祭りのあと
祭の後は、いつも寂しいものだ。
そう考えながらも僕は次の祭へと向かっている。
「23日。日曜日」
と、ここ最近書いていた日記風に口ずさんでみる。なかなか新鮮な体験だった。まあ、あの大学ノートに続きを書くことは、もうないけど。
人の流れに身を任せるように、僕は隣町の神社へ向かっていた。そこでは今日、天皇陛下の健康長寿と世の平和を祈願する天長祭が執り行われるのだ。年末だからか、やはり人が多い。その中の何人かは天長祭を見に来た人間なのだろう。
鳥居が見えてきた頃、太鼓の音が耳に入ってきた。ゆったりとした、一定のリズム。どうやら敷地内から漏れ聞こえているらしい。その響きに導かれるように、僕は本殿へ向かった。もちろん御衣子さん直伝の手水は忘れない。
僕が教えてもらった方法は……。
まず、右手に柄杓を持って、左手に水をかけて清める。次は柄杓を左手に持ち替えて、右手を清める。
次に、もう一度右手で柄杓を持って水をすくい、それを左手に溜めて、口をゆすぐ。その後、残っている水で左手を漱ぐ。しかし、全て使い切るのではなく、水は残しておく。
そして最後に柄杓を立て、水を伝わせるようにして柄を漱ぐ。これで完了だ。
拝殿の横まで行くと、大きな太鼓が見えた。これが音源だったのだ。白い装束の男性が力強く叩いている。
30メートルほど離れた奥には、本殿が見えていて、これ以上近付けないようになっている。……思ったより小さく見えるな。
時計を見ると、10時までには少し時間があった。いつも通りお賽銭をあげることにしよう。僕は人の隙間を縫って、お賽銭箱の前まで進み出た。
やり方は色々あると思うのだが、僕がいつも行っているのは……。
まず、お賽銭箱に小銭を入れる(僕の場合、たいていはお釣りでもらった1円だけど。こういうのは気持ちが大事! ということにしている)。この時、投げ入れるのではない。そっと、隙間に置くように。
次に2回、深くお辞儀をする。そして手を前に出し、一拍ほどの間、指先を合わせる。それから指先を前後にずらした後、2回打ち鳴らす。最後に、もう一度深くお辞儀をする。
二礼二拍一礼。そう覚えるといいらしい。まあ、この方法が絶対に正しいとは思わない。好きにやればいいと僕は考えている。大切なのは気持ち。というか、雰囲気を楽しむくらいの心持ちでいいのではないか。
一つ言えるのは、知れば知るほど面白い、ということだ。
そろそろ始まる頃だろうか。太鼓の音は絶え間なく続いている。が、僕は今さらな疑念を抱いた。
会場はここで合っているのだろうか?
お前大丈夫かと言われそうな疑問ではあるけれど。本当に拝殿で待っていていいのか、不安になったのだ。確かに奥に見える本殿には何やら白い垂れ幕があったり、手前には高い支柱のようなものが立てられていたりして、いかにも今から祭事を執り行いますよ、という感じなのだけど……。
看板や説明書きの類は一切なく、誘導してくれる係員がいるわけでもない。なんだか想像と違う。
人が集まっていた、という理由だけで僕はここに突っ立っている。この神社はかなり広い。実はどこか別の場所で、もう巫女さんが舞っていたりしないだろうな。だとしたら僕は何を待っているのだ、という話になってしまう。
周りを見回すと、絵馬やお守りの売り場……じゃなくて授与所を見つけた。中には巫女さん(当然、御衣子さんではない)もいる。
天長祭の場所はここで合っているか訊いてみると、
「はい。ここで大丈夫ですよ」
とのことだった。ほっとした。
周りには、僕みたいな年寄りばかりかと思っていたら、若い人もけっこう多くて驚いた。ベビーカーを押した婦人や、子供連れの夫婦、サッカークラブらしい少年の集団も見受けられた。カメラを構えた大学生くらいの青年もいる。
安部君も天長祭を見に行くと言っていたが、今は一緒ではない。僕は一人で来た。
太鼓の音が止む。
代わりに、雅楽の演奏が始まった。あまり詳しくはないけれど、心地よい音色だ。神職の人たちが入ってくる。7人ほどだろうか。遠くてあまりよく見えなかったが、どうやら、神前にお供えをしているようだ。正月に鏡餅を飾るような台を持って、代わる代わる進み出ていた。
それが続いて、いつの間にか15分ほどが経った頃。横の廊下を、新たに数人が歩いてくるのが見えた。気付けば、演奏は止んでいる。群衆から、ほう、という声が上がった。
巫女たちが、現れた。
縦一列に並んで、四人。こちらから見て左側の方向から順番に進み出てきた。先ほどの男性陣と違い、本殿からせり出した通路を進んでいるので、姿がよく見える。白衣に緋袴、そして祭事の時に羽織る千早に身を包んでいた。
顔の右側に扇を立てているため、表情は伺えない。あの中に、御衣子さんもいるのだ。
四人は舞台の上で、縦2、横2の形に並んだ。こちらに背中を向けているので、やはり顔は分からない。頭には草花を模した挿頭という髪飾りが付けてあった。
ぽろん、ぽろん。琴の音色だけが響き渡る。そして何拍かののち、一斉に楽器が鳴り、同時に舞が始まった。
扇を手に、身体を沈めては起こし、屈めては起きる。揺蕩う波のような、悠々とした動きで、四人の巫女が舞った。その動きは寸分の狂いなく揃っていて、遠くから見ても、ため息の出るような、艶やかな光景だった。
時が経つのはあっという間で、巫女たちは再び整列すると、一人、また一人と舞台を離れていった。その時にこちらに顔を向けたが、やはりこの距離からでは御衣子さんを見つけることは叶わなかった。
巫女たちが退場しても、拍手が起きるようなことはない。みな思い思いの表情で祭事を見守っていた。長く続いた平成も、あとしばらくで終わる。それぞれ思うところはあるだろう。
一方で、家中の平和、子供の成長、はては次の試合の成功など、もっと身近なことを祈っていたかもしれない。距離があったせいか、こちらまで身じろぎせず厳格に、なんて雰囲気でも無かった。思ったよりも気楽に見ることができて、僕にはこれくらいでちょうどいいと思えた。
巫女舞が終わった後も、神職たちによる礼が十分ほど続いたが、それも終わり、人がばらけ始めた。僕も、御衣子さんを探すとしよう。
境内を歩いていると、ほどなくして声をかけられた。
「何村さん」
聞き慣れた声に振り返ると、巫女姿が目に飛び込んでくる。御衣子さんだ。既に千早と頭の飾りは脱いでいるが、いつも通りの美しさである。
やはり巫女服を着ている時の彼女はかなり大人びて見える。常に柔らかい笑みをたたえ、声質はしっとり艶やかに、所作も洗練されたものに変わる。
「これから平坂神社へ戻るのですが、何村さんもご一緒にどうですか。実はご覧に入れたいものもありまして」
それなら、断る理由はない。「はい、お願いします」
僕たちは駐車場へ向かった。なんと、御衣子さんは車の運転ができたらしい。彼女は巫女服のまま、ライトバンのドアを開けた。ちぐはぐに思えて、つい正直に言ってしまう。
「なんだか、変な感じですね」
「お坊さんもよく電車やスクーターに乗っていらっしゃるでしょう?」
確かにそうだけど。なんか違うような気もする。
ともあれ、僕は助手席に乗り込んだ。御衣子さんは、しかし、運転席に座ってもすぐにはエンジンをかけなかった。
「御衣子さん?」
「ところで、何村さん。昨晩は何を召し上がりましたか?」
悪戯っぽい笑みを浮かべる御衣子さん。
「はは、僕は死んでいたのか――ってやつですか」
「懐かしいですね」
「ええ。本当に」
そう言って、やっと御衣子さんはエンジンをかけた。
死ぬわけないじゃないか。
パーティーは前日に迫っていて、もうすぐ平成も終わる。天長祭を見に行かなければならないし、御衣子さんとの約束もある。来年は「始」の年にするのだと。どうして、簡単に死ぬことができようか。
「言ったでしょう。死んでも見に行くって」
茶目っ気たっぷりに笑いかけてみたが、御衣子さんはさすがに呆れたようで、
「何村さんのそういうところ、死んでも治らないでしょうね」
前を向いたまま小さく溜息をついた。「黄さんもあんなに心配なさっていたのに」
うん……それを言われるとぐうの音も出ない。彼女には、本当に悪いことをしてしまった。
21日、金曜日の晩。黄さんの腕の中で僕は、意を決して目を開けた。その時既に彼女は、いつも通り冷静な表情で僕に凄まじい睨みをきかせていたけど、その目は少し赤くなっていた。
『馬鹿じゃないですかぁ!?』
彼女との付き合いは長いが、あそこまで怒りを露わにしたのは初めてのことだったように思う。
「実はあれから、黄さんに詳しい事情は聞いていないんです。心臓が止まるかと思うくらい叱られはしたんですけどね……。改めて聞くのが怖くて」
「ふふ、そうでしたか」
笑い方までお上品に変わる巫女さん、もとい御衣子さんである。
「ではその話から始めましょうか」
実は本当に描きたかったのは、今回長々と披露した天長祭レポートだったりします。あくまで筆者が訪れた神社を元にした記述ですし、文中の作法講座は諸説あると思いますので、ご留意くださいませ。
また今回のサブタイは誤りでありません……。分かる人いるかしら。
次話にて完結となります。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
みのり ナッシング