コンビニコーヒーを買う男 【解答編】
16日(日)
昨日の続きを書く。
僕の見落としていた前提とは、こうだ。サラリーマンの男の話は、御衣子さんの機転を証明するエピソードだった。男に言われて紙おしぼりを渡しただけなら、そういう話にはならない。御衣子さんは、自発的に何らかのアクションをとっていたのだ。
その答えを、店長は口にした。
「コーヒーの機械の横に、箱ティッシュを置いたのよ」
ティッシュだって?
そういえば。僕はさっきの場面を思い出す。トラックの運ちゃん。手にかかったコーヒー。横にあった、赤いティッシュカバー。
「そうか。こぼした時に自分の手を拭けるように、ですか」
そう言って、すぐにおかしいと気付いた。男は手袋をしていたのだ。紙おしぼり、ましてやティッシュで拭いてどうにかなるものでもない。
「違います。それだと、こぼれることを予感していたことになりますよ」
弁当を手早く袋に入れながら、御衣子さんが言う。「実際に見てみましょうか」
それで、僕たち三人はコーヒーメーカーのところまで向かった。御衣子さんの言うとおりだ。たとえ、男が同じ失敗を過去にしていたからだとしても、それなら次はちゃんとコーヒーが出終わってから広いスペースでミルクを入れるなど、気を付ければいいだけのこと。あらかじめ紙おしぼりをもらうなんておかしい。
機械の前まで来た。僕は、思わず声をあげそうになった。
「ご覧ください」
一目瞭然だった。カップを置く金網付近に、ミルクが白い点になって付着していた。コーヒーの残渣らしき液体も見える。ここにそのまま置くのは、抵抗がありそうだ。カップの底が汚れてしまう。
「コーヒーが出ている最中にミルクを入れると、手元が狭いので、このようにこぼれる場合があります。急いでいる人なんかは、カップを早く取って、コーヒーの残りが少し垂れることも」
御衣子さんは箱からティッシュを一枚取ると、汚れをさっと拭き取った。
男から「おしぼりを――」と言われた御衣子さんは、紙おしぼりを渡すと、レジから飛び出して、ポケットティッシュで今と同じ場所を拭いたらしい。男は以前にも、同じような経験をしていたのだろう。だから、金網を自分で拭くために紙おしぼりをもらった。
「お客さん、とても感心していらしたのよ」
店長は、まるで我が子が褒められたように、顔をほころばせていた。御衣子さんは相変わらずの無表情だが、ほんのり頬が赤い。
「本当はこまめに掃除すべきなのでしょうが、どうしても手が回らないこともあります。だからセルフサービスということで、せめて拭けるように置いています」
「しかもこのティッシュカバー、御衣子ちゃん作なのよぉ。華やいで良かったわ」
確かに、赤いティッシュカバーは、このスペースに彩りを加えているように見えた。
僕の生活は、この1年で大きく変わったと思う。モノクロだった僕の毎日に、少しずつ色が付いていった。
昨日の帰り際、御衣子さんにとあるパンフレットをもらった。今も机の上に置かれている。
『天長祭』
今月の23日、天皇陛下の誕生日を祝う祭りだ。平坂神社とは別の、隣町の神社で行われるのだが、そこで御衣子さんも出張で舞を披露するらしい。
朝の10時開始と書いてある。22日の夜は研究室のクリスマスパーティーがあるけれど、アルコールは入らない予定だから、なんとか見に行けるだろう。
自転車はまだ買い直していないから、電車で行くことになるな。ともあれ、また年末の楽しみが一つ増えた。
巫女さんは名探偵。何気ない日常を、彩ってくれる。
今日(16日)は、他に特筆すべき事の無い、平和な一日だった。いや。映画好きの黄さんに勧められた映画を観に、隣町まで行ったのだが……。気のせいだろうか。
誰かに後をつけられていたような。そんな気がした。