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8 高みからの宣戦布告

 


 私の先祖、ベガトリアスは魔王に屈した。

 彼女は最期、勇者カルキノスに追い詰められ、己の産んだ魔王子とともに虚無の大穴に身を投げ、死んだそうだ。


 勇者として旅立ちながら、命惜しさに魔王の子を産んだ裏切り者の女。


 ――どうせ死ぬなら魔王に負けた時点で命を断てば良かったものを。かの国の勇者には誇りすらないのか。


 ――大公家のご令嬢のくせに随分と貞操観念がゆるい。どういう教育を受けたのやら。


 ――ベガトリアスの本当の武器は聖剣ではなく、魔王ですら食指を伸ばす美貌と艶めかしい体だったらしい。


 各国からの国辱に、アウリオンの民は忍耐を強いられた。


 魔王からひどい脅迫を受けた、もしくは強力な洗脳術にかかっていたのではないか。あるいは寵妃となって魔王を殺す隙を窺っていたのかもしれない。


 ベガトリアスの人柄を知る者はそう信じて堪え忍んだ。

 特に当時のアウリオンの王子や、シェリアーク家の者たちがこぞってベガトリアスを庇った。

 彼女が裏切るなどあり得ない。何か理由があったのだ、と。


 しかし、女勇者の名は時を越えてさらに地に墜ちた。


 ベガトリアスの時代から百年後、つまり今から百五十年前、魔王は復活するやいなや、世界各地から女を拐って子を産ませた。

 魔王子の数が激増し、各地で被害が出始める。


 ベガトリアスの存在が魔王に影響を与えたに違いない。

 過去数百年にない異常な行動に、各国から非難が相次ぐ。


 その時代にはもう、ベガトリアスを庇う者はいなくなっていた。

 アウリオンの民はベガトリアスを恥さらしと詰り、息を詰めるように生きていた血族たちに石を投げた。

 それからシェリアーク家の苦難の歴史が始まる。






「きみの行動は全世界の人々から忌み嫌われるものだ。シェリアーク家を立て直したきみの曾祖父、あるいは若くして“大賢医”にまで上り詰めた立派な兄君に申し訳ないと思わないのかね? アウリオンの貴族女性は、今でも他国でベガトリアスに例えられて嘲笑されることがあるのだぞ」


 朗読を終えた私に、教師が刺々しい声で言う。

 私のしれっとした態度が、面白くなかったのだろう。


「入学の儀での戦いは素晴らしかった。きみには剣と魔法の才がある。それは認める。だがね、勇者を目指すなど、才能の無駄遣いに他ならない。誰が賛成する? 誰が許す? きみが聖剣に触れようなどとおこがましい。ただただ周囲の人々に不快な思いをさせるだけだ。今すぐに、その剣の紋章を外しなさい」


 ここまでは、まだまともな忠告だった。

 私は微動だにせず、教師の威圧に耐えた。当然勇者志望の証、紋章は外さない。


「まぁ、先生に対してなんて態度なのかしら……」

「迷惑なのよね。この国の女性が肩身の狭い思いをしているのもみんなみんなベガトリアスのせいなのに」

「やっぱり、恥知らずの末裔は厚顔だわ」


 こそこそ話しているつもりかもしれないが、全部聞こえている。伯爵令嬢たちではなく、他の生徒たちも嫌悪感を表し始めた。


 大丈夫。

 予想の範囲内だ。これくらいのこと、覚悟はしていた。

 周囲の空気が自分に味方し始めたと感じたのか、どんどん教師は饒舌になっていった。


「入学の儀を見る限り、きみは勇者を真似るのが得意なんだろう? ベガトリアスの所業も真似るつもりではあるまいね? 勇者として魔境ガランドリネに向かい、魔王子辺りの花嫁にでもなる気か。母君譲りのその美貌ならば、不可能ではないだろうがねぇ」


「っ!」


 母上様を引き合いに出され、瞬間的に頭に血が昇った。


「プラチナの妖精の名をも汚すのか。嘆かわしい。天界に召された母君が今頃どんな顔をしているか、きみは想像したことがあるかね? これ以上悲しませたくないのなら、勇者を諦めなさい。それで全てが丸く収まる」


 奥歯がぎりりと鳴った。

 母上様がどんな顔をしているかだと? そんなもの、私の方が知りたい。

 どれだけ恋しいと思ってるんだ。

 十年前、シェリアーク家の中心を喪って、父上様も、兄上様も、私も、何もかもが変わった。

 このクソジジイは私とシェリアーク家のタブーに触れた。


「ったく、早く剣の紋章を外してくれないかな。授業が始まらないじゃないか」

「どうせ、目立ちたかっただけだろ? 勘弁してほしいぜ」

「先祖の汚名を自らの手で晴らしたかったのだとしても、愚かとしか言いようがない。全くの逆効果だ」


 未だ動かない私に業を煮やし、あちこちから不平不満の声が上がり始めた。


「お嬢様……ここはどうか、穏便に。今だけでも紋章を外して……」


 リュカットが小声で何かさえずっている。ダメで元々という感じの声だ。まだ主従としては短い付き合いだが、なかなか私のことを分かってきたじゃないか。


 静かに、しかし確実に私はキレていた。

 剣を持っていたら振り回していただろうが、幸か不幸か丸腰だ。

 ならば言葉の刃を返そう。この場にいる全ての者へ。


「決めた。私がこの紋章を外すときは、誰かに敗北したときだけだ。私は、私より弱い奴の指図は受けない」


 はっきりきっぱりと告げると、教師の顔がみるみるうちに赤くなっていった。


「従わないと? ならばこちらにも考えがある。この授業は必修科目、単位を落とせば卒業はできな――」


「たとえ不当な圧力で卒業の儀を受けられないと決められたとしても、私は勇者になることを諦めない。別の方法を取るまでだ。……良かったな、お前ら。どうやら私は永遠に卒業試験を受けられない。二番目・・・に優秀な者が聖剣に触れられるわけだ。運が良ければ、アウリオンの勇者を名乗れるぞ」


 私は教師から視線を切り、振り返った。五百人の生徒の目が私を見ている。

 嫌悪、憎悪、呆れ、驚愕。あらゆる感情に晒されながら、私は挑発的な目つきのまま、高みから宣言した。


「それこそ恥知らずだ! 学院内ですら頂点に立てない奴が勇者になれるはずがない! この場にいる全員、今この時点で私より劣っていることを忘れるな!」


 私は入試で首席を取った。

 アポロ戦線で活躍した義勇兵にも勝利して見せた。

 誰も異論は唱えられない。そうだろう?


「二番目の“最優”を喜ぶのも、もてはやすのも自由だ。平和ボケした頭で勇者ごっこを楽しむといい。……じゃあな、負け犬ども」


 私が大講堂を去ろうとすると、教師の叱責が飛んだ。


「ライラ・シェリアーク! 今後私の授業を受講することを禁じる!」


「それは助かる。お前の授業を聞いていたら、歪んだ歴史を覚えてしまいそうだからな」


 二度と来るかクソジジイ。






 まだ授業をしている時間ということもあり、図書室はだいぶ空いていた。

 時間が空けばとにかく勉強、という習性のせいで無意識にここにきてしまった。私は書架を奥へ奥へと進み、突き当たりに辿り着くと長い息を吐いた。


 同時に、瞳から涙がこぼれた。


「…………っ!」


 悔しかった。

 五百人の前で吊し上げられ、先祖ベガトリアスや母上様ごと侮辱されて。

 こんな風に女々しく泣いて、被害者のように振る舞えたらどれだけ良かっただろう。そんな卑怯なことを考える自分に、悔しさが倍増した。


 というか、やってしまった……終わったー……。


 あれだけ盛大に啖呵を切っておいてびっくりだが、さっそく私は後悔していた。

 入学して一週間で、学院経由で勇者になる計画が頓挫した。卒業どころか、明日には退学させられているかもしれない。

 兄上様とのお約束事を破ってしまったのだから、文句は言えない。自業自得だ。


 あまりにも惨めすぎる結末。

 学院を去る自分を想像すると、恥ずかしすぎて死にたくなってくる。


 あれ、私……格好悪すぎ……?


「格好良かったぜ、ライラ! やっぱりあんたは最高だ!」


 振り返って、私は愕然とする。

 ルルタが目を爛々と輝かせ、そこに立っていたからだ。一瞬で頭が真っ白になる。


「な、んで……授業は……」


「聞く気失せた。俺もあんな奴から学びたくねぇ。それより、泣いてたんだな」


 私は慌てて涙を拭った。

 見られたくなかった。知られたくなかった。こんな、弱くてダメなところ。

 

 てっきりがっかりされるかと思ったが、ルルタは目を細めた。とても愛おしいものを見るような瞳で。

 兄上様以外に、そんな風に見つめられたのは初めてだ。


「さっきは世界一格好良かったけど、今はすげー可愛いのな。好きなだけ泣けばいい。その方が多分すっきりするぜ。誰も来ないように見張っててやるよ」


 意味が分からない。

 何をしに来たんだ、こいつは。


 ルルタは私に背を向けて、本当に通路に人が来ないか見張り始めた。

 私は彼の背中を見て、また涙を落とした。


 今は、優しくされたくなかった。

 弱っているときにこんなことされたら、涙が止まらなくなるじゃないか。


 私はその場にうずくまって、終業の鐘が鳴るまでじっとしていた。

 胸が痛い。




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