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今日も良い天気だ。鳥のさえずりで目覚める朝のなんと爽やかなことか。クリスはベッドの上で伸びをした。
昨日は報告書の作成で疲れてしまい、凝り固まった体を解すことなくそのままベッドに倒れてしまったのだ。
食事の支度をしてもらってる間身支度を整え、報告書の見直しをする。見終わる頃声を掛けられた。
「ジーク様よりご一緒にお食事を、とのことです」
「わかった、ありがとう」
待ち遠しくて堪らないらしい、せっかちな主に嘆息しつつ案内されるままついて行くと「待ちわびたぞ!」とジークが大袈裟に歓迎する。広げられた両手に報告書を渡してやると、
満足そうににんまりと笑ったジークがそれをテーブルの脇に置いた。
「あとでじっくり読ませてもらおう。さぁ、食事だ」
席に着くとすぐさまナイフとフォークを持つ。しばらくしてジークが話し始めた。
「今日の予定は?」
「補完作業」
「いつごろ終わるんだ?」
「遅くとも1時間前には戻るよ。その報告書の質疑応答と晩餐の事前打ち合わせはその時に」
「暇つぶしにはあの報告書は薄すぎないか?」
「君が大量の書類見るの嫌いだって、いつも言うから端的にまとめてやったんだろ」
「クソつまらないのはな!でも今回は面白いだろ、絶対。お前の主観だらけの下書きも寄こせ」
「私の主観は後で言うよ」
文章に残すと証拠となるが口に出しただけでは悪用されにくいので、それくらいはと譲歩した。ジークは不満そうではあるが。
下書きは早々に処分したので勝手に部屋を探されても平気だ。長年の付き合いだ、察しているだろう。涼しい表情で食事を続けるクリスをジークは拗ねたように睨みつけていた。
全ての確認を終え、後は帰ってまとめるだけとなった。本当ならすぐさま帰る方がいいのだが、時間に余裕があるためゆっくり大通りを歩いていた。
並ぶ店と行きかう人々は長閑でお国柄そのままだ。ゆったりした時間が心を癒す。
貴族は無駄に偉ぶることなく、王族は民から気安く声を掛けられるほど近い存在で、尊重し合う関係を築いている。王も貴族たちも民も争いを望まない。平和そのもの。
自国では得られない幸福だ。
だからこそ今回のこの騒動は意外だった。今のところ貴族だけに留まっているが、それも時間の問題、民に知れ渡ったらこの平穏は破られる。その時非難されるのはどちらになるのか……
「クリスティ様」
名を呼ばれ、振り向けばエリシアが立っていた。
「これはエリシア嬢、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
静かに佇むエリシアはこの長閑な風景に馴染んでいない。華美なドレスを纏っているわけではないのにその美貌と気品は極上で、どの国の貴族女性よりも高貴に感じる。
だからこそ、今回の騒動が起こったとも言えるとクリスは考えている。
エリシアはどの国へ行っても称賛されるだろう。見た目に劣らず所作や知性も優れている。大国の王妃にと望まれてもおかしくない。
大国の令嬢であれば何ら問題ないのだが、実際はこの小国の令嬢で、この国で彼女は優れ過ぎているのだ。そしてそれは異質でもあった。
親しみやすい貴族の中で彼女は近寄りがたい雰囲気を持っていた。気高くある態度は冷たくも映る。ステュアートはエリシアを傲慢だと称していた。
確かにクリスはエリシアの笑った顔を見ていない。もちろんあんな事があって、呑気に笑う気になれないのは当たり前だが。
本当に傲慢な人たちを知っている(中にはもちろんジークも入っている)クリスにはエリシアの態度は傲慢には映らない。
彼女に付き従っている侍女の態度からも敬愛が見て取れる。
「お出掛けですか?」
「……散歩です」
今回の騒動の当事者としては大人しくしていた方がいいのだろうが、屋敷に籠もってばかりいても気が晴れないだろう。エリシアは気まずそうにしていたが、クリスは咎める気はなかった。
「それでは失礼します」
早々に去って行くエリシアの背中をしばらく見送る。当事者である彼女は調査の状況を知りたいはずだ。偶然会えた絶好の機会なのに、それについて触れることなく去って行く。
厳正であろうとするその姿勢にクリスはさらに尊敬を高めた。それにくらべて王族は……
今回の晩餐の意味を思い出し、つい溜息が出た。誰だって保身に走りたくなるのは当たり前なのに。エリシアが特別なのだ。彼女の高貴さにはこういう弊害がある。
「待ちかねたぞ、クリス。さぁ思う存分語り合おうではないか!」
大仰に出迎えたジークにさらに疲れが堪る。大通りで癒した心はすっかり擦り減った。おそるべし、ジーク。
「お茶を飲むくらいの休息を求める」
「仕方ないな」
実に上機嫌で快諾したジークはさっさと侍女を呼び寄せる。ここ数日大人しくしていてよっぽど鬱憤が溜まっていたらしい。
油断してたら火の粉がこちらにまで掛かると危惧して苦々しい気持ちになる。自分が招いた事態のくせに迷惑な話だ。
侍女にお茶を頼むとジークはクリスの向かいのソファに座った。
「今日までご苦労だった。もちろん全て終わったんだろう?」
「……まぁ、出来る事は全てね。後はジークにやってほしいことがある」
「サミュエルの証言か」
さすが察しが良い、クリスは無言でジークの反応を窺う。
サミュエルは第2王子だ。エリシアが吊し上げられた宴の席にもいたが、王と王妃の後ろに控えていただけだった。
ステュアートとは少し年が離れているようで、まだ幼い顔立ちをしている。訪れた際の挨拶でも控えめで大人しい印象だった。
実はアミリが突き飛ばされたと証言した日にエリシアは孤児院を訪問しており、その時にサミュエルに会っているのだ。
そう言ったもののステュアート側に不利になるようなことを証言してくれるのか、エリシアもそう思っているのだろう、不安そうに話してくれた。
クリスとしてはサミュエルの証言が欲しい。何よりも有力な証言になりえるのだ。身分の低い自分が訊ねても躱されるかもしれないが、立場が上のジークにならいい加減な返事はできない。
だからこそジークの力が欲しいのだが、気まぐれな彼ははたして協力してくれるのか。
目が合うとジークは意地悪な笑みを浮かべた。