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君のいない船  作者: 羊毛
19/28

必殺アボカドサンド (5)

  5.


「ラーメンは中華料理じゃありません。そもそもカップラーメンは料理じゃありません!」

 赤波書房のがらんどうになった事務所。今やこの零細企業の財産は一山のインスタント食品と薬缶一つ、それっきりだった。私は、平然として流し台に腰掛けている大介に喚き散らした。床の中央では柾さんと岸実生と瀬川さんが車座になって、インスタント蕎麦をすすっていた。すすりながら私達の様子を見物していた。しかし私は見物人が居る事など意に介さなかった。

「貴方という人には、この際はっきり言っておきますけど、常識が無い、常識が!」

「本塚なんぞと一緒に飯が食えるか」大介は流し台に座ったままピーピー鳴りだした薬缶を下ろして、用意していた二人分のカップラーメンにお湯を注いだ。

「誰と一緒だろうが、飯は飯! 貴方は飢えた経験がお有りでない! 私が今どんなに空腹かお知りでない! こんな塩と油とデンプンの塊を、お湯で戻して私に食えと!」

「アボカドサンドがあるじゃないか」

「これはお土産なの! おやつ! 飯は別! 中華料理っつっただろうがこの大ボケ石頭!」

 大介はちょっと首をすくめて、「すみません」と言った。

 仕方ないので私は麺が柔らかくなるまでの間、アボカドサンドを一つ取り出して食べた。こんがり焼き目を付けた二枚のパンに、バターとレタスと軽くつぶしたアボカドが挟んである。美味しかった。

 私と大介が仲直りして(大介に言わせれば私の機嫌が直って)二人でアボカドサンドを分け、カップラーメンをすすっているうちに他の連中もぞろぞろ帰って来た。切田霞と漁さん、悟淨切真、最後に宮凪玲磨。

「おいちょっと」柾さんが部下達に叫んだ。「全員集合してどうすんだ」

「腹減ったもん」漁さんが言うと、霞と玲磨が口々に「そうそう」と頷いた。

「あのなあ……あんたら阿呆か?」柾さんは立ち上がって皆に説教した。「ハナダさんは、松組と梅組と竹組と日本と風波に追われてんの。そういう事になってんの。俺達はそれを、匿ってんだよ、おい。賑やかに集まってる場合か。分散しろ分散」

「だいじょぶですよ柾さん」岸実生が黄色い目を上げて笑いを取るように言った。「風波機動隊は、絵馬さんの居場所を知らないし。知ってても捕まえられないし。武器も使えないし。それに、僕が付いていればここは安泰です」

「お前さえいなけりゃ安泰だろうとも」柾さんが足を上げて岸の背中を蹴ったので、岸は大騒ぎして蕎麦を守った。

 家族の雰囲気は今朝とは見違えるほど良くなっていると感じられた。それがどういう意味を持つのか私には分からなかった。今朝のような白けた食卓の方が珍しかったのか、それとも今の方が珍しいのか。私と大介は流し台に並んで座って、他の人達も床のあちこちに、ばらばらに好き勝手に座っている。なんとなく互いの顔を見ながら、誰かが喋れば誰かが答え、あるいはあちらとこちらで違う話をし、そのうちそれらの話が混じり合って一つの話題になる。それは昨日の夜もそうだった。そんなもやもやとした曖昧な繋がりで、共に暮らす事を当たり前としている彼らが私には物珍しく、羨ましかった。きっと彼らは家族なのだ。

 ただ、柾さんはほとんど岸とばかり話していたし、昨夜柾さんに告白したらしい切田霞は隅の壁に持たれて、隣に座った漁さんとばかり小声で喋っていた。私は気付かれないようにそれぞれを見張ったが、二人は一度も目を合わせようとはしなかった。

「青」不意に大介が私の腕を掴んだ。私はサンドイッチの最後の一口を詰め込んだ所だった。

「むぐ」

「青、逃げるぞ」大介は流し台から飛び下りて、杖を持った。

「何だ?」柾さんが顔を上げた。

「敵が来た。逃げる」大介は廊下に続く戸に向かって歩き出し、赤波書房の皆は食事とお喋りを中断し、私の耳の中ではイヤホンから「風波機動隊、共同第八ビル十二階に侵入」と報告が入った。

「どうすんの?」社員の個室に繋がる狭い廊下に入って行く大介に続きながら、私は不安になった。早く逃げなくていいのだろうか。風波機動隊がいくら間抜けだと言ったって、隠れんぼが通用するとは思えない。

 しかし大介は有無を言わさず私を連れて突き当たりの洗面所に入り、洗面台の隣に備え付けられた物入れの小さい扉を全て開け放った。

 なんとも気の利いた事に、物入れの小扉に見えた十ほどの扉をみな開けると、丁度ドア一つ分ほどの穴が開いた。そこから奥の部屋に入る事ができたのだ。

 入った所は無機質で清潔な部屋だった。この部屋もまた全ての財産が売り払われて空っぽになっていたが、以前は手術室か、それに近い部屋だったのだろうと感じた。大介は小さい扉をパチンパチンと閉め直し、私を引っ張って更に別な扉をくぐった。資料室跡、物置き跡、何に使われていたか分からない跡、空っぽの部屋を三つほど通り抜けた。それから最後に鉄扉をくぐって、通路に出た。

 ようやく、少しだけ涼しくなっていた。午後八時半だ。曲がり角の向こうで微かに人声がする。大介は私をぐいぐい引っ張りながら逆方向へ駆け出した。曲がりくねった大通りと枝別れした小道からなる共同ビルは、隠れながら逃げるにはもってこいの建物だ。知り尽くした我が家を駆ける大介の足取りは無駄がなく、安心して道順を任せる事ができた。

「機動隊を第八ビルに引き止めて」私は無線機に言った。「こちらは間もなく脱出します」

「ではそのまま梅ビルに向かって下さい」イヤホンから落ち着いた声が聞こえた。「高橋愛史様と面会が可能です」

 私はそれを大介に伝えた。

 別経路で逃げてきた柾さんと瀬川さんや、囮になってくれた他の皆の助けを借り、またハナダのシークレットガードの影ながらの護衛やイヤホンからの誘導を頼りに、私と大介は二十分後、梅組ビルの病棟に辿り着いた。

 事情の分かっている人が居て、その女性が奥の個室の一つに私達を案内した。部屋の前まで来ると女性はその扉を示してから会釈して立ち去った。勝手に面会して勝手に帰れという事らしい。私はノックしてから、扉を押した。開かなかった。引いた。開かなかった。大介が後ろから手を出して、扉を横に滑らせた。引き戸だった。まあ、そういう事もある。

 高橋愛史は白いパジャマを着て白いベッドに横たわり、人並みの病人面で私達を迎えた。

「容態はどうですか?」私はベッドの脇に立って聞いた。

「ああ、怪我は、まあまあ」黒猫議長は力なく言って微笑んだ。「まだ麻酔が効いてる」

「どれくらいで治るんですか?」

「一週間で退院できる」

「じゃ、カゴ島への移動は梅組さんに任せることに」

「そう」

 黒猫議長は元気がなさそうだった。体の具合が悪いのは当然だが、気力も沸かないようだった。

「落ち込んでるみたいですね」

「痛いし……今は痛くないけど、全然快適じゃないし……辛い」彼の目は潤んでいた。「俺、死ぬのかなあ。死にたくねえなあ。もっと長く生きるはずだったのに」

「百年以上も生きて、まだ足りないんですか?」

「だって」議長は本当に泣いていた。のろのろと腕を上げて目をこすった。「だって……!」

「誰に撃たれたんです?」私は話を逸らした。

「分からん。竹組か風波か、ただの犯罪者か」

「いきなり撃たれたんですか?」

「うん、曲がり角でさ、出合い頭に……多分、俺の足音に気付かなくて、驚いて撃っちまったんだろ」

「それは無いと思います」大介が口を挟んだ。「驚いて撃ったら普通は、当たらない」

「目の前だったんだ」議長は何かに目を凝らすような顔をして言った。「どん、とぶつかる所だった。いや、わざとだったのかも知れないが……あんな軽率に動くべきじゃなかったな」

 黒猫議長も私と同じくらいの重要人物なのだ。誰かがわざと、という可能性が高かった。私は彼に申し訳なく思って気が咎めていたが、謝っても仕方のない事なのでその事には触れなかった。第一、私がこの計画を持ち出した時に、危険を承知で前線に立つ事を志願したのは彼自身なのだ。

 私達は計画の進み具合について少し話し、それから当たり障りの無い昔話をした。

「岸の息子、元気かなあ」黒猫議長は目を半ば閉じて呟いた。「岸だけでも家族ができて良かった……アイツはいいとこ取りだよな、ほんとに。これが終わったら奥さんと息子二人と一緒に暮らせるようになるだろう。一度カゴ島に渡って、きっちり始末付けて……赤波さん達四人はシャバに実家があるだろ。そんでもって、俺は残りの妖怪三匹連れて、どっかいい家を探すんだ。お前も来るか? 絵馬」

「ええ、多分」私は何度目かのこの約束をした。赤波書房の解散は、恐らくリバウンド後になるだろう。カゴ島に逃れ、いろいろな事のほとぼりが冷めるのを待たなければならない。私はその間、風波の何処かに隠れているつもりだ。

「絵馬……絵馬」黒猫議長はまた目を開けた。黒い綺麗な瞳が私をじっと見上げた。「俺は……俺はもうもたないよ」

「どうしたんですか、急に」私は笑おうとした。

「絵馬、前から分かってた事だ。俺達はミナタクルの投薬で細胞の性質を変えられている。癌になりやすいんだ。研究が続行されていれば、この問題は解決される予定だった。だからお前の母親はお前にもミナを投与したんだ……お前を眠らせるあの薬は、ミナの投薬と合わせて使う必要があったし。母さんを恨むなよ。俺は恨んでいるけどな。本当に……あの馬鹿女。信じてたんだ。研究が発展し続けるって信じてた。だけど何もかも終わってしまったよ。絵馬、俺は、癌で死ぬ。岸も、玲磨も、切真も、霞も、長くは持たない。絵馬、お前も、お前が期待するほど長くは生きられないかも知れない……」

「なんですか。そんな事、分かってますよ」

「弾を取り出す為に腹を開けたら、内臓がぼろぼろだった。手術したドクターが呆れてた。俺の体はガタガタだよ。見た目は十九でも、この体は百年こき使ってきたんだ……」議長の目にまた涙が溜まり出した。「時間がかかり過ぎた。お前を起こすのに七十年もかかって……起こした途端にあんな事になって。お前が大人になるまで見守りたかった。見届けたかった。もっと早くお前を起こして、お前が大人になるのを見たかった。死にたくない……」

「私は……私は大丈夫ですよ」こんなに弱気な黒猫議長を見た事が無かったので、私は焦った。「どうぞご心配なく。ご安心してあの世に逝かれて下さい。ちゃんとやってけますので」

「お前が良くても俺が良くない」黒猫議長は笑いかけて失敗した。「何の為にさ、わざわざ研究室に押し入って、自分で自分にミナを打って、こんな苦労して百年もやって……」

「え?」私は心臓が止まりそうになった。聞き間違いかと思った。「今、何? 自分で?」

「知らないの? 俺は中央研究所のアルバイトだったんだぜ」

「それは知ってますけど」

「何処の極悪研究所が、アルバイトの子を新薬の実験台にすると思ってんだ?」

「はあ?」

「何処の、極悪研究所が、アルバイトの子を、実験台に」

「違ったんですか?」私は怒鳴ってしまった。十何年もの付き合いなのに、今更こんな大いなる秘密を打ち明けられるとは思ってもみなかった。そして私は明らかに例の見落とし、抜け落としをやっていたのだ。こんな単純な事に今まで何故気付かないでやってこれたのだろう。

「じゃ、自分で? ミナタクルを盗んでって事ですか? 何故?」

「お前が眠らされたのを知ったから。お前の母親が、お前にミナを打って、瓶に閉じ込めたのを見たから。あれは真夏の夜だったよ。地殻変動で……地震で、どんどん崩れて……揺れがだんだん収まり始めた時に、俺が駆け付けたら、母親が絵馬を瓶詰めにし終わった所だった。この地震の所為で研究が中断される事になったから、そのあいだ絵馬には寝ていて貰うって。三年から十年で研究は再開されるはずだってあの女は言ったけど、俺は信用できなかった。研究はこのまま立ち消え、絵馬は忘れられて置き去り。そうとしか思えなかった。あの女以外の連中はもう研究に見切りを付けていた。研究が続くと思ってたのはあの女を含めて一部だけだ。もうあれは破綻してたんだ。俺は、だから、自分にミナを打って、お前の側にとどまった。同じ宿命の俺の妖怪達と一緒に……俺はそうだよ、妖自連の中で俺だけは、自分から不老長寿を選択したんだ」

「なんで……」私は頭に血が上るのを感じた。本気で怒り出しそうだった。

「かなしいなあ。お前の側に居る為にこんな事までしたのに、俺はろくに役目も果たさず死ななきゃならない」

「黙んなさい!」腹を開けたばかりじゃなかったら、彼の胸倉を掴んで引き摺り起こしたいところだった。「なんで……なんでそんな事を。貴方、馬鹿なんですか? 世の為人の為にも程があるでしょうに。そんな馬鹿げたことしでかして、私に何の思い入れがあったんですか。言っときますけど、私は黒猫さんのことなんか知りませんよ。感謝はしてますし貴方のこと好きですけど、地震以前は貴方の顔も名前も聞いたことなんか無いんだから!」

「絵馬」黒猫議長はいろんな感情のぐしゃぐしゃ混じった顔をした。「お前が俺を忘れてたって俺は怒ったりしてない。悲しいとも思わないよ……ただいつも愛しく思うだけだ。お前を愛してるよ、俺のこの名前にかけて愛してるよ、ずっとずっと、もしお前が妹じゃなかったら……」

「はあ?」私はもう一回怒鳴った。この先二度と私は自分の耳を信用できないかも知れない。「今、何かおっしゃいましたか?」

「お前は俺の妹だよ」高橋愛史は力なく訴えた。「妹じゃなかったら、結婚したかった」


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