6 アポロ村から来た二人
私は勇者になるために今日まで頑張ってきた。
周囲から疎まれ、シェリアークの名を悪目立ちさせ、尊敬する兄上様に迷惑をかけ、何も思わないわけじゃない。罪悪感くらい持ち合わせている。
でも、それでも、私は……。
あらゆる批判に晒されても、何を犠牲にしても、勇者にならなければならない。
今は、学院での勉強に全てを注ぐ。
余計なものは切り捨てると決めた。
「なぁ、ライラ。昼飯一緒に食わねぇ? 俺、もっと話した――」
「私は話したいことなんてない」
ユリウス先生の授業の後、つーんと顔を背け、私はルルタを無視して教室を出た。
我ながら感じ悪い。
でももう迷わない。
私には遊んでいる時間はないんだ。最短で勇者になる道を行く。
同期生は全員ライバルくらいに思わないとな。誰とも馴れ合わない。
というか、普通に考えて平民の男と必要以上に仲良くなっちゃダメだろ。貴族令嬢として。兄上様とのお約束事がなくたって控えるべき行動だ。
……ルルタだっていずれ分かる。
私と関わるべきじゃない。
そして数日が平和に過ぎた。
いや、教師たちには腫れ物のように扱われたし、どのクラスでもぼっちだったし、兄上様にユリウス先生の授業のことで怒られたりしたけど、それは予想の範囲内なのでノーカンで。
何度かルルタとすれ違った。
私が隙を見せずに歩き去っているせいか、声をかけられることはなかった。相変わらず視線は感じるが、初日ほど強烈ではない。無視できるレベルだ。
諦めたかな。
私の悪評を聞いて、熱が冷めたのかもしれない。
その程度の気持ちなら、良かった。
私も大分落ち着いてきた。
大体、はっきり求愛されたわけじゃないし、ほとんど喋ったこともない相手を意識しすぎていた。
このままフェードアウトしていければ……。
しかしあれだな。
意識しないようにすればするほど、奴の情報が耳に入ってくる。
ルルタという少年が無駄に目立つせいだ。
「ちょ、ルルタ! 何してんの?」
「いや、枝の上に子猫がいて降りられなくなってるから、助けようと思って」
「なんてベタなイベント! 気をつけてね!」
中庭が騒がしいと思ったら、ルルタが木登りをしていた。そばでハラハラしているのは……ツバサくんじゃないか?
小柄でほっそりとした体、黒髪黒目なベビーフェイス、聞きなれた声。うん、間違いない。
あの二人は、文字の読み書きの講座で仲良くなったらしい。
入学の儀の魔王役と、ラジオに出演中の異世界人。ただでさえ目立つのに、二人一緒にいればなおのこと目立つ。
ちなみに私はまだツバサくんと喋ったことがない。ルルタが近くにいるのでは無理だった。
「良かったなー」
「わぁ、猫ちゃん可愛い」
無事に子猫は救出された。集まった生徒たちが歓声を上げる。
ルルタは太陽のように明るくて溌剌としており、ツバサくんはそよ風のように優しくてどこか可愛い。
二人の周りには気持ちの良さそうな空気が流れていた。そのせいか、いつも平民や亜人の生徒に囲まれている。絵に描いたような人気者だな。
「あのルルタって奴、アポロ戦線で活躍した義勇兵らしいぜ」
「へぇ、あの年齢で本物の魔王軍と戦ったことがあるのか。すごいな……話を聞いてみたい」
通りがかった下級貴族も興味津々に中庭を眺め、ルルタの噂をしている。
こんな感じで、知りたくもないのにルルタの情報が集まってくる。
ルルタ・アルシャイン。
アウリオン王国の東の辺境、アポロ村出身の十六歳。
六年前、東の大樹海に発生した“門”により、アポロ村は“鬼獅子王子”こと八番目の魔王子・オーガスト軍の襲撃を受けた。
オーガスト軍は凶暴で肉食。特に人肉を好む。奴らの目的は食料の確保をするため、アウリオン王国内に人狩りの拠点を造ることであった。
樹海を見張っていた国境兵の奮闘もあり、第一波はなんとか追い返すことができた。
しかしその日から、アポロ村は度々オーガスト軍に狙われ続け、戦場となった。王国内で魔王軍と戦闘になるのは、実に八十年ぶりである。
厄介なことに“門”は閉門時には結界に守られ、破壊できなかった。魔物が転移してくる開門時に“門番”を倒さなければ、永遠に危機は去らない。
戦いと休戦を繰り返し、ようやく“門”を破壊できたのが半年前のこと。
アポロ戦線と呼ばれるこの戦いで、魔王軍を引きつける役割を果たしたのが義勇兵たちだ。中でもルルタは目覚ましい活躍を見せ、軍大将を務めていた辺境伯の目に留まった。
終戦後、ルルタは辺境伯の推薦で王立学院に入学し、今に至る。
……かなりハードな人生を送っているんだな。彼が今笑っているのが奇跡ではないかと思えるほどに。
話したいことなんてない、なんて嘘だ。
私だって、本当はめっちゃ話したい。本物の戦いを知っている奴の経験談は勇者を目指すうえできっと役に立つだろう。
と、心の言い訳はできているのだが、やはり兄上様の言いつけを破ることはできない。
「ほら、ツバサ。抱っこしてみるか?」
「えぇ? なんか気が立ってるじゃん。引っかかれそう……」
「大丈夫、大丈夫!」
「そのゆるぎない自信はどこから来ているんだ」
ルルタとツバサくんが子猫と戯れて楽しそうにしており、周りの生徒たちもほっこりしている。
笑顔の輪から一人外れ、廊下の柱から中庭の様子を窺う私はひどく滑稽だった。
ダメだダメだ。羨ましくなる。さっさと行こう。
「あれ、よく見たらこの子の前足……」
「怪我してんな。可哀想に」
ルルタが手の平に乗せていた子猫を、とある女子生徒の前に差し出した。
「ユシィ。治してやって」
「……しょうがないわね」
一瞬の閃光の後、子猫がルルタの手から元気よく大ジャンプし、にゃあと一声鳴いて去っていった。
あっという間に治った怪我に、騒然となる中庭。
……あれが天使の愛弟子か。
兄上様ほどじゃないが、医療術の腕は学生のそれではない。
彼女の名前はユシィ・シャウラ。
ルルタの幼なじみで、同じく十六歳。
彼女は天使族に愛されている、稀有な存在だ。
自らの魔力や精霊から力を借りて行う通常の医療術ではなく、天使から与えられた力を用いて瞬く間に怪我や病気を治してしまう。
彼女もまたアポロ戦線を支えた功労者の一人らしいな。
ちなみにユシィは天使を通り越して、一部の男性陣から“女神様”と心酔されている。
豊満なバストにきゅっと引き締まったウエスト、同性の私でも見惚れてしまうような脚線美……。
私と同い年とは思えない。制服の着こなし方が全然違う。
おまけに貴族の娘にだって滅多に見かけない美人だ。
神秘的なアメジスト色の垂れ目に泣きぼくろ、透き通るような白い肌、淡い桃色のさらさらの長い髪。
日焼けしていないし、顔立ちや立ち振る舞いに野暮ったさがないし、柔らかそうな女性らしい体つきをしている。
信じがたいが、あれは平民の娘だ。
天使に愛さているがゆえの美しさか、はたまた美しいがゆえに天使に愛されているのか。
とにかく、ユシィ・シャウラは見目麗しく色っぽい。貴族も平民も関係なく、男どもは皆彼女にメロメロになっている。
ルルタ、ツバサくん、ユシィ。
この三人は、今年の新入生の中で最も目立つグループだ。
上級貴族たちに目をつけられないといいが……。
ちょっと心配だ。
「あ」
つい足を止めていた私はルルタに見つかった。眩しい笑顔を見せて手を振る彼から、私は逃げるように去る。ふと、異質な気配を感じて振り返ると、ルルタの後ろでユシィが私を睨んでいた。
「っ!」
全てをどろどろに溶かすような、強烈な憎悪。
ルルタを無視する私が憎いのか、それともルルタに微笑まれる私が憎いのか。
知ったことじゃねぇ。無性にイラっとした。
喧嘩なら買うぞ?
文句があるならいつでもかかってこい!
そんな気持ちで睨み返し、今度こそ私はその場を後にした。
◆◇◆◇
「今すっごく威嚇されたんだけど。こわーい」
「先にユシィが殺気を飛ばしたからだろ。それにしても、ちょっと怒ってても可愛いなぁ、ライラは。ぞくぞくするぜ」
「……ルルタってば、ああいうちょっと変わった子がタイプなのね。納得ー。ちっともわたしに手を出さないから、てっきりホモなのかと思っていたけど」
「自惚れんな。てか、人の趣味を特殊みたいに言うなよ。めちゃくちゃ可愛いだろ、ライラは」
「はいはい。で? あんたのその殴りたくなるような浮かれっぷり、本気なの? 相手は大公家のお嬢様なのよ」
「そりゃ……できれば付き合いてぇよ。あんなに可愛いくて強い子、どこにもいねぇもん」
「この身の程知らず。というか、わたしたちが王都に来た目的を忘れたわけじゃないでしょうね?」
「忘れてない。だけど、ライラは無関係だろ」
「そうね。あの子ってあんまり貴族らしくないし。でも、無関係かどうか、まだ決まったわけじゃないわ」
「はぁ? ……まぁ、調べるのはお前に任せるけど。その間俺は少しでもライラとお近づきになれるように頑張るぜ。はぁ、恋っていいもんだな。毎日楽しい。ライラと恋人になれたらもっと楽しいんだろうな」
「…………」
「……悪かった。今のは無神経だった。お前の気持ちも考えずに」
「はっ、別に気にしてない。ルルタが無神経なのは今に始まったことじゃないし。せいぜいこれ以上嫌われないようにすることね」
「嫌われてねぇ。避けられてるだけだ」
「そのゆるぎない自信はどこから……まぁいいわ。あんたが何をしようとどうでもいいけど、わたしの邪魔はしないで」
「へいへい。お前も気をつけろよ」