巫女に浮気 【解決編】
18日(火)
御衣子さんの推理は正しかった。そして、黄さんの判断も。
今日の午後は、珍しく5人全員がS研究室の教室に揃った。まあ、裏で黄さんが集めていたんだけどね。
昨日と違って阿土良君が来ていたけど、彼女、追試は大丈夫だったのだろうか……。重たいショートボブの髪と黒縁眼鏡に隠れて、表情は読めない。
安部君は相変わらず鬼のような形相でパソコンに文章を打ち込んでいるし、浅利君は所在なさげに部屋を見渡している。黄さんに目配せをされて、僕は口火を切った。
「安部君。ちょっと話があるんだけど」
彼はパソコンから顔を上げると、ぽかんとしたように「え、なんですか」
「文章。調子はどうだい」
「はあ……。提出期限までには、なんとか」
「勘違いしていないかい? 僕が聞いたのは修士論文についてじゃない。君が今打ち込んでいる文章のことだ」
目に、明らかな動揺の光が走る。
「どういう意味ですか」
「僕も、これで一応先達ということになるだろうから……煮詰まっているのなら、相談に乗るよ」
安部君は一瞬、驚いたような喜んだような、そんな色を顔に浮かべたけど、すぐ不安げな表情に戻った。浅利君と阿土良君は異様な空気に気付いたのか、僕に視線を向けた。黄さんも見つめてくる。
僕は確信した。そして迷った。御衣子さんの推理は正しかった。しかし推理した彼女自身も迷ったように、それを公表するのは、本当に正しいことなのか――。
「安部君」
黄さんが、言った。
「何かあるなら、話してみない?」
何の因果か、同じ場所に集まった5人。僕は、彼ら彼女らと過ごしてきて、家族と一緒にいるような、そんな安心感を覚えるようになっていたのだと思う。ショック療法で僕を救ってくれたのが御衣子さんだとすれば、この研究室は、僕をやさしく包み込むように癒してくれた。
黄さんだって、思いは同じだったに違いない。
「あなた、浅利さんに心配されているって分からないの?」
「え、琴子が? いやでも、そんな様子は」
だけど安部君は、彼女の顔を見て言葉を失った。浅利君は今にも泣きそうな目をしていたからだ。
「ど、どうしたんだよ」
「コーちゃんが……浮気してるんじゃないかと思って……」
「ええ!?」
素っ頓狂な声を上げる安部君。僕や黄さんにとっては予想通りの反応だけど、浅利君は俯いていたせいか、まだ気付いていないようだった。
「こんなこと、どうして言わせるのよっ!」
「違うんだ、琴子! 俺は……」
一瞬迷った後、安部君はほとんど叫ぶように言い放った。
「小説を書いているんだ!」
「……へ?」
今度は浅利君が間の抜けた返事をする番だった。
『小説じゃないかな、って思うんです』
御衣子さんは昨日、安部君が心奪われているものについてそう推測した。考えてみると、思い当たることは多かった。文章がしっかりしているのも納得だし。
僕は、気付けなかった自分を呪いたくなった。なにせ僕自身、小説家なのだ。
安部君は全て洗いざらい話してくれた。彼がネットに上げた小説は評判が良く、ある出版社の目に留まったらしい。一つ新しい小説を書いてみないかと打診され、その執筆で忙しかった。それであの悪鬼のような状態が出来上がったというわけだ。
小説家は幼いころからの夢だったが、自作を公開しようと決意したのは今年に入ってから。僕が本を出したのを見て、奮起したというのだ。彼にこんな才能があったなんて。人は思いもよらない側面を持っているものだ。
また、彼が黙っていた理由を御衣子さんはこう推理した。
『何村さんが本を配った場面。浅利さんが活字は苦手だと言った時、安部さんは凍り付いたような表情だったんですよね。言うに言い出せなかったんじゃないでしょうか』
そうか。あれは恋人の失言に肝を冷やしたわけでは無かったのだ。確かに、悪気はなくても愛する人にああ言われると、辛いものがあっただろう。
もっと現実的な悩みもあったはずだ。もし二人が本気で将来のことを考える段になったら、もはや自分一人の人生ではなくなるのだ。
『じゃあ、浮気じゃなかったんですか』
黄さんの問いに、『それは無いと思いますよ』御衣子さんは軽い調子で答えた。今なら僕も、よく分かる。僕自身そういう経験があるからだ。彼は神社へ取材に行っていたのだろう。
二人はすっかり元の仲に戻った。浅利君は安部君の志を快く受け入れていたし、特に御衣子さんの推理を伝えると、頬を赤らめて喜びを露わにした。もう大丈夫だろう。
御衣子さんの推理とは、こうだ。
『馴れ初めの話で、安部さんは浅利さんの髪を好きだと言ったんですよね。ウェーブのかかった茶髪』
あ。そうか。僕は御衣子さんをまじまじと見つめた。休憩中だから、サンタ帽は外してある。
頭の後ろでまとめているけど、はっきりと分かる、ストレートの美しい黒髪。彼女もまた、巫女さんだ。
『そんなことで?』
『理由としては弱いかもしれません』
しかし、御衣子さんは澄まし顔だった。
『結局のところ、私は……安部さんを信じる、何村さんたちお二人のことを信じたに過ぎないのかも』
彼女は美味しそうにコーヒーを飲んだ。
日記というのは、思ったよりも楽しい。実際に手で長文を書くというのがなんだか懐かしいのだ。つい書きすぎてしまう。このまま何事も起きなければ、いいのだけど。
明日からは、研究室に持って行って、空いた時間に書き留めていくことにしよう。