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君のいない船  作者: 羊毛
15/28

必殺アボカドサンド (1)

  1.


 水族館を思わせるような分厚いガラスの壁が、通路と店内とを隔てていた。ガラスは二枚あり、間に水を挟んでいる。その水は下からの明かりで青く照らされていた。また光とともに、細かな泡が水中を立ち昇っていた。明かりを受けネオンのように蛍光を発する気泡。昇って行くにつれ光から遠ざかって凡庸な白い泡となり、天井に近付くと上からの明かりに捕らえられて再び青く輝く。

 そして大鷹が二枚のガラスと水越しに見る通路は、歪んでいた。立地上の都合か、それとも故意にだろうか。ガラスの壁は全体に少し湾曲している。通路を行きながら流動的に変形していく通行人の姿は、大鷹の胸に閉塞を思い出させた。

「ピザは嫌いじゃないだろうね」

 エリナはピザカッターを皿の端に置いて、有無を言わさぬ口調で言った。昨夜からの、大鷹の好き嫌いの多さにややうんざりしている様子だった。

 共同第八ビルの十八「上」階。このビルは天井が低いため他の大手のビルと高さが合わない。架橋で繋げる関係上、辻褄合わせの為に十階が二つ、十八階が二つあった。雑居ビルとは言え事実上の二十階である十八上階は上層部の部類だ。エリナとしては大鷹の我儘に付き合ってなるべく美味しい店を選んだつもりだろう。大鷹はピザの上に乗っている茸が気に入らなかったが、そんな事を言える空気でもないので「いえ、大好きです」と言ってその一切れを取った。

 ぎこちない気分は、だんだん強まっていた。昨日はエリナと共に他の調査員達に混じって、ひたすらハナダ青を尾行した。情報局基地の小さな部屋に閉じ込められて仮眠をとり、夜明け前に尾行を再開。勿論、仮眠は交替でとり、大鷹が眠っている間にも他の調査員達が仕事を引き継いだ。食事も交替でとるので、こうして昼食らしい時間に昼食がとれるのは幸運な事だ。大鷹は完全に調査員の一人として扱われていた。少なくともエリナはそのつもりのようだった。しかし実際の所、情報局自体に大鷹の居場所は無い。局にとって台露大鷹の位置付けは、エリナが勝手に連れ回している部外者に過ぎなかった。それが証拠に他の調査員達は、大鷹に目を向けようとすらしない。ただ迷惑そうに、あるいは困惑したように、エリナの顔を見やるだけだ。

「ハナダ青を……」大鷹は無理やり仕事の話を持って来た。「どうして捕まえてしまわないんでしょうか。結局、政府は彼女の身柄が欲しいんでしょう?」

「もし闇町全体がグルだったら、こちらが手を出した時点でとんでもない事になる。今のところ闇町は、ハナダ出版社と桜組と赤波書房が裏切ったと言っているけど……本当にそうだったら闇町はもう少しこちらに協力してくれたっていいはずだ。その行方不明になったとかいう彼女を捕まえるために、闇町は何もしていない。捕まえてくれと我々に頼むわけでもない。何もしないで、じっとこっちの反応を窺っているんだよ」

「日本政府は?」

「あっちはもっと好戦的。ハナダ青たちがSKの真相を暴露してしまう前に、潰す気なんだ。かなり強気。何がなんでもって感じだ。もうすぐ戦争になりそうだね」

 エリナも昨日ほど陽気ではなかった。状況が段階的に悪くなってきている。ハナダ青の尾行は、もはや尾行のレベルを超えていた。二十人以上の人員を割いての厳重な監視態勢だ。実戦部隊である情報捜査局機動隊を出すには、政府からの許可を取った上で頃合いを見なければならない。機動隊を出した事で余計に闇町の興奮を煽り、事態を悪化させる事になりかねないからだ。現在、実質的な対処は調査部隊に全て押し付けられている形だった。今ここで戦争が始まれば、調査員達が護身用の麻酔銃で応戦する事になる。

「実際、我々に勝算はあるのでしょうか」大鷹はピザの上から茸を追っ払う為にフォークを取って、じっとその先を見つめた。

「勝算か」エリナは既に二切れ目を手に取っていた。「無いかも知れないね。でも、多分、日本か闇町のどっちかがハナダ青なりその大事な情報なりを持って行ってしまったところで、風波にとって最悪の事態という事は無いだろうと思う。つまり、国が無くなるという事態は」

「国が無くなる?」大鷹は呆れて顔を上げた。

「それを恐れている連中もいる。でも、それは無いと、私は考えてる。この国が独立できたのはSKの情報を握っているという強みからだろうけど、何故独立したか、何故その後こうして上手くやってこれたか、その理由は別でしょう? この国では金、ゴールドが取れるからね。もともとこの国が日本を切り捨てたのは、新しく開発された金鉱を取られたくなかったからだ。大地殻変動が来て、当時の人達は日本という国が無くなったと思ったんだよ。自分達は放り出された、と思った。そういう時にね、開発したばかりの金鉱をたまたま持っていた島の人達は、どうしたと思う? 他の島に取られないように、境界線を引いたんだ。つまり、国境を。あの時からずっと、この国の強みはお金なんだよ。ハナダ青を取られたって、こっちにはまだお金がある。当分、風波という国自体は健在だと思うよ」

「当たり前でしょう。国一つがそんな簡単に無くなっちゃ困ります。そんな事を本気で心配してる人がいるんですか?」

「君が思ってるほど土台のしっかりした国じゃないよ」エリナは淡泊に言った。「砂上の楼閣とまでは言わないけど……まあそれに準じたようなものだ」

「頼りない国ですね」

「うん、まったく頼りない」

「風波政府は、この戦争に勝てるつもりでしょうか」

「金を出して頭を下げて、闇町の味方にして貰うんだね。味方に付いて貰うというより、味方に入れて貰うという感じじゃないかな。日本政府はもう入って来てしまったわけだし、四の五の言ってはいられない……大鷹くん。ハナダ青が今朝、ハナダ出版社で指輪を受け取ったでしょう。あれが小型の記録媒体だっていう可能性はあると思う?」

「パソコンのディスクのようなものですか? 技術的には可能だと思いますけど」

「あれに、SKに関する情報が記録されている、という噂もある。赤波書房が十年かけて集めた情報の全てが、あの指輪に入ってると」

「やはり、彼女達はSKの情報を暴露するつもりだという事でしょうか」

「日本政府は、焦っている。闇町は、様子を見ている。風波は、何もできない。三すくみだ。厄介だな。私はもう、うちに帰りたい」

 大鷹は黙って、もう一度ガラス越しに店の外を見た。青い光、輝く細かな気泡、その向こうに歪む通路。通路を行き交う人々の足は、やはり忙しない。闇町の何処でもそれは同じだ。

 突然、ズシンと重たい音がして建物全体が揺れた。

 元から静かだったはずの店内に、張りつめたような沈黙が降りた。控え目に流れていた穏やかな音楽が、途端に白々しくなった。腹に響く低い轟音は鋭い振動を伴って二度、三度と続いた。

 大鷹達の隣のテーブルにいた背広の二人組が目で頷き合い、店員の一人に紙幣を無理やり押し付けて店から出て行った。エリナも腰を浮かせた。彼女の右手は二本の指で耳を押さえていた。

「大鷹くん、始まったらしい」エリナは報告文でも読み上げるような単調さで言った。「日本から来た連中が武器を持ちだした。情報局の機動隊が動く。私達の仕事は終わったよ。調査員全員に撤退命令」

「では、エリナさん」大鷹はフォークを置き、立ち上がった相手を見上げ、低く抑え付けた声で言い放った。「ここでお別れです。僕はこの街で会う人がいますから」

「親の仇討ち?」

「そうですよ。おかしいでしょう? 僕が浅はかに見えるんでしょう」

 エリナは黙って大鷹を、その力ある大きな眼で見下ろした。

 また、建物が揺れた。何が起こっているのだろう。このビルは間もなく崩れ落ちるのかも知れない。

「もう行って下さいよ」大鷹はエリナから目を逸らし、気だるく言った。「まだ僕に構うんですか? 一体あんた、何なんですか?」

「行きずりの人間だよ。君を助けちゃいけないのかな」

「迷惑ですよ」

「手伝うと言ってるんだ」エリナは抑揚の無い声色で言った。「君のターゲットはハナダ青なんでしょう。私が手伝う。君一人じゃ何もできない」

 大鷹は顔を上げなかった。

「悪いけど」エリナは語調を強めた。「君に選択権は無いよ。闇町の歩き方もろくに知らないで。流れ弾に当たって死にたいんでなければ、闇町から出るか、私と一緒に行動するかだ」

 大鷹は顔を上げなかった。


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