚の父親が「全てのアボカドに」と言った。もうそれからは皆好き勝手な事を言って、一人で三つも四つも言って、がやがやいろんな事を言い合ってやっと乾杯をした。青紫の水面を見つめながら私は一気に飲んだ。味は分からない。これで全部終わりだと思うと不思議な感じだった。もっと、長距離走でゴールした時みたいに「終わった!」という感じがあるといいんだが。大介が隣にいる。短い時間だったのに、もう何百年も一緒に居たような気がした。

「答えだけど」大介は隙を見て私の耳元に言った。「天井が二重にあったんだろ?」

「まあ、そうだろうと思う」

「ビニルシートも二枚あった。下の天井の上に乗ってるやつと、上の天井の上に乗ってるやつ。外から見ると、上の天井のビニルシートが見えて、中から見ると、下の天井のビニルシートが見える。二つの天井の隙間に隠れる事ができる」

「そうそう」

「青はすぐ気付いたはずだ。外から見た檻の高さと、中から見た檻の高さが明らかに違う。入った途端、天井が低いって感じたはずだ。全然、不思議じゃなかったんだ」

「そうそう。だけどさ、そこは説明の仕方ってやつで、こうやって上手くはぐらかして言葉を選べば大介さんを不思議がらせる事ができるのだ。それに、確かに絡繰りはすぐ分かったけど、俺はとっても驚いたよ。あんな所で八羽島と北泉があんな事やってのけるなんてどうして予想できる? ほんとにびっくりして、楽しかった」

「部下は上司に似るんだな」

「私に合わせてくれたんだよ。私が落ち込んでたから……私がどんな事で喜ぶか、二人は知ってた」

「俺も今分かった。青、見ろ」大介はポケットからバンダナを引っ張り出してくしゃくしゃに丸めた。

「何やるか分かってるよ。消すんでしょう」

「ほら」大介はくるりと手の平を返してバンダナの塊をほどいた。中から、半分ほど飲み物が残っているグラスが出てきた。

「お上手、お上手」

「まだ終わってない」大介はグラスを再びバンダナで包んで、明け始めた空に向かってぽんと投げた。バンダナだけがひらひらと落ちてきて、大介はズボンの後ろのポケットからグラスを取り出した。グラスは空っぽだった。

「待て、いつ飲んだ?」私のグラスとすり替えたんだろうと思ったが、私のグラスは自分の手に持っていた。もちろん空っぽだ。「凄いね。スリの神と呼ばれるだけはあるね」

「いかさまですよ青さん」柾さんがいつの間にか側に来ていて言った。「そいつはポケットに何でも入れてるんです」

「失せろ」大介は嫌そうに言った。

 柾さんは聞かないで、大介の首にかかっていたペンダントのリングをひょいと持ち上げた。ちょっと目を細めて、内側に刻まれた細かい文字を読み上げる。

「HAPPY BIRTHDAY 8.4.2083 ……いいもの貰ったんやな」

「柾、重大な頼みがあるんだが」大介は大真面目な調子で言った。

「何や」

「あっちへ行ってくれ」

「分かった分かった」

 柾さんが本塚高蔵の方へ行って、皆の視線が何となくそちらに向いたのを見ると大介は素早く私の腕を掴んで引き寄せた。「青」

「何度も言わせないで」私は先回りした。「船には乗らないからね」

「俺は……」大介は何か言いかけていたが、急に口を閉じて屋内へ入る扉の方を振り返った。

「どうかしたの?」

「誰か来たぞ」大介は低く呟いた。彼の目は細くなって、扉を睨み付けた。


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